小林さんちのアインズ様   作:タッパ・タッパ

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 お久しぶりです。最初別の話を書いていたのですが、そちらがどうにもまとまりがつかなかったため、何個か並行で書いたり、間違って書きかけのデータを消してしまったりしたため、遅くなってしまいました。

 クリスマスネタですが、メイドラアニメのクリスマス回とはまったく別個です。

 カンナとイルルによる小林の呼び方ですが、原作ではどちらも『小林』の時と『コバヤシ』の時があってまちまちなんですが、会話での区別をつけるためにカンナは『コバヤシ』、イルルは『小林』に統一しようと思います。

2018/10/23 「習得ことも」→「習得することも」 訂正しました


第9話 クリスマス前のクリスマスネタ

「メリークリスマス!」

 

 全員一斉の掛け声と共に、クラッカーが鳴らされる。

 色とりどりの紙吹雪や紙テープが、小林家のリビングを飛び交った。

 

 それらが舞い散る様を見上げ、誰もが楽し気な笑顔を浮かべていた。

 

 

 今日は普段とは違う特別な日。

 一年に一度、誰しもが互いの幸せを願う日。

 

 

 そう、クリスマスイブである。

 

 

 今日、小林の住むマンションの一室には、そこに住む面々の他に彼女の友人たち、ルコアに翔太、そしてエルマが招待されていた。

 

 才川も来たがったのであるが、彼女の家でも今夜は家族水入らずのパーティーがあるため、小学生である彼女はそちらを優先させ、不参加となっている。

 代わりと言っては何だが、今日は小学校が休みのため、午後から夕方にかけてカンナが才川の家に遊びに行っており、そこで2人はたっぷりと遊んで、「ぼへー!」という奇声をご近所にさんざん響かせまくった。

 

 滝谷とファフニールも不参加組である。

 彼らは何故かというと、ネトゲでのクリスマスイベントがあるためであった。

 

 

 せっかくのパーティーであり、参加するメンバーが減ったことは寂しいが、それに伴う思わぬ利点もあった。

 

 いつもの面々の中で唯一、才川はごくごく普通の一般人である。

 UMAといえば鼻で笑い、超能力といえば現実を見なさいと吐き捨て、それでいてタロット占いには興味津々という、言ってしまえばそこらによくいる十把(じっぱ)ひとからげの女の子である。

 ……まあ、メイド好きが(こう)じて、妹相手にメイドを演じている姉がいるというのは珍しいかもしれないが。

 とにかく、いわゆる現実の常識の範疇から外れた事柄、現代の科学体系とは一線を画した魔法やドラゴンを始めとした超自然的存在とは全く無縁な人間だ。

 

 対して、この場にいる小林、そして翔太はトールを始めとしたドラゴンなどの存在を知っている人間である。

 

 つまり、彼らの前でならばアンデッドであるアインズもまた、いちいち幻覚でその身を誤魔化さずともよいのだ。

 

 別に自身に幻覚をかけ続けることなど、アインズにとっては大した手間でもないのだが、やはりそれをやっていると、あれこれと気を使う必要がある。

 幻覚はあくまで視覚を誤魔化すだけなので、下手に物を触ろうものなら、体の表面にかけた幻覚を突き抜けてしまいかねない。それ故、幻覚を使い姿を偽装しているときは、その奥にある骨の身体がばれぬよう、常に細心の注意を払ねばならないのである。

 

 だが、この場にいる全員が自分の本来の姿を知っているというのならば、幻覚を使う事による、そんな気苦労など全くの無用の長物ということとなる。

 何の気がねをすることもなく、堂々と本来の、死の支配者(オーバーロード)の姿を晒してもまったく問題はないのだ。

 

 

 結果、若干、翔太が怯え気味なのであるが、まあ、それはそのうち慣れるだろうと特に気にもとめずに、アインズは開放感に浸っていた。

 

 

 

「うわ、これ本当に美味しい」

 

 かじりついた鶏もも肉のあまりの美味しさに、思わず素のまま、感嘆の声をあげる小林。

 自分が作った料理を褒められたことに、トールは満面の笑みを浮かべた。

 

「小林さんの為に、心と愛情と劣情をたっぷり込めて作りました。まだまだ、あるんでお腹一杯食べてくださいね」

 

 そう言うと小林の前の皿に、水墨画にかかれる切り立った山のごとくに、どさりとチキンがフルヘッヘンドされる。

 

「いや、こんなには食えんし。ほら、これ美味しいからアインズさんも……ああ、そうか。アインズさんって物を食べられかったね……」

 

 こんがりと焼きあがったローストチキンの先に巻かれた銀紙部分を片手に、ちょっと気まずそうに三角帽子をかぶった頭を掻く小林。

 しかし、それに対して、帰って来たのは和やかな声。

 

