ゾイドバトルストーリー異伝 ―機獣達の挽歌― 作:あかいりゅうじ
『ミラージュ高速戦闘隊』の奮戦で、
切り立った山岳地帯の多い二クス大陸に置いて、悪路の中を迅速に移動できる高機動ゾイド部隊の果たせる役割は多い。軍首脳部が莫大な経費を割いて最新鋭高速戦闘ゾイド《ライガーゼロ》を量産し、特殊部隊『
件の
「――ああ、やっぱりだ! ジェイ・ベック少尉じゃないかッ」
エントランス前線基地の格納庫。半壊し、煤塗れになった自分の《ブレードライガー》が整備ラックに吊るされるのを、ボヤと眺めていたジェイは、不意に掛けられた声に振り返った。
聞き覚えのある声だ、小走り気味で走り寄ってくる若い技術者の顔に、ジェイも思わず声を上げる。
「もしかして、レイモンド……レイモンド・リボリー主任ですか?」
一年半前にもなろう、エウロペ大陸・バラーヌ基地で知り合った技術スタッフ。丸顔にクリとつぶらな瞳の浮くレイモンド主任の人懐っこい人相は、初めて出会った時と何ら変わらない。
懐かしさに思わず綻んだジェイに、レイモンドも微笑を返した。
「《ミラージュ》の中にただ一機《アーリータイプ》を見かけて、もしやとは思ったが……やっぱりキミだったのか」
ジェイの顔と《ブレードライガー》の機体を交互に見遣ったレイモンドは、まるで彼の存在を確かめるかのように、その肩を抱く。ジェイの階級章に気づいたのだろう、「そうか――今はジェイ・ベック中尉か。君の隊の連携は、実に見事だったよ」と評した彼に、ジェイは気まずそうに頭を振った。
「冗談は止してくれ、唯の分隊長ですよ。それに――仲間を御しきれず、大きな損害も出した」
先の戦いを回想して、苦笑する。隊で唯一の損失を出したシオン少尉、彼女を助けようと突貫した揚句、ジェイ自身だって生きているのが不思議なくらいの無謀をした。タクマ・サンダース軍曹や他隊の《ブレードライガーミラージュ》の適格な援護が無ければ、確実に死んでいる――それくらいの醜態を晒したように思っていた。
気に病むことは無い、と、レイモンド主任の柔和な声が耳朶をそよぐ。
「僕は知っているよ。君の戦いはただの無謀じゃない、オリンポスで《ブラックオニキス》と戦った時のように――君が命を掛けるのはいつも、大事な何かを守ろうとする時だ。だからこそ、君と志同じくする仲間達は力を集い、後押ししてくれる。そりゃあ、今は理解できず、反目する人だっているかもしれないけれど……いずれきっと分かってくれるさ。君はいい指揮官になるよ――スターク・コンボイ少佐のように」
「……そういう物でしょうか」
レイモンドの言葉に応えられないまま、ジェイはボヤと立ち尽くした。無言の彼に念押しするかのように、もう一度頷いたレイモンド。やがてフッと笑みを零して、背を向けると、
「君のゾイドの事なら、心配いらない。大方の規格は量産機《シールドライガー》と共通だし、《ミラージュ》の予備パーツだってある。すぐ元通りに直せるさ」
近々ゆっくりと話そう、と言い残して――レイモンドはクルと踵を返し、去っていく。
「――レイモンド主任っ」
立ち退こうとしたレイモンドの背中を、ジェイは呼び止めていた。ん? と小首を傾げて振り返った彼に、数秒迷った後、一言――、
「……エリサを探しているんです。知りませんか?」
と、静かに問うた。
ジェイの口にした名前に、レイモンドの笑みが消える。
エリサ・アノンの事、彼だって忘れる事は無いだろう。ジェイとレイモンド、そしてエリサ。バラーヌで《ブレードライガー》を調整していた時、三人はいつも一緒で――束の間の平和を分かち合った。忘れ得ぬ、掛け替えのない時間を過ごしたのだ。
「そうか……アノン少尉も、二クスに……」
コンボイの訃報、グロックの訃報。この暗黒大陸戦争まで、休むことなく従軍したレイモンドは、その全てを間近に見ているはずだ。逃れられぬ死線の数々、複雑な面持ちで立った彼の懸念は、想像に難くない。
