Continue to NEXT LOOP.../SIREN(サイレン)/SS   作:ドラ麦茶

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第七十八話 竹内多聞 羽生蛇村小学校折部分校/一、二年教室 第四十四日/十五時三十五分十五秒

「――それでは、『第一回・徹底討論! 我々はどうやったら現世に帰れるのか?』を始めます」

 

 羽生蛇村小学校折部分校の教室で、教壇に立った安野依子は、討論会の開催を高らかに宣言した。教壇の前には児童用の机と椅子が三組並んでいる。その真ん中の席に座る竹内多聞は、大きくため息をついた。竹内の両隣の席には、男女の屍人が座っている。

 

「……安野」

 

「……はい」

 

「徹底討論するのは構わんが、コイツらは何だ?」竹内は、両隣の席を指さした。

 

「先日お友達になった屍人さんです。今回の討論会に参加してもらうために、特別に来てもらいました」

 

 安野は、視線を竹内から屍人へと移した。そして、「おおるぃぉいくのおですぁあすぅりいぃいいまうぅ」と、間延びした低い声を出す。

 

 すると。

 

「ふうおうういぃるうああぁこすぃおん」

 

 屍人たちは、そろって頭を下げた。

 

 須田恭也が神を倒してから四十一日。安野は屍人の言葉を話せるようになっていた。屍人は、円や三角形、直線や曲線など組み合わせた図形のような文字を使うのだが、これは、それぞれの図形を日本語五十音置き換える、いわゆる『換字暗号』というものに似ており、例えば、正方形と正三角形を組み合わせた図形が『あ』、十字の上下に小さな丸を付けた図形が『い』、という風に置き換えていくことで、読み書きすることができるのだ。また、発音も同じように、『あ』なら『うおああ』、『い』なら『すぅりいぃ』、という風に言い替えるだけでいい。判ってみれば単純な仕組みではあるが、わずかな時間でこの法則を解き明かし、屍人とコミュニケーションを取れるまでになった安野の才能には、驚くやら呆れるやらである。

 

「……しかし、よく屍人と友達になれたものだな。ホントに大丈夫か?」隣の席を警戒する竹内。

 

「そこは、あたしが真摯に説得したためです」安野は胸を張った。

 

「よく説得できたものだな」

 

「はい。初めは苦労しましたよ。説得しようにも、全然話を聞いてくれなくて」

 

 屍人は、生きている人間を見ると襲ってくるのが普通だ。どうやら屍人たちには生きている人間の方が化物に見えるらしい。屍人にしてみれば、生きている人間を殺すことは、化物を自分たちの仲間に引き入れることになるのだ。なんともありがた迷惑な話である。

 

「どうやって屍人たちを説得したんだ?」と、竹内。

 

「はい。これを使いました」

 

 安野は、ポケットから小さな人形を取り出した。胴体に剣の紋様が浮き彫りにされてある土人形である。不死なる者を無に返す神具・宇理炎(うりえん)だ。以前、合石岳のダムを訪れた際、安野がダムの底で見つけた物である。

 

 安野は悪意のない笑顔を浮かべた。「これを見せて、『言うことを聞かないと煉獄の炎を浴びせるぞ!』と説得したら、進んで協力してくれるようになりました」

 

 それは説得ではなく脅迫と言うのだ。竹内は、心の中でため息をついた。

 

「……まあいい。それより、現世に戻るメドがついたのか?」

 

 安野は大きく首を振った。「いえ、今のところは、なんとも言えません。ですが、いろいろ調べているうちに、実は、異界から現世に戻った人が多いことが判ってきました」

 

「ほう」

 

「それらをひとつひとつ検証していけば、何か判るかもしれません」

 

 安野の言葉に、ううむ、と、大きく唸る竹内。二人がこの異界に閉じ込められてから四十四日。異界は決して広くはなく、すでに村中の調査を終えてしまったと言っても過言ではないが、元の世界に戻る方法は判らないままだ。このまま、アテも無くやみくもに駆けまわるよりも、一度調査内容をまとめてみるのもいいだろう。

 

 竹内は頷いた。「判った、やってみよう。だが、現世に戻った人が多いというのは、にわかには信じがたいな」

 

 この異界で赤い水を摂取すると、二度と現世に戻ることはできないとされている。異界ではずっと赤い雨が降り続き(神が死んでからは降らなくなったが)、そこらじゅうから屍人が襲って来るため、赤い水を摂取しないようにするのは不可能に近い。