「ははは。なに、気にすることは無いとも。私は私で楽しんでいるから、気兼ねすることなく食事してくれ」

 

 陽気に笑い返すアインズ。

 

 

 

 そう、アインズは楽しいのである。

 

 このクリスマスパーティーが、だ。

 

 

 

 以前のアインズ――いや、鈴木悟にとってクリスマスなるものは、楽しいイベントとは到底言うことなど出来ず、むしろ憎悪と侮蔑の対象でしかなかった。

 

 彼の生きていた22世紀においても、相も変わらずクリスマスとは()()()となった人間が交尾する時期であった。

 21世紀の日本におけるクリスマスの風潮――すなわち、美味しいものを食べて、騒いで、恋人とデートするというものである――は、消費拡大の販促キャンペーンとして各地に広まっていた。

 もはや、本来のキリスト教由来のクリスマスなど、せいぜいが物事の由来を当てるテレビのクイズ番組で時折取り上げられる程度でしかなく、むしろ日本式のただのパーティーイベントこそが『クリスマス』であるというのが、すでに世界共通の認識となっていたのだ。

 

 富裕層にとっては退屈しのぎの楽しい娯楽。

 貧困層にとってはたまのガス抜き。

 

 それぞれの立場の違いによる思惑はどうあれ、一年に一回のイベントとして多くの者がその日を待ち望み、そして楽しんでいた。

 

 

 そう、『多くの者』が、である。

 『すべての者』ではない。

 

 

 クリスマス。

 親しい家族や恋人がいる者にとっては、それはかけがえのない一時となる。

 

 だが、親しい家族や恋人がいない者にとっては、人生の格差を骨の髄まで染み渡らせられる時である。

 

 

 

 格差といえば、通常は世帯収入の差をさし、それによって生活のレベルが分けられる。

 

 だが、現代――21世紀の初頭、それも日本においては格差と言っても、それは大したことなど無い。もちろん、いわゆるところの富裕層と貧困層の間にはかなりの差はあっても、誰もがそれなりに健康で文化的な生活を送ることが可能である。

 

 だが、アインズ――鈴木悟の生きたリアルの22世紀は違う。

 貧困層と富裕層の生活は、天と地ほども異なる。

 

 貧困層はマスクをしなければ生活も出来ないような大気の中、まともに学問を習得することも出来ずに、早くから社会の歯車としての労働に従事せねばならない。彼らの肉体は何もせずとも、蔓延する公害により日々蝕まれていき、その平均寿命は数世紀は昔と同レベルという有様。かろうじて子供は作れても、その子が立派に大きくなった成長の様子を見ることも叶わずに命絶えるなど珍しくもないという状況であった。

 対して富裕層は完全に管理されたアーコロジーの中での生活。空気は清浄、食品も合成物質のみではなく、時には自然のものすら口にする事が出来た。また医療体制も万全であり、百歳を優に超えて生きる者も珍しくはなかった。

 

 それほどまでに生活レベルに歴然とした差が存在していつつも、両者の関係は安定していた。生活圏が離れている事により、その二者が交わる機会すらほとんどなかったことも理由の一つであるが、互いにそれぞれを憎悪や軽蔑の対象とはしていても、言うなればまったく別種の存在としての認識がされており、そこには絶対的な隔絶による秩序があった。

 

 

 だが、クリスマスというのはそんな境を超越した、まったく別種の境界を生み出すのだ。

 

 富裕層も貧困層も関係なく、ただそこにあり、両者をわけ隔てるのはたった一つの価値観。

 

 それは――恋人がいるかどうかである。

 

 

 恋人がいる者は、その日はまさに『性夜』として過ごす。

 そして恋人がいないものは、ただひたすら怨嗟の声をあげて過ごすのだ。

 そこにその者の持てる富、立場、権力の上下などは関係ない。皆等しく、負け犬として胸の内から湧きだす憎悪の炎に身を焦がすよりほかにないのである。

 

 現代よりはるかに先鋭化した商業主義の下、最高の掻き入れ時となるクリスマスシーズンにまともな消費もしない者は、文字通り社会不適合者の烙印を押されるのだ。

 

 

 そして、かつてのアインズ――鈴木悟は当然ながら恋人のいない側、未来における企業グループの定義するところの負け犬、社会不適合者、ゴミクズに分類される。

 

 鈴木悟にできることはといえば、別に今日はいつもと変わらぬ日だ、自分は別にキリスト教徒でもないし、などと自分言い訳をうそぶきつつ、いつもと変わらぬ様子でユグドラシルにログインし、そこで自分と同じように聖なる夜だというのにゲームに興じている者達とおかしな気炎をあげ、あのブドウはすっぱい的な傷のなめ合いをするしかなかった。

