戦闘支   作:アオコ

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━━主、独りは、もう嫌です...━━

オリジナルです。


<第一幕> 第十節

少女の手が鳩尾からへそ下にかけて滑る。内蔵をそっと押し戻し、あるべき位置へ直す。次に、青禄の爪痕が残っている首に手を当てる。

「主...主...まだ逝ってはいけません。主...」

そう呟き手を離す。そうすると、手をかざした場所の怪我が治っていた。抉られた腹の傷さえも。

「主、独りは、もう嫌です...」

桜色の眼から雫が、頬を伝い、奏の服に染みを作る。次に、次にと染みは増える。

「...これで主が亡くなってしまったら、お前のせいだからな、子の氏」

先程までとはほど遠い、怒りの混ざった声音で青禄に言い放つ。その先からは穏やかな、しかし殺気の隠せない返答が飛ばされる。

「そうしたら今度はどんなことをされるのでしょうね」

「次は尻尾だけでなくその煩い言葉を紡ぐ唇を削いでやろう。それかその綺麗な顔の皮をすべて毟り取ってしまおうか?」

「怖いですねぇ」

クツクツと喉を鳴らし笑った声の主は、すでにそこには居らず、今度こそ声すらしなくなった。

「...地獄に堕ちろ、クソ鼠」

吐き捨てた少女の横で、奏の指がピクリと動いた。少女の瞳が輝き、見開かれる。

「主っ!」

顔を覗き込む様に背を丸め、奏の頬に手を置く。

すると、奏の瞼が開き、黒々とした瞳が力なく少女を捉えた。

「...な、にが」

朧気な視界が明確になっていき、少女の輪郭をはっきりと映す。

「...え、あ、あなただ」

「主っ!」

「誰」と言おうとした奏の言葉を遮り、少女がその身体に抱きつく。突然の出来事に対応しきれず、横たわったままの奏は何も出来なかった。

「あ、主ぃ...」

啜り泣く少女にされるがままになっていた奏だが、目線を下に移すと見える大量の血痕に、あの痛みが蘇ってきた。

「ひっ...い、やっ!!」

上にのしかかるさほど大きくない身体を退けようと全身に力を入れる。

「はなしてっ!」

「あ、だめですっ!」

少女は簡単に離れたが、起き上がろうとした身体に鋭い痛みが走る。

「っ!?」

「主っ!」

痛みの原因の腹を抑える。が、しかしそこには原因のはずの大きな傷口がなく、ただ痛みだけがぐるぐると循環しているだけだった。

「な、なんで...」

「まだ動いてはなりません」

細く白い手が奏の身体を支えようと手を伸ばすが、虚しくもそれは奏自身の手によって払われる。

「さ、さわるなっ!」

「っ...」

奏の目には明らかな拒絶と憎悪が浮かんでいた。それも仕方が無いだろう。先の獣といい、知識が無いだけで恐怖を覚えるのは言わば生理現象だ。むしろ受け入れろという方が酷なのかもしれない。

「怖がらないでください。私は主のことをさっきの輩のように傷付けたりなど致しません。ですから、一度、落ち着いてください」

「あ、あなた誰なのよ、主とか、訳の分からない...いきなり、落ち着いてとか、言われたって、それに、私の怪我...」

奏は酷く意識が混濁しているようで上手く会話すらできない状態のように見えた。これには困った、と少女も眉を下げる。

「...主...いえ、奏様。いきなりのことに混乱されているのはわかります。ですが今一度、私めのお話を聞いていただけませんか?」

丁寧な口調に危機感が薄れたのか、奏の瞳は今度こそ少女をはっきりと捉え、まだおどおどとしているが落ち着きはしたようだった。しかし、まだそわそわと何かを見ている。その目線を追うと、少女が振り回していた鉄黒い鎌が立て掛けてあった。

「ああ、あれが怖いのですね。少々お待ちを」

立ち上がり、鎌を持ち上げた少女は呪文のようなものを唱え始め、暫くすると、鎌は小さな光となり弾け飛んで消えてしまった。奏はその様子をぽかんと口を開けて見ていた。

「これでよろしいですか?」

にこりと笑う少女の顔を、奏はまじまじと信じられないというように見つめていたが、最終的には溜息混じりに、ええ、と答えた。

「えっと...まず、あの鼠、あー...青禄、でしたっけ。奴は居なくなったので安心してください。それから、腹部の怪我と首についていた爪痕は見た目は綺麗になりましたが、治ってはいません。なのであまり触ったり、それこそ、先程みたいに思い切り動かれるとかなり痛いですよ。気を付けてくださいね」

驚きと呆れのあまり声が出ないため、首を縦に振ることしかできない。そんな奏の背に、少女の手がまわる。一瞬びくりと強ばった表情を作ったが、背に腹は変えられない。素直にそこへ体重を預ける。そうすると、少女は彼女とは正反対に満面の笑顔を作る。

「...ごめんなさい」

「いいんですよ、これが私の役目でもあるので」

「...」

不思議、と言いたそうな顔の奏を少女は気にせず続ける。

「あと、私は...卯の子と呼ばれています」

「ウノコ?」

「はい。あの獣は子の氏。それぞれ役職の名前のようなものです」

「はあ」

青禄も同じようなことをいっていたなあ、とぼんやり思い出し、そういえば青禄にはちゃんと名前があった、それもいくつもあったということが浮かんでくる。そんなことを考えているうちに視界の端に少女の虚ろな表情が目につく。

