ゾイドバトルストーリー異伝 ―機獣達の挽歌―   作:あかいりゅうじ

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② 暗夜航路

 ――懐かしい光景が在った。

 

 

 ミューズ森林地帯・バラーヌ基地の古びたゾイド格納庫の中で、ジェイは手に入れたばかりの新型ゾイド《ブレードライガー》の調整に勤しむ。午前中いっぱいの稼働試験を終えて戻って来た彼は、昼食さえ忘れて愛機のコンソールパネルを叩き続けていた。

 昼時だ、正午を回ったばかりの格納庫に、人の気は無い。

 辺りにはキリと音を立てて回る、古びた換気扇の音と――そして《ブレードライガー》のコクピットの傍ら、ジェイの作業が終わるのを見守ったエリサ・アノンの鼻歌だけが、耳朶を擽った。

 ふと手を止めて、ジェイは彼女を仰ぎ見る。

 アイスの缶コーヒーに口を付けた彼女は、通気口の先、ファンの回転に合わせてチラと瞬きする陽を、一心に見つめている。ここ数日ずっと一緒に居たはずなのに、彼女の横顔を随分久方ぶりに見ような気がした。

 

「……休憩なさいますか? ジェイ少尉」

 

 ジェイの視線に気づいたエリサが、振り返り微笑む。日の光を浴びてキラと光った彼女の瞳が美しくて――ジェイは数秒呆けた。ああ、と粟を食って頷くと、手を止め、スクと立ち上がった。

 

 

 エリサと肩を並べたジェイは、「先に休んでいてくれて良かったんだよ? 俺が好きでやってるだけなんだから、君まで付き合う必要はない」と、その横顔に問うた。

「大丈夫です、気にしないで……少尉が迷惑だと言うなら、止めますけど」

 遠慮がちに微笑したエリサ。歩みに合わせてフアと舞った、彼女の甘い匂いに気を取られて、目を伏せる。心地いい感覚のはずなのに、胸の奥から沸いた動悸が痛い。

 

「……迷惑だなんて、まさか。嬉しいんだ、傍に居てくれるだけで」

 

 自然と、小恥ずかしいくらい素直な感想が口から出て、ドギマギする。慌ててエリサの表情を窺ったが――彼女はニコリと笑うだけで、ジェイに言葉を返さなかった。安堵する反面、彼女の答えが聞きたかった気もして、残念にも思う。

 

 数秒の沈黙があった後――「……ねぇ、ジェイ少尉」と、エリサはポツリと呟いた。

 

「私、エウロペに来れて良かったです。ジェイ少尉やレイモンド主任、グロック少尉に、ツヴァインさん――いろんな方に出会う事ができました。戦いに出れば辛い事だって多いし、怖い事だってあるけれど……こうやって過ごす束の間の安息は、掛け替えのない物です」

 

 立ち止まり、クルと踵を返したエリサは、「ジェイ少尉、生きて帰ってきてくださいね。またこうやって……今度は、もっとゆっくりお話したいから」と、囁くような声で告げる。

 胸を疼かせる動悸が込み上げてくるのを感じながら、ジェイは直ぐに頷き返して――、

 

 

「大丈夫、帰って来るよ。生きて帰ってきて、それで――ずっと君を守るよ」

 

 

 

 ――※※※――

 

 

 

 ――そこで、夢は覚めた。

 

 重々しい重機の音が木霊する格納庫の片隅に、ジェイ・ベック中尉は居た。そこで、転寝してしまったらしい。辺りを行き交う整備兵も、兵士達も――これから最前線の戦場へと赴く戦士達だ。皆一様に緊張の表情を湛え一心に積み込まれたゾイド達の整備へと勤しむ。そんな中で一人微睡んだジェイの姿は、異質だったであろう、時たま足を止めては、ジェイの貌を訝しげに覗き込んでいた。

 ジェイを乗せた《ネオタートルシップ》はニクシーの港を発ち――今、ガイロスの本拠・暗黒大陸へと続く大海原を進む。魔の海域『トライアングルダラス』によって、長きに渡って鎖されていた二クスへの旅路。だが、先に勃発したアンダー海戦の最中、へリック共和国軍は偶然にも、開け放たれた一筋の道へと辿り着いた。磁気嵐吹き荒れるトライアングルダラスの中を射した安全圏――死の国二クスへと続く『暗夜航路』だ。

