戦闘支   作:アオコ

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━黒に赤い模様の入った毛皮を靡かせ、赤く光る目は敵意どころか殺意を感じさせる━

オリジナル作品です。


<第二幕> 第六節

白兎の顔が影る。いや、そのとき窓からさす月明かりが遮断された。

みると、窓に獣の顔が覗いていた。黒に赤い模様の入った毛皮を靡かせ、赤く光る目は敵意どころか殺意を感じさせる。

「いやっ?!」

悲鳴を小さくあげ、尻餅をつきそうになった奏を肩を、竜の氏が支える。

「...主、静かに」

小声で話す竜の氏に、声が恐怖で出ないため首を振って返事をする。

「...緋目」

白兎が一つ言葉を落とした。

「...?」

ヒモク。意味が分からずに竜の氏を見ると、男は唇に人差し指を当て、『喋らないで』の仕草をする。白兎は二人をちらりと見て、またぼそぼそと呟き始める。

「...リンレイ、緋目を2里先まで誘導せ」

また分からない言葉が次々と出てくる。奏の頭は痛くなるばかりだ。

「...行け」

白兎の低い声が静かに響いた。それを合図に高く澄んだ、鳥の叫びが遠くで聞こえてきた。りー、と耳に心地よい鈴のような声だ。すると、獣はその音につられるように北を向く。もう一度声がすると、顔の方向に去っていくのがわかった。

窓の端に獣の蠍のような尾が見切れ、ザワザワとした空気が穏やかになる。

「...もう、大丈夫です」

ぺたりと座り込む奏に、白兎が手を差し出し、笑いかける。月光が、少女を祝福するように全身を包んでいた。

「あ、あれは、何?」

声の震えが止まらなく内心情けなく思いながらも、白兎の手を掴み、すくと立ち上がる。その様子に白兎は安心したのか、笑顔すら消え疲れた顔になった。

「あれは緋目といって、攻獣の跡類です。あの大きさなら恐らく、長使だと思われます」

「ん、と...」

ヒモク、コウジュウ、セキルイ、チョウシ。

奏の頭痛は痛みを通り越して耳鳴りとなった。分からないことが多すぎる。今までのことといい、奏は何も分からなかった。ただ、あんなモノが自分を追ってきているのだと考えると、不安が大きくなり、肩が重く感じる。

「あ、すいません!主には少し難しいですよね...。えっと...何からお知りになりたいですか?」

奏は頭痛で悩まされる一方、例も違わずいつも通りの白兎に思わず笑みが零れる。それも失笑となってしまうのは、この煩わしい頭痛のせいだろう。

「...不甲斐ない主で、ごめんなさい」

情けない。その心持から弱々しい言葉が自然に出てくる。

「あ、主、そんな、御自身を責めないでください!」

慰めが余計と重しになる。しかし、湿った空気はすぐに吹き飛ばされた。

「卯の子、発つならば早い方がいい。もし緋目が仲間を呼んでいたら厄介だぞ」

竜の氏の乾ききった声は奏の不安を焦燥でかき消した。今はそれにありがたく思える。

「そうだな。主、行きましょう。帰りましょう」

「...」

うん、と言いかけ、つと考えた。

━━本当に私が主で良いのだろうか?

その瞬間にぞろりと背中を這うものがあった。形容のし難い、漠然とした大きなもの。

憂虞。

今ですら彼らを危険な目に合わせた。確かに少女は『奏を狙っている』と言っていなかったか。ならば、彼らは私といない方がいい。それに、彼らには帰るべき場所がある。奏がついて行ってしまうことは、それを奪い、消滅させることではないだろうか。この夢のような現実から離れるべきではないのだろうか...。

━━これは、きっと、悪い夢だ。

藍濁に引きずり込まれていく思考は悪い方向へとひた走る。耳鳴りが小さくなる。それに伴い意識が、視界が、狭くなっていく。

「...私は...」

消えるべきだ。ぽつと零れた。

すると、奏の蒼白い顔に、指先の冷えきった手が触れた。

「っ!つめたっ、白兎?」

視線を向かわせた先には、白兎の無表情。硝子玉のような目がしっかりと奏の不安を見抜いていた。瞬間に頭が真っ白になる。不安や戸惑い、拒絶、恐怖。いくつもの思考が一つに束ねられた。白兎が、そうさせた。

「...」

「主、何を、迷っているのです」

いつもの笑顔はそこに無く、ただ、静かに、淡白な言葉を紡ぐ。少女も疑心暗鬼になっているように。

「もしや、何かこちらの世界に凝りがありますか?」

「そうじゃ、ないけど...」

「けど?」

少女はただ純粋に奏を見つめる。それだけのこと。なのに、殺気でも放たれているかのような気持ちになり、その言葉に、冷たい手に、白兎に気圧される。いや、白兎ではない。気圧されているのは、自分自身の、罪悪感だ。

「...私は、きっと迷惑をかける。私がさっきみたいな猛獣に追われているのが事実なら、確実でしょ?それに竜の氏にだって怖い思いをさせてしまったんでしょ?だから...」

藍濁が、捕まえる。

「だから、私は、一緒に行く資格なんてな...」

「主!」

奏の言葉を遮り、少女の覇気のこもった声が響いた。瞬間に視界が明るくなる。鮮やかに塗り替えられ、思わず目を見開いた。

「何を迷っておられる?何に恐怖を感じておられる?主は、私たちが頼りないとでも言うか。それとも信頼できないというか」

呆気に取られる奏をよそに、少女は強い口調で続ける。

「資格なんてものは最初から無い!そんなものが支国にあれば、もしそれが弱みの一つでも許さぬとすれば、誰一人として入ることは許されぬ。...主、白兎の目を、よく見てくれ」

硝子玉が、キラリと円を描いて光った。

「!」

「...主が不安なことが、どうして私には、涙を晒すほど不安ではないか。何も深く考えず、私たちを信頼してはくれぬか。力になれずとも信頼してはくれないか」

奏から、一粒の滴が落ちる。

「...迷惑など、お互い様、世話になることなんて当たり前だ。それでも尚、主が怖くたまらない時は私たちを盾にしても良い。元来その為に生まれてきた。それでも不安が消えないならば、主には敢えて資格があると言えることがある」

「...何?」

「...主が、私たちの主であらせられることに、何の不足が御座いましょうか」

少女が笑いかける。奏は離れていく手が勿体なく、切なく感じた。

「...また一時問う」

少女の頬に、硝子玉が流れる。

「主、帰りましょう。一緒に、私たちと行きましょう」

ざわりと肌が粟立つ。頭から爪まで満たされる幸福。何度も感じてきたであろう、この気持ち。

無償の愛は、まさにこれだ。

何も持たない一人が他に必要にされる。それがどんなに嬉しいことか、なぜ忘れていたのだろうか。こんなにも幸せなことを。

フローリングに一つ、水滴が弾けた。

「...帰ろう、白兎。一緒に帰ろう」

「主...」

もう迷いなど、必要は無い。開けた心に、じわりと温かさが広がった。

 




久しぶりの投稿となりました。まだ読んでいただけている方がいれば、幸いです。
ちょっと続けて投稿していくと思います。

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