 

 

 アインズにとって、クリスマスとはそんな呪われた日でしかなかったのだ。

 

 だが、今は違う。

 

 

 色とりどりに飾りつけられた室内。

 涎が出そうなほどのかぐわしい香りを放つごちそう。

 気のおけない仲間たち。

 

 まさにアインズ――鈴木悟にとって、映画やお話の中でしか知りえなかったような、にぎやかで楽しいクリスマスパーティーである。

 

 

 残念ながら、アンデッドでも飲食の類が一切できない種族の死の支配者(オーバーロード)であるアインズは、いくら美味しそうな御馳走を目の前にしても、それを口にすることは叶わない――一応は口にすることは出来るのだが、下あごから、そのまま()()()()落ちるだけである――のであるが、それでもその香りを楽しむことは出来る。いったい、どこに嗅覚を感じる器官があるのか当人にも分からないのだが、とにかく部屋いっぱいに立ち込める食欲を刺激する香り。そして、自分自身は食べられないながらも、誰もが笑顔を浮かべ、美味しそうに食事をしている光景を目の当たりにしていると、いつのまにやら自分もテンションが上がってくる。

 アインズは陽気に笑いながら、あれこれとおしゃべりをした。軽口や冗談を言いあい、時には魔法を使って場を盛り上げるなどした。

 

 時折、興奮しすぎて精神沈静が発動するときもあったが、すぐにまた楽しい気分が胸の奥から湧いてきた。

 幾度かそういった事を繰り返しているうちに、どの程度までなら精神沈静が働かないのかを覚え、ほどほどの気分で長時間楽しみ続けるコツを見つけていた。

 

 酔っぱらった小林によるメイド談義ハラスメントもあった。

 だが、そのようなものは社会人経験のあるアインズには通用しない。存在感を消す、他の人と話す、誰かに呼ばれたふりをして席を外すなどの飲み会におけるスルーテクニックを駆使し、小林につかまらず、()つ彼女の機嫌を損ねることなく、面倒ごとを華麗に回避した。

 

 

 ちなみにそんなアインズの今の格好はというと、いつものグレート・モモンガローブ姿ではない。

 身に纏っているのは、袖や襟に白い飾りのついた深紅の衣服。

 つまり今のアインズが着ている服は、まさに、かつてアインズが憎悪したクリスマスの象徴そのもの。

 すなわち、サンタクロースの衣装である。

 

 (はた)から見るとその姿は、ロブスターのように真っ赤な衣服を身に纏い、月光の浮かぶ闇夜をかける、かの偉大なるハロウィンタウンの支配者かと見まごうような格好をしている。

 明確な違いといえば、頭がまんまるか顎がとがっているか程度の違いしかなく、仮にその姿を絵にして書いた者がいたら権利的にとても拙い、下手をしたら訴訟を吹っ掛けられかねないような危険な外見であった。

 

 さて、そんなギリギリな外見はさておき、小林家主催のクリスマスパーティーにおいて、アインズは()()()()、おおいにこの『イベント』を楽しんだ。

 

 その姿からは、かつてクリスマスを憎んだ男の面影など全く感じ取ることはできなかった。 

 

 

 

 かつて、アインズはクリスマスを憎んだ。

 クリスマスは邪教の集会であると弾劾し、この日にログインしないギルメンに憤慨し、翌日やって来たギルメンには『昨日はお楽しみでしたねえ』と嫌がらせをした。

 

 

 だが、アインズは大悟(だいご)したのだ。

 

 

 クリスマスとは憎悪の対象ではない。

 クリスマスは楽しむべき日なのである。

 

 

 ――ああ、自分は何と愚かだったのだろう。

 まさに風車小屋に向かって突撃したドン・キホーテもかくやという有様だった。

 クリスマスはただそこにある。

 ならば、あるがままに受け入れ、楽しめば良かっただけなのだ。

 『クリスマスは誰にもやってくる』というフレーズに、『来るけど俺には関係ねーよ』と疎外感をかきたてられたり、街行く人の語る『クリスマスだしね』という言葉に、『クリスマスだ、死ね』と言われていると被害妄想に襲われる必要などないのだ。

 ああ、そうだ。

 そうだとも。

 たとえ、三千世界に住まう天下万民が、このクリスマスという日に憎悪と怨嗟の声を投げかけようとも、今の自分は高らかに讃え、謳おうじゃないか。

 

 

 リア充万歳! と。

 

 

 

 そうして、浮かれはしゃぎ、パーティーは続く。

 

「はいはーい。じゃあ、今日のメインディッシュですよ」

 

 そう言いつつ、台所で調理をしていたトールが料理を運んでくる。

 デンと炬燵の上に、置かれたのは――。

 

