Continue to NEXT LOOP.../SIREN(サイレン)/SS   作:ドラ麦茶

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第八十三話 宮田涼子 宮田家/仏間 第三日/十八時三十九分五十八秒

 神迎えの儀式が失敗してから三日後。

 

 

 

 

 

 

 宮田涼子は宮田家の仏間にいた。儀式が行われた夜と同じく、家には涼子一人だ。仏壇の前に正座で座り、目を閉じ、心を落ち着かせようと、胸の内で眞魚教の経典を暗唱する。

 

 家には涼子一人だが、涼子には、もう一人の気配が感じられた。涼子の背後に座り、じっと、涼子を見つめている。二日前の深夜から、いや、三十七年前この家に嫁いできた時からずっと、その視線にさらされている。

 

 ――跡継ぎを産めない嫁など、宮田の家には必要ない。

 

 涼子の前には、拳銃が置かれていた。

 

 八月三日の深夜、羽生蛇村を襲った局地的な豪雨により、蛇ノ首谷、上粗戸、下粗戸、刈割等の地域で大規模な土砂災害が発生した。その結果、求導師の牧野慶、求導女の八尾比沙子、小学校校長の名越栄治など、多くの村人が行方不明だ。その中に、涼子の息子で宮田医院の院長・宮田司郎も含まれている。

 

 一般的に、災害発生から七十二時間以上経過すると、生存者の救出率は著しく低下すると言われている。土砂災害発生から、間もなく、その七十二時間を迎える。司郎の生存は、もはや絶望的と言えた。

 

 そもそも涼子は、この土砂災害が通常の災害だとは思っていない。新聞やテレビ等では、今回の災害を『局地的な豪雨により発生した土砂災害』と報じている。災害発生時、涼子を含む多くの村人が被害に遭った大きな地震については、一切報道されていない。村では多くの家屋が倒壊するほどの揺れだったにもかかわらず、村近くの地震観測所では、全く揺れを感知していないのだ。

 

 また、この災害による現時点での被害者は、行方不明者三十三名、負傷者十五名、そして、死者三名である。このうち負傷者と死者は、全て、土砂災害が発生した付近に住む住人で、家屋の倒壊が原因だった。一方、行方不明者の三十三人は、全て、土砂災害が発生した地域にいたとされている。災害発生より三日。警察、消防、自衛隊等が出動し、夜通し捜索活動を行っているが、土砂災害現場では、今だ一人として生存者の救助も遺体の収容もされていない。現場には、生存者も、遺体も、倒壊した家屋の瓦礫さえもなく、ただ、大量の土砂が存在しているだけだった。救助を行っている者の中には、「集落そのものが消えてしまったとしか思えない」と発言する者もいる。

 

 二十七年前の災害でも同じだった。あの日も、涼子をはじめとする多くの村人が地震に遭ったが、『土砂災害』と報じられた。そして、あの日土砂災害に巻き込まれ行方不明になった村人は、今も見つかっていない。

 

 今回の災害も、二十七年前と同じく、神迎えの儀式に失敗したことが原因なのは間違いないだろう。恐らく、単純な土砂災害ではない。集落そのものが異界に飲み込まれたのだ。そして、異界に飲み込まれたものは、決して元の世界に戻ることはできない。

 

 つまり――司郎は、もう戻ってこない。

 

 宮田家は、これからどうなるのだろう? 養子をとるか、親類の者に後を継がせるか。

 

 どちらにしても。

 

 涼子がすべきことはひとつだ。

 

 背後では、じっと、義母が見つめている。

 

 涼子は目を開けた。正座した膝の前に置いてある拳銃に、手を伸ばす。

 

 一度ならず、二度も、宮田家の跡継ぎを失ってしまった涼子。その責任を取る方法は、ひとつしかない。

 

 涼子は、銃口をこめかみに当てた。

 

 大きく息を吐き、引き金に指を掛ける。

 

 宮田家に嫁いで三十七年。すでに、覚悟はできていた。嫁いできた当初こそ、その覚悟は無かったが、養子を取り、宮田家の跡取りとして育てているうちに、覚悟せざるを得なかった。宮田家の嫁として後継者を育てるということは、命をかけて成すべきことなのである。それに失敗した今、自ら命を絶つのは当然だと思っている。

