ゾイドバトルストーリー異伝 ―機獣達の挽歌―   作:あかいりゅうじ

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⑲ これから

 

 医務室の戸口を開けると、彼女の姿は直ぐに見つかった。

 四つずつ並んだ寝台のうち、使われているのは一つだけで――グロック少尉は一足先に、動けるぐらいまで回復したと聞いている。部屋の中に、彼の姿は見当たらなかった。

 

「――アノン少尉」

 

 忍び足でベッドの小脇まで近づいたジェイは、目を伏せて眠る彼女の名前を呼んだ。

 エリサ・アノン少尉。クロイツの《アイアンコング》に撃墜されて重傷を負った彼女は、今朝がたようやく面会可能になったのだ。呼びかけから少し間を置いて、エリサの瞼がゆっくりと開き、顔を向ける。久方ぶりに再会した彼女に、ジェイはもう一度、「ああ俺だよ、エリサ」と彼女の名を呟き、思わず微笑した。

 アノン少尉はそんな彼に気づいて、困ったような笑みを返す。

「ジェイ少尉……良かった。少尉も、ご無事でしたね」

「あれくらいで、死ぬものか。……怪我の具合はどう?」

 問いかけながら、ジェイはエリサの右腕に目を遣った。

 指先から肩口、首を伝って頬に至るまでを焼かれた、彼女の躰。取り換えたばかりの新品の包帯のはずが、その奥には薄っすらと、紅く血が滲んでいる。痛々しさに、ジェイは思わず押し黙ったが――自らの傷に目を落としたエリサはゆっくりと頭を振った。

 

「私より、《ディバイソン》がかわいそうで……私がしっかりしていたら、《アイアンコング》にやられることも無かったのに」

 

 彼女の愛機は『クロイツ』に破壊され、再起不能になった事は知っていた。ジェイは少し戸惑った後、「君の命に代えられるモノじゃない。《ディバイソン》もそう思って、君を守ってくれたんだ」と告げたが――エリサは寂しそうな笑みを見せて、首を振る。

「……すみません。初めて一緒の隊で戦えたのに、私、少尉の足を引っ張っちゃったみたい」

「馬鹿言わないでおくれよ。君が居なければ、俺は戦えなかった。君に生きていて欲しくて、俺はあの時、最後まで足掻いたんだ」

 

 三日前――森の奥、朽ち果てた遺跡の中で《アイアンコング》と相対した時。

 

 『クロイツ』、ガース・クロイツ少佐との問答で、ジェイの戦意は完全にかき消されていた。毅然としたガースの鉄の意思に押さえつけられ、思考の全てを毟り取られた彼は、獣のように慟哭する事しかできず――それでもただ一つだけ残っていた想いが、コングの手の中で弄ばれたエリサを、救い出す事だった。

「……俺には、君しかいなかった。君だけは、死んでほしくなかったんだ」

 追想に目を伏せた後、ジェイはもう一度、ベッドに横たわったエリサ・アノン少尉の顔を見た。傷だらけの彼女の横顔は、どこか儚げで、そして美しい。全てを失い、全てを挫かれたと思っていたジェイだったが、ただ一つ――西方に渡って以来、ずっと一緒に居たエリサを守りきる事が出来たという確信だけが、彼にとって救いだった。

 

「ありがとう、エリサ。君が生きていてくれて、嬉しかった」

 

 もう一度、正真の思いを告げた――その時であった。

 

 

「――ごめんなさい、ジェイ少尉……」

 

 

 かすれ気味のエリサの声に驚いて、ジェイが目を開けると――自由の利く左の掌で、必死に涙を拭った彼女があった。嗚咽を堪えるように歯を食いしばった彼女は、まるでジェイの思惟を避けるかの如く顔を逸らして、やがて言う。

「……私、貴方に思われる資格なんて無い。あの日――《ライトニングサイクス》と戦ってる最中、砂嵐(サンドストーム)で少尉と逸れた時、少尉は死んでしまったと信じて、疑わなかった。だから――グロック少尉に求められて、それに応じた……ッ」

