聞こえるか、この鐘の音が() 作:首を出せ
サイネリア島の何処かに在る森の中にて、人知れずサンが白金魔導研究所産の実験動物達と命懸けの鬼ごっこをしている時間と同時刻。遠征学修に来ていた2組の担任講師であるグレン・レーダスは、夕方頃に飛び出して行ってしまったリィエルを探す為にあちこち走り回っていた。
「ったく、何処に行きやがった……」
頬から垂れる汗を袖で拭うとグレンは一度息を整え、次に捜索する場所を頭の中で思い描く。街の方は大体捜索し終えたので、一先ずは宿泊施設近くの森から探そうと結論を付けた彼は、息が整ってきたことを確認すると再び走り出した。
人工物も見えなくなり、完全に自然で形作られた空間にグレンが入った途端、四方八方から自分を狙う殺気を感じ、過去の経験から反射的にフィジカル・ブーストをかけてその場から跳ぶ。すると次の瞬間には三方向から、ナニカとしか形容できないモノ達が殺到していた。
宙に行ったことで難を逃れたグレンはそのまま後方宙返りをして、距離を取りつつ地面に着地する。そして、しっかりと視界に収めた三体のナニカを見て大きく舌打ちをした。グレンも気づいたのだ。これらの生物が一体何処からやって来たのか。元々頭の回る彼は簡単にはじき出すことができた。
「あの狸爺ィ……!」
グレンは白金魔導研究所の所長であるバークス・ブラウモンへの罵倒を憎々し気に呟く。Project:Revive Lifeのことを嬉々として話そうとしたこともあり、良い印象を抱いていなかったグレンはついに口にまで出すようになっていた。尤も本人はこの場に居ないのだが。
素早いとは言えないが三体同時に襲い来る実験動物にグレンは冷静に対処していく。フィジカル・ブーストによって超人的な力を発揮できる彼は、襲い来る実験動物の一体を掴んで動きを止め、そのまま蹴飛ばして後続の実験動物達と接触させる。まるでボウリングのピンのように纏まって転がっていったそれらに対して、グレンは攻撃の手を緩めなかった。
「悪いな……。白銀の氷狼よ・吹雪纏いて・疾駆け抜けよ!」
軍用魔術はC級と言っても戦闘に用いられる魔術。防御をしなければ人の命などは容易く奪うことができた。この実験生物達も失敗作だったのだろう。特別な能力もなく、グレンの魔術を防ぐこともなく、彼が放った吹雪に呑まれて全身を凍らされていた。そして、それがばらばらとなって砕け、周囲に氷の欠片が舞う。
手際よく実験動物三体を葬ったグレンは再び大きな舌打ちをすると同時に歩みを進めた。
――――にしても、こんなものを所有しているとなるとバークスは天の智慧研究会の人間ってことだよな。アルベルトも居るしそれはほぼ確定だろう。……なら、奴らの狙いは何だ?俺達に仕掛けてまで手に入れようとするもの―――って考えるまでもねえよな。…ちっ、一端リィエル探しは中断だ。
グレンは自身が進んで来た方向を振り返ってすぐに宿泊施設に戻ろうとした。しかし、戦闘ではない別のことに意識を向けていた瞬間、合成魔獣がグレンの背後から襲い掛かって来たのだった。
「―――チィ!」
今からでは間に合わない。そう直感的に感じたグレンは避けるのではなく逆に相手へと接近することで活路を見出そうとする――――だが、その数秒後。彼が無茶をする必要性は全くなくなった。
最初にグレンの耳に届いてきたのは空を裂く音。
回転しているのだろうか、ブオンブオンとそれなりの質量がある物が空気を裂いて接近している音が聞こえ、そしてそれは段々と大きくなっていた。……その音の発生源を察知したグレンは迷うことなく敵に向かって吐き出そうとしていた推進力を自身の背後に転換し、フィジカル・ブーストによって強化されている肉体で思い切りバックステップを踏んだ。
すると、耳をつんざく音が響き渡り、グレンを襲おうとしていた合成魔獣はその場に在った地面諸共削り落とされる。見覚えのある破壊痕にグレンはホッとしたように長い息を吐いた。