 

 

 ああ、あれは夢だったんだ――と、徐々に醒めて来た思考が、ジェイを気落ちさせた。

 此処はバラーヌではないし、エリサ・アノン少尉もいない。微睡の中で為された会話が本当に在ったモノか、それとも夢想の中でねつ造されたモノなのかさえ、今の彼にとってはおぼろげだった。おそらく、ここ数日頭から離れなかった彼女の名前が、こんな夢を見せたのだろう。

 エリサの所在は、未だ不明だった。

 へリック共和国の大規模増援輸送計画・終末作戦(オペレーション・ラグナロク)には、確かにその名前が在ったが――ニクシー基地司令官グレイ・レナート大佐に問うても、答えは得られなかった。彼女の所属する『特務隊』については、大掛かりな情報統制が為されているらしい。デルポイ本土の、それも最高司令部を初めとした上層部のごく一部しか、その詳細を知らされていないという。

 手掛かりは、何一つ無い。会える可能性は無きに等しかったが――何故だろう、それでもジェイは、騒ぐ心を抑えきれなかった。限りなくゼロに近い可能性だとしても、もう一度彼女に会えるかも、と思えば、この終末作戦(オペレーション・ラグナロク)に加わらずにはいられなかった。

 

 もしかしたら、彼女に会って伝えたかったのかも知れない。エウロペの別離の際に為せなかった事を――夢の中で告げたように、ずっと守るよ、と、今度こそ。

 

 

 

 

「転寝なんて……余裕ですね、ベック中尉」

 物思いに耽ったジェイを、カッ、と圧のある足音が引き戻す。

 チラと一瞥した先には、踵の高い女性の軍用ブーツ。そこからスラと伸びた小奇麗な足が、彼の前に立っていた。

 

 おもむろに顔を上げると――案の定、シオン・レナート少尉の白い顔が在った。

 

「私、中尉はこの作戦に加わるの、断ると思っていました。優秀なゾイド乗りだと聞いていたけれど――心を病んでいたのでしょう? いつもいつも、どこか怯えた目をしているわ」

 柔和な笑みを浮かべたシオンだが、語気の強さがその真意を滲ませている。手入れの行き届いた金髪を、指先で弄んだ彼女は、相変わらずの高慢さで――ジェイの葛藤を見取った上で、嘲笑している風にも思えた。

 

「でも、そう言った鬱屈が人を弱くするとは、限らないんじゃないか? レナート少尉」

 

 挑発的な物言いをするシオンを諌めたのは、彼女の背後に立った一人の男性士官だった。大柄で肩幅のある黒髪の青年には、見覚えがある。ジェイやシオンと共にニクシーからこの《ネオタートルシップ》に乗り込んだ、タクマ・I・サンダース軍曹が、二人の会話に足を止めたのだ。

「万象を恐れないというのは精強なように見えて、同時に脆いものだ。より強大な力を前にした時に生き残れるのは、怖れを知った者の方だよ。度を超えた勇猛さは、時として最前の選択を選ぶための思考を奪いかねない」

 先のニクシー攻防戦、タクマ軍曹は《シールドライガー》でガイロスの量産型《デススティンガー》と交戦し、負傷したという。その経験が骨身に染みているからこその言であろう、柔らかな物腰ながら、彼の言葉は若輩のシオンを諌めるに、十分な風格があった。

 ムッとしたシオンが、「上官に対して、口が過ぎるのでは? タクマ・サンダース軍曹」と、鋭い視線を射す。怖じける風は一切なく、タクマもまた言葉を返した。

「そう言う貴方も、ベック小隊長(、、、)に口が過ぎるでしょう。シオン・レナート少尉」

 小隊長、という言葉がシオンを黙らせる。

 ジェイもシオンも、そしてこのサンダース軍曹も、皆特務遊撃戦闘中隊『ミラージュ』の構成員として登録されている。三人は隊の最小の行動単位である小隊編成時に行動を共にする事となっており――ジェイがその部隊長として登録されていた。

