星の距離さえ動かせたなら   作:歌うたい

37 / 40
Re:Play 8『Procyon』

耳鳴りが途切れない。

燦々と照り付ける日射しは明暗の落差が激しくて、ブリッジの放物線から伸びた影に全てを閉ざされたかと思えば、ストロボの閃光みたく色全てを真っ白に焼く。

 

低気圧と名札をぶら下げた透明な郵便配達員は乱暴で、突拍子もなく吹き付ける風の便りに茶栗のミドルカットの境目が浚われて、皮膚が痛い。

無機質なコンテナの城には支配者は居ない。

革靴の裏で角を立てる横暴な石砂利を見下ろしながら歩けば、耳元で誰かが囁くように、いけ好かない白昼夢が嗤っている。

 

「……」

 

もう随分遠い過去にも、すぐ間近の昨夜とも思えてしまう、鮮烈で、褪せて、どちらに置いておきたくもない、あの日の事。

此処で、殺された自分と同じ顔。

無惨に千切れた脚、鮮血が作った伽藍堂な水溜まり、絶望の二文字が何よりも痛みを生んだ世界。

 

其処で、ワラッている、白貌の少年。

憎悪に焼かれた脳裏で葬ってやりたいと願って、けれどそれは余りに無謀で。

乱雑に突き付けられた力の差に膝を付き、恐怖に震えるのをただ我慢するしかなかった。

 

化物。

悪魔。

死神。

絶対者。

 

狂ってしまいそうな程の白い男、人の命を塵としか思っていない畜生。

その認識が、薄らんで行く事など、あってはならない筈なのに。

赦されてはいけない、赦しちゃいけない。

刻み付けた憎しみの業火が、酷く頼りない。

 

「……なんで」

 

見下ろした、自分と同じ顔が跡形もなく壊された場所へと、座り込んで手を伸ばす。

ざらりとした石と砂が冷たく軋んで、他人事みたいな白々しさすら感じて。

カラカラに渇いた喉は調律を怠ったピアノの様に、笑えてしまうくらい、無様な音を吐き出した。

 

リフレインが囁いている。

猫と触れ合う穏やかな顔。

子供みたいにアイスを頬に残した情けない顔。

文句ばかり言う癖に、缶バッチを返さない拗ねた顔。

巨大なトレーラーに消えていく、小さな背中。

 

「……忘れてない、アンタの事」

 

忘れるなんて出来る筈がない。

深く、深く残っている。

悔恨と憎悪と無情。

灯火は確かに、未だ胸にある、のに。

 

「なのに、なんで……」

 

 

──誰を救え無かったンだ

 

 

──ほんと……変わったよ、お前

 

 

斜陽の街、陽炎が薄情な素振りで揺れている黄昏。

冷たいコンクリートを背にして、激しい動悸を刻む胸を押さえながら、神経の殆どを鼓膜に溶かした。

御坂美琴がまるで気付けなかった、上条当麻に打たれた心の楔。

 

それを指摘したのは、見抜いたのは。

自分と同じ顔を10031回も虐殺した男。

嗤いながら、9982号を殺した男。

一方通行。

目を、耳を、神経を、世界を疑った。

無機質に脳裏に並べられた言葉が、ただただ淡々と、怖じ気すら感じる程に。

 

──綺麗事並べて、相手を救った気になって、いざ躓いたらこんなにも薄っぺらだった。俺はヒーローなんかじゃない、自分でそう思っていた筈だったのに、な。

 

美琴には、まるで見せなかった弱さを、諦めた様に語る。

 

上条当麻が。

アイツが。

一方通行に。

アイツに。

 

──幻想……それに縋っていたのは、俺の方じゃないのかって

 

──それの何が悪ィンだよ

 

美琴には、まるで気付く事が出来なかった、弱さを見抜いて、受け止めた。

 

一方通行が。

アイツが。

上条当麻を。

アイツを。

 

 

──ヒーローである上条当麻はもォ飽きてンだよ。次は、唯の人間である上条当麻を見せてみろよ

 

 

「……ヒーロー、か。はは、ホントよ。私、なんで、気付いてあげられなかったんだろう」

 

彼の理解者でありたかっただけ。

 

彼の隣に居たかっただけ。

 

彼に頼られたかっただけ。

 

彼の力になりたかっただけ。

 

彼に好かれたかった、それだけ。

 

「……よりにも、よって。なんでアイツが一番最初に気付いてんのよ。意味、分かんない……」

 

いや、違う。

あの後、茫然自失となりながらも夕闇の奥へと走り去った美琴の耳にも、確かに届いていた。

自分と同じく、彼を想うシスターの圧し殺した泣き声。

恐らく、インデックスも気付いていたんだろう、上条当麻の白い傷痕に。

もしかしたら、彼女が誰よりも、一方通行よりも早く気付いたのかも知れない。

 

