そして少女は夢を見る   作:しんり

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第三話

 こんにちは、水谷響です。

 私は今、夢を見ています。

 

 赤く重苦しいカーテンや毛足の長く踏めば柔らかな感触のしそうな絨毯。

 白い窓枠から溢れる光のあたるその中心には、成人女性が三人並んで寝ても窮屈ではなさそうなサイズのベッド。それを覆う布地さえも赤々としていて、埋もれるように横たわっている存在と同化を果たしているようだった。

 金色の刺繍の施されたその上に投げ出された赤い艶のある髪もほっそりとした足も手も白磁のようで美しく、私は夢とはいえ見てはならないものを見てしまったような錯覚を覚えます。

 

 でも、これは所詮夢。

 私のものではない夢。

 微睡む少女の見る夢。

 

 ここ数ヵ月、何の影響かわからないけれど、私は現実世界の姿で彼女のベッドの端でこの夢を見ている。

 しかしその間、彼女は決して目覚めない。目覚めたくないのかもしれない。

 

 彼女は、それ以外のことを知らないのだから。

 私など到底及ばぬほど、彼女は無垢で無知で何よりもヒトの営みを知らない。

 勝手に情報を開いてしまったけれど、でも少し寂しいとも思えた。

 

 けれど彼女は眠る。眠り続ける。

 これは夢と知らぬが故に、気づけぬ故に。

 

 そうなると、この夢に囚われた私は暇なわけなのですがね。困ったことに。

 

 たぶん彼女と波長が合ったから……だとは思うのだけど。

 まだ完全に把握しているわけではないけど、この夢を見るチカラは、いつかの魂が発現したものだ。

 その私は夢殿を渡り歩いては人の穢れに気圧されて引きこもる生活を送るような引きこもりだったらしい。時代背景なんて千も昔の話のようである。

 いやまぁそんなのは余談でしかないですが。

 

 さて、まだ体感一時間程度は暇だ。

 どうするかなぁと思いながらその少女の寝顔を眺める。

 

 散策するにも、彼女の知っている世界は狭いようでこの部屋のある屋敷の外観は全てを把握できない。

 はっきりとしているのは食堂と見事な庭園、そしてそこまで通じる廊下だけ。どこもかしこも豪奢な造りで、長い歴史と財力を感じさせるものばかりだ。

 

「いやはや……、本当に」

 

 美少女の寝顔は非常に眼福だと思う。

 その寝顔にさえヒトとしての何かが欠落しているように、まるで人形のような無機質なものであるのが恐ろしくもあるが。しかし同時に美しくも儚くもある。

 人というのは、本当に不思議なものだ。

 なぜ感情が不足していれば人形のように見えてしまうのか。

 彼女を見る毎にそう考えてしまう。考えても、答えなんて出るわけもないのだけれどね。

 

「…………」

 

 眠る彼女の傍らで私は子供のように足をぱたぱたとベッドに打ち付けて暇を潰す。

 その内飽きてきたぐらいには、きっと目覚める時間だろう。

 

「あなたはだれ」

 

 そう思っていたら、この数ヵ月もの間眠り続けていた少女の瞳が開いていた。

 寝転んだまま少し離れた私の顔を見ている彼女に、驚いていた私はすぐに微笑みを浮かべた。

 感情はなく無色透明で透き通った宝石のような人形のような眼差しを捉えて。

 

「はじめまして。私は響です。あなたのお名前を聞いてもいいですか?」

 

 数ヵ月の間に技能としてインストールされた言語機能を使いつつも、意図して優しく声を落とす。

 僅かに首を傾げた少女は、薄らと身に纏っていた警戒を霧散させて淡々とした声音で名乗りを返した。

 

「ソラウ」

 

 声音さえも人形のように硬質だけれど、それはきっと人との触れ合いを知らないからだ。

 だから彼女の世界は、こんなにも美しいのに暖かさも冷たさも感じられない。

 もっと暖かみのあるものを見たいという私の欲でしかないけれど、折角目覚めたのならば話をしましょう。

 

 私が納得いくまで、あなたが満足ゆくまで。

 刹那にも等しいこの夢のひとときの中で。

 

「私は、この夢の中の住人であるあなたのことが知りたい。対価に私は私のことを答えるし、あなたの望むものを可能な限り見せたいと思います」

 

 だから、よろしくしてくださいと握手のための手を伸ばす。

 彼女は無機質な眼差しに僅かに色を混じらせて私と手を交互に見やった。

 

「…………」

 

 じっくりとした長く感じる沈黙の後に、彼女は細く長いしなやかな指先を伸ばして私の手に重ね合わせた。

 

「よろしくお願いします、ソラウさん」

 

 少女は無感情ながら小さく頷き、呟くようによろしくと言った。

 そこまででこの夢のひとときは明るい窓から金色の光を射し込んで終わりを告げた。

 何かを言いかけた少女に、私はまたと笑みを向けて目を閉じた。

 