「……理解したよ。守るべき戦友を失って、しばらく最前線を離れてた君が、此処に来て出張って来た理由を――君は、アノン少尉を探しに来たんだね」
「負傷してデルポイに戻っていたんですが――此度の増援計画『
言葉を足したジェイに対して、レイモンドはゆっくりと頭を振る。
「……残念ながら、このエントランス前線基地では見かけた事が無い。が――」
訝しげに眉を顰めたレイモンドは、特務隊、と、ジェイの言葉を反芻した。「――少し調べてみよう。技術開発局絡みで、気になる噂を耳にしているんだ」と、静かに告げた彼の表情は、先までの温厚さをすっかりと潜めた、硬い面持ちであった。
どこか影のあるレイモンドの相が気になった。嫌な予感がして、さらに問い詰めようとしたジェイだったが――背後より「ベック少尉」と呼びつけた、タクマ・サンダース軍曹の声に引き止められる。
落ち着かない風のジェイだったが、「大丈夫、少し時間をくれ。……今は、君を必要としている仲間達の声に、応えてあげるんだ」と念押ししたレイモンドの声が、波立つ彼の心を、辛うじて押し留めるのだった。
サンダースの頼みを受け、ジェイは彼と共にシオン・レナート少尉の部屋へ赴いた。
激戦の最中乗機を潰され、ジェイと共に辛うじて救出されたシオン少尉だったが――基地に入ってからずっと、宛がわれた個室に引きこもっているという。そう言えば顔を見かけなかったな、と思い出したジェイに、「自信家なレナート少尉の事です。初陣で自分だけ撃墜されて、プライドを傷つけられたのでしょう」と、タクマも己が見解を告げて、深い溜息を吐いた。
シオンの部屋、その戸口へと立ったジェイが二度ノックして、「――シオン。俺だよ」と声を駆ける。
間髪入れず、(――あっち行って!)と叫んだ、シオンの甲高い声が返ってきた。
戸口越しでもキンと耳朶を打つヒステリックな悲鳴に、思わず怖じ気るジェイ。狼狽えた彼の横、今度はタクマが「少尉、基地に着いて終わりではないんです。隊のブリーフィングに参加しないと」と告げたが――返事は無い。やれやれ、と言う風に肩を竦めたタクマが、ゆっくりと頭を振った。
「サンダース、先に行っていてくれ。ここは俺一人でいい」
「ですが……よろしいのですか?」
「グレイ・レナート大佐に、シオンの事を頼まれているんだ。此処で時間を食って、俺のせいで君がブリーフィングをすっぽかしたら、それこそ困るよ。此度の損害を鑑みて、ミラージュ隊の編制も弱冠更新されるだろうから……軍曹まで、流れに乗り遅れる事は無い」
数秒考えた様子のサンダースだったが――意を決したように目を伏せ、頭を下げると、踵を返してブリーフィングルームへと向かう。
小さくなっていく彼の後姿を見送った後、ジェイは小さな溜息を一つ吐いて、戸口へと手を掛けた。
意外なことに、鍵は掛かっていなかった。ロブ基地の兵舎に似た、ベッドと小さなデスクしかない、コンクリート造りの淡泊な内装。殺風景な部屋の隅で、蹲ったシオンの姿を見つける。戦いが終わってから、ずっとここで泣いていたのだろう。クシャクシャになった金髪、いつも見繕っている華美な礼服も皺だらけで――シオンの姿は、いつに無く弱々しいモノに見えた。
おもむろに顔を上げた少女は、充血した目でジェイを見遣る。
癇癪を起こされるかと心配したジェイだが――沈黙の後にその気が無いと分かると、
「タクマは、先に行かせたよ」
と、一応の報告をした。
「私、あの人嫌いです……下士官の癖に、指図ばっかりして」
忌々しげに唇を噛んだシオン。「軍曹は、君を貶めたくて言っているんじゃないんだ。分かってやってくれ」と宥めたジェイだったが、彼女はそれに耳を貸さず――貴方も同じでしょ、と、涙声で糾弾する。
「私を笑いに来ましたか? ベック中尉。大口を叩いたくせに、隊の中でただ一人機体を損失した私を、それ見た事か、と、詰りに来たんでしょう?」
「そんなつもりはない。《ミラージュ》を潰された事を言っているのなら、気にするな。アイソップ大尉達と話をして、予備機を手配してもらうから――」
