そして少女は夢を見る   作:しんり

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第二話

 いまだ薄暗く太陽のあがりきらない中、起き上がった私は大きく欠伸を溢しつつ洗面所に立ちます。

 鏡を見れば、ぼんやりとした顔が映っている。

 

「んっ、冷たい……」

 

 お湯を出すために蛇口を捻り、流れ出る水の温度を確かめるために指を流水に浸す。

 暫くは冷たいままだった流水が熱すぎずほどよく温かい温度になったのを確認して顔を洗います。

 冷たかった指先もお湯で温まり、目も覚めました。

 

「おはようございます、響様」

「おはよう、ハサン」

 

 私の気配につられて起きてきたのだと思われるハサンには、祖母が使っていた部屋を貸しました。

 サーヴァントに寝食は必要ないとは聞いているし知っていますが、それでも一緒に生活していく上で私が落ち着かないと思って渋るハサンを納得させたのですが、うん。召喚から三日と経てば慣れた様子です。

 召喚した当日の夜は部屋の前や屋根の上で待機する、と言ったのを説き伏せてよかった。

 

「今日の学校帰りは服を買いに行くよ。折角なのだし、ハサンのための服を買いたい。君は美人だから、きっとなんでも似合うだろうから」

「そんな、私なんかには勿体無いです、マスター」

 

 朝食の用意を進めながら昨日考えていた予定を伝えると、焦ったようにそう言われてしまいました。

 ちらりと様子を窺うと、彼女は仮面の下に覗く顔を赤らめていたので照れているのが見てとれます。

 ハサンの性質を考えると贈り物くらいはされてそうなものなんですけど、やっぱり想像していることが違うのでしょうか。……うーん、それは何時か見えるといいかな。

 

 視線を手元に戻し、品目は少ないがこれで完成として朝御飯にしようと火を止めて作ったものを皿に盛り付ける。

 二人分のご飯をテーブルに並べて向かいあって座り「それとも」と先程の続きを口にする。

 

「ハサンは命令された方が気が楽なのかな?」

「……私が、着飾ることを、ですか?」

「うん。どうせなら君と町で遊ぶのもいいかなって。どうかな?」

 

 じっと仮面の奥の瞳を見つめると、彼女は考え込んだ。

 しんと静まった空間に壁にかけた時計がチクタクと秒針を刻む音がやけに大きく聞こえてくる。

 十秒。二十秒。四十秒。五十九……一分。

 

「それでは、その……一着だけ……」

「ふふふ。ありがとう、ハサン」

 

 結局たっぷり三分ほど悩んだ末にもじもじとしつつ頷いてくれたハサンがとても可愛らしくて、私は思わず笑ってしまいました。

 そんな私に彼女は戸惑いながらも照れた様子で肩をすぼめて、小さく「いえ、はい……」と頷きました。

 そんな様子にも笑みが浮かびますが、一先ずは少し冷めてしまった朝食を食べて学校へ向かう準備を整えます。

 

 のんびりとハサンと話をしつつ用意をしていると、向かうには丁度いい時間だ。

 私の家は新都なので、深山町にある高校には少し早めに出ておかないと間に合わないため、人の気配が多くない時間に家を出る。

 

『ハサン、放課後までだいぶ時間があるし、君は町を見て回る?』

『いいえ……響様のお供をさせていただきます』

『そっか。あんまり構えないと思うけど、それでもよかったら好きにしててね』

 

 弾んだ声で「はい」と返事をしたハサンに私はついつい笑ってしまう。

 ハサンが霊体化していなかったらきっと尻尾がはち切れんばかりに振られている幻覚が見えそうだ。

 何となくハサンは犬みたいで、とても可愛らしい。

 

「おはよう、水谷さん」

「うん。おはよう」

 

 のんびりとした足取りで登校し、教室に入ってクラスメイトと挨拶をかわし、自分の席に座る。

 ハサンはやや入るのに迷った挙げ句、教室の後ろの方……掃除用具入れの上に座り込んだようです。

 霊体化しているので見えませんが、これでもマスターなので、大体の場所はわかります。でもその場所のチョイスはいかがなものかと思うのですが。

 

 何かを言おうかな、と思いもしましたがハサンがそれでいいのなら何も言うまいと考え直す。

 暫くの間本を読んで過ごしているとチャイムが鳴り、いつものように藤村先生が駆け込んできた。

 かと思えば何かに足を引っ掛けた様子でスッテーンと転がり、頭からぶつかったようだ。

 

「おおい、藤村先生?」

「うわ、鼻から血出てるじゃん」

「あー今鼻から見事にいったみたいだしねー」

「誰かティッシュ」

 

 前の列の生徒が藤村先生の容態を確認しつつ誰が保健室に連れていくかと話をしているようです。

 何分藤村先生って、こう……勢いよくくるので、勢いがよすぎてたまにこうなるんですよね。困ったことに。

 一月の内の半数はこうやって転んで気を失うので、皆この光景には慣れたものです。嫌な慣れですけれど。

 

