冬の寒い日です。小学生となった私こと水谷響は、登下校を共にする子と別れて住宅街のひとつにある一戸建ての我が家に帰宅致しました。
明日は休日のため姉は仲の良い友人の家に泊まると言っていたので、私が帰ってきたのを見届けて戸締りだけ念押しし、早々に駆け出て行った。
とはいえ、行き先は五軒ほど先の幼馴染の家なのでそう急がなくても良かっただろうとは思う。
いや、彼女の元気の良さは長所だとは思うのですが。
そう考える私に対し、私は母に似て穏やかな子だね、と近所のおば様は笑っているけれど。さて、どうなのでしょうか。
兎も角、家で一人になった私は玄関にしっかり鍵をかけてから手洗いうがいを済ませて二階の私の部屋に戻りました。
少し前までは姉が一緒の部屋だったのですが、中学生の年頃はやはり自室がほしいもののようで。
父が趣味の物を飾っていたのを母がてきぱきと片付け(飾っていたものは収納棚の中にしまわれた)、姉は部屋を勝ち取ったのでした。
二人だと少し手狭だった部屋も、一人になれば広いものである。
私用に買われた勉強机の横にランドセルをかけて、宿題を取り出す。
今の私の前はめんどくさがりだったが、まぁ流石にこの年頃のものがこなせなくてどうするという、少しの見栄もあったりなかったりです。
私からすればひどく簡単な計算問題を終えて、ふと喉の渇きを覚える。
そうなれば何か飲み物を飲もうかと考えて一階に下り、リビングに入る。
「?」
しかしそこには、見たことのない男の人が座っていた。
いや、見たことはある。しかし会ったことはない。
私は識っている。けれど知り合いではない。その存在は。
開かれたドアに気がついて、「やぁ」とやけに親しげに笑みさえ浮かべられた。
逃げ出そうと思わず足を一歩下げると、彼はにこにことしつつも立ち上がり、大仰な仕種で無害だよと言わんばかりのアピールをする。
「ごめんごめん、驚かせるつもりはなかったんだ!」
白々しい笑顔は曇りなく、彼を知らない人間から見れば毒気を抜かれるものはあっただろう。
しかし流石に不法侵入者に毒気を抜かれるもなにもあったものじゃない。
いくら小学生といえども、見知らぬ他人が家の中にいるなんて、警戒して当然である。
「あなた誰ですか。警察、呼びますよ?」
部屋に入る前に気づいていれば玄関脇にある電話を……いや、そもそも家を出て近所のおば様方に助けを求めたのに。
こういうときは働かない勘に、少し己自身を罵倒して距離を保つ。
じりじりと近づく男に、私もまた背中は見せずに玄関に後ろ向きで進む。
僅かに無言の合間に、リビングで男の見ていたテレビのニュースが、聞こえてきていた。
『本日で二軒目、同じ手口で惨殺された家が発見されました。また、現場には前回と同様の何かの図のようなものが描かれているとのことで、警察は同一犯と見て捜査を進める方針だと公表しました』
こくり、と唾を飲み込んで、焦りを押し殺す。
「あー、今流れてるニュース。ほんとに犯人、捕まると思う? 君は」
「……、私が通報すればすぐだと思います」
「あはは、やっぱバレちゃう? いやーこれでも興奮は抑えてたつもりなんだけどね!」
にこにことしつつ、とうとう玄関に背中を張り付かせた私に手を伸ばした男は、恋でもしてるように頬を紅潮させていた。
子供のか弱い力で青年の力に敵うはずもなく、あっさりと掴まってしまった私を、彼はうっとりとした目で見下ろす。
「実家の倉におんぼろの本があってさ、そこに悪魔を喚ぶための魔方陣? みたいなのがあってさー、それが冬木なら喚べるかもってあってね! 来てすぐに目についた若い夫婦の家に行って、そんで試してみたんだけど、やぁっぱダメでさ~。何か間違ってたかなーって一昨日もやってみたんだよね。あの家は三人子供がいて、でも両親は年食ってて好みから外れてたんだけど。でも子供が良い反応してさぁ! 親を目の前で殺して、血を集めて魔方陣描いてみたけど、どーもまた上手くいかない! んで、子供だけでもういっちょやってみたんだけどさ、それも上手くいかなかったんだよねぇ。何が悪かったんだろうね? んで、今日はたまたま君が見えて、なんていうかこう、びびっときたんだよ! 運命ってやつ?!」
私の腕をつかんでリビングに引っ張り、棚に置いていたガムテープを取り出した男は楽しそうにそんなことを言いながら私を拘束していく。
しかし、どうやって入ったのかはまったくの謎なのだけど、何でしょうか、ピッキングでも覚えてるのですかね? この人は。
