ゾイドバトルストーリー異伝 ―機獣達の挽歌― 作:あかいりゅうじ
ZAC2100年 十二月 北エウロペ・ニクシー基地
この日も、ジェイ・ベックは一日の大半を格納庫で過ごした。
培った
ジェイの演習を見ていたスタッフもロストした機体の追尾に駆り出される事となり――結果、こうして戻って来て、一人機体の手入れしている。と言っても、手持ち無沙汰になる度にそうしているものだから、機体は常時万全の状態と言って差し支えない。小隊長とグロック少尉は事あるごとにブルーフィングに赴いており、ツヴァインは傭兵だ、正規兵のジェイ程肩肘を張る必要はない。隊の尉官でただ一人『仕事があるフリ』をしているようなもので、ジェイはこの退屈が苦痛に変わり始めていた。
手持ち無沙汰でいると、妙に周りの視線が気になる物だ。他の者達に気取られぬ様、曇り一つない愛機のキャノピーを一心腐乱に磨いていたジェイだったが――格納庫に反芻した兵士達の会話が、聞こえて来て、思わず手を止める。
「マミさ――じゃなかった、ブリジット少尉っ」
一区画隔てた飛行ゾイドの格納ラックの方から、エリサ・アノンの声がした。
ズイと身を乗り出して窺うと、先ほど搬入されてきた《ストームソーダー》の足元で、エリサと、その《ストームソーダー》のパイロットであろう若い女性士官が立っている。銀色の機体は雨の雫で濡れており――どうやらあの嵐の中より帰還してきたばかりらしい、パイロットスーツの半分をはだけタンクトップ姿になった女性士官は、煩わしそうに首を振り、額に張り付いた前髪を乱した。
どうやらエリサは顔見知りらしい、「ああ、アノン少尉」と、疲れた表情で返事を返した彼女は、ずぶ濡れの愛機を振り返って、
「まったく……これで二度目。新型ライガーのお守りをすると、いっつも失敗しちゃう。もしもゼロに何かあったら、始末書じゃ済まないかも」
と愚痴を言う。
「《ライガーゼロ》の長距離走行試験、モニタリング役だったんですよね?」
「ええ……でも、この嵐だもの。風で機体の制御はガタガタなのに、ゼロはどんどん先に行っちゃうし。結局逸れて、こんなザマよ」
ブリジット少尉、と呼ばれた《ストームソーダー》のパイロットは、どうやらテスト走行に赴いた《ライガーゼロ》の僚機を務めていたらしい。しかし、あの雨雲に捲かれた際にゼロを見失い、渋々このニクシーに戻って来た、という所か。
二人の会話に聞き耳を立てていたジェイが、そこまで推察した時だった。「――ベック少尉」と、野太い声が木霊する。いつの間にか足元で、スターク・コンボイ小隊長とグロック・ソードソール少尉が、彼を見上げていた。
「出撃できるようにしておけ、ベック。テストに出ている《ライガーゼロ》がロストしている。このまま戻らなければ、ニクシーから捜索隊を出さなきゃならんかもしれん」
「ああ、……了解した」
小気味いい程に、丁度いいタイミングで呼びに来たものだ。だだっ広い格納庫で、ジェイが聞き耳をたてられたように――ホールみたく残響したグロックの声で、エリサ達もこちらに気づいたらしい、視線を薙いでジェイを見つけた彼女が、ぺこりと会釈をするのが見えた。
久方振りの、本格的な出撃になるだろう。だが、ガイロス帝国軍の大半は既にこのエウロペを去ったのだから、今まで経験してきた戦いと比べれば、ずっと気楽な任務のはずだ。なのに――ジェイはどこか、胃の腑に圧し掛かる不安を感じていた。先ほどまで疎ましく思っていた退屈が、急に恋しくなる。
――そんな事を考えていた矢先だった。
サイレンが鳴り――次いで、アナウンス。メカニック達を招集する女性士官の声が響いた。先までの、シンとした沈黙が嘘のように、騒然とする格納庫。思わず呆けていると、誰かが叫んだ。
「戻って来た! ゼロは無事だ、戻って来たぞ!」
訝しげに眉を顰めたコンボイ小隊長が、踵を返す。彼に従うグロックが後に続き、ジェイも慌てて機体から飛び降りる。エリサやブリジット少尉、それに召集が掛かった整備兵達も、向かう先は同じだ。ニクシーの正面ゲート。そこに、帰還した新鋭ゾイドが居るはずである。
皆もおそらく、ジェイの感じた不安を覚えたのであろう――へリックに訪れた束の間の平和、その均衡が今、崩れ去ろうとしている。
空は曇天に覆われ、このニクシーにもパラパラと雨だれが散っていた。既に日は落ちて、辺りは暗く鳴り始めている中――レインコートを纏った整備兵達は懐中電灯を片手に、帰投した試作機《ライガーゼロ》を見上げていた。