「じゃーんけん」

「ぽん」

 

 今日はじゃんけんで連れていく人を決めたようで、負けた野球部所属の子が藤村先生を背中に乗せて保健室へと向かいました。

 それを見送った後は、 皆のんびりとそれぞれで話をしながら一限目の準備をします。

 移動教室の他クラスの生徒が廊下を足早に歩いていく影を窓越しに見つつ、私も机の中から教科書とノートを出してから先程の本の続きを読むことにしました。

 

 ハサンも先程の光景には驚いたようですが、二限目の英語でピンピンとした様子の藤村先生に今度は呆気にとられたようです。

 藤村先生の回復力はすごいですからね。回復力というより、生命力と言った方がいいかもしれませんが。

 

『本当に元気のいい方ですね、フジムラというこの女性』

 

 自分にはないものだと素直に感心しているらしいハサンが私の隣に立ちノートを覗き込んでいます。

 それから廊下の方に出てみたりとしているので、苦笑半分にハサンに学校を見回るようにと伝えます。

 少し悩んだハサンも危険はなかろうと認め、学校の把握に行くと残して行きました。

 

 ハサンが敷地内すべてを隈無く見て回り把握したそうで、頼りになるサーヴァントだなと思いながら、私は授業を受けました。

 すべての授業を受け終われば、特に部活に所属もしていないので早く帰るだけです。

 今日はハサンの服を買うと言ったので、そのまま新都のショッピングモールへと向かうことにします。

 

「うーん、どれが似合うだろう」

 

 人避けの礼装をハサンに持たせて店員を遠ざけつつ、あれこれとある色とりどりの服を彼女にあてながら悩みます。

 ハサンは似合うものがわからないから任せます、だなんて逃げの手を打ってきたので、かれこれ二時間ほど購入を迷ってモール内をさ迷っているのが現状。

 白色もよく似合うし、とそこで家にワンピースがあったなぁと思い出す。

 ギルガメッシュに連れ回されて適当に色々あれこれと買い与えられた中のひとつに彼女にも合いそうなそれがあったはず。ただ、今はまだ寒いので上に羽織るものとか……ああ、あとセーターとか買おう。マフラーも欲しいかな。

 コートは暗色がいいだろうか。曲がりなりにも暗殺者だし、あんまり目立ちすぎず溶け込めるように、と。

 

 目の前のお店に目を止めて、それから先ほどまで回っていた幾つかのお店の商品を思い出して決めます。

 

「ちょっと買ってくるね。待ってて」

「は、はい」

 

 一先ずは目についたセーターと同系色のマフラーを買い、それが入った紙袋を提げて別のお店へと向かい、ズボンとコート、それからスカートと買っていく。

 ハサンがこれでは一着ではないとおろおろとするのを流しつつ、最後に試着室を借りて着替えてもらい、残るショートブーツを購入して買い物は終了した。

 

「うんうん。とってもよく似合っていて可愛いよ、ハサン」

 

 コートはまだ着てないので見た目はすっきりとしたものだけど、ラインが分かりやすい服装がこれまた美しい肢体を持つハサンにはとてもよく似合っていた。

 見立てた本人が思わず見とれてしまうくらいに、とても。

 素直な感想を伝えると、仮面をつけていない素の顔を一瞬で赤く染めて俯いてしまいました。

 

「そんなに照れなくてもいいのに。……それじゃあそろそろ外に出ようか。あ、でも先にコートを着ようね。そのままだと外じゃ寒いし」

「……はい」

 

 照れて顔が赤いままのハサンにコートを渡す。

 コートに腕を通し、ボタンを閉めるのを見届けて私は彼女に手を差し出します。

 

「さぁ、行こうか」

 

 ハサンはじっとその手を見つめて、それからおずおずと手を重ねる。

 お互いの少しひんやりした手が重なって、やがてほんのりと温かくなっていく。

 その体温を感じながらハサンを連れていく場所は、新都の公園です。

 

「……ここは、……?」

 

 ハサンが疑問を浮かべるのも無理はないだろう。

 何せこの場所はかつて十年前に起きた聖杯戦争の終息地。

 新都の再興において開発されることなく今も残る朽ちた場所なのだから。

 

 人がいないのを確認し、ハサンの手を引いて歩きながら私はかつての事を語る。

 

「ここにはね、昔私が暮らしていた家があったの。この公園でいえば端の方だと思うけど……」

 

 夢に見るかもしれないし、薄々感付いている部分もあるだろう。

 それでもハサンには語っておくべきだろうと思ったからここへと連れてきたけれど、あぁ。やめておけばよかっただろうか。

 