 

「それが、意外といるんですよね。例えば――」

 

 安野はチョークを取り、黒板にさらさらと『吉川菜美子』と書いた。

 

「異界から現世に帰った人。まず一人目は、吉川菜美子ちゃんです」

 

 吉川美奈子。二十七年前の七月、合石岳に出かけ神隠しに遭った子供だ。

 

 吉川菜美子については、以前、安野から話を聞いたことがある。神隠しに遭ってから数年後、この小学校の図書室に犬屍人となって現れ、借りていた本を返した後、宮田医院に囚われたそうだ。

 

 安野は、黒板に詳細を書きながら話す。「あたしの考えでは、菜美子ちゃんは合石岳で異界に巻き込まれ、そこで、赤い水を体内に取り入れて屍人さん化。しかし、なんらかの原因で現世に戻ることができ、そして、村の人に目撃されたのだと思います」

 

「ふうむ」

 

「この村では、屍人さんの伝説が広く伝わっていました。つまりそれは、昔から屍人さんの目撃情報が多いということです。人が屍人さんになるには、赤い水を体内に取り入れた人が死に、サイレンの音を聞く必要があります。でも、現世には赤い水もサイレンも無いので、屍人さん化することはありません。よって、現世で目撃されている屍人さんは、異界から現れた――異界に取り込まれた村人が戻ってきた――と、考えられるワケです」

 

 話を聞き、竹内は腕を組んだ。安野の話は筋が通っている。赤い水を体内に取り入れた屍人が現世に戻る。その原因が判れば、我々も戻れるかもしれない。

 

「しかし、ですね」安野が、困ったような顔をした。「調査を進めているうちに、これ、問題が浮上してきました」

 

「問題?」

 

「はい。現世には赤い水もサイレンも無いから人が屍人さん化することはない、と考えていましたが、どうやら、そうとも言い切れないようなんです」

 

「と、言うと?」

 

「八月二日の夜――あたしと先生が、村を訪れた日ですね――、村では、神迎えの儀式が行われていました。それに失敗し、三日の深夜〇時、サイレンが鳴り、村は異界に取り込まれたんですが……」

 

「ふむ」

 

「どうやら、そのサイレンが鳴る前、つまり、村が異界に取り込まれる前に、屍人さんになっちゃった人がいるみたいなんです」

 

「そうなのか? それは、誰だ」

 

「石田徹雄さん。村の駐在員さんです」

 

 石田徹雄――聞き覚えのない名だった。竹内は二十七年前までこの村に住んでいたから、当時の村人のことは知っている。聞き覚えがないということは、竹内が村を出た後にやって来たのだろう。

 

 安野が話を続ける。「屍人さんたちに聞き込みをしたところ、神迎えの儀式を行っている時、儀式の様子を、余所者の少年に見られたそうです。その少年というのはたぶん須田恭也君のことだと思います。で、恭也君は森へ逃げたそうなんですが、その時、恭也君を追いかける石田さん姿が、何人かの村人に目撃されているんです。その目撃者の一人が、そちらの屍人さんです」

 

 安野は、竹内の右の席に座る男の屍人に手のひらを向けた。男の屍人は立ち上がり、あわあわと屍人語で話し始めた。以下は、安野の同時通訳である。

 

「あれは、日付が変わる少し前かな。儀式に参加した者で花嫁を送り出そうとしていたら、余所者らしき少年が儀式を盗み見していたんじゃ。神代の若旦那が激怒してな。捕まえろってことで、男たち何人かで追いかけたんじゃ。最初に少年を見つけたのはワシじゃった。捕まえようとしたら、どこからともなく石田さんが現れた。石田さんは儀式に参加してなかったので、なぜここにいるのか不思議には思ったが、まあ、駐在員さんが捕まえてくれるならその方がいいと思い、そのまま見てたんじゃ。そうしたら、石田さん、いきなり拳銃を抜いて、少年に向けて発砲したんじゃよ」

 

「その時の石田さんの様子は、どうでしたか?」安野が質問する。

 

「ろれつの回らない口調でぶつぶつ独り言を言っていたよ。足取りもおぼつかなかったな。ちょうど、酒を呑んで泥酔したような感じだ」

 

「目は、どうでした? 血の涙を流していませんでしたか?」

 

「暗くてよく見えなかったが、そんな感じではなかったな」

 

