ゾイドバトルストーリー異伝 ―機獣達の挽歌― 作:あかいりゅうじ
――ZAC2099年 十一月某日深夜 ロブ基地
藍色の空に、管制塔に付けられた航空障害灯の光が朧と浮かぶ。着陸した《ネオタートルシップ》から降り立ったジェイ・ベック少尉は、思いのほか冷え込んだ西方大陸の風に呆気に取られた。共和国領として保持されている北エウロペ大陸の東部は、『ロブ平野』と呼ばれる乾燥地帯が広がっている。
鼻孔を擽る空気はどこか土っぽく、此処が異邦の地であると実感せずにはいられない。
ガイロス帝国軍の進軍に合わせ、急ピッチで作られた共和国の前線基地――ロブ基地。淡泊なコンクリート造りの内装は、何処まで行っても同じような景色が続き、深夜という時間帯のせいで人の気もほぼない。まるでこの大陸には自分しかいないのではないか、という、奇妙な錯覚さえ覚えそうになる。
そんな事を考えながら、数分――ようやっとたどり着いた司令官室前のドアーで、ジェイ・ベックは「失礼します」と声を張った。間髪入れずに、「――入りたまえ」と硬い男性の声が聞こえて、ジェイはオープンボタンを押して入室する。
相変わらず、なんの装飾も無い淡泊な部屋。デスクの向こうに腰掛けた、角刈りの士官が面を上げると、ジェイは目の前まで歩みを進めて踵を合わせ、
「ジェイ・ベック少尉、ただいま着任しました」
と、敬礼して見せる。
「ああよく来た……と言いたい所だが――この時間だ、生憎司令官は既にお休みになっておられる。私はこのロブ基地の副官を務める、マクシミリオン・ペガサスだ」
ガタと椅子を立って、男は右手を差し出した。彼の胸元に光った階級章をチラと一瞥し、「恐縮です。ペガサス中佐」と、ジェイは両の手でそれを取る。うむ、と頷いたペガサスは、デスクの上にあったリモコンを操作して、背後のモニターの電源を入れた。
「詳しい事は後日、配属先の上官からブリーフィングがあるだろうから、手短かに話そう。現在映し出されているのが、我がへリック共和国軍とガイロス帝国軍の、この来たエウロペ大陸における勢力図だ」
モニターに映し出されたエウロペの地図は、共和国陣営が管轄する地域をブルー、帝国領と化した地域をレッドで塗りつぶして表示している。「……見ての通り、我らはこのロブ基地を初めとする、大陸東部に陣を強いているが――」と、ペガサス中佐は眉を顰めて、
「開戦当初は五分五分だった勢力図も、現在は八割が帝国の支配地域となっている。現在輪が軍は、ロブ平野の西に存在するミューズ森林地帯に防衛線を敷き、辛うじて持ちこたえている状況だ」
共和国軍の現状が芳しくない、というのは、以前から聞き及んでいた物の――実際に勢力図として目にすると、事態は想像以上に思わしくないと分かる。既に西方大陸の大半が帝国軍の手に落ちており、戦いの大勢は決しているように思えた。
この状況で着任するというのは、実践を知らぬジェイにとって、かなり間が悪い話である。気落ちするジェイを余所に、
「今回の派兵で、君を初めとする高速ゾイド隊を優先的に呼び寄せたのは、他でもない」
と、言葉を続けるペガサス。
「現在戦線を維持しているのは、特殊工作師団――奇襲戦隊と高速戦闘隊による、森林間でのゲリラ活動だ。特に、先に行われた特務の影響で、高速戦闘隊の消耗が激しい。さっそくだが、君も明日にでも前線に赴いてもらう事になる」
「は……ッ」
即答した裏で、ジェイの心は曇る。最前線――それも、圧倒的多数の敵が待ち受ける死地への出向を命じられたのだ。先にも言ったが、士官となって日が浅く、しかも先日まで本土守備隊に配されていたジェイに、実戦経験は無い。その矢先にこの命令だ。不安が無いと言えば、嘘になる。
ジェイの緊張を見取ってか、マクシミリオン・ペガサスはフッと表情を緩め、「長旅だっただろう、機体の搬入を済ませたら、今日はもう休みたまえ。詳しい事は、折り入って話す」と話を打ち切った。
共に西方大陸まで輸送された乗機をロブ基地の格納庫に移動させるため、《ネオタートルシップ》の整備室に赴いたジェイ。既に大半の機体の移動が住んでいるらしい、がらんどうになった格納庫内で、自分の《シールドライガー》を見つけるのは容易かった。
