オリジナル作品です。
━4━
驚き振り向くと、そこには彼女よりも二十センチほど背の高い、藍鼠色の髪をした青年が立っていた。黒い外套の裾を床につけ、水浅葱の瞳を真っ直ぐと彼女に注ぎ、そこに悲しみを据えている。そして、唐突に目を細め、不穏な笑みを一瞬浮かべた。
「...やはり」
「...な、あ、あなた...」
非現実を目前に脳の理解が追いつかない。どんな言葉を発せばいいのか、どんな顔をすればいいのか分からなかった。
体から力が抜け、膝が折れる。そんな彼女を見て、青年が可笑しそうに口元を緩めた。
「卯の主上は、下僕に似て臆病でいらっしゃる」
クスクスと笑う青年に、彼女は反応を返すことが出来ない。
「さあ、お立ちください。そんな穢れた場所に腰を下ろしていては、さぞお辛いでしょう」
青年が、青白く、細い腕を差し出した。
まじまじとそれを見つめ、青年と交互に視線を移す。そんな彼女に、青年は目を細め、口角を上げる。どこか不自然な笑みに、違和感を覚えた。それは恐怖からではなく、本能的なもので。
「...ありがとう」
手を取らずに腰を浮かせる彼女に、青年は見るからに怪訝にし、ゆっくりとその右手を下ろした。
「...まあ、いいですけど」
立ち上がった彼女を一瞥した青年は、机に置き去りにされた臙脂色の本を手に取る。
「卯の主上は読書家のようですね。こんなに難しい本を読んでいるなんて...」
分厚くかなり重いそれを、青白く細い腕で軽々と片手で持ち、そのまま本を読む。その姿は優美で、絵になる。
「...哲学書なんて。下らない」
本を閉じ、視線を彼女に戻す。
「しかし、私の主と違って読書家というのは、卯の子が羨ましい。卯の子は本当に恵まれている」
彼女は瞳に警戒心を顕に青年を見つめていた。薄く微笑む彼に心を開く気配がない。
「そんなに警戒しなくとも良いと思うのですけどね。そんな所も下僕にそっくりとは...」
青年は淡々と喋っていたが、それも止まり、空間が止まったような静寂が訪れた。
しかし、彼女の思考は決して止まらない。
あの綺麗な青年は一体誰なのか、何者なのか。そしてここから脱出するにはどうすれば良いのか。そして彼は一体、何を喋っているのだろう...。
処理しなければいけないことは山程あったが、まずはここから出ることだ。そうすれば大丈夫。なんの根拠もなしに、彼女はそう考えた。
ゆっくりと後ずさり、後ろ手にドアノブの感触を探し、それを握る。
━━よし。逃げろ━━
ドアノブを勢いよく捻る。が。
「無駄ですよ」
ガチャリ、と、大きな音を立てただけで、ドアはびくともしなかった。そして、青年のクスクスという笑い声がまた聞こえてくる。彼女は眉間に眉をよせ、彼を睨めつけた。
「...何をしたの」
「何を、した?あなたをここに閉じ込めたのですよ。お分かりになりませんか?」
青年の端正な顔が楽しそうに緩む。こんな状況で無ければ彼女もそれが綺麗だと素直に思えたが、今はただ醜くて仕方がなく思える。
「まあ、しいて言うならあなたに逃げられては困るので閉じ込めたのです」
「逃げられないため?」
「はい。逃げられるとこちらとしても少々手間が掛かりますから。出来るだけ神気はつかいたくありませんし」
「シンキ?さっきから...」
さっきから何を言っているんだ、こいつは。
彼女の頭は既にキャパオーバーに近づいていた。なんとかここから出る打開策が必要だが、ぱんぱんになった頭では何も考えられない。まずは状況把握をしなければならなかった。
「...いくつか質問をしていい?」
出来るだけ平静を装い、青年の目を真っ直ぐ見て話しかける。それに青年は、やはり楽しそうな顔で笑う。
「あなたが望むなら、好きなだけ」
取り敢えず了承を得たことに安堵し、再び口を開いた。
「...じゃあまず、貴方は誰。その髪色も目の色も、どう見ても日本人じゃないわ。それとも染めてる?」
青年は笑顔で答える。
「私は子の氏。この髪は元々の毛色です。私の毛並みがこの色でしたから」
「毛並み?」
やはり、違和感をおぼえる。
普通、一般人は毛並みや毛色とは言わない。『地毛がこの色だ』というはずだ。余程の世間知らずなのか、それとも元来がこういう言葉遣いなのか。
「ええ。そして、私は日本人、だと思います」
「だと思うって、なによそれ」
「私は日本人だと言えば嘘になります。では違うのかと問われればそれも嘘になります」
「...つまり?」
「つまり、私は日本人ではなく、そして日本人でもあるのです。実際に、私の出生は日本のはずですから。それに、貴方が日本人であるなら言葉も通じますしね」
「...そう」
青年が何を言っているのかはいまいちよく理解できないが、取り敢えず質問を続ける。
「じゃあ、さっきから言ってるアルジとかウノコとか、一体それは何?貴方の言うネノシって言うのも分からないし。名前がネノシなの?」
「えーっと、『子の氏』というのは役職の名前、と言うべきでしょうか。私の名前は主に付けて頂いた、『青禄(せいろく)』という字(あざな)です」
青禄は、そう言って空中に青、禄、と文字を書いてみせた。
「字?」
「はい」
字は親や王様などの、自分の主人に付けてもらうもののはずで、もう一つ、名があるはずだ。
「字じゃなくて、名前は?あるでしょ?」
彼女の質問に青禄の表情が徐々に曇っていき、無表情になってしまった。
「え...」
「...私には、子の氏になる前に沢山の名前があります」
「は」
「しかし、そのどれも私の名前じゃないのです。確かに呼ばれている私は子の氏ですが、青禄ではないのです」
ご閲覧ありがとうございます、アオコです。
ついに青年の正体が露わになってきましたね!書いてるこちらは、次はどんな流れにしようか、どんなことを喋らせようか試行錯誤しながら楽しんでます。それで皆様にも楽しんで頂けたら幸いです。
日々精進!
誤字脱字は遠慮無しに報告ください!