けれど、でも、確かに。

上条当麻の弱さを認めたのは、紛れもなく、あのおぞましき狂白の化物で。

故に、御坂美琴は蚊帳の外へと弾かれたまま。

 

「……こんなのってないわよ。訳、分かんない」

 

熱病に浮かされた頭で一晩考えても、正解の見えない公式は悪魔が描く証明文みたいに、賢者を気取った数式達が憎たらしく嗤うばかり。

 

けど、間違いなく突き付けられた事。

 

あの白い男は、上条当麻の弱さを認めてやれるほどに、変わってしまったこと。

上条当麻の弱さを認めて、受け止める存在に、自分は至れなかったこと。

 

──私に、アイツを好きでいる資格なんて、あるの?

 

 

『幻想だろォが何だろォが、テメェは偽善を使って救ってきたンだろ。テメェがそれを否定すンのは構わねェよ。けどな、それで救われちまったバカ共は、例えそれが下らねェ幻想だとしても、否定はしねェよ』

 

『迷って良い、立ち止まって良い、幾らでも後悔しやがれ、嗄れるくれェに泣き叫ンだって良いンだ。誰もテメェの弱さなンざ否定しねェし、一々幻滅しねェよ』

 

上条当麻は、ただの人間に過ぎない。

都合の良いヒーローなんかじゃない。

膝を折る事もある、苦しみ蹲る事もある。

美琴だって知っていた筈なのに。

 

あぁ、確かに。

アイツに救われてばかりの自分は。

アイツの力になる、ただそればかりで。

アイツの隣に居たい、ただそればかりで。

 

『いつか』アイツが倒れそうな時、支えてあげたいと願うばかりで。

 

とっくにボロボロになっていた偽善使いの少年の、小さな小さな悲鳴を聞いてあげることも出来なかった。

 

 

上条当麻を救ってやろうと、思った事はあっただろうか。

作り出した英雄像を『見上げて』ばかりで、足元でボロボロの身体に鞭を打つ少年を『見下ろす』事は出来なかった。

 

だって、アイツは強いから。

私の足元なんかで苦しんでいる訳がない。

誰も彼もを救うから、私も力になれるように。

アイツの所へ行かなくちゃ。

『遥か先に居る筈』のアイツの背中を追い掛けなくちゃ。

アイツに、上条当麻に置いていかれたくないから。

 

「っく……バカじゃないの、私……最悪よ、くそっ、くそっ、チクショウ! 結局、アイツを見失ってばっかりで……」

 

幻想を殺したかった。

自分勝手な感情で目を曇らせて、背中ばかり追ってしまった自分の至らなさごと。

 

現実を殺したかった。

自分も『救われた』んだと、認める口振りで静かに紡ぐ一方通行が、上条当麻の弱さに気付けた、道端に転がる何て事ない奇跡ごと。

 

自分だけの現実に、溺れたかった。

 

いの一番に彼の弱さに気付き、彼を癒し、彼を支えて、彼の隣に立つ自分の姿。

美琴、と自分の名前を呼んで、悩みを打ち明けられて、仕方ないわねと笑って、力になってあげられて。

そんな幻想を、抱き締めていたかった。

 

でも、そんなふざけた幻想は叶わなくて。

科学の街に溢れている、ありふれた現実ばかりが広大な荒野の先に広がっていた。

 

 

なら、折れるのか。

 

 

「ざけんじゃないわよ」

 

 

なら、泣くだけか。

 

 

「もう、昨日で枯れたわよ」

 

 

なら、縋るだけか。

 

 

「幻想はもううんざりよ」

 

 

なら、諦めるのか。

 

 

「何の為、アイツを追い回して来たのよ。今更だわ」

 

 

なら、立つのか。

 

 

「当っ然」

 

 

なら、どうする。

 

 

「否定なんかしないわよ。アイツが弱い? だから、何よ。その分、私が強くなる。今度こそ、救ってみせるわよ」

 

 

なら、どうする?

 

 

「どーせ、またあっちこっちに首突っ込むんだから。あのシスター1人に背負わすなんて荷が重い筈。女として水空けられんのも御免だけど、ハンデにしといてあげる」

 

 

なら、行こうか。

 

 

「学園都市、第三位。嘗めんなコラ」

 

 

蹲っていた顔を上げて、晴天を睨む。

砂利のついたスカートの汚れを払って、運命に申し込む。

地へと折り曲げた背を正して、世界にさえ胸を張る。

 

凛々しく、強く、美しく。

弱い男を支えるのには、もってこいのステータスだろうと。

表情を変えずに昇るだけの白い太陽へと、中指を立てる様に。

 

