Continue to NEXT LOOP.../SIREN(サイレン)/SS   作:ドラ麦茶

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第九十話 前田隆信 神代家/大広間 一九七五年/十二時〇〇分〇〇秒

 努力はした。

 

 

 

 

 

 

 村役場に勤めて二年。まだまだ経験不足の前田隆信に与えられた仕事は、羽生蛇村の名物グルメを作るという、自分のキャリアにそぐわないほどの大きなものだった。彼はそれを、先輩や上司に助言をもらったとは言え、基本的には一人で行ったのだ。彼はこの半年で大きく成長した。それは間違いない。

 

 だが、今日、彼の全ては終わるだろう。

 

 隆信の目の前には、この半年間、試行錯誤を繰り返した羽生蛇蕎麦の試作品がある。

 

 麺は、これから羽生蛇村の特産品となるであろうそば粉を使用したもの。輪ゴムを噛んでいるような歯ごたえを出すために、小麦粉や大麦粉、デンプン、水など、配合に苦労した。

 

 スープは、朝鮮冷麺風のコチュジャンをきかせたもの。日本人の味覚に合うよう、辛味を抑えてある。これも、麺に合う味にするのに苦労した。

 

 ジャムは、羽生蛇村特産のイチゴを使用したもの。砂糖は一切使わず、イチゴの持つ本来の甘みを味わえる一品だ。

 

 他に、キュウリ、ネギ、ゆで卵を添えている。どれも、羽生蛇産のものを使用した。これらは村の特産品というワケではないが、羽生蛇蕎麦が売り出されば、生産量が増え、名産品となるかもしれない。

 

 麺、スープ、ジャム、その他の具材、それぞれは、完璧なデキなのだ。だが、それがひとつになることで、大いなる絶望が生まれる。

 

 咸興冷麺にならい、羽生蛇蕎麦はよくかき混ぜてから食べるようにした。絶望は、この時点から始まる。羽生蛇村産のイチゴは赤色が強いのが特徴だが、そのイチゴで作ったジャムをコチュジャン入りのスープとかき混ぜると、血のようなドロッとした朱色になる。それはまるで、血の海をかき混ぜているかのようだ。そんなスープが麺に絡む姿はまさに地獄絵図。食すと、口の中に極めて複雑な味が広がる。麺とスープとジャム、食べる前にどんなにかき混ぜようとも、これらの味が混ざり合うことは決してない。ソバの風味と、スープの辛さと、イチゴジャムの甘さと酸っぱさ、それぞれが強く主張し合い、舌が大混乱を起こすのだ。早く飲み込めばいいのだが、麺のコシが強くてなかなか飲み込めない。初めは違和感を覚えても、食べ進めるうちにクセになって来る……ということもない。

 

 つまり。

 

 羽生蛇蕎麦は、はっきり言えば不味いのである。

 

 最初に言った通り、努力はしたのだ。どうにか食べられるものにするために、スープの辛味を調整し、イチゴジャムの配合を見直し、麺の味まで研究した。だが、なにをどうしても、味は変化しない。行きつく先は、絶望。

 

 いったい何がいけなかったのか、今でも彼には判らない。彼は、先輩や上司たちの助言を忠実に守っただけだ。あるいはそれがいけなかったのだろうか? 先輩や上司たちの助言など無視し、自分一人で全てやればよかったのか? いや、どんな仕事も、一人で行うことなど不可能だ。皆、誰かに支えられて生きている。それに、羽生蛇村では権力が絶対だ。力のある者に、力が無い者が逆らうことは許されない。一介の平職員に過ぎない隆信が、先輩、課長、部長、そして村長の意見に逆らうことなどできるはずもなかった。

 

 そう。これはすべて、隆信の力不足が生みだした結果なのだ。自分が生みだしたものだから、受け入れるしかない。

 

 今日、羽生蛇蕎麦の試食会が開かれる。

 

 場所は、神代家の大広間。

 

 神代家は、羽生蛇村で最も力を持つ一族だ。その当主様自ら試食するという。他にも、眞魚教の求導師様に、宮田医院の院長先生など、村の有力者のほとんどが一堂に会すことになっている。

 

 そんな場所に、この羽生蛇蕎麦を出す。

 

 隆信は、己の死を確信していた。あくまでもウワサだが、当主様の機嫌を損ね、消された村人は数多いと聞く。こんな得体の知れない食べ物を神代家の当主様に食べさせて、無事に帰れるとは思えなかった。彼はそこまで楽観主義者ではない。

 

 葛藤はあった。このような失敗作を出すよりも、素直に「羽生蛇蕎麦は完成しませんでした!」と、謝罪した方が良いのではないか? いや、そうしたところで、当主様の機嫌を損なうのは避けられないだろう。結果は同じだ。隆信は、戦わず死ぬよりも、戦って死ぬことを選んだのだ。

