ゾイドバトルストーリー異伝 ―機獣達の挽歌―   作:あかいりゅうじ

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幕間:ニクスの幽姫、ゼネバスの竜鬼 ②

 ――半年前、西方大陸エウロペ・ニクシー基地にて

 

 

 痛み(、、)が、彼女を支配していた。

 

「痛い、痛いッ! 誰か、誰か来て!」

 

 耳をつんざく苦悶の声。恐怖に喘いだ少女の涙声が、ニクシー基地の医務室に響き渡る。必要最小限の資材を纏めて、既に脱出の準備を進めていた医療班だったが――エーファ・アクロウが苦痛にもがく声に、その手を止める。

 先の戦い――ガイロスの全軍を震撼させた『赤の砂漠の戦い』より帰還した、数少ない生き残りの一人たるエーファだが、その傷は深い。肉体的な傷もさることながら――精神に負ったそれが重篤であった。こうして癇癪を起こすのも、ここニクシーに搬送されてからもう何回目になろう。同情と、どこか呆れた風の表情を見せた軍医の男が、ゆっくりと枕元に寄って来るや――「エーファ・アクロウ、気を確かに。まもなくニクシーは落ちる、今はなにより、脱出の準備を進めなければならんのだ」と、彼女を宥める。

 轟と響いた轟音と共に天井が軋み、バラと塵が落ちる。軍医はもちろん、ナーススタッフ達も一人残らずこの事態の正体を知っていた。先にこのエーファ・アクロウが目にし、帝国の主力師団を壊滅に追いやったというへリックの超兵器――《ウルトラザウルス・ザ・デストロイヤー》の主砲、『1200mmウルトラキャノン』が、今やガイロスの本拠たるこのニクシーにも、降り注ごうとしていた。

 

 ――ガイロス帝国は、西方大陸エウロペでの戦いに敗れたのだ。

 

 いつこの医療施設にも砲撃の余波が来るか知れない。一刻も早く脱出の手筈を整えなければ、と焦燥していた軍医だったが、

「レニー……レニーを呼んで! 助けて!」

 と、苦痛に呻きながら叫んだエーファに、彼は半ば呆れ気味に溜息を吐いた。

 

 

 バゴ、と鉄の戸が跳ね開けられると、「――エーファ!」と、芯の通った女性の声が弾ける。戸惑う医療スタッフを掻き分けて入って来たのは、ガイロス帝国軍尉官級の制服を纏った、大柄の女性士官だった。

 レニー・キュール・シュヴェスター少佐。齢三十にして帝国機甲師団の雄たる『第三装甲師団』んの副官を任せられた女傑であり、エーファ同様、『赤の砂漠の戦い』から生還した者の一人でもある。シュヴェスター少佐はエーファ・アクロウ中尉の直接の上官であり、また大切な友人でもあった。

「……エーファ。白く美しいエーファ」

 床に伏したエーファの手を取り、その傍らに寄り添ったシュヴェスター少佐。大きく暖かな彼女の掌に、僅かながら落ち着きを取り戻したエーファは、「レニー、助けて。痛いよ、私もう戦えない」と小さくごちた。

「しっかりなさい――私の、銀の戦女神」

 スルと手を滑らせてエーファの頬と、焼け焦げた彼女の銀髪を撫でたレニー・シュヴェスターは、流れ伝う涙を拭ってやると、優しく微笑む。

「ニクスの戦姫と讃えられた貴方だからこそ、へリックの撒いたあの業火の中を生還する事が出来たのよ。戦えるわ――傷を癒して、力を取り戻した暁に、貴方は報復の天使となって必ずやあの反乱軍を討ち果たす。そうでしょう?」

「……ニクスの、戦姫?」

 レニーの言葉を繰り返したエーファはゆっくりと頭を振ると、「こんなになっちゃったんだもの、無理だよ」と、包帯に覆われた己が半貌を撫でた。炎上する機体を引き摺って、焦熱地獄と化した『赤の砂漠(レッドラスト)』から、どうにか逃げおおせたエーファだったが――雪のような白肌の一部は焼け爛れ、また夜の川を思わせる深い銀の髪も半分が焦げ落ちた。熱に晒されて変形した蝋人形のように、変わり果てた自分の姿を、彼女は知っている。

「死んだんだよ。二クスの戦姫はもういない」

 悲しげに目を伏せたエーファに、「いいえ。今も変わらず美しいわ」と、微笑んだレニー。傷ついた躰、癇癪に荒んだ心。見る影も無くなった今の自分を真っ向から見据えた彼女に、エーファは救われた気がした。彼女の頬に触れ、涙を零し、はにかんだ。

 

 

 レニーはエーファの上官で――掛け替えのない、大切な(、、、)存在(、、)だった。

 

 

 胸中に涌いた悲しみを取り払われたエーファは、瞳を伏せ、レニー・キュールへと口元を寄せる。言葉だけではない、これまでと変わらぬ情愛を証明してくれれば――彼女と口づけを交わせば、立ち直れる。そんな確信の下、エーファは恋人の返答を待ったが、