そう、彼を助けたのは他でもない。元グレンの同僚にして帝国宮廷魔導士団特務分室執行官No.7戦車のリィエル・レイフォードだった。
「グレン!……大丈夫?」
「色々言いたいことは山ほどあるんだが……一先ずは助かった。サンキューリィエル」
彼はそう言ってリィエルに微笑んだ。言いたいことは山ほどある。文句の類はないが質問や謝罪の言葉を数多く彼はかけたかった。しかし、リィエルの表情を見て今すぐに言う必要はないと考え直した。
彼女の顔は自分達の前から飛び出すように走っていった時のものではない。普段と変わらない――いや、前よりもしっかりとした表情を見せていたからだ。
「うん。私も、グレンには後で話がある」
「あぁ、そん時は言いたいことを思いっきり言い合えばいい。だがそれは今じゃない。リィエル、こいつらの狙いは恐らくルミアだ」
「ん。じゃあ、早く戻ろう」
「あぁ!」
共に戦うのは数年前グレンが帝国魔導師団特務分室から消えて以来久しい。尚且つ通常、リィエルの戦闘スタイルは自分と同じく近接格闘のスタイルをとる者と相性が良いとお世辞にも言えなかった。けれども、その理屈はグレンに当てはまらない。自身の才能のなさを様々な技術でカバーしているグレンにとって、数年戦場を共にしてきた相手に合わせるなんてことは何てことはない。シロッテの枝を見つけることのように容易いことなのだ。
同時にフィジカル・ブーストをかけて一気に森の中を駆け抜ける。途中で遭遇した実験生物達は彼と彼女の剣と拳によってあえなく道を譲ることとなる。二人の心中に在るのは唯一つ、クラスメイトの無事を祈ることだけだった。
✖✖✖
一方残念なことに宿泊施設に居ないクラスメイトであるサンは、未だに森の中を駆けずり回り、命懸けのリアル鬼ごっこを続けていた。追いかけて来ているのはサンが最初に襲われたキメラである。
キメラは製造過程で身に着けたのか、口から炎の魔術を発動。火球を作り出し自分の前方を走り抜けるサンにぶつけようとしていた。一方のサンは背中に目でもついているのかと思わせるほど完璧なタイミングで背後から来る火球をやり過ごす。しかし、キメラは四足歩行でありその足はサンよりも素早い。このままではいずれ追いつかれてしまうだろう。そのことを彼も当然理解しているのか、ある程度の距離を走ると唐突に身体を反転させて右手からショック・ボルトを放つ。
まさか勢いを落とすことなくいきなり方向転換をするとは思っていなかったのだろう。キメラは不意打ち気味に放たれてたショック・ボルトを受けてその場で立ち止まってしまった。
が、ショック・ボルトは殺傷能力がなく熟練の者達にとっては足止めにすらならない。このキメラも数多の実験から作り出された存在であるが故に魔術に対してかなりの抵抗力を持っていた。C級の軍用魔術では傷もつかないだろう。
「今しかない……雷精よ・疾く駆けよ・その紫電を以て・生の輝きを撃ち止めよ!」
四節から成る魔術をキメラに向けて放つサン。動けないキメラはそれを受けることしかできないが、それでも魔術に対して高い抵抗を持つ皮膚がサンの放った電気を防いだ。しかし―――サンの狙いはこの魔術でキメラを殺そうというものではなかった。
『UUUUUUU!?―――!?』
サンを威嚇していたキメラが唐突にその唸り声を止めた。いや、止めたのではない。恐らく止められたのだろう、他でもないサンの手によって。その証拠に、声を上げることができないだけでなく足元が覚束無くなっており、キメラの尻尾として存在している蛇も力なく項垂れてしまっていた。
キメラは遠のく意識の中、何をしたと言うような視線をサンに向けた。しかし、下手人であるサンはキメラから視線を外して既にその場から立ち去ろうと行動していた。キメラは思った。いくら何でもそれはないんじゃないかと。