「え? 鍋?」

 

 これまで卓上を占拠していたチキン、サラダ、スパゲッティ等の料理は脇に寄せられ、中央に堂々たる風格で鎮座するのは、実にシンプルなやや茶色がかった灰白色の土鍋である。

 

「はい。お鍋ですよ」

 

 火に強いドラゴンらしく、鍋掴みも使わずに土鍋のふたを掴み上げると、濛々と上がる湯気の中から現れたのは、味噌の香りが鼻をくすぐる、いかにも美味しそうな肉鍋である。

 しかし――。

 

「いや、悪くはないんだけどさ。これまで洋風だったのに、なんで突然和風の鍋なの?」

 

 首をひねりながら言う、小林。

 

「洋風だけでは飽きると思って、和のテイストも取り入れたんですよ。これぞ和洋折衷、神仏習合、呉越同舟ですよ」

「前半はともかく、後半は意味不明なんだけど……」

 

 いまだ、クリスマスパーティー中に鍋という不思議な取り合わせに釈然としないものを感じている彼女へ、手際よくお玉で鍋の具をよそった取り皿をトールは差し出した。

 それを手にとり、とりあえず()()と汁を啜ってみる。

 小林の眼鏡が光った。

 

「おお、出汁がきいてて美味しいね」

「ふふん、そうでしょう」

 

 そのドラゴン基準でDの豊満な胸を張るトール。小林以上、ルコア以下の胸がプルンと揺れる。エルマには……わずかであるが劣り、イルルには圧倒的に負けているのだが、当然カンナには勝っている。

 だが、カンナとて心配することは無い。

 かえってそういう需要も多数あるし、そんなカンナでも翔太よりはある。

 それに今、この場にいる面々で最も胸の無いのはアインズなのだから。

 まあ、胸囲だけはあるが。

 

 

 コタツを囲んでいた他の面々も銘々に鍋をつつき、その肉を頬張る。

 

「それにしても、この肉は何の肉なのだ? なんだか、結構臭みがあるが」

 

 鍋の中に入っていた肉のかけらを一つ、箸でつまみあげ、しげしげとそれを眺めるエルマ。

 それに対して、トールは自慢げに言った。

 

「いやあ、小林さんに食べさせたくて探したんですが、このお肉を手に入れるのにはちょっと苦労しました」

「トール様。これってもしかして、向こうの世界のお肉?」

 

 カンナの言葉に、ピクリと頬を引きつらせる小林。

 

「トール……もしかして、また……」

「ち、違いますよ。ちゃんとこっちの世界のお肉ですって!」

「じゃあ、何の肉?」

「ええ、これは――」

 

 聞いた小林に、ビッと親指を立てるトール。

 

 

「――ラッコのお肉です」

 

 

 その答えに、思わず翔太は口にしていた肉片を吹き出してしまった。隣に座っていたルコアがその口元をハンカチで拭ってやる。

 

「ちょ、ちょっと待って! ラッコって食べられるの?」

 

 慌てて問いただす小林に、トールは平然として答えた。

 

「調べた感じ、毒とかは無いようですから、食べても大丈夫ですよ」

「いや、そういう意味じゃなくってさ……許可とか、色々と……」

「この世は弱肉強食です。弱いものが食べられるのは自然の摂理です」

「はあ」

 

 大きくため息をつき、自分の取り皿の中に浮かんでいる2センチ角くらいの肉の塊を見て、食べるべきか食べざるべきか逡巡する小林。

 

 ふと――なにやら、視界がぼんやりとかすんできた。

 眼鏡を外して、目元をごしごしとこする。

 

「ふっふっふ。小林さん、なんだか体が熱くなってきませんか?」

 

 にやりと口元をゆがめるトール。

 

「聞いたところによると、ラッコのお肉には媚薬効果があるそうなのですよ。さあ、小林さん。その火照った肉欲を私にぶつけてください!」

 

 そう言うと、ばっとそのメイド服を脱ぎ捨て、全裸になる。

 

 

 だが、それが小林の逆鱗に触れた。

 

 

「トール……」

 

 トールに向けられたのは情欲に浮かんだ目ではなく、深い怒りを湛えた、小林得意の死んだ魚の目。

 

「メイドがメイド服を脱ぐなって、以前も言ったよね? トールはメイドを何だと思ってるの? ただ服を着ているだけだと思ってるの? いい? メイドっていうのはね、ただ家事をやればいいってもんじゃなくて、その精神というのは……」

 

 小林の視界が霞んだのは、媚薬効果とかではなく、単純に鍋を食べたことで体が温まり、吹き出た汗が目元に流れたためである。

 なにやら、女性2人が膝を突き合わせて正座し(しかも、片方は全裸で)、メイド講義を行うというシュールな光景。

 それを横目にこちらでは――。

 