 その瞬間には私は自身の夢、いつもの白き空間に座っていた。

 目を開いてそれを確認したら、私も外の様子を見て目を覚ます。

 お昼寝の時間が、もう少しで終わるようだったから。

 

 

 それから翌日も、その次の日も、毎日のように私と彼女は夢の中で逢瀬を交わした。

 男女のような甘酸っぱいものでは決してなく、まるで姉妹のようなものを思わせる。

 姉をもう一人もったような、その情緒のなさにまるで妹でもあるような感覚を抱きながらも己を語れぬという彼女に私は自分のことを語る。

 私自身の語れることなどたかが知れているし、薄っぺらい紙のようなものだけれど。

 こんな私でも、多少はどういうものがあったかとか、どんな景色を見たことがあるかとか語れることもある。

 時には夢の一部分を譲ってもらい、その景色を見せたこともある。

 

 彼女は私の語る薄いものにも興味を示し、見せられた景色に何かを感じているようだった。

 時に他の人間から得た夢の残骸、感情の見本といえば聞こえはいいけれど、それを眺めたりだ。

 夢の残骸は、人の無念後悔幸福願望様々な心の跡。

 人とはどういう存在で、心とはどんなに多様なのか。それを彼女にあるがままに見せる。

 かつてあった生の私では到底御せず受け入れ続けたものだけれど、取捨択一できる術を識った私だからできること。

 私という自意識、もしくは遠い未来の術を得たからこそそれは可能なことだから。

 

 そして少女は、人を識り、心を知った。

 

 日をおう毎に心の在り方を覚えた少女は、それまで目を向けることのなかったことに何かを感じ、私にそれを尋ねた。私はそれに答えを出すわけでもなく、共に悩み共にそれへと名前をつける。

 知らねば在り方はわからず、名前がなければ区別がつかない人の不可思議な心の機微は、それまで心というものを解さぬ人の紛い物でさえあった彼女に衝撃をもたらしたらしかった。

 それまで無機質で義務的なものと思っていた使用人たちの心の隙間を見つけてはその形に思い悩む少女の変化は、夢の中とはいえ見ていてとても面映えて見えた。

 

「ヒビキ、あなたは不思議なヒトね」

 

 とある日。出会ってから一年は経過した頃である。

 突然そう漏らした彼女に、私は首を傾げた。

 

 私は他人からみれば確かに不可解な在り方だとは認識しているけれど、常に意識しているわけではない。

 それに、こうして誰かに言われたのは初めてのことなのでどうしても反応が鈍くなってしまった。

 

「ありがとう、といえばいいのかな。変だと思われる自覚はあるけど、初めて言われたし」

 

 そう言った私に彼女は少し瞬きして苦笑の形に唇を歪めた。

 

「お礼を言うことではないと、私でもわかるわ。でも、それがあなたなのよね」

「そう、なのかな? うん。ソラウがそう感じたのなら、そうなんだろうね」

 

 彼女はまだ心が未熟だからこそ、そのままの本質を掴んでいる。その内にこれは薄れてしまいそうだが、それもまた成長のひとつだろう。

 そうそう、彼女の名前を呼び捨てにすることになったのは結構前のことである。なんか、さん付けは違和感を感じるそうで。

 きっと、変な言葉使いになってしまったのだろう。まともに他言語を話すのは彼女が初めてだから。

 

「そう、それで、昨日初めて婚約者になる予定の人と会ったの」

 

 今まで屋敷のあそこのあれはどうで庭の花がここが綺麗に咲いていたとか父が時折指導してくれる魔術がどうとか、という話をしていた彼女の家の中の人以外の初めての話題である。

 彼女は優秀な、代を重ねた名家の魔術師の人間であるからして、その内に出てくる話だとは想像がついていた。そこに驚きは少ないものの、彼女がどう感じたのか気になって訊ねる。

 

「どんな人だったの?」

 

 そこには純粋な興味もあった。

 ソラウは、ほっそりとして美しい指先を頬に当てて「そう、ね」と考え込んだ。

 

 これが原作の通りであるのならば、その相手はロード・エルメロイその人だとは思うけれど。いや、年齢的にまだロードじゃない? その辺りは調べようと思ってなかったというかそんな気にしてなかったけど。

 結果はそう変わらないだろうからどうでもいいし。

 

「うちの家と同じく代を重ねた家系だからか、自信に満ち溢れていたわ。家を誇る気持ちがあるのは私も同じだけれど、彼は嫡子だからかそれが特に強いようだったわ。言葉の端々にそういうものが、滲み出ているようだった」

 

 でも、と口ごもった彼女は言葉に表すのが難しいようで眉間に皺を寄せて唇を引き結ぶ。

 暫くその様子で考え込んでいたソラウだったが、それらしい言葉を見つけたのかひとつ頷いて「例えるなら」と口を開いた。

 

「三日ほど前に見せてもらった、あのよくわからない狂人の夢のようなものを感じたわ」

「あーなるほど」

 