―――サンが行った魔術は実に単純なものだ。彼は既にショック・ボルトで相手の筋肉、自身の筋肉に程よい刺激を与える位の調節が可能だ。今回はその刺激を与える対象を変えたのだ。……生物の中枢。脳と同じく生命活動に重要な役割を持つ器官……心臓に。
心臓に電気ショックのような衝撃を与えて心肺停止の状態に持っていく、それが先程彼が行った魔術であった。非殺傷とは一体何だったのかと言われるような魔術である。本人もそれが理解できているから使おうとはしなかったのだが、今回は非常事態なためその封印を解放したのである。
この魔術、見た目はショック・ボルトと変わらないために初見殺しに成り得るのだが、相手の身体に隣接してなければ意味がないという欠点を持っている。対人においてはあまり役に立たないだろう。
「ふう……なんとかなった……」
心臓が止まったことにより活動を停止したキメラを横目に溜息を吐くサン。キメラを倒したからと言ってそれで全てが解決、という訳ではない。彼は無茶苦茶に逃げ回っていった結果、ここが何処だかわからないのだ。つまり迷子。
「迷子の時って無暗に歩き回ったらダメなんだっけ」
前世でかじった知識を口にしてみる。
このままここで一夜明かすことも念頭に置くサンだったが、その決意はすぐさま無駄となった。ふと、首を動かして周囲の様子を確認してみると、どこか見覚えのある場所だったのである。
それもそのはず、何故なら彼が今居る所は見学に来た施設―――白金魔導研究所の場所だったのだから。
これにはサンも苦笑いをこぼした。危ない生物から逃げていると、その本拠地と思われる場所に辿り着いたのだ。本末転倒と言ってもいいだろう。
「………おぉう」
しかし、サンは不幸なことに見てしまったのだ。
暗闇ということで視界が悪いものの、ここ最近視力が良くなってきているサンにはしっかりと発見できてしまっていた。
サンを襲ったキメラとは違う。継ぎ接ぎだらけの身体で出来た人型が、サンのクラスメイトにしてシスティーナの親友であるルミアを担ぎ上げ白金魔導研究所の中に入っていくのを。
「……
何処か諦めたような言葉。
普通であればこの場から一度宿泊施設の方に戻りグレンなどに協力を仰ぐのがセオリーだ。サン自身は逃げることが得意なだけの少年であり、突出した技術などは特にない。強いて言えばショック・ボルトの種類が豊富というだけだ。
けれども彼も人並みの倫理観というものを持っている。知り合いが怪しげな施設に誘拐されそうになっていれば助けたいと思う。暫く悩んだ末にサンは今後の行動を決定した。
✖✖✖
「遅かったか……!」
「システィーナ!」
敵の狙いを予測し宿泊施設に帰って来ていたグレンとリィエル。だが、どうやら少しだけ遅かったようで、彼らが見たのは散らかった部屋と力なく倒れるシスティーナだった。ルミアの姿はない。
システィーナの様子だが、命に別状はない。しかし体のあちこちに傷ができていた。グレンは間に合わなかった自分を内心で罵倒しながら彼女に回復魔術を施した。システィーナの応急処置をしているとリィエルは静かにグレンに話しかけた。
「ねぇ、グレン」
「なんだ」
「私、思い出した」
「何をだ」
「自分が、一体何なのか」
「――――――――」
施している魔術こそ乱すことはなかったが、それでもグレンの内心は驚愕に満ちていた。彼はリィエルと呼ばれる少女の正体を知っている。
「本当、なんだな?」
「うん。気づいた時には……兄、さんと多分イルシアって子が、殺されてる光景が目に入った。その後、二人を殺したヤツに気づかれて、記憶にプロテクトをかけられてたみたい」
「……何故、急に」
「分からない」
グレンは少しだけ考えるそぶりを見せるが、まずはシスティーナの治療が優先だと彼女に集中する。
