ゾイドバトルストーリー異伝 ―機獣達の挽歌―   作:あかいりゅうじ

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㉔ 暁に墜つ

 

 いつの間にか、藍色だった空が薄っすらと白んでいる。

 

 長かった夜が、明けようとしていた。「ハッ……ハッ……」と、荒い息のままで、ジェイ・ベックは瓦礫の中の超越者(イモータル)の残骸に目を凝らす。

 機体は、完全に砕け散っていた。《デススティンガー》という肉体と、エラを失った『真オーガノイド』のゾイドコアは、再び仮死状態へと立ち戻り、崩落していく瓦礫の中へと沈んでいく。前人未踏、ガイロスもへリックも立ち入らぬ西エウロペの砂漠で眠る彼らは――おそらくは二度と、目覚める事も無いだろう。

 

 あの時、ジェイは確かに見た。

 

《ライトニングサイクス・カスタム》に追い詰められた彼を救った一陣の閃光は、《デススティンガー》が撃ち放った砲撃だった。それは単に、死に瀕した『凶戦士』が見せた生への執着――惨めな獣の足掻きだったのかも知れない。だがジェイには、最後の最後でエラが自らを助けてくれたようにも思えてならなかった。

 いつもそうだった。『グラム駐屯地』で《セイバータイガー》と戦った時も、オリンポスの山頂で《ブラックオニキス》と戦った時も――そして今も。仲間達が身を呈して庇ってくれたから、彼は今も、此処に居る。

(強いからじゃない。誰かに守られてばかりで……憐れなくらいに弱いから、俺はこうして、生き延びている……) 

 堪えきれぬ葛藤を噛み締めながら、ジェイは《ライトニングサイクス》へと振り返える。

 大破し、停止した機体のコクピットハッチが開き、ズルと濡れ雑巾のような気だるさで、シルヴィア・ラケーテが地べたに転がり落ちた。ドサと土埃を上げた彼女の腹からは、赤黒い粘液が滴り落ちており――致命傷だ、その生い先が長くないのは、一目で見て取れる。

 

 

 死に態の躰をヨロと起こしたラケーテは――笑っていた。《ブレードライガー》を見上げた彼女は、振り返った口腔から湧き上がる血潮を気にも留めず、声を上げてただ笑う。

 

 

「シルヴィア……」

 シルヴィアの躰がフラと揺れる度に、その腰からキラと、銀の雫が零れ落ちる。まるで彼女に喰らわれた(、、、、、)者達の魂が解放されていくかのように――集めた戦利品の認識票が、一つ、また一つと地に落ちていく。

 シルヴィアの姿をジッと見据えたまま、ジェイもまた乗機のキャノピー・ハッチを開けた。激戦で中破した《ブレードライガー》のコマンドシステムは、既にフリーズしている。ホルスターから自動小銃を引き抜くと、ジェイは機体を降りて、フラと揺れたシルヴィアを追った。

 

 

 

「――シルヴィアーッ!」

 荒野を駆けたジェイは宿敵の名を叫ぶと、一切の躊躇なく自動小銃を振りかざし、そのトリガーを引いた。

 二度、三度と銃声が重なり、一発がラケーテの肩を、残る二発が彼女の素顔を隠したヘッドギアを撃ち抜き、砕く。衝撃でグラとよろけた彼女に追い縋ると、その胸倉をつかんで引き寄せ、鉄拳をねじ込んだ。

 エラの仇、コンボイ小隊長の仇。そして部隊を離散させ、エリサや、グロックとの別離を作った遠因――ジェイを苦しめた葛藤の全てが、このシルヴィア・ラケーテのせいに思えた。倒れ込んだ彼女の細身に馬乗りになり、「貴様さえいなければ……ッ!」と、激発したジェイが、その喉元に銃口を宛がった時だった。

 

 ヘッドギアが外れて露わになった、シルヴィア・ラケーテの素顔が目に付き――ジェイは思わず手を止める。

 