「ありがとうございます」安野はお礼を言うと、竹内に視線を戻した。「……と、いうことです。石田さん、血の涙こそ流していませんが、いくらなんでもお酒に酔ったくらいで拳銃をぶっ放すとも思えないので、すでに屍人になっていたと考えていいでしょう」

 

「ふむ」

 

「つまり、この証言から考えると、現世で目撃された屍人は、必ずしも異界から戻ってきたわけではない、ということになります。なので、吉川菜美子ちゃんも、もしかしたら異界には行ってないのかもしれません」

 

「しかし、なぜ、赤い水もサイレンも無い現世で、屍人化するんだ?」

 

「それに関してはまだ調査中です。もしかしたら、異界入りが近いと異界から現世に赤い水が流れて来るのかもしれませんね」

 

「まあ、何にしても、もっと調査しなければなるまい」

 

「そうですね。では、この件は引き続き調査するということにして、次の検証にいきましょう」安野は、続いて二人目の名前を黒板に書いた。「異界から現世に戻った人その2、『四方田春海』ちゃん、です」

 

 四方田春海は、羽生蛇村小学校に通う四年生の児童だ。調査によると、八月二日の夜、学校で行われた『星を見る会』という行事に参加し、異界に巻き込まれたようである。当初は担任教師の高遠玲子と共に行動していたが、高遠は春海を屍人の手から護るために命を落とし、以後、春海は一人で行動していたようだ。

 

 安野は赤いチョークに持ち替えると、黒板に書いた春海の名前を大きく丸で囲んだ。「屍人さんたちに聞き込みしたところ、春海ちゃん、どうやら今回の事件で、ただ一人、無事に現世に戻っているようなんです」

 

「そうなのか?」

 

「はい。その時の様子を目撃していた屍人さんが、そちらの方です」安野は、竹内の左に座る女の屍人に手のひらを向けた。

 

 女の屍人は立ち上がった。「あれは、八月五日の深夜でした。化物になった春海ちゃんを(屍人の言う化物なので、ここでは人間の春海のことである)、高遠先生と校長先生が追いかけてました。そして、春海ちゃんを行き止まりの通路に追い詰めたんです。ああ、これで春海ちゃんを助けることができる、と思って見てたんですが、どういう訳か、高遠先生と校長先生が仲間割れを始めたんです。もみ合いになった二人は、崩れてきた瓦礫の中に埋もれてしまい、それを見た春海ちゃんは、気を失いました。そこに、あの殺人鬼が現れたんです」

 

 殺人鬼というのは、須田恭也のことである。彼は常世で神を倒して以降、神代の宝刀・焔薙と宇理炎を手に村中の屍人を虐殺しており、わずかに生き残った屍人たちから『殺人鬼』と呼ばれ、恐れられていた。

 

 女屍人は話を続ける。「殺人鬼が春海ちゃんを抱き上げると、全身が白い光に包まれたんです。とてもまぶしい光で、見ていられませんでした。殺人鬼はそのままどこかへ行ってしまい、しばらくして戻ってきたのですが、その時には、春海ちゃんの姿はありませんでした。以上が、私が見た全てです」

 

「ありがとうございます」安野は女屍人にぺこりと頭を下げると、再び竹内を見た。「この話を聞いてから、あたし、村中探したんですが、生きている春海ちゃんも、屍人の春海ちゃんも、見つけることができませんでした。目撃情報もありません。春海ちゃんがものすごーくかくれんぼが上手だという可能性も捨てきれませんが、恐らく、恭也君の力を借りて、現世に戻ったものと思われます」

 

「仮にそうだとして、なぜ、恭也君にそのような力がある?」

 

「その辺は想像するしかないんですが、恐らく、神代美耶子ちゃんの力ではないかと」

 

 神代美耶子。神代家の次女で、神の花嫁だ。八月三日の深夜、神迎えの儀式で神に捧げられるはずだったが、儀式は失敗し、美耶子は逃亡。偶然知り合った須田恭也と行動を共にしたが、結局捕えられ、八月五日の深夜、神に捧げられ、命を落とした。しかし、神代の娘は基本的に不死身であり、身体が死んでも精神は死なない。美耶子は魂となって須田恭也と共に行動し、神を殺し、全ての屍人をこの世から消すために、恭也を導いたらしい。

 

 安野はさらに話を続ける。「神様が死に、この世界の屍人をほぼ全滅させた後、恭也君は、奈落に落ちた八尾比沙子さんを追いかけて行きました。つまり、恭也君には、次元を超える力があるということです」