一方グレンに分からないと言ったリィエルだったが一つだけ心当たりがあった。それは先程行われていた相談。夜の浜辺でクラスメイトのサンと語り合った後、彼がリィエルの頭に軽く触れた時である。
話している時とはまるで違う……グレンに保護されてからずっと闘争の世界に居たリィエルにも感じたことがない程、圧倒的な気配を纏った時があったのだ。その瞬間のサンは見ていないから詳しいことは分からないが……彼女は本能の部分で知っていた。これは『死』と同じものだ。彼女が最初に焼き付けた知識である死。それを体現したようなものを感じたのである。
恐らくそれをサンが使ったおかげでリィエルは記憶が戻ったのだと考えていた。けれど、そのことをグレンに言うことはなかった。恐らく彼がその力を隠しているのには何か理由がある。相談の恩もあるが故に口にしなかったのだ。
「よっし、これで一先ず治療は済んだな。後は壊れてないベッドに寝かせてっと……さて、リィエル。お前はどうする?」
「グレンについて行く」
「理由は?」
「………」
リィエルはグレンを守るため、と即答はしなかった。自身の考えを頭の中でまとめ、どのような言葉にしようか考えているといったところだろう。グレンはそんなリィエルの様子を嬉しそうに見ていた。こんな状況でなければ自分の金を使ってプチパーティーでも開催していいほどに。
十数秒して考えがまとまったのか、リィエルはゆっくりと自分の髪の毛と同じ青い瞳を覗かせて、口を開く。
「謝るため」
「……」
「私、システィーナにもルミアにも酷いこと言った。謝りたい……だから、助ける」
「――ふっ、上出来だ」
確固たる意志を感じさせる瞳で貫かれたグレンは微笑み、彼女の頭を数回撫でる。そして、肩を回し体の調子を見てから壊された部屋の穴から外に飛び出した。後に続くようにしてリィエルも飛び降りる。そのまま最短距離で白金魔導研究所へと向かおうとした二人だったが、そんな彼らの前に一人の男性が現れた。二人はすぐに警戒するが、月明かりがその男を映し出した瞬間二人は警戒を解く。
「グレン、目的は一致している。故に俺も手を貸そう」
「……いいのか?」
「これも仕事だ」
「アルベルト、ありがとう」
「…………言っただろう、これも仕事だ。ルートは既にこちらで調べてある。こっちだ」
少し見ない間に別人のような成長を遂げているリィエルにアルベルトが絶句した。その後すぐに言葉を紡ぐが、このことがグレンには照れ隠しに見えたらしく「アルベルトのツンデレー」とからかわれることになる。当然、アルベルトの魔術が文字通り火を吹くこととなった。何はともあれ、帝国宮廷魔導士団特務分室の執行官三人が今回の騒動を起こしたバークス・ブラウモンの元へと向かう。既にバークス・ブラウモンの未来は真っ暗だった。
✖✖✖
……電気点いていない時に入るとやっぱり雰囲気違うな。なんと言うのだろう。深夜の学校に似た怖さを感じる。しかも場所は白金魔導研究所。キメラとかを量産している所だ。これは出る。幽霊が出そうだ。
明かりを灯したいところだが、そうすればすぐにばれてしまうかもしれないので自重する。まぁ、何とか見える程度だし今は考えなくていいだろう。なるべく機械などには触らないように奥へ奥へと進んでいくと、地下への入り口に思える場所を発見した。その雰囲気はいかにもこの奥に怪しい部屋がありますよ、という雰囲気だった。
「………行くか」
怖がってても仕方ない。とにかく全速前進だ。足を踏み外さないように慎重に階段を下りていく。
降りた先には通路のようなものが続いており、天井からオレンジの光が点滅していた。整備してない……のか……?今更だけど俺ホラーものとか苦手なんだよね。この世界に来てから異常なくらいに耐性がついたんだけどね。
このような至極どうでもいいことを考えながら歩いていると、薄暗い通路にまで光が漏れ出ている部屋を発見した。もしかして此処かも知れないと一先ずその扉に近づいていて見る。