 

 大広間には、すでに全員が揃っていた。役場の課長・部長・村長。眞魚教の求導師様。宮田医院の院長先生。神代家の一人娘と、その婿。そして、大広間の一番奥に座る初老の人物が、神代家の現当主である。

 

 一人一人に資料を配り、まずは、オーバー・ヘッド・プロジェクターを使って説明していく。羽生蛇蕎麦のコンセプト、村でソバの栽培が始まること、いかにして麺の強いコシを出したか、スープのこだわり、イチゴジャムの特徴、三隅錫を使った缶詰で三十年保存可能、などを、順に語っていく。プレゼンテーションとしては当たり前のスタイルだが、隆信には、「私はこれだけの努力をしました」という言い訳をしているようにしか思えなかった。

 

 説明している間、当主様は身動き一つせず、鋭い視線を隆信へ向けていた。それだけで、隆信の寿命は数年縮まった。

 

 説明が終わり、いよいよ試食となった。

 

 出席者の前に、できあがった羽生蛇蕎麦を置いて行く。

 

「美味しそうだ」という声は聞こえない。皆、眉をひそめ、露骨に嫌悪感を表す。ただ一人、当主様だけが表情を変えなかった。その目は相変わらず、鋭く隆信を射抜いている。

 

「――では、お召し上がりください」

 

 隆信は、自ら己の死刑執行のボタンを押した。

 

 事前の隆信の説明通り、皆、麺をよくかき混ぜる。イチゴジャムの深い紅色が器に広がる。スープと混ざり、器の中は血の池地獄と化す。険しかった参加者の表情がさらに歪む。だが、本当の地獄はこれからだ。スープとイチゴジャムがよく絡まった麺を、皆が一斉に口へ運んだ。

 

 そして、絶望。

 

 誰もが表情を強張らせている。当然だ。その味は、誰よりも隆信が知っている。さあ、不味いと言え。そして、この俺を殺すがいい。前田隆信は、逃げも隠れもしない。

 

 隆信は覚悟を決め、頭を垂れた。

 

 だが――。

 

「――美味い」

 

 それは、静かに、しかしはっきりと、隆信の耳に――そして、その場にいる全員の耳に届いた。

 

 顔を上げる隆信。

 

 その声は大広間の一番奥――神代家の当主様の座る席から聞こえた。

 

 隆信は、信じられない光景を目にした。

 

 当主様は、スープとイチゴジャムの絡んだ麺を口へ運び、食感を楽しむように何度も噛んでいる。その顔には笑みさえ浮かんでいる。いつも仏頂面の当主様から想像もできない姿だ。

 

 二度、三度と麺をすする当主様。食べているのは彼だけで、他の者の箸は止まっている。そのことに気付いた当主様は、「どうした? わしに遠慮せずに食べよ。美味いぞ」と、促した。

 

 これが美味い? 耳を疑う隆信。いや、隆信だけではない。その場にいる全員が、我が耳と、そして、当主様の舌を疑った。一体、これのどこが美味いというのか?

 

 だが――。

 

 この羽生蛇村において、神代家の意向は絶対である。逆らうことなど、できるはずもない。だから。

 

「当主様の仰る通りです」神代家の婿が言った。「これほど美味しいもの、私は初めて食べました」

 

 それはそうだろう。朝鮮風の冷麺にイチゴジャムを添えて食べるなど、人類史上初めての経験だ。

 

「え……ええ、そうですわね」神代家の一人娘も同意する。「変わった味ですが、都会では、この味が流行っていると、聞いたことがあります」

 

 そんな話だれも聞いたことがないが、神代家に逆らうことはできない。

 

「羽生蛇村産の蕎麦とイチゴジャムの融合……これは、奇跡の出会いです」求導師様が言った。「これもきっと、神のおぼしめしでしょう」

 

「ええ、その通りです」宮田医院の院長先生も同意する「この複雑な味の種明かしを、ぜひお願いしたいものですね」

 

 そして、誰もが笑顔をひきつらせ、羽生蛇蕎麦を口へ運ぶ。当主様が食べろと言うのだから、従うしかない。

 

 当主様は全ての麺を食べ、スープを最後の一滴まで飲み干し、満足げに笑った。「いや、美味かった。君、前田君と言ったか」

 

「は……はい!!」

 

「実に見事な腕前だった。うちの料理人として雇いたいくらいだよ」

 

「あ……ありがとうございます!! 勿体ないお言葉でございます!!」

 

「このまま羽生蛇蕎麦の商品化を進めたまえ。期待しておるぞ」

 

 マジか……恐らくその場にいる全員がそう思ったはずだが、反論することは許されない。

 

「いやはや、実に愉快だ。はーっはっはっは!!」

 

 当主様は、豪快に笑って大広間から出て行った。

 

 

 

 

 

 


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