「...どうしたの?」

「え」

どうやら自分では気づいていなかったらしく驚いた様に奏を見る。

「...どうか、しましたか?」

どうかしてたのはお前だ、という言葉を飲み込み、奏はふと疑問に思ったことを質問する。

「あなた、名前は?せ、じゃない、子の氏?にはちゃんと『青禄』って名前があったじゃない。あなたにはないの?」

「私の、名...?」

少女は考える素振りを見せたかと思うと、また虚ろな目をしてしまう。これでは雨後の筍だと質問を変える。

「あいつが言ってたんだけど、名前の代わりに字を貰うんでしょ?あなたも、あなたの...えっと、シュジョウ?に貰えばいいんじゃない?」

「...」

すると少女の虚ろな目に再び光が戻り奏を見る。

「...では、付けてください」

「は?」

何を、と言いかけてはっとする。そういえばこいつは私のことを『主』と呼んでいなかったか、記憶を辿れば蘇る忘れていたこと。

「付けて、頂けるのですよね」

「え、あ、あのね...」

取り敢えず少女に主なんて知らないと伝えようとしたが、それを封じ、少女が先に口火を切る。

「あ、でもまだ天生していませんよね。すいません、少し待っていてください」

「テンセイ?」

また知らない単語が出てきたと思ったら、少女の胸から錆色、よりも少し明るい色の10センチ程の球体が物理的に出てきた。体の内側からというより、身体を空間として透き通って出てきたような感じがした。

「え...え?」

「さあ、あるj、えー...奏様。力を抜いて、リラックス」

「り、は...?ええ?な、なに!?」

「大丈夫です。真の主なら苦しくありませんから」

「それはつまり9割以上の可能性で苦しいですってことよね!?」

奏を無視して、球は少女によって奏の胸部の中心あたりに押し込まれる。

「いきますよ」

「や、やめっ...!」

思わず目を瞑り、手足に力が入る。そのせいで傷口があった場所は痛いが、この恐怖には勝てない。

しかし、苦しいどころか、暖かいものに包まれた感覚が襲う。全身が春風に包まれているような、包容をあまりなく感じているような、不思議な感覚が意識を奪う。気持ちが穏やかになり、身体が少し軽くなった気がした。

「...?」

そして、懐かしい。何故か、そう思う気持ちがあった。

そっと目を開けると、そこには先と変わらず少女の端麗な顔があるだけだった。

「...やはり、貴方様が主なんですね」

「...」

少女の恍惚とした表情に何故かつられて笑顔になる。

「さあ、名を」

少女が、支えにまわしていた手を離し、頭を垂れ、膝をつく。

「名を、主」

「...どうしてそこまで名前にこだわるの?」

奏の問に少女は明るい声のトーンで返す。

「名を主から頂くことは、私達、支が忠誠を誓うことと同じなのですよ」

「そう、なの...」

不思議とすとんと腑に落ちた。

正直に、今日の朝からここまで起きたことはすべて信じられない。いきなり美少年が現れ、かと思ったらそいつは獣に変わり、訳のわからないことを言いながら殺そうとする。目が覚めると、今度は知らない美少女が理由はわからないが慕い、自分の主だと言われ、名前までつけろと要求される。

勢いに任せてここまできてしまったが、戻りたいと言えば嘘になる。かといって好んでこの夢の様な状況に居座りたいとは思わない。だが、ここは、現実に比べて、生きているという実感ができる。せっかく治療してくれたこの少女には悪いが、あの内蔵を引っ張り出される痛みは、もう二度とは御免だが、生きているという感じが強くした。灰色の学校生活で、無関心な親との生活で、疲れ果てていた。だから、この幻想の世界に留まりたいと思った。

そして懐かしいと感じる、この感覚が幸せなような気がしてしょうがなかった。だから。

「...あなたの名前は、白兎(はくと)」

「...はく、と」

「白い兎と書いて、白兎。あなたの名前よ」

「...主っ」

抱きつく少女を受け止め、そのまま倒れる。慌ててる起きようとする少女の頭を優しく撫でると、起きようとした身体を戻し、しがみつくようにまた抱きついてくる。

「この白兎、主を必ず守ります、必ず、必ず...」

そう呟いた少女は小さく震え、嗚咽が聞こえる。また、あの懐かしさが押し寄せる。それに伴い睡魔が襲ってくる。それは暖かい少女の体温のせいか、それとも今までの疲労のせいか、そんなことはもうどうでもよかった。今はこの夢に浸りたい。

 

懐かしいと感じる、この感覚が幸せなような気がしてしょうがなかった。だから、名を呼んだ。口からすらりと出てきた言葉を少女に与えた。少女が泣くほど望んだその名前を。

 

数億回目の幕が開くとも知らずに。




閲覧いただきありがとうございます。
え?日付跨いだって?知らないよ?←
毎日投稿?知らないよ?←←
取り敢えず奏ちゃん生きててよかったね、ほんと。
次話から新しいところに入ります。お楽しみに。

明日(?)も頑張ります!

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