何故だろう、その向こうで。

憎たらしい男が、擽ったそうに鼻で笑った気がした。

 

 

──遅ェよ、三下

 

 

「煩いわよ、鬼畜野郎」

 

 

出刃るんじゃない、何様のつもりだ。

最低の屑野郎、今に見ていろ。

どの口で大層な事を言ってるんだ。

少々、アイツを分かった所で優越に浸るな、ムカつく。

こういう時は、アイツの笑顔なり格好付けてる横顔なりを思い出す所でしょう、空気読め。

 

不思議だ。

太陽が眩し過ぎて、瞑目と共に白んだ瞼の裏。

白に紛れて、白が笑う。

空気も読まず、どこか満足そうに背中を向ける。

腹立だしい。

あれからどんな道筋を追って、あぁまで偉そうに言ってのける面の皮の厚さを手に入れたのかは知らないが。

次会った時は、とっておきの蹴りでも入れてやろうか。

 

 

「……さって、アイツ、スーパーにでも居れば良いけど」

 

 

あぁ、全く。

嫌な顔を思い出して、気分が悪い。

胸糞も悪い、台無しだ。

 

けれど、何故だろう、なんで自分は少しだけ笑みを浮かべているんだろうか。

気でも狂ったのか、頭でも沸いたのか、馬鹿馬鹿しいにも程がある。

 

 

「────」

 

 

一度だけ、振り返った場所。

墓石もない、花束も捧げられない、名もなき死者の眠る場所へと、鳶色のプリズムを細めて。

動かした四文字の音連れを、風の便りが奪っていく。

透明な手紙には何も書かない癖に、何処かへと届けに行くのだろうか。

 

見上げた高い空の向こう。

蒼いスケートリングを心地良く滑空する、名もなき白い鳥が長い翼を広げて、風を切る。

蒼と瑠璃の境界線はまるで見えないし、まだまだ距離は離れているのに、いつかそこへと辿り着くんじゃないかと思うくらいに。

彼方へと、蒼に変わる。

 

それが、太陽の光よりも眩しく見えたから。

鳶色を強く、閉じた。

頬伝う水滴を、一つ連れて。

 

 

 

 

 

────

 

 

 

 

 

 

冷たさすら帯びている白い部屋は、拭い切れない汚泥の顏達が本能的に求めた潔癖を敷き詰めた化学薬品の無味無臭地帯。

警告色の黒一面の方が、まだ温情を感じるのは、結局は自傷しがちな自意識に常々、脚を取られているからだろう。

 

引き摺るにも今更だろうにと、飴色の紅茶を一口啜れば、癖の少ないブレンドリーフが味覚を擽るのに、ティーアップのハンドルが揺れている。

定まらないのは、幾つもの同じ少女の顔が浮かぶから。

隣でもの珍しそうに紅茶を眺める少女に、少し飲んでみるかと手渡したのも、もう随分前の事。

 

生み出してしまった悔恨から目を逸らさずに居る日々にも、やがて慣れてしまうのだから人間とは身勝手で、白々しい生き物だとつくづく思う。

けれども、恒久的に行われる罪の償い方の形を、少しだけ変えることが出来たのは。

紅い瞳を気難しそうに細めて、ひたすらに展開されるデータバンクの情報海洋へ意識を沈めている、あの一方通行による一言なのが、どこか皮肉に感じる。

 

「……少し、休憩入れたらどう? Without 倒れてしまっても知らないわよ」

 

「問題ねェ。まだ2時間も経ってねェ筈だろ」

 

「さぁ、分からないわ。well 折角、紅茶淹れたのだから貴方も飲みなさい。心意気は買うけれども、急いては事を仕損じるという慣用句を知らないの?」

 

「……情報詰め込ンどけば、その分、方法を模索出来ンだろ。つゥか、紅茶淹れンならコーヒーくれって三日前に言わなかったかァ?」

 

「忘れてたわ。because 私も芳川さんも紅茶派だから。immediately 手が空いてる娘に買って来させましょうか」

 

「……ンな必要ねェだろ。そこ置いとけ、後で飲む」

 

些細な事でも妹達に頼むのを拒んでいるのか、深い藍色の癖髪を弄る布束砥信が手ずから淹れた手間を惜しんでくれているのか。

問うまでもなく前者だろうと肩を竦めて、淡白に首を回しながらも流れる妹達の生成データの情報媒体から目を離さない少年の細い背中を眺めれば、漂う紅茶の白湯霞に白色がより濃さを増す。

 

あまりに繊細で脆そうな肢体ながらも、黒のカットブーツの底をフロアタイルの床に貼り付けて腕組みに立つ背中は、正直頼もしい。

構想で既に行き詰まってしまった砥信のプランへと射し込んだ光明は、弱音が紡いだ甘い幻想なんかじゃない。

学園都市第一位、この科学の街での最高峰の頭脳へ協力を結べたのは、非常に心強かった。

もっとも、そう伝えた所で皮肉か何かしか取られないだろうから、言葉にはしないが。

 