コクピットハッチを開けて、シートに流れ込もうとしたジェイだが、その動きに機敏さは無い。老兵に喝を入れられて、少しは戦意というヤツを取り戻していたつもりなのに――ペガサス中佐の任務を受けてから、再び憂鬱な気がジェイを取り巻いている。
怠慢な動きのジェイ。そんな彼の背後で、甲高い音が鳴る。
格納庫に残響した高音に、何事かと振り返ると――駆動系の交換部品だろうか、パイプ状の部品が床を転がって、ジェイのゾイドの爪先にぶつかった。それを追いかけるように若い女性士官が駆けてきて、「ご、ごめんなさい」と狼狽える。どうやら、彼女の運んでいた荷物の中から零れて落ちたものらしい。両の手に担いだ箱には、似たようなパーツと工具の類が煩雑に詰め込まれていた。
予想だにしない程大きな音を立ててしまい、緊張したのだろう。転がったそれを拾おうと荷物を放り出して――また、倉庫中に木霊した。女性士官の頬が、朱色に染まる。
落ち着かない挙動の彼女に、ジェイは親近感を覚えた。船の中では見かけなかった顔だが、もしかしたら彼女も自分同様の新兵で、今夜派遣されてきたばかりなのかも知れない。乗り込んだコクピットから、ズイと身を乗り出したジェイは、
「――大丈夫?」
と、その女性士官に声を掛けてみた。
どうやら、頭上にも人が居るのに、気づいて無かったらしい。ビクと震えて空を仰ぎ見た女性士官は、ライガーのコクピットにジェイを見つけて、目を丸める。
「あ……大丈夫です。すいません」
おずおずと頭を下げた女性士官。肩までで切り揃えた栗色のボブヘアー、クリと見開いた瞳は大きく、幼い少女の風貌を濃く残していた。遠目から見ただけでは、「本当に士官か」と疑ってしまうくらいで、ジェイは思わず機体を降りていた。
「……キミも、本国から来た新兵か?」
「あ、いえ――、手の空いてる作業員は、搬入作業を手伝えって言われて……暇してるの、私だけだったから……」
「ああ、この時間だしな――作業員?」
女性の言葉尻に違和感を覚えて、思わず反芻する。彼女は士官服を着ているし、階級章はジェイと同じ『少尉』の物だ。ジェイの感じた違和感に気づいたのだろう、女性士官は遠慮がちな笑みを浮かべて、
「第六重砲支援師団所属、エリサ・アノン少尉です。三か月くらい前に、このロブ基地に派遣されました。」
と、自己紹介をした。
「ああ、俺は本日付けで特殊工作師団所属・第307高速戦闘少隊に配属されたんだ。ジェイ・ベック少尉だよ」
と、ジェイも敬礼して返す。ジェイの階級章を見て、一緒ですね、と微笑んだエリサに、「三か月前って言ったら、共和国軍が大規模な反攻作戦に出た時期じゃない。もう実戦も経験してるの?」と問い返したジェイ。垢抜けない少女みたいな雰囲気のエリサが、自分よりも先に本当の戦場を経験している、というのが、妙な感覚だった。
「後方支援でしたから、面と向かって帝国軍を見てはいないんですけど……私、ゾイドの扱いもあんまり上手くなくって。あんまりとろかったからか、今はこのロブ基地で雑務に回されてます」
自嘲気味に言った彼女は、己が不甲斐なさを呪ってる一方で、どこか安堵した風だった。それが『実戦』という、ジェイの想像が及ばぬ激務から解放された事より来るものなのか、彼には分からない。「そっかぁ……」と、曖昧な相槌を返す。
数秒考えて、(――まぁ、なるようになるか)と開き直った。本土守備隊時代は訓練か、哨戒任務ばかりだったとはいえ――士官学校時代のジェイの成績は、決して悪くない。与えられた《シールドライガー》の特性は理解しているし、完璧に乗りこなす自信もある。精神面だって、気弱そうな女性士官のエリサとジェイでは、精神的な意味での耐久力だって違うはずだ。
やれるはずだ――と内心で自らを鼓舞したジェイに、「――どうだ少尉殿。ここでやっていけそうか?」と、別の声が掛けけられた。ニヤと笑みを浮かべ己が鼻先を擦ったのは、先にジェイに発破を掛けた老整備兵の男だ。
ジェイ・ベックは愛想笑いを浮かべると、「――やれるだけやります」と、簡単な返事を返す。
「――まぁ、今はそれで十分だわな。だが、いつまでもそんなんじゃ、戦場では死ぬぞ」
引っ掛かる物言いをした老兵に食い下がろうとしたジェイだが――男が誘導灯を振り始めたのに気づいて断念すると、ライガーのコクピットに戻り――機体を始動させた。