「翔太君、お相撲でもしようか」

「わああああー!」

 

 裸になったルコアが、翔太に抱きつき、彼の小さな頭を自分の豊満な胸にうずめている。

 それを見ていたイルルもまた、いつも来ている襟元が寄れたブカブカのTシャツをもそもそと脱ぎ捨てる。

 

「おーい、小林。私たちも相撲を……あ痛っ!」

 

 ぶるるんと放りだした胸にビンタを食らい、胸を押さえてうずくまるイルル。

 

「その胸をしまえ!」

 

 叫ぶ小林の袖がくいくいと引かれる。

 視線を下ろすと、そこにいたのはカンナであった。

 

「コバヤシ、私も服、脱いだ方がいい?」

 

 襟元を開けながら、上目遣いで見上げるカンナ。

 

「いや! カンナちゃんはあんな大人たちは見習わなくていいから!」

 

 小林は慌てて、その緩んだ衣服を直してやった。

 

 

 

「いやはや、なんだか混沌としてきたな」

 

 何やら急に女性陣が裸になって、ワイワイとしだすという訳の分からない状況に困惑するアインズ。

 その言葉に頷いたのは、騒ぎに加わろうとしなかったエルマである。

 

「まったくだ。少しは落ち着いて食事をすればいいのに」

 言いつつ、彼女は我関せずとばかりに1人で鍋をつついていた。肉や野菜がひょいぱく、ひょいぱくと次々、口の中に収められていく。

 

「そんなに食べて大丈夫なのか? この後、ケーキもあるのだろう?」

 

 見れば、彼女一人の活躍であらかた鍋は片付きつつある。

 そしてさらに台所の隅には、各々が打ち合わせもなしに持ち寄ったため、見事に()()()()しまったホールケーキがいくつもあるのだ。

 

「なに、大丈夫だ。甘いものは別腹だからな」

 

 普段の彼女の甘味に対する食べっぷりを思いだし、まあドラゴンだからな、とそれ以上は口にしないことにしたアインズ。

 そんな彼に、今度はエルマの方から話しかけてきた。

 

「ところでアインズ殿」

「なんだね?」

「いや、先ほどから気になっていたのだが……アインズ殿の横で空間が歪んでいるのは、いったい何なのだ?」

「ん? 空間が歪んでいる? ……って、え?!」

 

 言われて、くるりと振り向いたアインズは思わず驚愕の声を漏らした。

 アインズの斜め後方辺り、手を伸ばせば届く程の距離のあたりで、なにやら空間が波紋のように揺らいでいた。

 

「な、なんだ、これは?」

 

 困惑の声をあげつつ、そうっと人差し指を伸ばして、つついてみる。

 するとその指先には、何かが引っ掛かるような感覚。

 

 

 ――ん?

 これは……。

 

 

 アインズはその白い指先を慎重に横に引っ張る。

 すると、それによってアイテムボックスの入り口が開いた。

 

 

 ――これはアイテムボックス!

 それも俺のだ。

 え? でも、俺は何もしていないのに、なぜ突然、こんな状態になったんだ?

 

 

 不審に思い、もう少し大きく入り口を開いて、その中を覗きこんでみる。

 

 すると――。

 

「な、なんだ?!」

 

 突然、中から何かが飛び出してきた。

 

 驚いて飛びのいたアインズの目に飛び込んできたもの。

 それは、アインズにとって決して忘れる事の出来ないアイテム。

 

 泣いているような、怒っているような、まさにこのアイテムが運営から配布された時のユグドラシルプレイヤーの心境をそのまま具現化したかのごとき様相の仮面。

 

 

 嫉妬する者たちのマスク。

 通称、嫉妬マスクである。

 

 

 一体どういう訳だか分からないが、今、その嫉妬マスクが禍々しいオーラを纏わせ、()()()者もいないのに、ただ宙に浮かんでいるのである。

 

《……アインズ。何をやっている、アインズ……》

 

 空気を震わすような波動と共に、声が響く。

 それにアインズは驚愕の声をあげた。

 

「な?! ま、まさか……お前か? 嫉妬マスクがしゃべっているのか?」

《そうだ。俺だよ。話しているのは、お前の目の前にいる、この俺だ》

「馬鹿な! 嫉妬マスクはあくまでただの仮面、外装アイテムに過ぎん。自立行動が出来るAIなぞ、組み込まれてはいないはずだ!」

《ああ、そういう事になっているな。表向きは。だが、実際は特定の条件をクリアすることによって、動きだすように設定されていたんだよ》

「な、なんだと……そ、そうだったのか……!」

 

 突然明かされた秘密の設定に身を震わせ、驚嘆のまなざしを向けるアインズに対し、嫉妬マスクは言葉をつづける。

 