「……培養液、学習装置。そっち方面でのアプローチは、どれくらいやった」

 

「ある程度。成分表を1から見直してみたけれど、遺伝子レベルで誤魔化して来たのよ。indeed 細胞維持の仕組みからして遺伝子学を用いればとも思っても……」

 

「危険性が付き纏う、か」

 

「exactly……原石だったり、肉体変化系の能力者の実験から有用性を取り入れるかとも考えてみたけど、展望は見えない」

 

「……」

 

「生んだ癖に、治せない。惨めよ」

 

「凹むンなら他所でやれ。何の為に俺が居ると思ってンだ。無駄なら無駄で、そこに時間を割く徒労も無ェだけマシだ」

 

「……そうね。御免なさい」

 

男子三日会わざれば刮目して見よ、とは三國志演義が発端だったか。

一体どんな道筋を駆け抜ければ人は此処まで変われるのかと、実験当初からはまるで正反対に性質を纏う紅蓮の瞳の真っ直ぐさ。

 

『妹達を、普通の人間に戻す』

 

強い意志と、確かな覚悟を秘めた眼差しを以て、誓いを謳った学園都市第一位が布束砥信の居る研究施設に訪れて、5日間。

信頼を置くには、例え彼が打ち止めを救う為に奔走した経緯を知っていたとしても、かつての実験での心境もあって、中々難しいだろうと思ったけれど。

戻したい、ではなく、戻す。

希望ではなく、自分がやると言った以上、これは決定事項だとニヒルに笑う横顔を疑う気持ちは、春を迎えた銀世界みたくあっさりと溶かされていた。

 

だからこそ、持病みたく吐き出した弱音を不器用に払う白い掌が、自嘲を崩して、苦笑に変える。

冷たく足散らうのか、分かり難いフォローをするのか、どちらかハッキリして欲しい。

そう擽ったくなる気持ちを抱けるほど、今は余裕があるから。

 

「……オリジナルの遺伝子情報は、流石にもォねェか」

 

「えぇ、DNAマップも破棄されてる。or rather 破棄したのよ、芳川さんが。番外個体の二の舞にならぬよう、徹底的に」

 

「はン、どォせオマエも一枚噛ンでるンだろォが。だが、どォすっかな……」

 

「! ……何か考えが?」

 

「あァ。つっても、仮説にするには足りねェ情報もあるし、掻き集めたバンクのデータもまだ残ってる。プロット段階に過ぎねェ」

 

「……触りだけでも、教えてくれないかしら?」

 

「急いては事を仕損じるンじゃねェのか」

 

「早合点はしない。notwithstanding 今の私には、焦らされるのを楽しめる余裕も無いのよ」

 

 

暖かみのある白陶器のソーサーへと置けば、カチャリと鳴らすのはマナー違反だと云うのに、どことなく余韻を楽しむ口が、白々しい。

ただ、ふと抱いた願い。

妹達を、只の人間として当たり前の空の下に送り出してやりたいと、色々と試行錯誤した結果、難航ばかりを繰り返して来たのだ。

光明が射すのなら、咎を背負った身なれどその下へ駆け出したいと砥信が急かすのも無理はないだろう。

学年的には後輩に当たるから、少しだけ大人ぶって一方通行相手に言葉を取り回した挙げ句、綺麗に宙を巡って揚げ足を取られる不様など、拘る事でもない。

 

無力感に暮れてばかりの藍色鳩羽の瞳が、データベースの検覧を区切り、積もった疲労ごと深く吐息を無色に溶かして振り向いた、紅い瞳へとかち合う。

自分は、一体どんな表情をしていたのだろうか。

まるで一瞬、駄々を捏ねる打ち止めを宥める時に灯す穏和な煌きをそこに見付けて、羞恥のランプの火種が柔らかく燻った。

そんなに必死な顔をしていたのかと、鏡代わりにアッサムティーの揺れる水面へと視線を逃がしてみても、いつもと何ら変わらぬ可愛気のない平静な仮面が其処にあるだけ。

 

しかし一方通行からしたら、流星を仰ぐ少女みたいに淡い笑顔を一瞬とはいえ向けられたのだ。

そう、例え今も積見上げてしまった罪の山を必死に崩そうと藻掻いている砥信さえ、笑う事が出来るなら。

存在理由すら歪まされてしまった妹達だって、いつかは。

 

『……能力や順位などあくまで付属要素、大事なのはその人そのものではありませんの? 所詮、学園都市のみの符号ですし、少々味気ないというか、寂しい気も……』

 