 シオンがジェイの指揮下に入ったのは、多分に彼女の父・レナート大佐の意向が影響しているのだろうが――先日の演習で打ち負かした相手であるジェイが先に昇進し、上に立つというのが、彼女のプライドを傷つけたのであろう。フン、と荒い息を吐いたシオンはそれ以上の問答をせず、クルと踵を返して愛機の調整に戻っていった。

 

 

 サラと揺れたシオンの金髪を見送って後、「出過ぎた真似でしたか? 中尉」と、タクマ・サンダースがジェイに寄る。彼の好意を嬉しく思いながらも、隊として行動を共にする際に遺恨があって欲しくない、

「……彼女も思うところがあるんだろう。胸の内では、軍曹の意図を理解しているはずさ」

 と、フォローを入れた。

 タクマもまた、それに同意するかのように頷いて、頭を掻いたが、

「それでも、貴方が過少評価されているように思えて。超越者(イモータル)《デススティンガー》を倒した英雄、『ブルー・ブリッツ』……クレイジー・アーサーの獅子の紋章を継ぐのは、貴方かナイト・バイケルン曹長と思っていたものですから。ピーター・アイソップ大尉も優れたライガー乗りだと、認めはしますが」

「アイソップ大尉か……」

 共和国軍最高の高速ゾイド乗り集団――レオマスター。その一角、アーサー・ボーグマンが戦死して以来、長らく空席であった『赤の紋章』の後継も、この終末作戦(オペレーション・ラグナロク)の発動に際して選定された。ミラージュ高速隊の総司令官を務める、『幻の俊足』ピーター・アイソップ大尉。優秀なゾイド乗りではあるが、長らく本土防衛隊に所属していた故に実績に乏しく、また短気な性格で女性関係に多くの問題を抱える等、悪い噂も多かった。

 クレイジー・アーサーの後継としてはこれぐらいの人物像が適任なのかもしれないが――他に有能なライガー乗りが居る、というのも事実である。タクマもそう考える一人なのであろう。

「ありがとう。でも俺は、アーサー・ボーグマンやナイト・バイケルンと並び立つようなゾイド乗りじゃないよ。《デススティンガー》を倒した訳でもない……いろんな人が身を呈してくれたから、此処まで死なずに済んでいるだけだ」

 自嘲気味な笑みと共に頭を振ったジェイだったが、「それでも我々にとって、『ブルー・ブリッツ』と一緒に戦えるのは心強い」と、タクマ・サンダースが振り返る。

 彼の見据えた先では、ジェイが乗機として積み込んだ《ブレードライガーAB・アーリータイプ》が、整備兵達の最終調整を受けている。白い《ブレードライガーミラージュ》の部隊中にあるそれは、まさしく唯一無二の『蒼い閃光(ブルー・ブリッツ)』として、存在感を示していた。

 

「『ミラージュ隊』の全員が、中尉の武運に賜れる事を祈ります。勝ちましょう……勝って、皆で祝杯を上げたい。我々が、半世紀以上続いた帝国と共和国の因縁に終止符を打つ英雄になるんです」

 

 言い残して、タクマ・サンダースもまた、愛機の整備へと戻っていった。

 

 

 

 「英雄に、か……」

 と――去りゆくタクマ軍曹の背を見送りながら、ジェイはポツリと、彼の言葉を反芻していた。

 ゴッ、と、タートルシップを鈍い衝撃が襲う。『暗夜航路』を抜けて、再び強電磁波の吹き荒れる異常海域へと突入したのだ。旅の終わりは近い。暴風を抜けた先には異邦の地、ガイロス帝国の本土たる暗黒大陸二クスが待ち構えている。

 久方振りに感じた戦場の緊張感は、思った以上に苦悶を感じさせた。グズと胃の腑を煮込まれたかのような不快に、手が震える。

 

「戦争は終わらないものだ……英雄になりたいわけでもない。俺がこの船に乗ったのは、二クスへの旅路を、選んだのは――」

 

 荒い呼気に肩を震わせながら、無意識に視線を薙いでいた。船には『ミラージュ隊』だけではない、終末作戦(オペレーション・ラグナロク)で編成された幾つかの他部隊も乗り込んでいるはずだったが――彼の望む後姿は、何処にもなかった。

 


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