 

 だが。

 

 指が動かない。引き金が、引けない。

 

 覚悟はしていたはずだった。それでも指は動かない。今この瞬間、司郎が戻って来るのではないか。あるいは、二十七年前のように、後継者となるべき者が見つかるのではないか。そんな思いが、涼子の決意を鈍らせる。甘えた考えだと判っていても、引き金は引けない。

 

 義母は、じっと見つめている。涼子の最期を見届けようとしている。

 

 ごとり、と。

 

 遠くで、何かが倒れるような物音がした。

 

 その瞬間。

 

 涼子の背後にあった義母の気配が、視線が、ふっと、消えた。

 

 銃を下ろし、振り返る涼子。ずっとそこにいたはずの義母の姿は無かった。どこへ行ってしまったのか。

 

 ごとり、と、また物音が聞こえる。誰か、家に居る。

 

 ――まさか、司郎?

 

 立ち上がる涼子。司郎が戻って来たのではないだろうか? 司郎が戻れば、跡継ぎの問題は無くなる。だから、義母は消えた――そんなことを考えた。都合のいい考えであるが、あり得ないことではない。涼子は仏間を出た。物音は、玄関の方から聞こえる。そちらへ走る。

 

 ――ああ、司郎! どうか無事で!

 

 だが。

 

 そこにいたのは、司郎ではなかった。

 

 白衣のようなものを着た女が、うつ伏せに倒れていた。異常な姿だった。白衣、の、ようなもの。白衣ではない。いたるところに赤黒い染みが付き、酷く汚れている。泥による汚れもあるが、そのほとんどが、血が乾いて固まったものだと、涼子には判った。薄汚れた袖の先から見える手の色も異常だった。泥と血で汚れた手の色は、黒に近い青色をしている。到底、生きている人間の手には見えなかった。右手には、同じく泥と血にまみれたシャベルを握っている。土砂災害の被害者だろうか? 一見する限りそう思えるが、なぜ、この家にいるのかが判らない。誰かが死体を持ち込んだのか? 誰が? 家の中に他の気配は無い。そもそも、家中鍵を掛けてある。玄関や窓を破ったりしない限り侵入は不可能だが、そういったことがされた様子もない。まるで、なにも無かった場所に突然死体が現れたかのようだ。異常な事態だ。

 

 さらに異常なことが起こった。どう見ても死んでいるようにしか見えない女が、起き上がろうとしているのだ。顔を上げ、こちらを見た。息を飲む涼子。女の顔は、その大半が頭から生えた無数のこぶのようなものに埋もれていた。

 

 そして、手と同じく、血の気を失った青黒い顔色。

 

 その姿を見た瞬間、涼子は悟った。

 

 ――屍人。

 

 屍人とは、羽生蛇村の伝承に登場する化物だ。空想上の存在と思われているが、一部の村人、特に、宮田家の者は、それが実在する化物だと知っている。

 

 涼子の存在に気付いた屍人は、シャベルを振り上げ、向かって来た。

 

 涼子は拳銃を構え、ためらうことなく引き金を引いた。一発、二発、と、銃弾が屍人の胸に命中する。よろめき、後ずさりする屍人。だが、倒れない。涼子はさらに二度、引き金を引いた。そのすべてが屍人の胸に命中する。屍人は甲高い悲鳴を上げながら、ようやく倒れた。

 

 銃を下ろす涼子。屍人を処分するのは久しぶりだが、まだ、勘は鈍っていない。

 

 宮田家は、神代家の命に従い、裏で非合法な仕事を行っている。屍人の処分もそのひとつだ。だから、宮田家の者は誰よりも屍人に詳しく、そして、銃器の扱いや格闘術・暗殺術などに長けていた。それは、嫁である涼子とて例外ではない。息子の司郎を宮田家の跡取りとして教育したのは涼子だ。歳を取り、体力の衰えは否めないが、銃があれば屍人一体の処分など造作もない。

 

