「いってきまーす」
普段通り定時に学校へ向かう榊を見送ってから、私は自室に戻った。榊と私の、二つのベッドが置いてある部屋。
居間の次に落ち着く空間だ。
特にすることもないので取りあえず自分のベッドに寝転がり、ふぅと一息つく。
「やっぱり、寂しいなぁ」
ポツリと呟いてみるが、それに誰かが返答してくれることはない。
榊の帰りを待っていたいのは本当だが、やはり一人で日中を過ごすというのは中々寂しいものだ。
何しようかなぁとぼんやりしていたら、不意に懐かしい知り合いの顔が脳裏に浮かび上がった。昔よくつるんでいた、言わば相棒のような存在だ。
そういえば、アイツと別れてこの街に移住してからもうかなり経つのか。早いなぁ。
よし、思い立ったがなんとやら。折角だから会いに行こうかな。
割と遠い街だけど、まぁ午前中には着くでしょ。
私は窓へ近寄り、ガラガラと窓を開いて飛び降りた。八咫烏は人間よりもかなり丈夫だから痛くもなんともない。一応辺りに人がいないか確認してから、烏に変化して飛び立つ。
気持ちいいくらいに雲一つなく澄んだ青空の下で強く羽ばたき、あの街へと向かった。
四十分程飛び続けて、ようやく見覚えのある街並みが目に入った。
一体何年ぶり、いや何十年ぶりだろうか、この街に来るのは。
多くの家が建て替えられていたり大きなビルが出来ていたりはするけれども、それでも街全体の雰囲気は変わってないように感じる。
アイツも移住してないといいんだけど……。
早く探して会いたいが、流石に疲れたので公園に降り立ち、人間に変化してからベンチに腰掛ける。
最近すっかり人間の姿の方が落ち着くようになってしまった。榊との暮らしが心地良いせいだろうか。
あー喉が渇いた……。
広い青空を見上げながらポケットの中を探るも、小銭らしきものは見当たらない。というかそもそも小銭を所持したことがないのだから持っているわけがない。
榊の代わりに買い物行ってあげようとしたら「心配だからついてく!」と言って結局普段と変わらなかったりもしたからなぁ。
心配なのはわかるけど、私だってそこまで馬鹿じゃないのに。まぁ一緒に出掛けるのは嬉しいけどね。
「そろそろ行こっと」
独り言を呟きながら反動をつけてぴょんとベンチから立ち上り、そのまま歩き始める。
この街で暮らしてたとはいえ、定期的に住処は変えていたから今どこにいるか分からない。
そこで、そこらの烏に訊ねてアイツを探すのだ。ふっふっふっ、八重ちゃん天才!
多くの住人とすれ違いながら歩き回っていると、一羽の烏を見つけた。
「おーい!」
手を振りながら呼びかけると、烏は私に気付いてこちらへ近寄って、
「これはこれは、八咫烏様ではありませんか。
僕生まれてまだ一人しか会ったことないんですよ。やっぱり人間の姿って楽しいんですか?」
とべらべら喋りだしたため若干引いてしまう。
ちなみに烏の言葉で会話しているため、周囲からは烏と見つめあっている変な少女にしか見えないはず。仕方ないね。
「その八咫烏って変化すると赤髪のやつでしょ?」
その問いに対して烏はこくりと頷いた。
どうやらまだここに住んでいるようだ。とりあえず一安心。そいつのところへ案内してくれと頼むと、「そりゃあ勿論、お役に立てるのならば!」と張り切ってくれた。
一旦烏に戻ってあとをついていくと、街の中央に鎮座している山の麓へたどり着いた。
「彼女はこの辺りで暮らしてるので。僕はこれで失礼します」
そう言い残して飛び去る烏に礼を言い、人間に戻って山の中を散策する。八咫烏と烏の見分けは余裕でできるため、居ればすぐに分か――あ、いた。
アイツは自分の巣でぼぉっと寛いでいた。まったく無防備極まりない。別に危険がある訳ではないけども。
折角だから、後ろから脅かしてあげよう♪
そぉっと近寄り、大きく哭こうとしたその時、
「なにしてるんだい?」
「!」
背後から忍び寄ったのに気づかれてしまい、びっくりしてしまう。どんだけ気配察知が得意なのだろう。確かにこれなら無防備でも困らないね。ってそうじゃない!