……人の気配はしないので大丈夫だろうと中にゆっくりと入ってみる。すると、俺の目に飛び込んできたのはある意味で――――――――予想通りの光景だった。
「―――――――――」
目の前にはいくつもの巨大な試験管のようなものが浮いており、中には緑色染みた液体で満たされていた。まぁ、それは別にいい。今朝も見たような光景だった。ただ、その中に入っている
入っていたのは人型。それも年齢は千差万別。子供も居れば大人も居る。男も居れば女も居た。しかし、誰もが普通の形をしているわけではなかった。ある者には巨大な手が。ある者には別の生物の足が。……所によっては脳みそがむき出しのまま放置されているような人も居た。
……もはや、考えるまでもない。
彼らはこの研究所で実験体にされた人達だろう。
「……当然、誰も彼も死んでるか」
自分でも違和感を感じるほど冷静で少し気持ち悪いと思ったけど、ここでうろたえて捕まる→実験体体験コースになるくらいなら多少気持ち悪くても冷静なままの方が良いな。
妙に冷静なおかげでしっかりと情報を見て取ることができる。大きい試験管のような機械にはラベルのようなものが貼られており、誰に何をしたのかが一目でわかるようになっていた。中にはキメラの細胞を埋め込んだものや遺伝子を多大に弄って作り出した子もいるみたいだった。
さてここで考えてみよう。ティンジェルさんはこういうことを平気でやる場所に連れ去られたわけだ。彼女ほどの美少女が誘拐された先に行き着くのは大体薄い本でやってそうなR-18指定の事だろうけど、これは別の意味のR-18指定だ。多分Gがつく。
こうしてはいられない。彼女は俺と関わってくれる貴重なクラスメイトであるし、彼女がいなくなったら皆が悲しむだろう。
なら、やるべきことは一つしかない。そう決意して扉を開けて別の部屋を捜索しようとしたところで……
「―――っ?」
意識が段々遠くなっていく。
マズイ。もしかして耐性がついているっていうのは嘘で、自分でも気づかないくらいのやせ我慢をしてただけか……?ショッキングな映像を見た所為か俺の意識は段々と消えていく。ここで気絶したら俺もあの人達と同じ末路を辿る気がするんだけど……大丈夫なんですかね。
✖✖✖
『消えろ』
『邪魔!』
『どけぇ!』
白金魔導研究所の地下通路。光もないその薄暗い空間で、三人分の声と大量の獣達の悲鳴が響き渡る。この三人に慈悲などはない。例え魔術が効きにくいような改良を加えられていたとしても、リィエルの細腕からは想像もできないほどの剛腕によって真っ二つにされ、物理に耐性を持っていればアルベルトの魔術がその実験体を一片残すことなく消し去る。魔術の扱いに長けた種類であればグレンがオリジナルの魔術、愚者の世界で無効化し、物理で殴る。
バークス・ブラウモンが配置した自慢の合成魔獣達は彼ら三人の前には壁にすらならなかったのだ。
その様子を見ていた本人はモニターを覗きながら激怒していた。自分の実験体があんな奴らにやられるわけがない。文句を吐きながら彼はそれでもルミアを縛り上げている機械を使ってProject:Revive Lifeを実行しようとしていた。自身の力を無理矢理使われて苦しそうにするルミアを眺めながらバークスを誑かした本人、エレノア・シャーレットは何処か違和感を感じていた。それは自分達に忠告をしてきた存在。不可視の声。彼はやると言ったことは絶対にやるのだろう。実際にライネルは何も行動を起こすことなく殺された。であれば、彼もいずれここに来るはず。そう彼女は感じていた。
――――そろそろ、潮時かもしれませんわね。