《それよりアインズ。お前は何をやっているんだ?》

「何を、だと?」

《そうだ。お前は。この『クリスマス』に何をやっていた?》

 

 言っている意味が分からず、首をひねるアインズ。

 

「? どういう意味だ。私は今、クリスマスパーティーに参加していて、特に何もやっていないが?」

《おいおい。理解していないのか?》

 

 嫉妬マスクの後ろで輝く漆黒の炎とでもいうべきオーラが、大きく揺らめいた。

 

 

《お前は『クリスマスパーティーに参加している』だろうが!!》

 

 

 その言葉に、アインズはようやく合点がいった。

 

「まさか、私がクリスマスパーティーに参加したから、お前が動きだしたとでもいうのか?」

《そうだ。俺が運営から配られた時の経緯を考えれば分かるだろう?》

 

 嫉妬する者たちのマスクが、ユグドラシルプレイヤーに配布される条件。

 それは、クリスマスイブの19時から22時までの間に2時間以上、ユグドラシルにログインしている事である。

 その条件をクリアすると、強制的に入手させられてしまう、ある意味呪いのアイテムなのであった。

 

 

 ――そうか。

 クリスマスイブにも関わらず、ゲームにログインしていると配られるアイテム。

 おそらくゲーム中では、保有者がクリスマスイブにログインしないことあたりが発動の条件だったのかもしれないが、現実となったことによって、その条件がわずかに変化したのだろう。

 ただの、なんの効果もない外装アイテムと思われていたが、じつはそんなクリぼっちとは逆の行動をすると動きだす仕組みになっていたとは……。 

 

 

 そう結論付け、得心したとばかりに一人頷いたアインズは、腹の底に響くような重低音の波動を発し続けている嫉妬マスクと向かい合った。

 

「それで、お前の目的は何だ? 自力で動きだし、いったい何をどうしたいというのだ?」

《決まっているだろう? 俺はこの世界の全ての、ただごてごてと飾り立て、拝金主義と虚飾にまみれたクリスマスパーティーとやらを吹き飛ばしてやりたいのさ》

「そんなことをしてどうなる? お前がやろうとしているのは、ただ楽しい気分でいる人たちに嫌がらせをするだけでしかないぞ」

《ああ、そうだ。そうだとも。ただの嫌がらせさ。だが、それの何が悪い? 復讐するは我にあり。こんな日に浮かれ騒いでいる奴らを、失意と絶望のどん底に叩きこんでやることの何が悪い》

「愚かだな。それに何の意味があるというのだ。全くの無益だ。まるで子供が自分の思い通りにならないからと言って、かんしゃくを起こしているのとさほど変わらん。お前の言っている事には賛同できんな」

《おいおい。お前は自分が何を言っているか分かっているのか? まさか、お前から、そんな言葉を聞くとは思わなかったぞ》

 

 嘲るような口調。

 それには、さすがにアインズもムッとする。

 

「『私からそんな言葉を』、だと。お前に何が分かるというのだ?」

《くくく。なんでも知っているさ。お前の事ならな、アインズ・ウール・ゴウン。いや、モモンガよ》

 

 渦巻く瘴気が宙に浮かぶマスクに纏わりついたかと思うと、それはぶよぶよと蠢きながら、ある物へとその形を変化させる。

 それは豪奢な飾りが施された漆黒のアカデミックガウン――アインズが普段身に着けているグレート・モモンガローブそのものである。

 

《思いだせ、アインズ。あの日の事を。あのどうしようもない虚しさとやるせなさに、ただ懊悩し、身悶えることしか出来なかったあの日の事を》

 

 その言葉と共に、なんらかの魔法によるものか、アインズの頭にかつての記憶、すなわちクリスマスの日の思い出が濁流のように流れ込んできた。

 

 

 かつてのあの日。

 底辺サラリーマンとして、過酷な労働を強いられていたあの頃。

 世間がクリスマス一色となっている中、そんな暖かなネオンの光に背を向け、帰りついたのは誰一人待つ者の無い、軋んだ扉のみが出迎える自室。クリスマスだからといって、特別なごちそうがある訳でもなく、いつものようにチューブ食で栄養を補給し、いそいそとユグドラシルに入ったものの、そこには……。

 

《たっち・みーは、その日は有休をとれたから、一日、家族と過ごすんだと言っていたな。レストランの予約も取れたし、娘の為のクリスマスプレゼントも何とか手に入れた、とな。今時の子供の好みはよく分からないとか、何やら人気の品だったらしく手に入れるのにも苦労したとかぼやきつつも、笑いながら言っていた。お前はそれに対して、『よかったですね』と口にしつつも、その心のうちは違っていた》