 

「――後でね」

 

 と、レニーはそれを素っ気なく拒んだ。

 

 

 医務室に収容されていた傷病兵と軍医達は、レニーの連れて来た数名の衛生兵の指揮に従って列を組み、建物の外を目指す。エウロペに派遣された残存兵力を、本土たる暗黒大陸へと逃がすため、ニクシーの飛行場には並べられるだけの《ホエールキング》が待機しているはずだった。未だ傷の癒えきっていないエーファもまた、車イスを引かれて一団の最後尾を往き、病院船たる輸送艦へとむかっていた。

「私は主力部隊の撤退を指揮するため、一度最前線へと戻ります。エーファ中尉は皆と共に、先に病院船に乗りなさい。いいわね?」

 レニー・シュヴェスターがそう言うなり、ゾイド格納庫の方へと続いた廊下へと踵を返す。彼女の背中を不安げに見遣り、エーファは問うた。

「レニー、一緒に来てくれないの?」

 呼び止められたレニーは、その言葉に数秒呆けて、目を剥いた。

「何故って――当たり前でしょう? 隊長たる指揮を取らなければ。それに――」

 訝しげに眉を顰めたレニーの意図を察せず、エーファはきょとんとする。「シュヴェスター少佐、でしょう? さっきまでとは違う、今は作戦行動中なんだから、程々に」と窘めたレニーの語気には、動揺と、どこか彼女の無垢に対する侮蔑の意が滲んでいた。

傍らに立っていた軍医に目配せするや、レニーはエーファに悟られぬ様な小声で会話を交わす。

「『ウルトラキャノン』の衝撃が、相当にショックだったのでしょう。情緒は不安定ですし――少しばかり、退行して(、、、、)います。前線に戻れるのは、暫く先のことになりそうですよ」

「……なるほど、精神崩壊している、というのなら納得だわ。二クスの戦姫も、こうなってしまえば憐れなモノね」 

 蚊の啼くような細い声の交錯だったが、エーファの耳朶には、確かにそう聞こえた。レニー・シュヴェスターの語気に孕まれた冷やかな思惟を感じ取り、レニーの横顔を見上げる。エーファが姉のように慕い、また愛していた妙齢の女性士官は、チラと冷ややかな眼差しを持って彼女を一瞥した後、言葉無くその場を後にした。

 

 

 基地の崩壊は、想定よりもずっと早く進んでいたらしい。

 レニーがその場を後にして十分も経たぬ内に、轟と唸った爆雷の音が、二度弾けた。一度目の衝撃で基地内の電気系統が落ちた。進むべき廊下の照明が立ち消えて、傷病兵達も、傍にいた軍医も、衛生兵達も皆一様にパニックに陥る。

「アギャアア!」

混乱の中で、二度目の砲撃。医療室が据えられたこのニクシー兵舎棟の、ほど近くで着弾したらしい。天蓋が音を立てて崩落し、阿鼻叫喚の悲鳴と共に、その場にいた者達は皆、瓦礫の中に呑まれていく。

 エーファ・アクロウは幸運だった。咄嗟に車イスから身を投げた彼女は、衝撃に短い悲鳴を上げたものの、ただ一人瓦礫の下敷きになる定めから逃れる事が出来た。

崩れた瓦礫の中に、先まで一緒に居た者達の亡骸が混じる様は、彼女を戦慄させたが――それが彼女の、生への執着を一層に掻き立て、結果的には足しとなる。歩く事さえままならぬはずの躰を無理やりに起こして、エーファは病院船の《ホエールキング》が待っている屋外を目指す気概を掻き立てられたのだから。

 

 

 が――、

 

 

「そんな……ッ!」

 ボロボロの躰を引き摺って、エーファが半壊したニクシーの兵舎棟を這い出たのは、それから一時間も経った頃であった。病院船の姿など、既に無い。ようやっとたどり着いた飛行場に、《ホエールキング》の姿は既に一機だけで、その一機も既に撤退する機甲師団を積載し終えて、今まさに飛び立たんとしている。転がった礫塊と、弾痕の後だけが残る、伽藍の飛行場を呆然と見つめたエーファは、最後の《ホエールキング》の鼻先、艦内乗り込まんとする一機の《アイアンコング》の姿を見つけて、声を張った。

 コングの肩先に描かれた部隊章は、エーファの所属する第三装甲師団のそれだった。右肩に『ビームガトリング』を背負った機体は、隊の副官機であり――エーファが常に傍らに寄り添って来た機体の姿でもある。

「――レニーッ!」

 聞こえるはずも無かった。レニー・シュヴェスターの《アイアンコングGC(ガトリングカスタム)》を飲み込んだ《ホエールキング》は、ゆっくりとその口腔を閉ざした後、ブアと熱風を巻き上げて、ゆっくりと空へと舞いあがった。

 


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