 

 暫しの間、沈黙があった。

 

「え……っ?」

 ジェイは初め、エリサが何を言っているのか理解できず――ただ呆けて、泣きじゃくる彼女を見つめていた。彼がようやくその懺悔の意図するモノを察すると、頭の中が真っ白になって――全身の力が抜け落ちる。

 同時、エリサは「なんて惨めなんだろう」と自棄になり、己が唇を噛み締めて言った。

「モラレスとクーバが死んで、コンボイ小隊長が死んで。少尉まで居なくなってしまって……怖かった。でも――それでも、貴方が生きていると信じて、待っているべきだったんだ」

 後悔に急き立てられたエリサは、平静を失っているように見えた。

 彼女が取り乱すのは見ていられなくて、ジェイは放心した自我を取り戻す。「もういいんだ……それ以上昂ると、傷に障るよ」と、波立つ心の動揺を必死に堪えて、ジェイは彼女を宥めたが――エリサは尚も続けた。

 

「森で『クロイツ』に囲まれた時……私、死ぬべきだった。少尉を裏切った私が、少尉に助けられるなんて!」

「――止めてくれ! 死んだ方が良かったなんて、言わないで。それでも俺は、君に生きていて欲しかったんだ。だから――」

「こんな醜態って、無いよ……こんな惨めな思いをするくらいなら、私――」

 

 泣き喚いたエリサの顔は、まるで癇癪を起こした子供みたいで――ジェイが知っていた彼女の大らかさも、気丈さも、欠片も残っていなかった。

 何を喋っても、彼女を取り持てる気がしなくて、ジェイは「……そうか……」と、力無く笑う。

 消え入るような声で、ジェイはポツリと呟いた。

 

 

「俺は、エリサを救えたつもりだったけれど、実際は違った……何よりも守りたいと願った、最愛の一人さえ―――俺は助ける事が出来なかったんだね」

 

 

 

(……アノンは、馬鹿な女なんだ)

 

 病室から出たジェイは、廊下口でグロック・ソードソール少尉と鉢合わせて――そんな言葉を聞いた。

(あの遺跡で身を潜めてる間、俺は何度もアイツを抱いたが――無理強いはしてない。仲間が死んで……お前も死んだと思っていて、アレの心は相当に参ってたんだ。だから、俺が救ってやった。誰かに想われている、守られているって安心感が無ければ、生き残れなかったんだよ)

 そう語ったグロックは、ジェイと視線を合わせようとはしなかった。ジェイがその言葉を聞き入れる余力が無い事に気づかないまま、彼は続ける。

(無論、俺にとっても、それが生きる気力になった。当然だろ? コンボイ少佐が死んで、俺だって恐かったんだ。アイツを自分の女だと思って――庇う相手が居るって思って、どうにか自分を奮い立たせていた。だからこうして、俺も生還してる)

 生来の不遜さか、それとも後ろめたさを感じて、敢えてそうしているのか――グロックは悪びれる素振りも無く、そう言った。

 全てを吐露したグロックは、ようやっとジェイを見遣って(俺が気に入らないか? 自分の女を取られたと、そう思うか? それならそれで、俺を恨めばいい)と、威嚇するような低い声で吐き捨てる。

 数秒の沈黙の後、ジェイはゆっくりと面を上げて(……いいや)と絞り出した。

(――アノン少尉、の、傷の具合は芳しくないらしい。医者は、中央大陸(デルポイ)に戻って治療に専念する事になるだろうって言うんだ。彼女に付いていてくれないか? 今のアノン少尉には、君が必要だ)

 力なく笑って見上げたジェイに、グロックの仏頂面が一瞬崩れた。苛立ちか、それとも葛藤か――爪を立てて己が頭を掻きむしったグロックはやがて(――いや)と頭を振る。

(……それはできない。俺の行先は中央大陸(デルポイ)じゃない、『閃光師団(レイフォース)』になって、暗黒大陸に行く。コンボイ小隊長の分まで、ガイロス野郎をぶっ潰すんだ)