彼女はここで死ぬわけにはいかない。自身のことを殺せる存在がそういるとは思わないが、不可視の声は確実に自分を殺すことができる存在だと彼女は確信していた。このままバークスだけに任せるのは不安だが、正直言ってライネルを早い段階で殺された時点でこの計画は台無しになってしまっているので今更気にしないことにした。一先ず、自身の魔術で作り出した女性の死体を何体か置いておき彼女はこの場から姿を消した。だが、その瞬間彼女に耳には確かに聞こえた。『次はない』と。
――――あぁっ……ん……!ゾクゾク致しますわぁ……。
無知とは恐ろしいものだ。きっと、その声の主の正体を知る者は誰しも口をそろえてそう言うことだろう。
エレノアが消えたのと同時にグレン、アルベルト、リィエルは、バークスがルミアを捕らえている部屋の前に辿り着いていた。グレンはリィエルと顔を見合わせてから頷き合い、扉を蹴破る。
蹴破られた扉の欠片がバークスの頭皮にクリーンヒットするが、当然襲撃者三人はそんなことを気にしたりはしない。部屋に入った瞬間、リィエルはルミアの名前を叫んで一目散に飛び出した。
「ルミア!」
「リィエル!?」
跳んだ際に生み出した推進力をそのまま力として、ルミアを拘束している鎖を身長と同じくらいある大剣で器用に切り裂いた。支えるものがなくなり落下するルミアだったが、リィエルがそれを空中でキャッチすると、直ぐ近くの壁に大剣を突き刺して足場にする。そして大剣の持ち手を力強く握りながら壁を蹴ってグレン達の元に帰った。
「グレン、任務完了」
「よくやったリィエル。グッジョブ。……大丈夫か、ルミア」
「グレン先生……!」
ルミアは安心したのかグレンに抱き着く。彼はルミアを優しく抱きとめるとそのまま頭をなでる。彼女は自身の立場から常に命の危険にさらされることを覚悟している。けれど怖くないわけではないのだ。当然死にたくはないし、恐怖だって感じる。
「ルミア」
「なに?リィエル」
「……その、今日は……酷いこと言って、ごめんなさい」
「―――うん。いいよ。また仲良くしてくれたら許してあげる」
「―――!」
仲直りが成立してリィエルが涙を流し今度はルミアがそれを慰めた。……当然この間彼女達は隙だらけなのだが、生憎職務に真面目なアルベルトがいるためにバークスは手出しができなかった。
「えぇい、貴様らァ……!ワシの大事な実験動物達をよくも……!」
「バークス・ブラウモン。貴様には天の智慧研究会と関係を持っていたことは既に割れている。大人しく拘束される気はあるか」
「ふざけるなァ!この汚らわしい帝国の犬が!宝石獣!そして人形ども!」
バークスが狂ったように叫ぶと何処からともなく巨大な亀のような生物が現れた。甲羅にはルビーのような赤い宝石が取り付けられておりその名の通りの宝石獣だということがわかる。そのような存在が三体いた。だが、問題はその隣に居る
「―――!」
「……バークス。てめぇ、そんなものまで用意してやがったのか」
まさか自分の知り合いと同じ顔の少女が出てくるとは思わなかったのだろう。ルミアはショックを受けたように口に手を置き、グレンはリィエルのような存在を再び作り出したバークスに対する怒りを燃やす。アルベルトは宝石獣の性能を確かめるように魔術を発動していくが、少々厄介な性質を持っていることを見抜いた。物理にも魔術にも強いようだ。
一人淡々と仕事をこなすアルベルトを尻目にバークスとグレン達の話を進めていく。バークス曰くリィエル―――いやProject:Revive Lifeの結集は自分ではなくもう一人の人物が進めていたものだという。そいつはもう死んだが、利用できるものは利用するということで彼女達を使っているらしい。
「随分と言ってくれるじゃねえか」
「貴様には関係ないだろう!貴様らにはワシが行っていた実験を、教えてやる!!」
言うとバークスの姿が激変する。
初老の男性といった元の風貌は、もはやどこにもない。身体は狂ったように膨張し、半分某アメコミヒーローのような有様になってしまった。これだけ見れば元々人間だったなど想像もつかないだろう。