味気ない型番を捨て、あくまでも一人の少女として。

たかだか学園都市のみの下らない符号を棄てさせる術を模索し、構築し、実行する。

その為に、一方通行は芳川桔梗に己が新たに抱いた薄情な願いを語ったのだ。

 

 

「妹達の細胞自体は人間だが、受精卵を薬物などの投与によってオリジナルに近い成体まで追い付かせた。それによるテロメアの負荷が妹達の短命の主原因だ」

 

「えぇ。however テロメアを伸ばすタンパク質をエンコードされたRNAを培養中の妹達の細胞に供給する方法は難しい。普通に開発された能力者ですら脳の微神経は一般人とは違うから一般的細胞と比較すれば細かな弊害がある」

 

「妹達ともなれば尚更、か」

 

「exactly だから私も断念せざるを得なかった」

 

「……ンなら、摘出、若しくは排除すりゃ、可能性の芽は出て来る」

 

「…………!? ま、待って。それは、つまり」

 

「──そォだ。欠陥電気、ンでミサカネットワーク。それそのものを無くし、RNAを供給する。リスクはあるが、条件さえ揃えば……」

 

「正気!? 能力者から能力を剥奪するなんて実験データもないのに……」

 

一方通行の発想は、ある意味盲点ではあったし理屈自体も分からなくはないが、まず前例がない。

当たり前だ、能力を強化し、発達させる事が研究員の主な目的であるこの科学の街に於いて、能力を剥奪する事が主目的に置かれる事など有り得ないだろう。

 

確かに、これは仮定だと前置きはされたが、それでも成否の判別は付かない以上、快復手術のプロット構築は難航しそうだ。

正直、絵空事を額縁に飾る様な途方の無さを砥信は感じていた。

しかし、目前の男には何か勝算が見えているのか、深く瞑目しながらも頻りに思巡して、小刻みに揺れる長い睫毛がどこか忙しない。

 

何故だろう、自分では霧掛かった推論でも、この男の頭脳ならば別の答えを導き出せるのではないか、とすら無責任な信頼を預けてしまえそうな感覚を、ふと抱くが。

 

そこで、もう1つ、問題が浮かぶ。

 

今現在、一方通行の演算補助を行っている存在。

ミサカネットワーク、それを摘出、排除してしまえば。

 

「待って、待ちなさい、一方通行。それじゃ貴方は……」

 

「………………だァから、まだ仮定だっつってンだろ。答えばっか女々しく欲しがりやがって、開けっ放しの口に突っ込まれたくなけりゃァ黙ってろよ」

 

「so 幾ら妹達の為とはいえ貴方自身を度外視するなんて抜かすのなら、突っ込みなさい。噛み千切ってあげる」

 

「……芳川みてェな事、言い出しやがって。あのニートの甘ったれが移ったンじゃねェの」

 

「残念ながら、私は甘くも優しくもない。that's why 妹達が望まない犠牲を押し通らせる訳にはいかないもの」

 

「望まない、ねェ──クカカ、御目出度いこと抜かしやがる。だが、忘れてンなよ。例えそれでただの人間に戻れたとしても、問題はあンだろ。此処はイカれた科学の街だ。能力者からただの人間に『戻った』貴重なサンプルとして回収される可能性が無いとは言えねェ」

 

「……」

 

琥珀色の革張りソファの背凭れに行儀悪く腰を下ろして、静かに、けれど力強く拳を握り締める対角線。

動揺のあまり、若干意地になりつつ声を尖らしてしまった事に今更ながら、らしくなかったかなと少し熱の下がった紅茶に手を付けた。

 

芳醇な口当たりに鎮まった思考で、ホワイトボードに記した一方通行の懸念を一通り眺めれば、彼の言葉を吟味するまでも無く言いたい事が伝わる。

前代未聞、というワードは科学者としての好奇心を掻き回すだろうし、それを能力開発の更なる土台の為にとサンプルとして欲する人間など、腐るほど居るのがこの斜陽の街、学園都市。

 

それに、それ以外にも不安要素は幾つもあるだろう事は考えなくとも分かる。

ただの人間に『成り下がった』元軍用クローンに、果たして統括理事会が価値を見出だすだろうか。

懸念は幾らでも不安を増幅する。

 

「……なら、この俺が、只のガラクタに成り下がる訳にはいかねェンだよ」

 

だから、その不安が目に見える障害である以上、妹達を守るのだと宣った学園都市最強は、舞台を降りる訳にはいかない。

それは確かに、暗い決意ではなく、ニヒルな笑みこそ貼り付けているけれど。

 

それは少々、デリカシーが足りない。

無意識なのか意識的なのかは分からないが、全てに重点を置きすぎている。

布束砥信が言えた義理でもないだろうが、そこは流石に見逃してあげる訳にはいかなかった。

妹達の為にも、そして、ほんの少しだけだけども、自分の精神衛生の為にも。

 

