私がこの家に来てからもう一週間か……早いな。
朝食で使った食器を洗いながら時の進む早さを実感する。
烏として暮らしてるときはこういう風に家事とかしなかったからなぁ。やるべきことがあるのは良いことだね、うん。
榊に朝の食器洗いと昼食作りを任されたからには、全力で取り組もう。
それに比べ……
「ふぁぁぁ」
手伝いもせずにソファで寛いでるこの子ったら。
食べたばかりだというのに寝転がって欠伸しながらテレビを眺めている。
大窓から差し込む日差しがちょうど当たって気持ちよさそう――じゃなくて。
「もう、食べてすぐ横になると牛になるよ」
確か人間の間でそういう迷信があったはずだ。
実際に牛になる訳ないのだが、「逆流性食道炎」というのになってしまうらしい。
小さい子供がそうならないように大人が考えた脅し文句だな。やはり人間は面白い。
ただ、その逆流性食道炎ともう一つ心配なことがある。
それは目の前で、牛になりたくなよぉ!と泣いている八重のことである。
今どきの子供でも信じないだろうに……。
「あれ、榊意外と掃除が雑だなぁ」
私は居間の隅に溜まった埃を見て驚いた。
榊のことだからそこら辺はきっちりしてそうなのだが。まぁ忙しいのだろう。学校も家事も買い物もしなければいけないのだから。
少しでもその手助けができれば本望だ。
私は割りばしの先にティッシュを巻き付け、細かい箇所の掃除に取り組んだ。
些細なことだが、少しでも部屋が綺麗になると達成感がある。
とはいえ私もそこまで掃除が得意なわけじゃないからなぁ。
意外と八重が掃除得意だったり……はないな。
居間の掃除を終え時計を見ると間もなく正午を迎えるところだった。そろそろ昼食を作ろうか。
ソファで眠りこくっている八重を揺さぶって起こし、昼食のリクエストを訊ねると目を擦りながら
「なんでもいぃ……」
と返された。駄目亭主か君は。
ちなみにこの家にはインスタント食品やレトルト食品、冷凍食品は一切保管されていない。
榊曰、自分で作った方がうまいし楽しい。とのことだ。しかも健康面にも気を使っているのだから、大した男の子だ。
よし、今日は炒飯を作ろうかな。あとは適当にサラダでも。
調理し終え、器に盛りつけて食卓へと運ぶ。八重を起こして席に着かせると。
「今日はパンの気分だったのに……」
この子、本当に駄目亭主なんじゃないかな。
文句を言うなら食べるなと器を取り上げたら半泣きで謝られた。
「紅葉の炒飯おいひ~♪」
「おや。パンの気分だと言ってた割にはご機嫌だねぇ」
「うっ、ごめんなさい……」
「これからは気を付けなさい」
「はーい」
会話を楽しみながら食事を終え、食器洗いもパパッと済ませてしまう。
八重は案の定何も手伝ってくれなかった。榊に言いつけてやる。
さて、やるべきことも済ませたので今日はずっとやりたかったことをやろう。この街の散策だ。
まだどんな街なのか知らないし、今後、榊の為に買い物にも行けるようになりたい。
居間の八重に出かけることを伝えようと思ったら、またソファでうたた寝していた。
仕方ないので書置きを残し、玄関に向かったところであっと気が付く。
私は鍵を持っていない。八重は寝ている。このまま玄関から出たら鍵が開きっぱなしになってしまう。
どうしようか悩んでいると、前に八重が話してくれたことを思い出した。
『榊と私の部屋の窓はいつも半分開けたままにしてあるから、そこから出入りできるよ~』
ん、よく考えれば榊の部屋に入るのって初めてじゃないか?
今まで入ったことなかったし、基本居間に皆いるし。なんだか緊張するぞ……。
とはいえ、八重の部屋でもある訳だから、思い切って部屋に入りすぐさま窓から飛び降りる。
外の澄んだ空気を肺一杯に吸い込み、私はこの街の散策を始めた。
「ただいまー」
帰ってきて居間を覗くと、八重が一人で眠っていた。
口を半開きにしてすやすやと寝息を立てている無防備な八重はとても可愛らしく見え、思わずドキッとしてしまう。
テーブルの上に何か紙があると思ったら、紅葉の「散歩に行ってくる」という書置きだった。
心配をかけないようにきちんと書置きを残すとは、なんとも真面目な奴である。
……八重を見ていたら俺まで眠くなってしまった。少しだけ寝ようかな。
二階へ上がって荷物を置き、部屋着に着替えて居間に戻る。ソファの傍に寝転がり、八重の寝息を聞きながらそっと瞼を閉じる。
暫くして俺の意識は、夢の世界へと引き込まれていった。
「ただいま」
いやぁつい長い間歩き回ってしまった。
空はもう暗くなりかけている。榊ももう帰ってきていることだろう。
声をかけながら居間に入ると、寝息を立てている二人の姿が目に入った。
お互いの傍で寝ている二人を見ると、なんだか羨ましく思う。まるで本当の家族のようだ。
私は榊の傍に寝転がり、目を閉じた。早くこの家族の立派な一員になれますように。
そんな願いを想いながら、二人の寝息とともに私は眠りについた。
――おやすみなさい八重、榊。
「ふぇっくちゅん!」
八重の不思議なくしゃみで俺たちは目を覚ました。
いつの間にか傍で寝ていた紅葉とソファの上で驚いている八重と目を合わせると、誰からともなく笑いだした。
なんだかとても幸せな気分だ。
しかしそれは束の間の幸せだった。あの事を思い出すまでは――。
(夕飯作ってねぇ……)
時計の短針が八を示すころ、俺たちは漸く食卓を囲んだのであった。