Continue to NEXT LOOP.../SIREN(サイレン)/SS 作:ドラ麦茶
土砂災害から七ヶ月後――。
宮田涼子は宮田医院の院長室にいた。主を失った医院長室は、子を失った母親のような悲しい静けさに包まれていた。宮田司郎はいまだ行方不明のままだ。死亡は認定されていないが、生きている可能性がないということを、涼子は理解していた。涼子だけでなく、村人みんながそう思っているだろう。
宮田医院は閉鎖された。村に医者は司郎一人であり、それが行方不明である以上、閉鎖は仕方のないことだった。宮田医院は特別な病院だ。村外から別の医者を連れて来るという訳にはいかない。村人は、車で一時間以上かけ、ふもとの街の病院まで通わなければいけなくなった。
――宮田の家は、もう終わりだ。
村人の間で、そう噂されている。宮田司郎は死亡がほぼ確実で、跡取りもいない。噂が立つのも当然と言えた。
だが、涼子は悲観していなかった。
涼子は、事務机の隣にある棚の前に立った。棚の中には、薬品や患者のカルテ等が収められてある。劇薬等もあるので、棚のガラス戸にはしっかりと鍵がかけられていた。涼子は鍵を取り出し、ガラス戸を開けた。棚の中央にはカルテを挟んだ分厚いファイルが並んでいる。その、左から五冊目のファイルを取り出した。しかし、ファイルは開かず、そのまま机の上に置く。ファイルのあった棚には一冊分の隙間ができている。涼子は、開いた隙間に手を入れた。奥まで入れると、指先に、小さな突起物の感触がある。それを押すと。
がこん、という音と共に、棚がゆっくりと右へスライドし始めた。
移動が止まると、棚のあった場所には、地下へと続く階段が現れた。宮田医院の隠し部屋のひとつだった。涼子は、ゆっくりと階段を下りた。
階段を下りると、自動で明かりが点く。細長い廊下が奥まで続いており、両脇には、頑丈な鉄製の扉が並んでいた。
ここは、神代家に逆らった者や村に現れた屍人を捕え、監禁しておくための場所だ。特別入院部屋と呼ばれているが、要するに牢獄である。
涼子は廊下を進む。かつん、かつん、と、涼子の足音が廊下に響いた。その音に反応したのか、部屋の中からうめき声が聞こえてくる。苦痛に耐えているような声、あるいは、助けを求めるような声。どん、と、部屋の中から扉に体当たりをするような音も聞こえる。涼子は構わず奥まで進んだ。最も奥まった場所には、両開きの大きな扉があった。鍵はかけていない。中に入る。
そこは、床や壁、天井に至るまで全てタイル張りにされた広い部屋だった。中央に小さな手術台があり、ナース服を着た屍人が寝かされている。両手両足、そして、首の部分を頑丈なベルトで縛り付けられ、自由を奪われていた。
「――美奈さん? 御気分はいかが?」
涼子の声に反応し、屍人は、かろうじて動く頭を上げた。表情は読めないが、涼子に対して怯えているように見える。なんとか逃れようともがく。しかし、その手術台は人を拘束するために作られたものだ。屍人ごときの力で逃れられるようなものではない。硬く締め付けられた拘束用のベルトが、手足に喰い込むだけだ。
「そんなに暴れちゃダメよ? 安静にしていないと。あなたは、いま大事な時期なんですから」
優しい声で諭すように言うが、美奈は怯え、少しでも遠ざかろうと、もがき続ける。
「……仕方ない人ね」
涼子は小さくため息をつくと、視線を、美奈の顔からお腹へと移した。
美奈のお腹は大きく膨らんでいた。屍人である美奈は当然死んでいるが、そのお腹の膨らみからは、生命の息吹を感じる。
七ヶ月前、自ら命を絶とうとした涼子。その前に現れた美奈は、お腹に司郎の子を宿していた。涼子はこれを、「死んではならない」という神のお告げだと思った。二十七年前もそうだった。災害で息子を失い、絶望していた涼子の前に、赤子が降ってきた。その子を育てることで、生きながらえた。
美奈は、すでに臨月を迎えている。もうすぐ産まれる。司郎の子供。そして、宮田家の跡取り。それを一人前に育てることが、神から与えられた私の役目だ、と、涼子は信じていた。
死ぬわけにはいかない。
育てなければならない。
宮田家の跡取りを。
一人前になるまで。
美奈は屍人だ。普通に考えれば、屍人から産まれるのは、当然屍人だろう。
だが、それは絶対ではない。村の誰よりも屍人に詳しい宮田家だが、身籠った屍人を扱ったという前例は無い。だから、何が起こっても不思議ではない。
恩田美奈は、屍人になる前から妊娠していた。母体が死ねば、お腹の子供も死ぬ可能性が高い。ならば、産まれて来るのは屍人の子だろう。
しかし、母体が死亡した後でも出産に成功した例は、世界中にいくつもある。母体が死んだからと言って、お腹の子供も死ぬとは限らないのだ。ならば、屍人ではない赤子が産まれてくる可能性もある。
涼子は、大きく膨らんだ美奈のお腹に顔を寄せると。
――ああ……私の孫……宮田家の……跡継ぎ。
恍惚の表情で、頬ずりをした。
生まれて来るのは、人か、屍人か。
判らない。
――いや。
どちらであろうと涼子には関係なかった。ただ、産まれた子を育てるだけだ。宮田家の跡取りとして。
それが、宮田家の嫁の使命だから。
涼子の背後には、義母が立っている。じっと、涼子を見つめている。
だが、もう。
涼子は、義母の視線に怯えることはなかった。
――さあ、早く生まれてらっしゃい。私の可愛いぼうや……。
涼子は、屍人の腹に顔をうずめ、ずっと、撫で続けた。
竹内・安野編執筆中、異界から現世に戻った人たちをまとめている間に、『因果律に従えば宮田の子供を妊娠している美奈は現世に戻ってるかも?』という思い付きから派生したお話です。実際に美奈が戻ってるとは思えませんが、「戻って宮田の子を産んだら面白いな~(笑)」と思って執筆しました。
まあ、普通に屍人の子供が産まれると思いますけどね(^^;