「……その言葉、信じましょう。however その考え方は戴けないわ。妹達が嫌がるでしょうね」

 

「……?」

 

「貴方は背負った、彼女達の命を。けれど、それを言い訳にするのは卑怯よ。そうでしょう?」

 

「ッ……言い訳、だとォ?」

 

「貴方自身が貴方自身の理由で生きたいと思わない限り、という意味よ。死にたがりに救われるのも御免だけれど、生きる理由として寄り掛かられるのも面倒でしょう……違うかしら──10067号?」

 

重点を置き過ぎれば、焦点もそこに絞られる。

もう少しだけで良いから息を抜くべきなのだ、そろそろ温くなってしまっているだろう対面の紅茶で醒ますのも良い。

だから、そんなに意を付かれた子供みたいに、第一位には削ぐわない可愛らしく惚けた顔を晒すのだと、ドアの前に立つ妹達の一人へと向けた視界の隅。

藍色鳩羽が柔らかく細まる。

 

「ええ、窮屈な事この上ないですね。まぁ、あくまでシスターズの総意ではなく、このミサカとしては、の話ですが、とミサカは貴女も人の事言えねーだろと布束研究員にジト目を送ります」

 

「私も同じ穴の狢である事は認めるわ。but この男ほどに身を削っている訳ではないもの」

 

「では偶には長点上機の寮に帰られては如何ですか、とミサカは日に一度の適当なシャワーで済ます辺り女を捨てている布束研究員に具申します」

 

「……え、匂うかしら」

 

「……なンで、俺に聞くンだよ。知るか」

 

「こういう事には同性よりも異性に対しての反応が気になるものですよ、とミサカは相変わらず女心もデリカシーもない一方通行に嘆息します。む、イタリアのファエンツァ在住の17203号も『学園都市第一位といえど、こっちでは落第確定』と呆れていますね」

 

「一々、イタリアの軟派野郎共と比べてンじゃねェよ。つゥか、オマエらは……反対なのか」

 

苛立ちを上手く溶かしているつもりなのだろうが、明らかに腑に落ちませんと形の良い眉を潜めている白貌の少年に、履き違えてると指摘するのは自分の役目ではないと押し留めて。

研究室のLED照明まで伸ばしていた湯気が途切れたダージリンをソーサーごと目の前へ押してやれば、尖る紅に睨まれて、思わず肩を竦めた。

 

「……確かに、可能であれば、と迷う事です。現にネットワーク上でも様々な意見が飛び交っていますし、普通の人間に戻る……いえ、普通の人間に『成りたい』と思う個体も少なくありません、とミサカは声が尻萎んでしまうのを我慢します」

 

「…………オマエ達は、クローンだろォが人間である事には変わりねェ。けど、周り全部がそォ見てくれるなンざ都合の良い御伽噺だ、そンなに現実は甘くねェ」

 

「……ミサカ達とて、貴方にあの実験の時、反旗を翻したあの時から一人の人間であると宣言しました。無論、その気持ちは今とて変わっていません……ですが、貴方の言う通り、偏見も窮屈も確かに存在します、とミサカは御姉様譲りの薄っぺらな胸を、強く、抑え、ながら……」

 

朧気な光ばかりしか灯せない、哀しい鳶色が戦慄くのを成長だと、それも個性だと喜ぶ不義理は浮かばない。

分かっていた事だ、当たり前の人間として生まれて来れなかった事に対する希薄性は、人間社会に溶け込むには大きな障害になる。

 

アルゼンチンのデセアドの研究機関に所属する15110号が、ある日に抱いた想い。

店先に並んだ折々の花を眺めていた時、花屋の店員である年若い青年の無骨な掌にそっと悪戯をされたこと。

 

『君の場合、見るより飾る方が良いんじゃないかな。ほら、こうやって』

 

薄紫のハラカンダ。

アルゼンチンに咲く桜の花弁で出来た花飾り。

素敵な事だろう、甘い恋の御伽噺には相応しいプロローグだけれど。

15110号、ひいては多くの妹達の命題とも言える事。

幾ら胸を張っても、その身に流れるオリジナルへの誇りがあっても、ルーツを辿れば胸に巣食う棘ばかり。

 

 

──上条当麻も、あの人も、一人ずつしかいません。

 

 

──ミサカ達も、いつか失恋するのでしょう。

 

 

──でも、それから先、恋をするのでしょうか。

 

 

──出来るのでしょうか。

 

 

『何も知らない』普通の青年へ抱いた淡い感情から始まる筈だった『普通ならば』在り来たりなプロローグは、それから先を綴らない。

 

 

「……」

 

 