「やぁ、久しぶりだね。三十年ぶりくらいかな?」
巣から降り立ち、人間に変化したアイツ―彼女は紅の髪を腰まで伸ばし、髪色と同様紅の眼で私を懐かしむように見つめてくる。
私も人間に変化して彼女の前に立った。
身長は私より高く、榊より少し低いくらいだ。
身長に比例したのか私と違い、立派なメロンを胸にぶら下げていて、まさに「お姉さん」という雰囲気を醸し出している。
「久しぶりだね、――」
私は名前を呼ぼうとして、はっと気が付いた。
私は榊に貰った「八重」という名前があるけど、普通の烏たちにはないんだった。
「……名前がないって意外と不便なんだね」
「おや、その口ぶりから察するに君は人間と暮らしているのかな?」
相変わらず、察しが早い。こいつは昔からそうだった。私の考えていることをホイホイと当てるものだから、若干怖かったのを覚えてる。
「君はよほどその人間に懐いているようだね」
「うん、すっごく良い人なんだよ!」
そこからはもう私の榊自慢の始まりだった。溢れ寄るように口から出てくるその自慢に途中からうんざりした顔を浮かべてたけど気にしない。そのくらいの仲なのだ。
「でねでね、榊ったらね――」
「あーもう分かった!君はそいつが大好きなんだね」
流石に飽きたのか、強引に話を打ち切られる。ま、大事なことを伝えられたからいいか。
話に夢中で気が付かなかったが、青かったはずの空はいつの間にか橙色に染まっていた。
「ふむ、それにしても八重、か……。よかったね、八重」
優しい笑みを浮かべながら私の頭を撫でてくれる彼女は本当にお姉さんみたいだ。
久しぶりに会ったせいでついつい時間を忘れて話し込んでしまった。
この時間帯だともう榊が帰ってきているはずだ。
慌てて別れを告げて飛び去ろうとしたが、彼女に呼び止められる。
「なぁ八重。提案があるんだ」
優しい笑みでそう口を開いた彼女に私は首を傾げた。
「また、一緒に暮らさないかい?」
「……え?」
「あ、ここに残れという訳ではないよ」
相も変わらず心の中を読むような話し方だ。当たってるのがまたすごい。
どういうことかと私が訊ねると、彼女は人差し指をぴんと立てて宣言した。
「私も榊という男と一緒に住むことにするよ」
「はぁ!?」
思わず大声を出してしまう私にお構いなく、彼女はニコニコ微笑んでいる。
「これからもよろしくね、八重」
……なんで、こうなった?
学校から帰宅して自室に荷物を置きに行ったところまではよかった。
問題は、何故烏が二羽―恐らく片方は八重―がベッドの上で待機しているか、だ。どちらも足が三本あるから八咫烏なのだろう。
と、不意に八重が人間の姿になり「おっかえりぃ♪」と抱き着いてくる。抱き返して頭を撫でてから八重に問いかける。
「なぁ、こいつは誰だ?」
が、八重の返答よりも先に烏の鳴き声が耳に届いた。咄嗟に声のした方を見遣ると、紅い髪を腰まで伸ばした、背は俺より少し低いくらいの少女が立っていた。
白い肌に豊満な胸。深紅の瞳で俺に微笑みかけている。美人。第一印象はそれだった。
細身の体に纏った紅いドレスがより彼女の美しさを際立たせている。
「初めまして榊君、八重から話は聞いているよ」
丁寧にあいさつしてくれる彼女だが、俺は困惑している。八咫烏が家に何の用だ?
