「――はい、はい。それでは失礼します」
ガチャン。
「~~~ゲホッゲホッ」
学校への欠席連絡を終えた瞬間、俺は激しく咳込んだ。
八重と紅葉が心配そうにソファから俺を見つめている。
五月も終盤に差し掛かり、そろそろ梅雨の季節が訪れようという頃、俺はえらく久しぶりに風邪を引いてしまった。
「榊ぃ、大丈夫……?」
ベッドの傍で半泣きになりながら俺を心配してくれる。
今は自室で横になっているのだが、八重に風邪がうつると悪いから紅葉の部屋に居ろと言ったのだが、ここにいると言って聞かないのだ。
あまりの強情さに俺も諦めてしまった。
本当は医者に行くべきなのだが、生憎それもできないほど体力が低下している。
「うぅ、榊が死んじゃうよぉ」
「おい縁起でもないこと言うな……」
泣きながらベッドに伏せている八重に思わず突っ込みをいれてしまう。
心配してくれるのは嬉しいが、死ぬだなんて冗談じゃない。俺はまだ生きてるぞ。
「八重、榊を勝手に殺すんじゃないよ」
紅葉が苦笑しながらお盆に何かを乗せて部屋に入ってきた。
「ほら、朝ごはんまだ食べれてないだろう?」
そう言って棚に置いたお盆にはお粥の入った器が乗っている。わざわざ作ってくれたようだ。
礼を述べると紅葉は少し頬を赤くして「困ったときはお互い様だ」と微笑んだ。
と、紅葉が蓮華でお粥をすくい俺に差し出した。
「はい、口を開けてくれ」
「いやいやいや」
食べさせてもらうのは流石に悪いし恥ずかしい。
自分で食べれると断ったのだが、駄目だというので結局紅葉に食べさせてくれることになった。
素直に口を開けて食べているが、死ぬほど恥ずかしい……。
八重からの視線もすごく痛いし。
「美味しいかい?」
「あぁ、旨いよ」
うん、この会話だけでも顔が赤くなるのが分かる。新婚気分とでも言うのだろうか。
最後まで紅葉に食べさせてもらったけど美味しかったから良いか。
八重が頬を膨らましてたのは申し訳なかったけど。
そのあとも、紅葉は氷枕や汗拭きタオルなどを持ってくるなど、一生懸命看病してくれた。
紅葉の気遣いは大したものである。
今も、アイスでも買ってくると言って出かけてくれたし、暫くは紅葉に頭が上がらないな。
八重は相変わらずベッドの傍に居る。
紅葉が看病してくれている間もずっとここに居て、昼飯もここで食べていた。
こいつも心配性だなぁと思っていたら、不意に八重の鳴き声が聞こえて俺は慌てて上体を起こす。
八重はぼろぼろと涙を零しながらも必死に手の甲で拭っているのだが涙は止まりそうにない。
どうしたものかと狼狽えていると、八重がしゃくりを上げながらも話し出した。
「あの、ねっ。紅葉はね、沢山、看病してるのに、私は何にも出来なくてねっ。
榊が辛いのにっ、ただ見てるだけでねっ、なんで何もできないんだろって。
私も榊の役に立ちたいのに、何にもできなくて、悲しくてね、自分が無力に思えて……」
まだ泣き止まない八重を、俺は無意識のうちに抱きしめていた。八重が戸惑いの声を上げる。
「無力なんかじゃないよ。お前が傍に居てくれると凄く安心する。
いっぱい心配してくれて嬉しいし、俺は幸せ者だよ。だからさ、泣かないでくれよ」
小さく頷いて俺に抱き着いてくる八重。
だんだんとすすり泣きに変わっていったが、完全に泣き止むまで俺たちはずっと抱き合っていた。
――本当、あの二人に入る隙が見当たらない。
私は榊の部屋の入口の横に立って、二人の会話をこっそり聞いていた。
何故だろう、最近二人の仲睦まじい様子を眺めていると胸の奥がぎゅっと苦しくなる。
榊が八重を撫でていると、羨ましく思う。
自分が八重の立場に居れたのならどんなに幸せかと考えてしまう。
榊に、もっと愛してほしいと思ってしまう。
あぁ、そうか。漸くこの今まで知らなかった感情に名前が付いた。
そうか、これが「恋」なのか……。
次の瞬間、自分の顔がものすごく熱くなるのが分かった。
今榊に会ったら確実に怪しまれる。
恋なんて一度もしたことがなかったから困ってしまう。私はこれからどうすればいいのだろう。
今まで通り接すればいいのか?でもそれだと進展ないし……。
というか恋人よりも家族の方がグレード的に上な気がするけど、まぁ気にしないでおこう。
アイスは買ってきたものの、榊と話すのは気まずくなりそうだ。だけどそれだと買ってきた意味がない。
仕方ない、ここはささっと渡して居間に逃げよう。
うん、そうしよう。
「やれやれ、本当に仲良しだね君たちは。はいアイス。私は居間に行ってるから」
口早にそう言って棚にアイスを置き、部屋を出ようとしたのだが榊に呼び止められてしまう。
早くここから離れたいのだが……。必死に平静を装って振り返る。
「なぁ、顔真っ赤だけど大丈夫か?」
っ!?嘘だろ、全然隠せてないじゃないか。まずい怪しまれてしまう!
「うぉ、どんどん赤くなってるぞ!?」
完全に思考回路がショートしてしまった私は、とんでもないことを口走ってしまった。
「べっ、別に赤くなんかなってないもん!榊の気のせいなんだから!バーカ!!」
その瞬間、部屋の空気が凍り付いた気がした。榊も八重も硬直している。
私は自分の発言を理解すると、脱兎の如く駆けだした。
転げ落ちるようにして階段を下り、全速力で居間へ向かう。
そして速度を落とさぬままソファにダイブ、クッションを抱きしめて足をばたつかせた。
(ああああ何言ってるんだ私は!なにが、なってないもん!だよ……榊にも馬鹿って言っちゃったし……。はぁもうやだぁぁ………)
まだ覚めない頬に手を当てて自分の言動を悔やむ。
絶対今頃寝室で二人とも固まってるだろう。もう寝室には行けそうにはない。
が、榊と八重の夕食を届けなければならないので、結局私が行く羽目になる。
はぁと深い溜息を吐きながら目を瞑ると、榊の顔が浮かび上がってきた。
その瞬間胸が高鳴り、更に顔が熱くなる。
そして改めて確信するのだ。
私は、榊に惚れたのだと。