 

「ならば、恭也君の力を借りれば、我々も春海ちゃんと同じように、現世に戻ることができるという訳か?」

 

「いえ、そうとも言い切れません」首を振る安野。「いろいろ調べてみたんですが、春海ちゃん、どうやら、この異界で赤い水を摂取していないようなんです」

 

「そうなのか?」

 

「はい。春海ちゃんは、異界に取り込まれてからの三日間、ほとんど屋内で過ごしていたようなんです。よって、赤い水の影響をほとんど受けず、恭也君も、現世に戻すことができたのではないかと」

 

「と、いうことは、赤い水をたっぷり摂取してしまった我々は、恭也君の力を借りても、現世に戻ることはできないと」

 

「そうですね。まあ、仮にあたしたちが赤い水を摂取していなかったとしても、この方法で現世に戻るのはほぼ不可能でしょう。恭也君は、別世界の屍人を倒すのに忙しいでしょうからね。この世界に戻って来る可能性は、ちょっと低いです」

 

 須田恭也は全ての屍人を倒すため、無限に広がる並行世界を渡り歩いているらしい。我々がいるこの世界にもまだ屍人は残っているから、戻って来る可能性はゼロではない。しかし、並行世界が無限に存在するということは、須田恭也がこの世界に戻って来る可能性は1/∞ということである。安野の言う通り、可能性はちょっと低いだろう。

 

「――つまり、春海ちゃんと同じ方法であたしたちが現世に戻るのはちょっとムリかもしれない、ということで、次の検証に行きましょう」安野は、黒板に別の名前を書いた。「異界から現世に戻った人その3、これは、吉川菜美子ちゃんと同じ二十七年前の例になりますが、『吉村兄弟と、その両親』です」

 

「吉村兄弟? だれだ、それは?」

 

「はい。なじみが無い名前だと思いますが、『牧野慶と宮田司郎』といえば、ピンとくるでしょう」

 

 牧野慶と宮田司郎――眞魚教の求導師と、宮田医院の医院長だ。二人とも、今年の怪異で異界に巻き込まれ、命を落としたと聞いている。だが、二十七年前の怪異でも異界に巻き込まれていたとは初耳だ。

 

「あたし、八月五日の昼過ぎに、大字波羅宿の井戸のそばで、牧野慶さんと名乗る宮田司郎先生に会って、いろいろと話を聞いたんですけど、その時、宮田先生が宮田医院の跡継ぎになったいきさつも、話してくれました」

 

 安野の話によると。

 

 二十七年前の一九七六年八月二日の深夜、吉村夫妻は、生まれて間もない双子の赤ん坊を連れ、車でどこかに向かおうとしていた。当日、村は大雨に見舞われ、大雨洪水警報が出ていたことから、恐らく避難所へ向かおうとしていたのだろう。日付が変わり、八月三日の深夜〇時、神迎えの儀式が失敗したことにより、怪異が村を襲った。これにより、吉村家の四人は、異界に飲み込まれたそうである。

 

 だが、翌朝。

 

 異界に取り込まれることのなかった当時の眞魚教求導師・牧野怜治と、宮田病院の嫁・宮田涼子は、事の経緯を伝えるため、車で神代家へと向かっていた。その途中、異界に巻き込まれたはずの吉村家の車が、空から降ってきたそうなのだ。

 

 吉村夫妻はすぐに死んだが、幼い兄弟は大きな怪我も無く無事だった。

 

 その後、吉村兄弟は、兄が牧野家へ、弟が宮田家へ引き取られ、それぞれ、求導師・牧野慶と、医院長・宮田司郎として、育てられることになったそうである。

 

「それで、ですね――」安野は、黒板に書いた吉村兄弟の名前に、赤いチョークで丸を付ける。「二人が、なぜ、現世に戻れたか、なんですが」

 

「ふむ」

 

「宮田先生が言うには、『村の因果律に従った結果ではないか』と」

 

「因果律?」

 

「はい。因果律、です」

 

 因果律とは、『原因があるから結果がある』という考え方である。哲学や物理学でよく使われるが、元々は仏教の言葉で、『生前良い行いをすれば生まれ変わっても良いことがあり、悪い行いをすれば生まれ変わっても悪いことが起きる』という教えだ。

 