「あ、で、オレが誰かだっけ? オレは雨生龍之介! 巷じゃよく、殺人鬼だのなんだの、必死こいて探されてるんだけどねー。でも警察も無能なのか、それともオレが上手く隠れてるのか!」
愉しそうに笑いながら私をガムテープでぐるぐる巻きにしてソファに転がせた彼は、私の姿をまじまじと眺める。
そう。彼こそは倫理観の破綻した殺人鬼、雨生龍之介その人である。
何の因果か私に目をつけたらしい彼はこうして家に浸入し、舌舐めずりをしている。
まるで蛇が獲物を品定めしているような目付きだ。
こうなれば私も一応、殺される前に最後の抵抗をする覚悟を決めた。
だから今は暴れず、大人しくその行動を見つつそのタイミングを計る。
「やっぱさー、もう少し試してみたいってのが子供心みたいな! そんな感じでね。あ、でも君可愛いしすぐに殺すのってもったいないなぁ。どうせなら呼び出した悪魔にぐっちゃぐちゃに壊されるのも見てみたいし! ……あ、そうだ、まだ血以外って試したことなかったし、試してみようかな。えーと、血の代用っていったら何がいいかな」
一人で盛り上がる雨生龍之介は、魔方陣を描くのに代用するつもりで勝手に収納棚を開けていく。
この男、なんて遠慮のなさなんだ、と思ったがたぶん帰ってきた家人をも殺すから関係ないと思っているのだろう。
そうなったら共働きの両親が同じ時間に帰ってこないのが特に悔やまれる。
同時刻ならどちらかが囮になれば助けを呼べるものを……と思ったけどその場合私はすでに事切れてるはずだ。けれどそれは少し嫌だ。
「仕方ないし、クレヨンにでもしとくかな」
姉と私の分二つの箱を片手にした雨生龍之介は、テーブルを動かして絨毯を剥ぐとフローリングに直接描き始めた。
困った展開だ、と思いつつ集中して魔術回路のスイッチをいれる。
現実世界で魔術を使うのは初めてのことなので、上手くいくかはわからない。
どちらかといえば私は呪術を使うようだけど、私的にそう大して結果は変わらないのでどちらでもいい。
眠っている間に起動をさせることはあるとはいえ、ぎこちない感覚にもう少し真面目にオンオフの練習はしておけば良かったと後悔しつつどこを触れられても良いように全身に信号を発する。
本当なら、離れていてもできるのが一番いいのですけれどね。今の私にはないものねだりです。
「えーと、この子はここでよくってっと」
テーブルに放置していたらしい古文書を片手に、描いた魔方陣の横に立って彼は棒読みで尚且つところどころ間違えながら召喚の呪文を唱え始める。
これは触れられるのはこれが終わってからかもしれない。が、まぁ警戒はそのままで構わないだろう。
どちらにしてもここで成功しても、失敗しても私が殺されればそこまでの話だし。
そうなれば物語に支障は殆どないとはいえ、流石に私も死んでしまいたいわけではないです。絶対彼に殺されるのは痛いだろうし。
「って、やっぱダメだよね~。まぁ仕方ないか」
呪文を終えても何も起こらないそれに、彼はあっけからんと諦めて私ににこやかな笑顔を向けた。
外面はいいだけに、邪気のない狂喜の笑みは子供のような純粋さを感じさせる。
それはひどくアンバランスさを感じさせもするが、嫌に彼はそれが似合っていた。
「お待たせしてごめんね。じゃあこれから、楽しい愉しい、パーティーをしようか」
どこから取り出したのか鋭く磨かれたメスを持った雨生龍之介は横たえさせていた私の足を掴んでその手を振るう。
私の魔術は、その効果を直ぐに発揮せず、足の筋を切られてから現れた。
「これで、何かあっても逃げられ、な……? 何、目が回っ」
驚いて瞬く間に、私の術は彼を蝕みそうしてその体は傾いだ。
ドサッと音を立てて倒れながらもうめき声をあげない様子にちゃんと術が効いたのだと安堵して鼻で深く息をする。……口はガムテープで塞がってるから仕方ないのです。
ちなみに彼に施したのは、触れたら体に送られる信号にたいして動きを止めることと、脳に向けて意識を失うという私の命令を繋いだのだ。
正直上手くいくかは時の運もあったのだけど、成功して良かったです。未熟で拙いのは再認識したけど。
でもこの後どうしようかと少し思い悩む。倒れても、拘束されてるのではね。動くに動けないというか。
どうにかもぞもぞと芋虫のように動くが、ソファから転げ落ちて彼の頭に足をぶつけただけだ。……流石にその程度じゃ死なないとは思う。
でも術がしっかり効いているようで、何よりです。
「むぐぐっ」
誰か助けてほしい。せめてこの拘束を解いてくれれば……。
「んん?!」
いたい! 手の甲が何か痛い! あと熱い?