 ジェイの最後の頼みを、グロックは素っ気なく突き放すと、彼はそのまま踵を返し、その場を後にする。速足気味で去っていく彼に、掛ける言葉など無く――ジェイはその背が見えなくなるまで、ボヤと立ち尽くしていた。

 グロック・ソードソール少尉の姿を見たのは、それが最後だった。

 

 

 

 最後にジェイが向かった先は、格納庫だった。

 外はすっかりと日が落ち――元々人員も少ない『モンスル駐屯地』だ、照明も碌に灯っていない倉庫には、宵の闇がズイと圧し掛かっている。がらんどうの格納庫の中、ジェイは自分の《ブレードライガー》が一機、ポツリと佇んでいるのを見上げていた。手持ち無沙汰気味だった整備兵達の暇つぶし代わりになってたのか、『クロイツ』との戦闘で負った損傷はほぼ全て修繕されていた。

 それだけではない。機体にはカスタムパーツ『アタックブースター』が装着されていた。高密度ビーム砲とスラスターユニットが一体となった、《ブレードライガー》専用の増加兵装。元々は《ジェノブレイカー》、《ライトニングサイクス》と言ったガイロスの新兵器に対抗するために用意された物だが、それらの仮装敵機が本格稼働する前に戦争が決着してしまった物だから、前線で使用された物は少ない。このモンスル駐屯地にも配給された物が余っていて、メカニックがお遊びで取り付けたのだろう。今のジェイには必要のない装備だが、取り外す理由も――時間も無い。

 

 

 コクピットに乗り込もうとしたジェイ――それを、ズ、と木霊した物音が引き止める。誰もいないと信じ切っていたジェイは、ビクと肩を震わせて振り返った。

 

 

「……エラ?」

 薄暗闇に溶け込むような黒髪、そして黒い瞳の少女が、そこにいた。苦しそうに膝を着いた少女、ジェイは思わず駆け寄って「……何してる? なんで、こんな所に?」とまくし立てる。呼びかけに顔を上げた彼女の表情は苦しげで、その額にはジワと汗が浮いていた。

「呼んでいる……アイツ(、、、)の存在が、私の中でどんどん大きくなってるの」

 

 アイツ? と、眉を顰めるジェイ。

 

 『クロイツ』の将、ガース・クロイツはエラを、『超越者(イモータル)の鍵』と呼んだ。それが何を意味するのかは分からなかったが、彼女がガイロスの残党達にとって重要な意味を持つ『何か』である事は推察できた。青の軍に保護された際にジェイはその事に言及し、彼女を精密検査するよう要求したが――要望は跳ね除けられた。ガース・クロイツが戦死した時、既に帝国残党には軍隊としての統率も、新兵器を導入する技術力も無いと考えられていたのである。結果エラは、へリックの支援するエウロペの難民保護区へと送られる事になっていた。

 

 私怖い、と、嗚咽混じりにエラは叫ぶ。

「私の精神が、アイツに喰われていく。アイツが完全に目覚めたら、きっと私は私じゃなくなるわ」

「なぁ、そいつは何だ? どこに居るっていうんだ?」  

 戸惑いながらも、ジェイは彼女に問い返した。荒い息で震えたその肩を抱き支えて、「どこにいるか、分かるのか?」と、その瞳を覗き込む。朦朧とした意識をどうにか保ち、エラがその問いかけ頷いたのを確かめると、ジェイも「よし」と応える。

「《ブレードライガー》に乗り込んで。ソイツの元に向かって、何が起こっているのか確かめよう」

「ッ、でも……ッ」

 ジェイの提案に驚いたかのように、エラはその目を見開いた。出撃命令は出ていない――ジェイが自分の裁量だけで行動する事の許されない、『軍人』という立場にある事を理解しているのだろう。

 不安げなエラに、ジェイは「大丈夫だ」と頷いた。

 

 

「君を助けるくらい造作もない。余計な気遣いはしなくていい――俺はこれから、()()抜けよう(、、、、)()思っていたんだから(、、、、、、、、、)

 

 

 


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