 安野は、黒板に『因果律』と書いた。「宮田先生の話によると、村には一定の法則のようなものがあり、それに従って物事が進むようになっているそうで、それを、『因果律』と呼んでいるそうです」

 

「それも、神が村にかけた呪いのひとつか?」

 

「はい。そうだと思います。で、その因果律のひとつに、『村には求導師と院長が存在しなければならない』というのが、あるのではないか、と」

 

 村には求導師と院長が存在しなければならない――あり得ることだった。村では、定期的に神迎えの儀式が行われる。そのためには、求導師と院長は絶対的に必要なはずだ。

 

 二十七年前、神迎えの儀式が失敗したことにより、眞魚教求導師・牧野怜治は、代替わりを迫られたが、彼にはまだ子供がいなかった。

 

 また、宮田家では、災害によって一人息子を亡くしている。

 

 牧野家、宮田家ともに、後継となる者がいなかったのである。

 

 吉村兄弟は、『村には求導師と院長が存在しなければならない』という因果律に従い、牧野家と宮田家の後継者となるため、異界から戻ってきた、と考えられるのである。

 

 つまり、この『因果律』に従えば、異界に飲み込まれても、現世に戻ることができるかもしれない。

 

 しかし。

 

「残念ながら、この法則は、あたしたちには当てはまりません」安野が言った。「この法則で現世に戻れるのは、求導師と院長の後継者にふさわしい人物です。あたしたちが当選する可能性は、まず無いでしょうね」

 

「だろうな。残念ながら、私も、お前も、教会や宮田医院と何の関係もない」

 

 と、竹内が言うと。

 

「――あああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 突然、安野が悲鳴を上げた。

 

「なんだ、急に?」耳を塞ぐ竹内

 

「あたし、宮田先生に『宮田医院に就職してみないか?』って、誘われてたんでした!!」

 

「……それで?」

 

「大学に残って研究したいことがあるから断ったんですけど、あの時OKしていれば、あたし、現世に戻れてたかもしれないのに!! しくじったああぁぁ!!」

 

 頭を抱えて悶える安野。安野が宮田医院に誘われた? 宮田司郎という男は、宮田医院をお笑い芸人の養成所にでもしたかったのだろうか?

 

「……先生、なにか言いました?」

 

「いや、何も」竹内は咳ばらいをした。「しかし、『村の因果律』というのは、なかなか面白い説だな」

 

「そうですね。この法則に従えば、今年の儀式の失敗により、求導師と院長は異界に飲み込まれ死んだわけですから、現世の羽生蛇村では、後継者が求められているはずです」

 

「ふむ」

 

「よって、あたしたちの知らない所で、後継者にふさわしい誰かしらが、異界から現世に戻ってるかもしれないですね」

 

「確かに、な」竹内は腕を組んだ。「同じことが、神代の娘にも当てはまるかもしれん」

 

「と、言いますと?」

 

「神迎えの儀式を行うためには、求導師と院長以上に、『神の花嫁』が必要だ。これも、村の因果律によって定められているはずだ」

 

「そうですね」

 

「だが、次の代の神の花嫁を産むはずだった神代家の長女・神代亜矢子は、八尾比沙子の手によって殺されてしまった」

 

「はい」

 

「だが、神の花嫁が必要ということが因果律によって決められているならば、次代の花嫁を産むにふさわしい誰かが、現世に戻っていることもあり得る」

 

「次代の花嫁を産むにふさわしい誰か――それは、誰でしょうか?」

 

「…………」

 

「…………」

 

「さあな。なんにしても、この法則で我々が現世に戻れる可能性は無いことは確かだ」

 

 安野は腕を組み、うーん、と唸った。「そうとも言い切れないんじゃないですか?」

 

「と、言うと?」

 

「話はちょっと前後するんですけど、先生って、二十七年前、この村に住んでたんですよね?」

 

「そうだ」

 

「一九七六年八月二日の深夜、御両親と一緒に実家の居間でテレビを見ていたら、地震が起こった」

 

「そうだ」

 

「で、気が付いたら、瓦礫の中を一人で歩いていた、と」

 

「そうだ。それが?」

 

「先生って、この時、一度異界に飲み込まれだけど、なんらかの原因で戻って来た、ってことはないですか?」

 

「――――」

 

 言葉を失う竹内。

 

 安野の言う通り、竹内は一九七六年八月二日の深夜、両親と一緒に、実家の居間でテレビを見ていた。

 