「気にするな、ですって? 嫌よ、貴方に憐れまれる筋合いなんて無いっ!」
「――君が生きていて良かったと思ってるのは、本当なんだ! 信じてくれよ……」
言葉を選びながら癇癪を鎮めようとするジェイに、「――ええ! それはそうでしょう」と、シオンは自嘲気味に破顔する。
「貴方は私のお目付け役として、お父様に付けられたんだもの。私が不甲斐ない敗北を繰り返し、その都度尻拭いをしていれば、貴方はどんどんグレイ・レナート大佐に自分を売り込む事ができる…『ブルー・ブリッツ』と謳われた貴方からすれば、造作もない事でしょう? 楽な任務に就いたものね、ジェイ・ベック中尉」
語気を強めたシオンに阻まれて、ジェイは口を噤んだ。
彼女とて、本心からそう思ってるわけでは無かろう。ただ――初めての戦場で、『軍高官の父を持ち、士官学校を首席でもあった』という自分の才覚とキャリアが通じなかった事が、相当に応えたらしい。普段の人を侮ったような不遜さではない、幼子のように喚き散らした様が、それを伝えている。
少し悩んだ挙句、「……すまない。それは違うんだ」と呟いたジェイ。
「俺は……君を守るために二クスに来たわけじゃない。国のために戦おうって気持ちも、ずっと前に失せて、ただ――もう一度、会いたい人が居るから。彼女を探すために、此処に来ただけなんだ」
ジェイの告白に、シオンは数秒呆けた。
「私を守りに来たんじゃない、って……そんな事を言うために、わざわざ会いに来たっていうの……っ?」
浮腫んだ頬を朱色に染めて、涙を零すシオン。
彼女の涙の理由が分からず――決まり悪そうに死線を逸らして、ジェイは俯いた。レイモンドは指揮官としてのジェイを評価したが、実際の所、まだ彼の言うような軍人とは程遠いらしい。自分を理解してもらうどころか、気難しいシオンの心の機微を、まったく捉えられないでいる。
これ以上刺激するよりは、出直した方がいい。そんな考えがよぎった矢先だった。
――葛藤に気を割いていたジェイは、不意にダッ、と鳴った足音に引き戻される。
何時の間にか立ち上がったシオン・レナートが、彼の胸元に縋り付いていた。躰中に圧し掛かったシオンの存在に驚いたジェイは、妙に湿っぽい彼女の声を聞いて、立ち尽くす。
「――いかないで、ベック中尉。本当は……私怖いの。貴方の言うとおり、私の培ってきたモノが何の役にも立たないって言うのなら、もういつ死んだっておかしくないじゃない」
揺れた金髪、フアと鼻孔を擽った彼女の香りが、ジェイから思考の余地さえも奪う。
助けて――と囁いたシオンが面を上げ、瞳を閉じる。何を意味するのかすぐに分かって、ジェイの胃の腑にグッと圧が掛かった。シオン、と声を絞り出し、彼女を引き剥がそうとして肩を掴んだが、熱っぽいシオンの体温に怖じけて、それすら為せない。
シオンが感じる恐怖は、ジェイも感じた事があるものだ。ここで彼が拒めば、シオンはこのまま死んでしまうような気さえした。
葛藤の果て、ジェイはシオンに顔を寄せると――その唇に一秒にも満たぬ、控えめなキスをした。
彼の口づけをどう受け止めたのであろう、シオンはゆっくりと目を開けると、真っ赤に充血した瞳から大粒の涙を零した。上着を脱ぎ捨て、シャツを裂いて放った彼女は、嗚咽を堪えて目を伏せる。白い下着が露わになったのも一瞬、それすらも剥ぎ取って床に捨てると、蛍光灯の灯りの下に裸体が晒された。
美しかったが――華奢すぎる躰は触れたら折れそうで、どこかみすぼらしくも思える。
刹那、心に過ぎる残像があった。止せ、背負いきれない、と分かっていたジェイは、金縛りに在った見たく動けなくなる。
暫し惑って立ち尽くしていたが――、
「恥を掻かせないで……お願い」
と――躰を寄せたシオンの声が、沈黙を赦さない。
それ以上、場を濁す余地などなかった。まるで肺や胃の腑、全ての臓物を握りつぶされたかのような、かつてない息苦しさを覚えながら――ジェイはシオン・レナート少尉を抱いた。