この研究施設に通う検体番号10067号に、ふと打ち明けられた、遠い異国で静かに凍り付いた恋情の経緯と、彼女達が背負わされた重い枷を改めて突き付けられて、布束砥信はその夜、胃の中を全てひっくり返す事になった。

それこそが、砥信にとって新たな目標を掲げる切っ掛けとなったのは確かだけれど。

 

「御姉様のクローン体としての矜持だって、ちゃんと持ち合わせています。こんな形でさえ、生まれた事には感謝出来ています。けどやっぱり、普通の女の子に『成りたい』という願いは抱いてしまうのです、とミサカは強がり続ける事の出来ない不甲斐なさを実感します」

 

「不甲斐なくなンてねェよ、クソッタレ。クソみてェな理由で生み出されたて生かされて殺されて来たオマエらが、理不尽に背負わされた枷の分、幸せに生きてェって思う事の何が悪いンだ。ッ、まァ、その多くをぶち殺した屑に言われたくねェだろォが」

 

「……確かに、貴方に対して憎しみを抱く個体も居ます。けれど、その分、貴方を殺す為に銃を向け、策を練り、罠を作った事実は消せません。それはミサカ達が『人間』として生きる以上、逸らしてはならない事でしょう、とミサカは普通に憧れる癖に矛盾しがちな心の難しさに溜め息をつきます」

 

「indeed 矛盾を孕んで生き続ける事こそ、人間らしさ。誰が言ったのでしかしらね、無責任な言葉」

 

「手垢のついたモノこそ真理なのでしょう、とミサカは少し博識ぶってみます」

 

「茶々入れンな、アホ……なら、反対する理由はねェ筈だろ──ってェ、何すンだコラ」

 

「あるに決まってるでしょう、この真っ白しろすけ、とミサカは最近ちょっと肉が付いて来ても相変わらず細い腕にしっぺを食らわしてやります。全く、学園都市第一位が聞いて呆れます」

 

やれやれだ、とちっとも乙女心を判っていやしない最高峰の頭脳の低迷っぷりを嘆く所作は、最早クローン体だと言われて納得出来る人間がどれほどいるだろうか。

 

正解が分からない難問にぶち当たって不貞腐れがちに眉を潜めて仏頂面を貼り付ける横顔は、まだ歳月を繰越さない筈の少女よりも余程子供に見える。

 

 

「当たり前の人間として生きる。それは多く妹達にとっての願いでもあります。その為に貴方が奔走し、協力してくれるのも構いません。その全てを背負い込まれては、『生き』苦しいですから、せめてそっと見守る程度に留めて下さい、とミサカはちょっと告白っぽい感じになったけど勘違いすんじゃねーぞと御姉様を真似ます」

 

「……」

 

「貴方とて、シスターズだけに構けず、一人の人間として生きていく必要がある筈です。ミサカ達に普通の女の子として生きて行って欲しいと願うなら、それが可能であるのだと、まずは教師みたく手本を見せて下さい、とミサカは出来の悪い生徒を演じます」

 

「……手本、か。はン、生意気な口ばかり利けるよォになりやがって」

 

「生意気なのは御姉様譲りとお考え下さい、とミサカは生意気美少女中学生という需要の高そうな個性獲得に密かにガッツポーズします」

 

「オリジナル譲りなら二番煎じだろォが、間抜け」

 

「ファッキューです白モヤシめ、とミサカは新たにスラング系女子の称号獲得を視野に入れつつ中指をおっ立てます」

 

「今度は第四位の真似事か。二番煎じには変わりねェな」

 

「むむ……Well 二番煎じばかりを演じるのも個性という見方もあるのでは、とミサカは少ない引き出しから懸命にネタを探り……」

 

「寿命中断(クリティカル)」

 

「あたっ」

 

オリジナルに叩き込んだローリングソバットよりも加減はしているが、それなりに良い角度で入ってしまったらしく、常磐台のブレザー越しに脇を擦る10067号を見下ろす瞳は、アイデンティティの浸水を許さぬ割に、柔らかい。

言いたい事を言えた割に、気恥ずかしさでも感じたのだろう、分かり易くおどけるなんて真似さえ出来る程に、妹達は確かに育って来ている。

 

背負い過ぎず、寄り添って欲しい。

それはきっと、妹達が一方通行だけに向けた言葉ではない事ぐらい理解出来るから。

絶対能力進化実験に反旗を翻した責として暗部に沈める事になってしまったこの身を、あくまで序でとはいえ救われた最強も、そして自分も、変わっていかなければならないのだろう。

 

不貞腐れていた真紅が呆れ混じりに優しく緩んだのを見詰めていれば、ほつれていく桜唇が艶やかに空白を埋めた。

 