何ですかもう! 私悪いことしてないし、むしろ助けてほしいんですけど。
痛いのはノーセンキューですよ勿論。
前世の事故だって、痛みを覚えてないからあんまり気にしてないだけなんです。
「貴様が俺を喚んだ物好きなマスターか? ……ふむ、縛られるのが趣味とは、中々なマスターのようだな」
痛みが治まって開けた視界に見えたのは、室内なのにブーツ。落ちてきたのはやけに確りとした男の声。しかして顔をあげた先には子供の姿。その手には分厚い本を掲げ、その表情は幼い中に、大人の持つ理性を感じさせた。
とりあえず一言。
「
こんなのが趣味な小学生とか嫌ですよまったく。
だからこら、何か書き出すんじゃないですよ。何でもいいからこの拘束を解いてください。
「フン、全サーヴァント中一、二を争ってもいいほど非力なサーヴァントに助けを求めるとはな。マスター、お前見る目がないんじゃないか?」
『何でもいいので早くガムテープといてください、お兄さん』
「…………」
いつの間にか繋がっていた目の前の少年との魔力の
しかし、とりあえずはガムテープをとってくれるようで傍らに足をついて、拘束を解いてくれた。何故か口は最後にはがされて終わったが。
とりあえず彼の事はさておき、念のため雨生龍之介の頭に彼の本を拝借して少しばかり強めの力で殴っておいて、警察と両親に電話する。
少年は「暴力女か」とか、震える声音で電話をしていた私を「その年で演技派とは将来は何になるつもりだ」とか下らない茶々を入れてきた。
まったくもって失礼な話だ。
でもとりあえず助けてくれたのでもう少し働いてもらうために外に出てもらい、庭から窓まで歩いてもらった。
…何故って、非力な小学生である私が一人で成人男性を倒せるわけがないでしょう?
窓は開いていたと工作して、近所の友達だと思うけど誰かが助けてくれたのだと言い訳します。
どうせ私一人しかいなかったんだから信じるも信じないも関係ありませんから。 納得してくれたならそれで結構。
「えぇと、一先ず警察が来る前に自己紹介しとく?」
「ふむ、能天気のように見えるが、それに反して冷静なようだな。お前、変な
「はいはい、お兄さんも十分子供に見えますよ。私は水谷響。一応、助けてくれてありがとう」
「俺はハンス・C・アンデルセン。此度の聖杯戦争は、というか適正があるのもそれだけだが、キャスターのクラスで現界したサーヴァントだ。所詮三流最弱の外れくじだがな!」
はっと鼻で嘲笑った少年もといアンデルセンには苦笑を返しておきます。
アンデルセンの名前が示す通り、童話作家の彼は、聖杯戦争というのに相応しくないほど非力な魔術師でさえない存在なのだから、外れくじといわれればまぁそうだね、としか言えない。
「とりあえずもう少し話したいところだけど、詳しいことはまた改めて、でいいかな、アンデルセン。上の右手が私の部屋だから待っててくれていいよ」
「そうだな。だがしかし、お前の話がどう受け止められるのか気になるので俺はここに残ろう。霊体化して待っている。事が終わったら先ほどのように念話でいいから話しかけてこい」
「うん。それではまた後で」
何かに気づいたのか、少しばかり目を眇めたアンデルセンは、光をまとってふとその姿を消す。
けれど姿が消えただけでそこにいるのはつながった魔力の流れからわかる。
とりあえずアンデルセンについては後回しにし、雨生龍之介の腕と足を自身にされたようにガムテープでぐるぐる巻きにしていたら、遠くからサイレンの音が聞こえてきた。
さて、ここからがある意味佳境ですね。
お父さんお母さん、早く帰って来てくれると嬉しいです。後、流石に切られた足が痛くなってきたので、アドレナリンが切れてきた証拠だと思います。
一応、意識としては皮膚が繋がっているように接続していると、認識。
たぶん、よほどのことがない限りひとまず動かすのに問題はないはずです。だから後は表面の傷がどれくらいの程度かが問題ですかね。
あ、でも何か面白い発見があるかもなので、彼の持っていた古文書は軽くコピー? みたいな感じでパラパラと眺めて私の精神世界にデータを送りつけておきました。
最近、変な力の使い方しかしてないので、やっぱり魔術師も呪術師もなれないと思いました、まる。