いや、なんとなく想像はつく。
「初対面でいきなりだが、私をここに住まわせてほしい」
だろうな!やっぱりそうだと思ったよ!前も言ったが金に困ることはない。両親から死ぬほど仕送りをもらってるからな。住まわせるのは構わないんだが……親になんて言えばいいんだろう。
「榊ぃ……」
未だに抱き着いたままの八重が潤んだ上目遣いで俺をじっと見つめてくる。
八重さん、それは反則ですよ……。ノーなんて言えないじゃないか。
「……わかったよ」
その一言で二人顏に笑顔が咲き誇る。我が家の住人が三人になりました。
「さて、名前を決めないとな」
やはり彼女も八重と同様、名前はないらしい。何がいいかなぁと一生懸命に考える。
茜色の光が差し込む居間で三人輪になって座ってうーんと唸る。
八重は八咫烏の八と八重桜をかけたんだよな。紅いのが特徴だから……紅、八……。
「紅葉(くれは)でどうだ?」
「もみじ」ではなく「くれは」だ。
恐る恐る彼女の顔を覗くと、優しい笑みを浮かべてくれていた。なんというか、母性が溢れ出ている気がする。
「素敵な名前を有難う、榊君」
「俺のことは榊でいいよ。紅葉」
差し出された手をしっかりと握り、握手を交わす俺たちを八重はニコニコ見つめていた。
また、日常が楽しくなりそうだ。
さて、そうとなれば紅葉用の部屋だ。以前俺が使っていた部屋を片付ければ問題ないだろう。早く支度しないとな。
「っし、こんなもんかな」
一通り片付け、掃除機をかけ終えたところで一息つく。ふと窓の外を見て、あっと声を上げてしまった。
もう外はすっかり暗くなっており、時計の短針も七を示している。
まずい、まだ夕食を何も用意していない。
慌てて階段を駆け下りると、居間の方からいい香りが漂ってきた。首を傾げながらも急いで居間へと駆けこむ。そして、扉の先の光景に俺は身を見張った。
「あぁ榊。部屋の準備有難う。八重が我慢できないって言うから適当に食事作らせてもらったよ」
そこには幸せそうな顔で肉じゃがを頬張る八重と俺の分の白米を盛り付けている紅葉がいた。
食卓に置かれた料理はどれも食欲をそそる香りと温かそうな湯気を漂わせている。
食器類もすべて用意されており、食卓は完璧な状態だった。
その口ぶりから察するに、全て紅葉が用意したのだろう。料理から支度まで。
同じ八咫烏でも八重とは全然違うじゃないか。
「ねぇ、なんか失礼なこと考えてない?」
ジト目で睨んで来る八重を適当にあしらい、俺も食卓に着く。「いただきます」と合掌してから肉じゃがを口の中に含む。そして、あまりの美味しさに俺は硬直した。
これを紅葉が用意したのか。絶対俺より料理上手いだろ……。
劣等感で胸を痛ませながらも箸を止めることなくぺろりと完食してしまった。
「ごちそうさまでした。美味かったよ紅葉」
「ごちそーさま!」
「お粗末様でした」
全員が食べ終え、流石に片づけまでしてもらうのは悪いので食器を洗ってから一番風呂をもらう。風呂は八重が洗ってくれたらしい。
意外だったが、ちゃんと礼を述べて撫でてやった。ついでに何となく鼻もつまんで揶揄ってやった。
ちなみに我が家の風呂と居間は隣接しているため、風呂に入っていると居間での音が聞こえてくるのだが……。
「君の言う通り榊はとてもいい人だね」
「ふふん、そうでしょ♪」
「なんで君が自慢げなんだい……」
「あとね、虐めてくれるんだよ♪」
「あ、君の性癖は健在だったのか」
昔からドMだったのか。どうでもいいことを知ってしまった。それにしても、俺のいないところで自分の話をされるとどうもくすぐったい気分になる。できれば聞きたくないのだが、聞こえてきてしまうのだからどうしようもない。
湯船に身を委ねてぼぉっとしていると全身の疲れが抜けてくのが分かる。流石風呂。
二十分ほど入って風呂を上がり、身体を拭いて着替えて居間へと向かう。いやぁ気持ちよかった。
「風呂あがったぞ――って」
居間では紅葉と八重が二人仲良さそうにソファで寝ていた。
八重もはしゃいでたし、紅葉も慣れない環境だから疲れたのかな。
俺は二階から毛布を一枚持ってくると二人にそっとかけ、音をたてないように居間をあとにする。目が覚めたら風呂に入るようにと書置きを残して。
おやすみ、八重。紅葉。