 倒れた屍人に近づく涼子。村に現れた屍人は処分することになっている。だが、屍人は不死身だ。心臓を潰そうが首を斬り落とそうが、時間が経てばよみがえる。屍人を処分するには、拘束して地中深く埋めるなど、物理的に行動不能にするしかない。面倒だが、今、この家には涼子しかいない。これも、宮田家の嫁としての務めだろう。涼子は処分に取りかかろうとした。

 

 そう言えば。

 

 屍人は白衣――ナース服を着ている。村には他に病院は無いから、この屍人は、宮田医院に努めている看護師だろうか? ならば、当然、涼子の知っている人物ということになる。

 

 涼子は、屍人の胸についてあるネームプレートを見た。泥とも血ともつかない汚れでかすれているが、かろうじて、『恩』と『奈』という文字が読み取れた。

 

 ――美奈……さん。

 

 ぎゅっと、銃を握りしめる涼子。

 

 恩田美奈。宮田医院に勤める看護師だ。土砂災害後、行方不明となっている。二十一歳という若さからか少々奔放な性格で、患者に対してあけっぴろげに接することがやや問題ではあるが、勤務態度は真面目で、年寄りや子供の患者を中心に親しまれている。

 

 ただ、涼子は美奈に対して、少々黒い感情を抱いていた。

 

 と、いうのも。

 

 美奈は、宮田司郎と恋仲である、という噂があるのだ。

 

 司郎もすでに二十七歳だ。恋人くらいいてもおかしくはないい。涼子としても、早く嫁をもらい、子をもうけてもらいたいという思いは強い。

 

 しかし、恩田美奈の家はごく普通の家柄だった。両親の収入・貯金・学歴等を調べたが、全て並以下で、宮田家とは不釣り合いと言わざるを得ない。司郎の嫁にはもっと家柄の良い女性をと思っている涼子にとって、美奈は、目障りな存在でしかなかった。

 

 さらには。

 

 これも噂話の域を出ないが、二日前の土砂災害の直前、司郎と美奈が二人で車に乗り、合石岳へ向かったという目撃情報があるのだ。

 

 合石岳は、今回の土砂災害で被害の大きかった地域のひとつだ。

 

 もしかしたら司郎は、この女のせいで、土砂災害に巻き込まれたのでは……。

 

 黒い感情が大きく膨れ上がっていく。司郎が消息不明なのはこの女のせい――そう思えて仕方がない。しかも、司郎を土砂災害に巻き込んでおいて、自分だけのこのこ戻って来るとは。許せない。私から司郎を奪った女。宮田の家を断絶に追い込んだ女。許すわけにはいかない。ただ拘束して埋めるだけでは気が済まない。幸い、屍人は不死ではあるが、痛みを感じないわけではない。不死になったことを後悔するほど痛めつけてやろう。宮田家は、そういう術にも長けている。

 

 美奈が、ゆっくりと起き上ろうとしていた。普通の屍人と比べて復活が早いようだ。また襲われると面倒だ。涼子は銃口を向け、引き金に指を掛けた。

 

 美奈は、銃で狙われていることに気付き、お腹をかばうようにうつ伏せで屈んだ。

 

 ――――。

 

 涼子の指から力が抜ける。

 

 銃を向けられた女が、頭や胸ではなく、お腹をかばった。

 

 それがどういうことなのか、涼子には判った。宮田家に嫁ぎ、十年もの間、姑から「跡継ぎを産めない嫁」と蔑まれた涼子だからこそ、すぐに判った。

 

 涼子の手から、銃が滑り落ちた。

 

 ――美奈さん。あなたはまさか……。

 

 信じられないことだった。信じたくないことでもあった。だが、現実は現実として受け止めなければならない。これまで前例がないというだけで、それは、当然起こりうることなのだ。

 

 恩田美奈は、妊娠している。

 

 それも、恐らく司郎の子供を――。

 

 美奈が顔を上げた。何かを訴えかけるように涼子を見る。その目はこぶに埋もれているが。

 

 ――この子は助けてください。

 

 子を案ずる、母の目だった。

 

 涼子は、しばらく呆然と立ち尽くし。

 

 

 

 ――――。

 

 

 

 そして、小さく笑った。

 

 

 

 

 

 


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