「……なんだ、お前は……」

 

 脳天まで駆けあがった怒りが、一気に白んでいく。急激に胸中を侵食していく虚脱感に呆けながら、ジェイは呟いた。

 金髪をバサと拡げて倒れ伏したシルヴィア・ラケーテは、まだ年端も行かない少女のようにも見えた。ジェイやエリサよりも年下、下手をすればエラと同じか、それより一つ二つ年上くらいの――人形のように整った顔立ちの女性。陽射しの乏しい二クス大陸に住まう者達には多い、白い肌と紅い瞳の彼女は、一見すれば雪の妖精とさえ錯覚するだろう。 

 

 そんな可憐さを醸した少女の貌が――額から頬に至るまで、血と膿を零す無数の疱瘡に侵され、爛れている。

 

 歪な傷は、彼女に施された強化手術の弊害だった。

 『パイロット・デザイン』――搭乗するゾイドとの同調率を高めるために、そのゾイド因子の一端を受容体として脳細胞に移植する、というその技術は、帝国がエウロペの古代テクノロジー『オーガノイドシステム』を解析するために行った人体実験の中で生まれた副産物である。同室のゾイド因子を共有する事で機体とパイロットの精神リンクは驚異的な値まで高まる、提唱者ヘルマン・シュミット技術大尉の思惑どおり、『パイロット・デザイン』技術はゾイドの操作性を大幅に引き上げたが――被験者の多くは異種金属細胞の拒絶反応によって変調を来たし、死んでいった。

 そして、このシルヴィア・ラケーテも同様――移植された金属細胞が体内で異常増殖した結果、脳を、頭蓋を侵食し、ついには表皮質を突き破って、癒えぬ疱瘡を形成している。

 

 ラケーテの素顔はジェイから怒りを吸い取り、哀愁と微かな憐情さえ抱かせた。「どうして……そんなにまでなって、お前は、何を――」と言葉を呑んだジェイに、シルヴィアは口元をニヤと歪めて、静かに応じた。

「……私は、『最高のゾイド乗り』になりたいの」

 返ってきたのは、何度となく語られてきた、彼女の願望。「ふざけるな! この期に及んでまだ、狂言で思惟を濁すつもりかよ」と苛立ったジェイに対し、シルヴィアは真っ直ぐに視線を射して、頭を振る。

 

「……私、ふざけてなどいないわ。誰よりも強ければ、何も失う事はない。野生と完全に同化していれば、恐怖に苛まれる事もない――強く在る事こそ、私達ゾイド乗りが感じる、戦場の無情や恐怖から逃れるための、これ以上ない術ではなくて?」

 

「……っ」

 予想だにしない言に、ジェイの時が止まる。「何を、分からぬことを――」と遮ろうとしたジェイに、「いいえ、貴方に分からないはずがない」とシルヴィアが言葉を被せ、跳ね除ける。

 

「――知った口を利くな! お前みたいな人間が――俺から皆を奪った奴が、どうして……俺と同じ(、、、、)葛藤を(、、、)語るんだよ(、、、、、)!」

 

 激発したジェイを、シルヴィアが詰り返す。

「驚きますか? 私のような人間は、恐怖など感じない、と? 貴方と相対してきた敵達は、死線飛び交う戦場を楽しむ戦闘狂ばかりだと――そう決めつけて、戦ってきましたか? だとしたら貴方、高慢が過ぎるわ」

 喀血し、口元を真っ赤に濡らした彼女に、ジェイは慄く事しかできない。

 その語気は相変わらず淡々としたもので――嘘だ、と、ジェイは胸中で叫んだ。戦場を楽しんでいる素振りを見せ、多くの仲間を殺したシルヴィアが、戦場を強くなるための格好の場とまで断じた彼女が、人波の葛藤を見せるはずがない。ジェイを翻弄するため、彼女は言葉を武器として使っているだけだ。そのはずなのに――素顔を晒した彼女からは、かつて醸し出されていた異質さも、不敵さも感じない。故に、それが酔狂ではない、シルヴィア・ラケーテの正真の意に思えて、戸惑ってしまう。