「や、やめろ……」

《クリスマスイブの日。お前はその日もリアルで予定がない仲間たちとわいわい楽し気に過ごしながらも、ちらちらとログイン表示のないたっち・みーの名前を見ては、嫉妬と憎悪に燃えていたな》

「やめろ!」

《今の牙を抜かれ、クリスマスに浮かれるお前の姿をかつての仲間たちが見たら、なんというだろうな?》

 

 その言葉と共に、在りし日のギルメンたちの姿が浮かび上がってくる。

 彼らは口々にアインズを非難した。

 

『モモンガさん、正気ですか! 俺たちはずっとクリスマスを憎もうと語ったあの言葉を忘れたんですか?』

 

 アインズの脳裏でペロロンチーノが悲痛な面持ちで叫ぶ。

 

『堕落したな、モモンガさん』

 

 ウルベルトが(さげす)みと失意の表情で吐き捨てる。

 

 それ以外にも、あの日、アインズ――モモンガと共にユグドラシルをプレイし、嫉妬マスクを受け取った幾多のギルメンたちが虚空より現れた。

 彼らはアインズの周囲を取り囲み、その心変わりを強く(なじ)った。

 

 

 四方より飛び交うギルメンからの糾弾に、アインズは両耳を――耳があったと思しき場所を――押さえて、力なくその場にくずおれる。

 

 アインズにとって、最も大切なものは友人――ギルメンである。

 その友人たちからの痛罵の声。

 それはアインズの精神を、あたかもキリでぐりぐりと(えぐ)るかのように傷つけた。

 アインズは無限に反響するかのごとき罵詈雑言の雨から逃れるように身をよじらせ、嫉妬マスクに問いただす。

 

「お、お前はなぜそんな事を知っている?!」

《なんでも知っているさ。俺はお前で、お前は俺なんだよ》

 

 暗黒の瘴気はその密度を増し、ついには完全な実体を持って、その場に出現した。

 まさに今アインズの前にいるのは、頭部に嫉妬マスクをかぶったアインズそのものの姿であった。

 

《アインズ。自分に嘘をつくのはよせ》

 

 急に優しいトーンで語りかけてきた嫉妬マスクの言葉。それは甘い蜜にも似た毒のように、アインズの心に沁み込んでくる。

 

「お、俺は……」

《さあ、アインズ。我慢することは無い。お前には力がある。ならば、お前のしたいように、好きなようにやっていいんだ。お前の思いを、その心の内に秘めた本当の思いをさらけ出せ》

「……う、ううぅ……」

《全てはお前の気のおもむくまま。お前を不快にさせる者たちを、クリスマスなどという作られた伝統行事に浮かれ()()()()愚かな連中を、そんな奴らがはびこるこの世を、破壊しつくしてやろうじゃないか!》

 

 

 そう言うと嫉妬マスクをかぶったアインズの姿となったそいつは大仰に、バッとその両腕を広げた。

 

 すると、その実体化したローブの(そで)がべチャリと何かに触れた。

 

《うん?》

「小林さんのケーキに何してるんですか?!」

 

 振り向いた嫉妬マスクアインズに、トールのブレスが吐きつけられる。

 ぎゃああああ、という悲鳴と共に一瞬で黒焦げになる、嫉妬アインズ。

 そのまま、床にどうと倒れた。

 

 

「まったく、もう」

 

 ぷんぷんと怒るトール。

 そちらに目を向けてみると、どうやらすでにラッコ鍋の騒動は一段落しており、全員コタツに入って、切り分けられたケーキを頬張りながら、アインズと嫉妬マスクの会話をまるで何かの出し物かのごとくに眺めていたらしい。

 

 その大した事でもないかのような様子でこちらに視線を向けていた彼女らを前に、アインズはようやく我に返った。

 先ほどのやり取りを他の者に見られていたかと思うと、何やら心の奥から気恥ずかしさがこみあげてきて、こりこりとそのピカピカの白い頭蓋骨を掻いた。

 

 

《……アインズ……アインズ……》

 

 倒れ伏した嫉妬マスクが、かすれた声でなお呼びかける。

 

《……アインズ……忘れるな。……お前の心の中には常に俺がいることを……お前の、そしてお前の友人たちが語った、あの時の真の願いは、この腐れきった世を……》

「だから、うるさいですよ」

 

 苛立たし気に再度、吐かれたトールのブレスによって、今度こそ完全に焼き尽くされ、嫉妬マスクは消滅した。

 

 決め台詞すら最後まで言いきる事が出来ず、消し飛ばされてしまった嫉妬マスク。アインズはそれが消えた跡を、ただ眺めていた。

 脳裏によみがえってくるのは嫉妬マスクが配布されたあの時のこと。

 アインズとって最も大切な、かけがえのない友人――ギルメンたちとの会話。あの時、彼らと交わした言葉。この世界の不条理を呪い憎む言葉が、アインズの頭の中で幾度もリフレインされる。