「当面は、データ収集と理論の詰め。平行してミサカネットワークを切り離した際に於ける一方通行と妹達、双方の対処も考えなくてはならない。難問は山積みね。

Although 研究者として腕が鳴るわ」

 

「切り離した後の一方通行の脳に対する問題の打開として、冥土返しに再び協力を仰いではどうかと10032号より提案されました、とミサカは紅茶を啜る一方通行に報告します」

 

「……あァ、そのつもりだ。序でにクソニートもオマエに協力させる。つっても、勝手に首突っ込ンで来るンだろォが」

 

「芳川先生は甘いらしいから、仕方ないでしょう」

 

「はン、オマエが言えた義理かよ」

 

「貴方もですがね、とミサカは同意しつつ似た者同士な二人を指摘します」

 

SYSTEMへの到達どころか、離脱させる為の計画。

この科学の街に於いてそれは酷く愚かで無意味で背徳的な行為なのかも知れない。

けれど、仮説にも至らないそのぼやけた輪郭を実現する、その挑戦もまた科学者としての好奇心を擽られてしまう自分に呆れて、どこか心地良い。

 

難題ばかりの砂上の楼閣、夏の雨、モノクロの虹。

 

自分だけでは到底掴めない『天上』のそれらを叶えるには、より多くの協力と試行錯誤が必要になって来るだろう。

しかし、少なくとも現状で一人、隣立つ男の存在を心強いと思えるだけでも、普及点としておこうか。

 

 

「──アイツにも、動いて貰うか」

 

「アイツ、ですか? と、ミサカは思わずオウム返ししてみるんだよ!」

 

「………………まァ、オマエら妹達の力になりてェって酔狂な奴が居るンだよ。正確には、オリジナルの力に、なンだろォが」

 

「はぁ……そうですか、とミサカさんは腑に落ちないながらも、何かちょっと嫌な予感というか粘っこい気配に内心で冷や汗を流しますの事よ」

 

「芸が細かい上、少し無理矢理ね。though 発想自体は悪くない。後はもっとネタを吟味していきなさい」

 

「はい、新生個体としての個性確立を目指します、とミサカは鼻息荒く意気込みます。therefore この口調も是非とも拝借したく……」

 

「寿命中断!」

 

「ぐわはっ」

 

「漫才やってンじゃねェよ」

 

随分息の合ったやり取りだと誉めてやりたい所だが、余り水を差されるのも勘弁願いたいといった心情なのか、呆れ過分な吐息が疲労感を連れ添っている。

思巡するべきは、やはりこれからの事。

冥土返しや芳川の協力は兎も角、一方通行にとっての一番の難題は、オリジナルの遺伝子情報の入手。

 

絶対能力進化実験、並びに量産型能力者計画の発端となった御坂美琴のDNAマップも、必要になって来るのは間違いない。

加えて、出来れば『現在』の身体状態のデータも理論詰めのサンプルとして手に入れたい。

だが、その為には──

 

 

「……どォすっかな」

 

 

何やら個性獲得についての議論へと飛躍し出した二人のやり取りを横目で流し見つつ、鬱屈な気分を伴って重くなる頭を俯かせる。

一番手っ取り早いのは、誰かしらが事情を説明し、直接頼む方法。

しかし、そこに一方通行が関わっている事を省くのはまず間違いなく愚行だろう。

 

御坂美琴の性格上、そして体験上、必ずその理論構築に関わって来るだろうし、この計画の全貌と主導者、発案者に直接会話を求める筈だ。

ならば隠すのは寧ろデメリットであり、かといってあの悲劇を巻き起こした殺人鬼にすんなり協力出来る訳がない。

最悪、再び彼女と対峙する事になるだろう。

 

 

「……」

 

 

頭の痛い問題を先延ばしにしつつ、取り敢えずは手を伸ばし易い範囲から取り掛かろう。

彼の脳裏に浮かぶ『酔狂なアテ』とやらに連絡を取るべく白暖色のモッズコートのポケットから取り出した携帯電話をパカリと開けば、いつの間にか届いていた新着のメール。

 

差出人は、あのお節介な少女だった。

けれども、その内容を此処で見るのは何故だか憚られて、文面を素早く綴じる。

どうして此処で開かないのかと自分自身にも分からない思考に答えを出す手間を惜しんだ白く長い指が、誤魔化す様にアドレスを検索して行き着いた先。

 

 

『海原光貴』

 

 

馴れ親しんだ暗闇から、紅い紅い瞳は逸れず。

 

 

ただ静かに、細まるだけ。

 

 

 

 

 

 

『Procyon』___『犬に先立つもの 』





Procyon:プロキオン

こいぬ座α星 (α CMi)

スペクトル型:F5Ⅳ-Ⅴ

距離:11光年

輝き:0.37等星 全天第八位

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。