 そして、日付が変わった三日、神迎えの儀式が失敗したことにより、村は、災害に見舞われた。

 

 竹内は意識を失い、気が付くと、瓦礫の中を、両親の姿を探し、一人で歩いていた。

 

 自分は異界に飲み込まれなかった――ずっと、そう思っていたが。

 

 あの時、竹内と一緒に居た両親とは、二十七年後の今年、この異界で再会した。

 

 つまり、両親は、二十七年前の災害で、異界に飲み込まれたのだ。

 

 同じ部屋にいた竹内だけが異界に飲み込まれなかったとは、考えにくい。

 

 ならば、安野の言う通り、自分は一度、異界に飲み込まれたのか?

 

 当時の竹内の記憶ははっきりしない。深夜、地震が起こる直前と、朝、瓦礫の村を一人で歩いていたことはよく覚えているが、その間のことは、何も思い出せない。

 

 仮に、あの時異界に飲み込まれていたとして。

 

 なぜ、現世に戻ることができたのだろう? そこに、なんらかの因果律が存在したのだろうか?

 

 ――判らない。情報が少なすぎる。そもそも、自分が本当に異界に飲み込まれたかどうかも確かではないのだ。前提が間違っているかもしれない。間違った前提から答えを導き出しても、それは間違った答えである可能性が高い。

 

「……安野」

 

「……はい」

 

「なかなか面白い説だ。今後は、この説を中心に調査を進めることにしよう。それが、現世に戻る最も近道かもしれん」

 

「そうですね。では、この件は引き続き調査する、ということで」

 

 安野は、黒板に赤チョークで花丸を書いた。

 

「……さて、異界から現世に戻った人は、だいたいこんなものか」

 

 竹内は黒板を眺めた。吉川菜美子、四方田春海、吉村一家……意外と現世に戻った者は多い。あきらめずに調査を進めれば、我々も戻れるかもしれない。

 

「あ、先生。待ってください」と、安野。「もう一人、異界から現世に戻った人がいます」

 

「もう一人? 誰だ」

 

 安野は、白チョークを取り、黒板に名前を書いた。「――八尾比沙子さん、です」

 

 八尾比沙子――眞魚教の求導女にして、羽生蛇村が呪われる原因を作った張本人だ。

 

 一三〇〇年前、八尾比沙子は、天から降ってきた異形の者の肉を食べ、不死の身体となった。同時に、村は呪われた。以降、比沙子は神を食べた罪を償うため、一三〇〇年もの長い間、神迎えの儀式を繰り返してきたのだ。

 

「――二十七年前の事件の時、比沙子さんは、先代の神の花嫁を宮田医院の地下室に監禁した後、現世に戻り、何事も無かったように求導女を続けています。おそらく、羽生蛇村の呪われた一三〇〇年の歴史の中で、何度も異界と現世を行き来しているではないかと」

 

 安野の説明に、竹内も大きく頷いた。「それは間違いないだろう」

 

「なぜ、比沙子さんにそんな力があるのか? 神様の肉を食べた比沙子さんは、神様と一心同体であると考えられます。つまり、神様とほとんど同じ力を持っているわけです。ですから、現世と異界はもちろん、常世や、他の次元でさえ、簡単に行き来することができるのです」

 

「恐ろしいことだ」

 

「はい。恐ろしいことです」

 

「だが、八尾比沙子の力を借りれば、我々も現世に戻れる可能性があるわけか」

 

「そうかもしれませんが、これも、可能性は低いでしょうね。比沙子さんは今、並行世界に首を届けるのに忙しそうですから」

 

 神が死んだ後、八尾比沙子は奈落に落ち、その後、うつぼ船に乗って、必要とする全ての世界に首を届ける存在となった。つまり、無限に存在する並行世界を渡り歩いているのである。この世界に戻って来る可能性は須田恭也同様1/∞であり、仮に戻って来たとしても、竹内達を助けてくれるとは思えない。

 

「この方法には、期待できないな」竹内はそう結論付けた。

 

「そうですね。では、この件はダメということで」

 

 安野は、黒板の八尾比沙子という名前に大きく×を付けようとした。

 

 だが、二本目の線を交差させようとしたところで、その手が止まる。

 

「――どうした? 安野」

 

「…………」

 

「…………」

 

「……先生」

 

「なんだ」

 

「あたし、現世に帰る方法、判っちゃったんですけど」

 

 

 

 

 

 


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