Continue to NEXT LOOP.../SIREN(サイレン)/SS   作:ドラ麦茶

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第八十七話 前田隆信 羽生蛇村役場/総務部 一九七五年/十五時〇二分二十五秒

 羽生蛇村の新しい名産品として、『羽生蛇蕎麦』を作ることにした前田隆信は、課長の助言により、咸興(ハムフン)冷麺なるものを食べることになった。わざわざ東京にある朝鮮料理の店まで出向いたのだが、その甲斐はあった。冷たい麺と言えばざる蕎麦やざるうどんくらいしか知らない隆信にとって、それは初めて食べる味だった。まず、麺が噛み切れないほど硬い。まるで輪ゴムを噛んでいるかのような弾力だった。こう表現すると聞こえは悪いが、食べているうちにそのコシの強さがクセになる。スープは無く、酢とごま油と砂糖、そして、コチュジャンという朝鮮特有の唐辛子味噌を混ぜたタレを絡めて食べる。日本人の舌には非常に刺激的な辛さだが、その中にも甘さがあり、コシの強い麺と絡んだその味に、隆信はすぐに虜になった。

 

 村に戻った隆信は、咸興冷麺を参考に羽生蛇蕎麦の企画書を書き直した。もちろん、咸興冷麺をそのまま真似しても、課長は納得しないだろう。味や見た目などを参考にしながらも、羽生蛇村の蕎麦ならではの特徴を出さなければならない。

 

 咸興冷麺の麺にはジャガイモやトウモロコシなどのデンプンが用いられているが、羽生蛇蕎麦はあくまでもそば粉を使用する。そば粉であのゴムのような噛み応えを出せるかはまだ判らないが、なんとか再現してみるつもりだ。また、咸興冷麺はスープではなくタレを絡めて食べるが、羽生蛇蕎麦はあくまでも日本蕎麦のスタイルにこだわり、スープに入れて出す。スープの味も、コチュジャンの辛味は残しつつも、日本人の舌に合うよう、よりマイルドにするつもりだ。

 

 以上のことをまとめ、新しい企画書を作り直した隆信は、課長に再提出した。新しい羽生蛇蕎麦には、課長も大満足の様子だった。

 

 通常ならば、課長がOKを出したこの段階で試作品づくりに取り掛かるのだが、今回の企画には村の将来がかかっており、試食会には神代家の当主も参加する。そのため、すぐに試作品というワケにはいかない。この後、観光課が属している総務部の部長からも許可をもらい、さらに、村長を交えた役場全体の会議で認められる必要があった。

 

 と、いうことで隆信は、課長にOKをもらった企画書を、部長に提出した。

 

「――なるほど。咸興冷麺を参考にして作ったのかね」

 

 企画書を読んだ部長は満足げに頷いた。

 

「はい。その通りです」

 

 ホッと、胸をなでおろす隆信。蕎麦といいながら朝鮮風の味にしたことに部長がどう反応をするのか不安だったが、どうやら大丈夫そうだ。

 

「咸興冷麺のこと、ご存知でしたか」

 

「ああ。最近、ちょっと話題なっているからね。咸興冷麺に目の付けたのは悪くないが、ひとつ、問題があるね」

 

「問題……それは、何でしょうか?」

 

「岩手県の盛岡市に、盛岡冷麺というものがあるのだが、知らないかね?」

 

 隆信は首をかしげた。「盛岡冷麺……いえ、初めて聞きました」

 

「そうか。まあ、まだ全国的には知られていないからな。私は以前、盛岡に旅行に行ったとき食べたんだが、その盛岡冷麺は、咸興冷麺が元になっているんだよ。このままじゃ、同じような冷麺になってしまう。なんとか、差別化を図らないといけないな」

 

「そうですね……では、どうしましょうか?」

 

「盛岡冷麺には、よくスイカが添えられているんだ。羽生蛇蕎麦にも、果物を添えてみてはどうかね?」

 

「はあ、果物、ですか……」

 

 腕を組み考える隆信。蕎麦に果物を添えるなどいまいちピンとこないが、実際、盛岡冷麺というものでスイカが添えられているのならば、意外と合うのかもしれない。

 

「村で果物と言えば、ビワかイチゴですね」隆信はそう提案してみた。

 

「そうだな。まあ、羽生蛇ビワは高級品だから、それを入れるとなると、どうしても値段が高くなる。食堂で出す蕎麦ならば手ごろな値段の方がいいだろう。イチゴで考えてみたまえ」

 

「判りました。では、その方向で企画し直して来ます」

 

「うむ。頑張りたまえ」

 

 企画書を返してもらった隆信は、部長に頭を下げ、観光課の事務所へ戻った。なかなかうまくいかないが、村の観光の目玉となるものだし、仕方ないだろう。簡単ではないが、少しずつ完成に近づいているという実感はある。よし、頑張ろう。隆信は気合を入れ直し、また最初から企画を練り始めた。

 

 

 

 

 

 


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