 

「私の方が、強かったのに。貴方の怒りを越え、喰らう事で、私は生き残れるはずだったのに。運命のいたずらが私を殺して、貴方を生かそうとしている……理不尽だわ、そんなの」

「……止めろ」

「さぁ、私を殺して御覧なさい。貴方の手で、それが出来るというのなら」

「――黙れ! それ以上喋るな!」

 

 取り乱したジェイが、シルヴィアの口腔に小銃をねじ込む。が――、自分でも何故か分からないまま、ジェイはそのトリガーを引けずに、固まった。

 

 痛みも感慨も知らぬ怪物だと思っていた。そうであれば良かったとさえ思えた。これまで戦って来た中で気にも留めなかった『相手方の事情』が、ジェイを引き止めている。彼を苛んだ仲間達の顛末、死への恐怖。敗北という危機に在ったガイロス軍人が、それを知らぬはずがない。

 もし――ジェイと同様の、もしくはそれ以上の数の別離が、シルヴィアを変えただけだとしたら? もしも彼女が、今のジェイと同じ葛藤の末に凶行に及び、コンボイ達を死の淵に追いやったとしたら? それを咎め挫く資格が、誰にあろうか。

 最早、何処に終わりがあるのか分からなかった。

 怒りにまかせてジェイがシルヴィアを追ったように、報復は連鎖し、更なる報復を呼ぶ――「どうすれば良いんだ。戦争は終わったはずなのに……どこまで行っても、争いは消えない!」と、出口の無い葛藤にジェイが喘いだ時だった。

 

 

「ええ――消える事など有り得ない」

 

 

 シルヴィアの思惟受け止めると同時――己が腹部を刺し貫く鈍い痛みに、ジェイの息が止まった。

 

 

 

 シルヴィアの隠し持っていたであろう小型の軍用ナイフが、ジェイの脇腹に突き立てられていた。

 ガフ、と吐血し微睡んだジェイを押しのけて、血濡れのラケーテが立ち上がり、「愚かな人。優しい故に――高慢な人。だからこそ貴方は、誰も守れなかった。生きる為に全てを投げ出し、全てを踏みつけ――これ以上ないほどの生き汚さを晒した『私』に、貴方は全てを(、、、)食べられる(、、、、、)」と、ジェイの、全てを否定する。

 朝焼けに射されてグズと疼いた顔面の膿を手の甲で拭うと、シルヴィアは手を伸ばして、ジェイの首元を弄った。パイロットスーツの襟元を裂いて、彼の首に掛けられていた認識票を引き抜くと、そこに刻まれた名前に目を細める。

 

「さようなら、ジェイ・ベック少尉。私、もう行かなければ。一度足を踏み入れた現世の地獄……戦乱の中を抜け出せないというのならば、せめて目一杯楽しむわ――『最高のゾイド乗り』になるために」

 

 朦朧とした意識の中に、ラケーテの声が反芻した。

 

 

 ドクドクと流れ出る血潮に命を吸われながらも、ジェイは必死に、彼女を引き止めようと手を伸ばした。瀕死のシルヴィアの足取りは緩やかだったが、ジェイのそれはさらに怠慢だった。最後の力を振り絞って翳した手は、空しく空を掴む。

 シルヴィアの背中がユラと遠のいていく中、そのさらに先、地平の彼方より、機獣の遠吠えが重なった。一機、また一機と姿を現したのは、蒼い《コマンドウルフAC》。おそらくは、モンスル駐屯地より脱走したジェイに気づき追ってきた、『青の軍』の機体だ。乗り捨てられた《ブレードライガー》に気が付いたのであろう。ズンと静かな地響きがして、次々とこちらに機首を向け、駆けてくる。

 

 

 ――ジェイ・ベックの意識は、そこで途切れた。

 

 


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