 なるほど、狂人の夢はさておき、彼女に対して彼は一目惚れというのをしてしまったらしい。

 確かに人形と見紛うほど整った彼女の造形に、最近は感情の色がこもってますます魅力的になっているのでその結果は納得のいくものだろう。子供の私が言うのも何ではあるが、それだけ少女は美しい。

 年頃の男子など慣れてなければ魅了にころっと転げ落ちること間違いないね。私が男だったらきっとそうなる。

 今まで男だった記憶はないから予想の範囲を越えないけれど。

 

「悪い人ではなかったんだよね?」

「それはそうね。そう感じたわ。お父様も自身の才能に溺れず研鑽を重ねることのできる天才だと、とても誉めていたわ。彼、アーチボルト家でも特に才能が突出しているそうなの」

「現状は相手として不満はない、と」

「えぇ、それは勿論。それにもし嫌だと感じてもお父様が決めた相手だし、私は嫌だとも言えないわ。……本当は少し、この年頃にある『恋』という物語のようなこともしてみたかったけれど」

 

 困ったように微笑んでみせるソラウに、私は「そっか」と呟いてその顔を見つめる。

 彼女は連綿と続く魔術師の家の子らしく、しかしその覇権争いのために魔術を習っている。兄が無事嫡子となれた故に他家に嫁ぎ、そして血を繋ぐために子を成すことを厭わないだろう。だからきっと、恋に憧れを抱いてしまうのだろうが。

 その結末を思い起こして、苦いものを感じる。

 

 まだ暫し先の未来ではあるけれど、彼女は聖杯戦争に参加する婚約者に付き添い、使い魔として召喚された英霊の魅了に抗うことなく受け入れて恋に燃える。その結末は、結局のところ結ばれるわけもなく、空しく散らされるだけ。

 それは、こうして語り合うようになって感情を知り心を語る少女にはあまりに重い。

 

「ならさ、ソラウ。その婚約者となった人に、恋はなくとも、愛を抱いてみよう? これは私が強制できることではないけれど。でも、苦楽を共にするのならば、嫌だと思ったことも、良いと思ったことも伝えてみよう。その彼が、私が以前語った彼女のような眼差しをしていたのならば、きっとソラウに応えてくれるから。今度からソラウは、受け入れるだけじゃなくて自分の心を伝えてみて。私に語ってくれるようにさ」

 

 ならば、少しくらい少女に手を貸すくらい、してもいいだろう。

 結末が変わるとも、変えられるとも言えないけれど。ちょっとしたアドバイスなら、許されてもいいと思う。

 変わらないのならば、それは世界の抑止力。変わるのならば、それは私の自己満足。ただそれだけのことだ。

 

「愛を?」

「うん。私も、大それたことは言えないけどね。でも、夫婦の間に義務しかないのならそれはとても息苦しいものだからね。それなら早い内から嫌だと思ったところを、自分の好みに変えるのも……ありだと私は思うよ」

 

 彼女に勧めるのは自分好みじゃないなら好みになるように変えればいいじゃないということです。

 

「そういうのって、言わないと伝わらないし。ね?」

「……考えて、みるわ。確かにまだ出会ったばかりだし」

 

 私の言葉に頷いて、ソラウは未だ誰かに見せたことはないであろう笑みをその美しい顔に花開かせた。

 白く眩いその笑顔は、彼女を幼くさせる。

 けれど成長した後のその笑顔の美しさは、きっと可憐な野バラではなく、手入れの行き届いた大輪のバラのようになることを想像させられた。

 

「何よりも私には、ヒビキという友人がいるのだもの。例え彼が駄目でも、あなたと話をするだけで私は幸せというものを感じているわ」

 

 思わぬ言葉に、頬に熱が集まってしまうけれど、嬉しさが込み上げてきて言葉に困ってしまった。

 私の私欲で彼女の傍にいたというのに、それを捉えていてそう言うのだから。彼女は少し、私の想像とは違う方に成長してきている。

 

「あ、はは……ありがとう、ソラウ」

 

 照れ笑いでその言葉を受け取って頬をかく。

 

 彼女の世界には、確かに暖かな空気が漂っているのがその言葉の証拠だろう。

 夢の暖かさは、幸福を。冷たさは、敵意を抱いているものだから。

 この私は彼女の夢の中しか殆ど入っていないけど、『私』は確かにそれを知っていたから。

 だからここは、こんなにも居心地がいいのだ。

 

 彼女が私を知って、真正面から受け入れているから。

 そして私を快きものと捉えているから。

 暖かなこの夢を見てみたいと思った結果に囚われているのだから、まったく私は呆れたやつである。

 これがまた治ることがないのだから、笑えてしまうのだけどね。

 

 うん、まぁそれでも、ソラウが幸せと言ってくれるのならそれでいいか。

 何せ、年は離れているとはいえ私の初めての友人だからね。

 


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