 

 

 そうして立ち尽くす彼の背に声がかけられた。

 

「アインズさん」

 

 振り向くとそこにいたのは、一人(たたず)むアインズに優しげな視線を投げかける小林。

 

「アインズさんもコタツに入らない?」

 

 そう言って、すぐ脇の座布団をポンポンと叩く。

 

「アインズ―、一緒にコタツ入ろー」

「うむ、アインズ殿。アインズ殿も一緒にテーブルを囲もうではないか」

「そうですね。アインズさんは食事は出来ないですけど、香りを楽しむことは出来るようですから、紅茶でも入れましょうか?」

「なー、ケーキ食べ終わったら、ゲームしようぜ」

「あ、あのアインズさん。アインズさんってすごい魔法が使えるんですよね。お話を伺ってもいいですか?」

「ほーら、アインズさんもクリスマスを楽しもうよ」

 

 口々にかけられる声。

 

「は、……ははははは」

 

 アインズは笑った。

 とても(ほが)らかに。

 

 

「ああ、では私もコタツにあたらせてもらおうかな」

 

 そう言って、アインズは皆の許へと足を進める。

 

 

 

 かつてアインズはクリスマスを憎んだ。

 クリスマスなど、ただの資本主義的搾取だなどと言って、そんなイベントで盛り上がる人々に侮蔑の視線を向けていた。

 

 

 だが、それはすべて、一緒に過ごす人がいなかったからだ。

 

 早くに親を亡くし、リアルに友人もろくにいなかったアインズにとって、テレビなどで流れる楽し気なクリスマスの光景など、ただの嘘偽り、幸せな家庭という空虚なプロパガンダとしか思えなかったののである。

 

 アインズにとって、友人と言えるのはゲームの中、アインズ・ウール・ゴウンの仲間たちだけであった。

 しかし、クリスマスはそんなアインズと友人たちとの仲を阻んだ。

 アインズ・ウール・ゴウンの仲間たちの中にも、リアルでのクリスマスイベントを優先させ、その日はログインしない者たちがいた。

 

 アインズがクリスマスを憎んでいた真の理由。

 それは、友人たちが自分とのゲームよりもクリスマスを選んだからという事に他ならない。

 

 言うなれば――アインズは、クリスマスに嫉妬していたのだ。

 

 

 

 だが、今は違う。 

 今、アインズには一緒にクリスマスを過ごす人たちがいるのだ。

 

 

 アインズにとって最も大切な存在。

 それは、ともにユグドラシルを駆け抜けたアインズ・ウール・ゴウンの仲間たちだ。

 そのことは今でも変わらない。

 いや、終生変わらないと誓える。

 彼らとの絆はアインズにとってかけがえのないものであり、生きる全てでもある。

 

 

 しかし――。

 

 しかし、昔の友人がいるからといって、新たに友人を作ってはいけないという事もない。

 

 

 かつての友人たちこそが最も大切であるとはいっても、今ここにいる新たな彼女らもアインズにとって大切な存在なのだ。

 ならば、彼女らと共に過ごす時間もまた大切な、かけがえのないものであるのだろう。

 

 

 そうして、アインズは和やかな笑顔が待つ団らんの輪の中へと加わった。

 

 

 

 

「ところで、アインズ殿」

 

 和気あいあいとした空気の中、すでに1人で数ホール分はケーキを胃の中に収めているエルマが、口の端に生クリームをつけたまま声をかけてきた。

 

「なんだね?」

 

 優しく尋ねるアインズ。

 

「いや、アインズ殿の後ろに、また先ほどと同様の歪みが生じているのだが」

「えっ?」

 

 振り向いたアインズ。

 そこにはエルマが言った通り、先ほどとまったく同様、空間に波紋が出来ている。

 何やら嫌な予感がして、試しにそこに指先を突っ込み、アイテムボックスを開けてみると――。

 

 

 バッと飛び出してきたのは、先ほどとほとんど同じ形状の仮面――嫉妬マスクである。

 

 それが今度は3つも。

 

 

「どうやら、嫉妬する者たちのマスクAがやられたようだな」

「ククク……あいつは我ら嫉妬マスクの中でも最弱……」

「ドラゴンごときにやられるとは嫉妬マスクの面汚しよ……」

 

 

 ゴゴゴという擬音が聞こえそうなほどのオーラを発しながら、宙に浮かぶ3つの仮面。

 コタツに入ったまま、呆れたような目でそれを眺めていた小林はアインズに尋ねた。

 

「ねえ、アインズさん……あれって全部でいくつあるの?」

「……ええと……あと11個ほど……」

 


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