人垣の最後尾に着いたジェイ達もまた、ゼロの機体に目を遣って、固唾を呑む。
「……ひでぇな、こりゃあ」
皆の感想を代弁するかのように言ったのは、グロック少尉だった。全身の装甲が弾け飛び、フレームが剥き出しとなった《ライガーゼロ》。そうとう乱暴な走りをして戻って来たのだろう、つま先から頭頂まで、泥だらけだ。それに、右足の間接からはバチバチと火花が散っている。ただ嵐に捲かれただけでは、こうはならないだろう。
煤塗れで、円筒状に抉られた傷口。戦場を経験したゾイド乗りならば一目で分かる――弾痕だ。
野次馬達がざわつく中、ゼロのコクピットが開いた。テストパイロットを務めていた男性士官が出てくると、「――整備兵、早くゼロを診てやってくれ!」と声を上げる。メカニック達が慌てて機体に群がるのを確認するや、男はヘルメットを投げ捨てて一目散に司令部を目指しはじめた。
すると、
「ボビー! ボビー・マックスウェル少佐!」
と、野次馬を掻き分けて往くテストパイロットの背を、コンボイ小隊長が呼び止めた。喧噪の中でもその声に気づいたのだろう、ハタと目を見開いたテストパイロット・マックスウェルは、「スタークかッ?」と叫び返して、コンボイの元を目指す。
スターク・コンボイとボビー・マクスウェル。双方とも此度の戦争の活躍を認められ、同時に少佐へと昇格した士官であり――二人は見知った間柄だったらしい。コンボイ隊長を見つけるなり、ニヤと頬を緩めたマックスウェルは、
「――ったく、碌でもねぇ日だよ、今日は。ここ最近平和だったのに、俺が《ライガーゼロ》を動かせる、って時に限って、面倒事が起こるんだからな」
と頭を掻いた。
「テスト中、何が起きた? 機体は随分損傷しているが……」
腕を組んだコンボイが訝しげに眉を顰めると、マックスウェル少佐はハッ、と荒い溜息を吐き捨てて、一言、
「――帝国軍だ。ガイロスの残党が、ニザム高地の南でうろついてやがったんだ」
マックスウェル少佐の返答に、コンボイも――その後ろに控え、二人の会話を聴いていたジェイとグロックも、ゴクリと固唾を呑む。
「あのゾイドは、《ライトニングサイクス》だった。ただのそれじゃない、追撃戦用にカスタムされた『ハンター・タイプ』……おそらくは戦争の暮れに《ウルトラザウルス》討伐に派遣された、
潜り抜けた死線を思い出してか、マックスウェル少佐の額には、ジワと汗の雫が浮かんでいた。「試作装甲を全て棄てて来る羽目になって――ようやく逃げおおせた」と、肩を竦めて見せる彼に、コンボイに代わってグロックが問うた。
「ニザム高地って言えば、ニクシーとロブに挟まれた、今やへリック領のど真ん中だ。そんな所でおおっぴらに活動する残党が居るっていうのか?」
その疑問が滑稽に覚えたのか、おいおい、と頭を振ると、「戦いはまだ終わって無いんだ」と、語気を強めたマックスウェル。ジェイとグロック、そしてコンボイ隊長を順々に見て、
「上の政治屋たちは、この戦争の勝利で停戦協定を持ちかけられないかって腐心しているみたいだがな、帝国の連中はこの汚名を削ごうと、一層の大勢力を派遣してくるだろうよ。戦いは終わらない。むしろここから、確実に泥沼化していく――いつの時代だって、『へリック』と『帝国』は、そうやって潰しあって来たんだからな」
言い切ったマックスウェルは、そのまま速足気味に格納庫へと去っていった。一層強まる雨足の中、ジェイはボヤとその背を見送る。彼の残した言葉が、心に閊えたまま、暫し離れなかった。
ボビー・マックスウェルの見解は正しかった。
明くる日から、ニクシー基地には断続的に『ガイロス帝国残党軍』の仕業と思われる襲撃報告が入るようになったのである。
まずは親へリック派のエウロペ民の村に対する盗賊行為。間を開けず、その周辺を管轄していた陸軍哨戒部隊が消息を絶ち、翌日には残骸となって発見された。さらに数日が立つと、今度は辺境にあるヘリック軍駐屯地が未知のゾイド部隊に夜襲を受け、壊滅している。
破壊された基地や部隊の規模は、決して大きな物ではなかったが――既に事は、前線の士官達で噂される小競り合いで収まる物ではなかった。エウロペの地盤が固まりきっていないとガイロスに知れ渡れば、現在大統領ルイーズ・キャムフォードが進めているであろう停戦交渉にも、小さくない影響がある。
へリック共和国のエウロペ派遣軍最高司令部は、既に理解していた――此度の戦争は、まだ終結していないと。
程無くして、『西方大陸治安維持軍』の隊員たちに、緊急ブリーフィングの招集が掛かった。