オリジナル作品です。
竜の氏は一つ、大きな溜息を吐いた。
「...卯の子」
その凛とした声に二人は振り返り、ぽかんとする。竜の氏はまた、大きな溜息を吐いた。
「...そろそろいいだろうか。和解もできたようで何よりだが、本当にここは危険みたいだ」
白兎は何かを悟ったかのように、急に顔つきが険しくなる。
「...シンハイか?」
「ああ。どうやら仲間は本当に来ているらしい。それも...恐らく長使だ」
空気が張り詰める。白兎の目付きが、怒りに染まる。白兎の背中しか見えない奏でさえも、その殺気を感じることが出来た。
「...シンハイが?真か?」
竜の氏は表情をひとつ変えず、目を閉じた。常磐の瞼が動き開く。
「...答えは変わらないようだ。それに、一族は嘘を言えない呪詛に縛られているからな」
「そうだったな...」
謎の単語を交じわす二人に呆気に取られながらも、奏は何かまずいことが起きている事を静かに察していた。
「...白兎」
「あ、申し訳ありません。少し待っていてください」
柔らかく笑う少女に、笑顔を返せない。白兎はそれを見て取ったのか否か、竜の氏に真剣な眼差しを向ける。
「...竜の氏、行くぞ」
「...」
竜の氏はあの四角の硯を取り出した。
「...ここじゃ、狭いぞ」
「そうか...」
白兎は視界にぼんやりと映る窓に目をやり、口の橋を上げた。その表情は、悪戯を思いついた小さな子供のようだ。
「...主」
「ん?」
少女は笑ってみせる。
「外に行きましょう!」
「え、なんで...って、うわっ?!」
驚くのも束の間。奏の体はふわりと浮いていた。竜の氏が抱き抱えていたのだ。急な場の回り方に混乱し、手足をじたばたと動かし藻掻く。しかし、男の腕は、見た目と相応しない力でそれを受け止める。
「な、なに、おろしてっ!」
「え、ですが...」
驚嘆する奏と比べ、あくまで落ち着いた声でやんわりと抵抗を見せる。白兎はその様子を困った様に見ていたが、困り顔のままであるものの、竜の氏にしっかりと頷いた。
「...主、暴れないでください」
「なら、放しなさいよ!」
反抗的な態度を気にもとめず、男はゆらりと歩き始める。
「少しの辛抱ですから」
窓の前まで来て立ち止まり、男は窓枠をじらりと見つめた。
「なにが...」
窓枠に足をかけると、そのまま前へ、窓をくぐり抜けるように身を屈め、そして一歩踏み出した。
ひゅっと喉がなり、思わず息を飲んだ。
「っ...!」
危険を感じ、痛みに備えて咄嗟に目を瞑る。体が強張り自身が小さくなったような気がした。
しかし、衝撃はいつまでも来ない。衝撃どころか、感じるのは全身を撫でる風と、それに靡かれ、頬を擽る頭髪の感触。
不思議に思い目を開けると、そこには、海があった。
ネオンの海。チラチラと輝き続けるビルが、家々が、奏の遥か足元で横たわっている。小さなジオラマが、蠢いている。その遥か上には燦然と輝く半月が構えていた。
思わず竜の氏の顔を見上げると、男はある一点を見つめ奏のことなど忘れているようだった。
飛行の終に着いた先は神社、それも相当古い社の玄関口。すっかり苔蒸した狛犬に挟まれ、後ろを階段が埋めていた。その先は暗く、肉眼では何処まで続いているかはわからない。
「主」
竜の氏が静かに声を掛ける。と、奏を丁寧に下ろし、膝を折り頭を垂れる。それも一瞬、立ち上がり上を見上げた。
「...」
その一連の動作に呆気に取られながらも、男の向いている方向に、奏も顔を上げる。これはどうやら、ただの会釈のつもりなのだろう。
「...うわっ」
満天の、煌めく一面の星。その中に胸を貼る上弦の月が存在も大きく鎮座していた。都会では見れないこの空の裏の顔を、瞳一杯にしみこませて、光を反射する。
「すっご...こんなところあったんだ...」
「え」
奏の感嘆の声に、竜の氏は小さく声を上げた。
「これが常では無いのですか?私は生まれてこの方、この様な夜空以外など目に留めたことはないのですが」
それぞれに驚いた二人の目が合う。
「それは...そうなの?」
「あー...いえ、これよりも眩しい、と言ったところでしょうか」
「へぇー...」
視線を外し、再び上を見る。竜の氏もそれにつられて同じところを見る。
竜の氏も、見た目に反し、なかなかロマンチックなところがある、など呑気なことを奏は考える。
奏は自身の蒼白い腕をめいっぱい、月へと伸ばした。月は、数万、数億キロ、それ以上も離れた場所にある。それがこの手に届き掴み取れそうな程明るい。
「...綺麗」
ぼんやりと眺めていると、明るい月にシルエットが浮かんだ。それは最初は小さく、しかし段々と近付いてくる。そう、こちらに向かって急降下してきているのだ。
「え」
あまりの出来事にそれを凝視するだけに終わり、身動きが取れない。その横ではただ竜の氏が月を━━シルエットを見つめる。
「...来た」
竜の氏の声は驚きも焦りもなく、冷静の一言に限った。
シルエットが、ついに落ちた。
その落下地点から大きな突風が押し寄せてくる。
「っ!」
本能的に目を閉じ、手を前に顔を庇う。
「...な、に...」
目を開けると、そこにはシルエット━━白兎が中を浮いて、こちらを心配そうに伺っていた。
「...主?」
「はっ...!」
白兎、と言いかけて歩み寄ろうとした足を止める。
「主...?」
そこに立っていたのは、白兎だ。しかし、白兎ではない。
あの流れるような絹糸の白髪は、漆黒にも捉えられる深紅に染まり、瞳はレーザーでも発しているのか、暗闇の中でも赤く光っていた。
「...白兎じゃない...?」
その言葉にはっとしたのか、白兎の浮かぶ瞳の赤が丸くなる。さっと後ろを向き、その姿がゆっくり地面に足をつけた。
紺のスカートがふわりと回転する。その動きに合わせて白兎がこちらを向いた。
「...私です。白兎ですよ、主」
家から無事脱出出来たようでなによりですね。私は課題の嵐から脱出出来てませんけど。
次話も見てくれよな!!
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