そして、ついにそれらが一斉に襲ってくる。
人外化したバークスを筆頭にProject:Revive Lifeの人形達、そして宝石獣達。例え一体でも二体でもグレン達の相手ではなかっただろう。しかし、ここの地形はそこまで広くはない上に、言ってしまうとルミアという非戦闘員がいる。どうあがいても数が足りなかった。
「リィエル、ルミアを連れて下がれ!」
「分かった」
指示を出したグレンは同時に襲い掛かって来た人形の攻撃を身体を逸らして回避し、回し蹴りでカウンターを決める。
アルベルトは後方に飛んで、遠距離の魔術で人形達を攻撃しようとするが宝石獣がその間に割って入り、人形達まで攻撃が届くことはなかった。バークスは身体を改造した影響か暴れまわるが、敵味方の区別はついているらしく自分達の仲間を攻撃することはなかった。
どう考えても人数が足りない。対処できる方法が少なすぎる。機動力に優れた人形。防御に特化した宝石獣。そして程よいバランスの暴走バークス。最悪、ルミアの確保は達成されているので一度態勢を立て直すか、もしくは別の開けた場所に移動するかという手段をグレン達が考え始めた―――――――――その時、
「……何?」
最初に
次に気づいたのはグレン達である。彼らは戦闘に気配をやりながらも、頭の中に直接刻み込まれるかのような音色にも意識を向けてしまう。聞こえてくる音は厳格で、何かを祝福しているようでもあり、逃れようのない結末を運んでくるような気もした。
段々と確実に音が近づいてきている。
バークス達もそのことに気づいたのか、動きが少しだけ鈍った。……するとここでルミアの身体が自然と震え始める。
自分の腕で身体を抱いてみても結果は変わらない。震えは止まらず、ガタガタと寒気すら感じた。原因は分からない。しかし自分の精神状態がどうしてこうなっているのか、それだけは理解できた。
それは恐怖。
彼女にとって死は常に覚悟しておかなければならないモノだった。自身の生い立ちと立場がそういう精神を育てることになったのである。おかげで彼女は同年代ではありえない程強靭な精神を持っていた。けれど、そんな彼女でもまるで話にならない。これが掻き立てるのは、もはや人の意思でどうにかなるものではないのだ。生物であれば逃れることが出来ない。それこそが正しい形なのだから。
更に鐘の音が近くなる。
もはやこの場に居た全員が自然と身体を動かせないでいた。その姿はまるで死刑判決を受け、刑の執行を待っている囚人のようである。
そして、ようやくそれは現れた――――、
「―――?」
上げたのは誰の声だったか。一人かもしれないし、この空間に居た全員であったかも知れない。それほどのことを今、目の前で現れた人物は成し遂げたのである。
ソレは黒い靄だった。周りに紫電が走り、帯電しているようにも見えるがその身体の大部分は深く黒い靄に包まれている。人型だとぎりぎりで判別がつくものの、それ以外は全く分からない程だった。そして彼らはこの瞬間その人物の異常さを知った。ここまで目立つ人物にも関わらず、忽然とまるで初めからそこに居たかのような自然さで部屋の中央に現れたのである。その優れた隠密性についてはスナイパーであるが故に優秀な目を持っているアルベルトでも捉えることはできなかった。
「なっ!?」
「……」
「―――ッ」
「ひっ」
直後、異常なまでの殺気が部屋全体を包み込んだ。それを受けてグレン達は誰しもが敵わないと分かっていても戦闘態勢に入ってしまう。
そう、彼こそは特務分室や帝国の間で噂になっている者。幾重もの行方不明者を出し実力は未だ底が知れない。姿すらも見た者がいない、都市伝説にも近い存在。鐘の音と共に現れ、断罪していく神なる者の代弁者。
「……此処で出てくるか、代行者」
――――今宵、既に差し出される首は決まっている――――
謎のバークス強化(ただし本人とは言っていない)