「前の聖杯戦争で聖杯がこの中心で降りたんだ。私はあくまで遠くから視て知っているだけ。それも、私がキャスターを喚んでいたから、分かったことなんだ」

「響様が、前回も参加を……」

 それでも、言っておくべき事柄だろうから、言葉は止めない。

 例えこの場所に、怨念のようなものが残っていたり、何かの残滓があったとしても、だ。

 

「うん。彼とは聖杯が降りる少し前に別れたのだけどね。ここは聖杯から溢れたモノによって大火災に見舞われたの。誰かの願いなのか、聖杯が選んだことなのか、はたまた他の何かによるものか……詳しいことは私には判らないけれど、とにかく一面が焼け野原になって新都の町はこの通りってわけだ。まぁ、私は動くこともままならずにいたところをギルガメッシュに助けられたのだけど」

 

 足元から這い上がってくるような悪寒を振り払いながら、ハサンの手をぎゅっと握りしめる。

 私の様子が不審なのか、小さく名前を呼ばれる。

 少しだけここに入るのは失敗だったと後悔しながら振り返ると、静かでけれど澄んだ眼差しが私を射ぬいた。

 一瞬どきりとしたものの、どうしてかその瞳にさざめいていた心が落ち着いたような気がする。

 

「ここにはよくないものがいる気配があります。この場所に関連が強いマスターなら、尚更その影響があるのでしょう。……魔術については詳しくありませんが、死の気配ならば私にも分かります」

「そ、っか。……うん、ハサンが言うならそうなんだろうね。ここは、本当によくない……」

 

 実に十年振りにこの場所に足を踏み入れたけれど、思った通りだった。

 殆ど無意識的にも避けるほど、この公園はそういうモノが逃げ場なくさ迷っている。

 私には視えないけれど、何となく感じとることくらいはできる。……母や父、姉がその中にいなければいいな、なんて分かることないことを思いつつ、深呼吸します。

 

「でも、君は知って然るべきだと思ったんだ。私をマスター()として認めてくれたからこそね。私の始まりはここに眠っているから」

 

 私を愛し、慈しんでくれた家族の眠る場所でもあるから、知ってほしかったのか。

 かつての聖杯戦争のことを知ってほしかったのか。

 アンデルセンのことを思い出したかったのか。

 あの頃の模倣品以下だった子供と別れるためか。

 

 理由はわからないし、もしかしたら理由さえもないかもしれない。

 それでも、私のサーヴァントであるアサシン(ハサン)には言うべきだという考えが浮かんだからこそ、私は今日彼女をここに連れてきたのだ。

 服を買い与えたのについてはただの趣味、ついでということで納得してもらうことにしましょう。

 

「マスターは、響様は、ご家族や……前のサーヴァントを愛していらっしゃるのですね」

「……驚いた。そんなこと言われるとは思わなかったですね」

 

 思いがけない言葉に本気で驚いてしまいました。

 けれど、そう言われればそうだな。きっと。

 

「……愛しているか愛していないか、と聞かれるとたぶん愛していたと、思います。愛というのは形がなくて難しいですが。うん、まぁ、親愛の情は抱いていましたよ」

 

 曖昧な言い方にはなってしまいましたが、仕方ないことです。

 はっきりそれを愛だと断ずるには、私の機能は不足している。

 

「正直に言うと、私は人として少々不足している部分が多いです。だから、ハサンからしても変わっているな、と思うこともあるかもしれない。そして君は、かつての私のキャスターのように、私の記憶を見てしまうだろう。善いものも悪いものもあるだろうけれど」

「たとえ……例えどんな記憶であろうと、私のマスターはあなたに間違いありません! だから、どうか、そんな寂しそうな顔をしないでください……」

 

 やや食い気味に言葉を遮ったハサンは、どんどん勢いをなくして萎れたように項垂れる。

 ひどく気を使わせてしまったようで申し訳なく思いながら、自分の頬に手をあてる。

 ……寂しい顔をしていたのだろうか。自分の顔がどんな感情を見せているのか触ったところで判らない。

 でもきっと、些細な変化も見逃さないアサシンが言うことなのだから、そうなのでしょうね。

 

「うーん、なんだかごめんね。別にここに来なくても話せたことなのに」

「いえ、響様が謝られることではありません。それに私は……こうして服をいただけて、あなたの隣を堂々と歩けただけでも十分満足しています。過去の事を話していただけたのも、マスターから更なる信頼を得られたからだと思いますから」

 

 私の顔を見て微笑んだハサンに、私は「そっか」と返事をするに留めました。

 どうしてこう、私のサーヴァントたちは嬉しい言葉をくれるのでしょうね。

 なんともくすぐったいものを感じながら「帰ろうか」と笑みを返せばハサンは花が綻ぶような笑みで頷いた。

 

 彼女にとっても、そして私にとっても、この時間は泡沫の一時に過ぎないのでしょう。

 けれどそれでも、確かに楽しいと思えるのならば、お互いにとってかけがえのない思い出にもなるのでしょう。例え結末がどうなろうとも。

 


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