そして少女は夢を見る   作:しんり

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アンデルセンの物語はCCCの章冒頭の語りを参考にしています。


エピローグ

 冬木の新都の大災害から三年が経ちました。

 

 私は一時、聖堂教会にお世話になりましたが、母の兄が私を引き取り、五年前に亡くなった祖父母の家をそのまま与えられました。

 なんでも、伯父は奥さんと別の家をもっているそうでそちらにいるそうです。だからと言って仲が悪いわけではありませんよ。

 ……ただ、母が亡くなってしまったことに、一家で私だけが生き長らえてしまったことに喜びと悲しみが入り交じってどうにもならないようでしたが。

 

 それ自体は悪いとも言えませんので、伯父からは両親の残った遺産から適度な金銭を渡され生活をしています。

 ついでにいうなれば伯父の娘さん、つまりイトコが私をとんでもなく嫌っているので離れて暮らした方が子供のためになるという判断でもあります。

 離れてしまうことで苦労をかけさせる分伯父が毎日送り迎えする、と言ってくれましたが、その関係で週に何度かという程度にしてもらいました。ゆくゆくは無くしてしまうつもりです。

 それに一応、一時的にお世話になった聖堂教会の神父が、近所でもあるから定期的に様子を見に来てくれることになったので伯父も安堵しているようですし。

 

 聖堂教会の神父。言峰綺礼さん。やはりというか、ギルガメッシュのマスターに代わった元アサシンのマスターであります。

 知識としては識っているとしても別に彼に何かがあったのかとか聞く気もないですし、彼も受肉してなお王様なギルガメッシュからの命令ということもあって従っている風情でした。

 命令とはいえ、見ていると対等なところもあるようですが。

 

 まぁでも、流石に引き取った孤児となった子供たちを魔力供給源にするという発想はないな、と思いましたけどね。

 何故かギルガメッシュが愉しそうに言ってきたので、私の精神衛生上よろしくないから私から魔力を持っていけと契約してしまったのですけども。あの王様私がそう言ってくること狙いなのが丸わかりです。どちらかといえば、私がどう判断するかというのを愉しんでいる様子でしたが。

 

 すでに息も絶え絶えとなった子を除き、子供たちはそれぞれ本当にそうなのかはさておき、親戚筋の方に引き取られたり、見るからに怪しげな人たちに引き取られたりしてその姿を聖堂教会から消していきました。ほぼ虫の息だった子供はすでに安らかな眠りについています。

 私はその中でも最後になったので私以外がいないことは間違いないです。これで魔力供給源にしていたら「マジナイワー」と言うのは間違いなしですよ。まったく。

 

 ええと、後はそうですね。

 ライダーのマスターとは、彼のアルバイトをしている期間に数度会うことがありました。

 お互いそんなに聖杯戦争の話をすることはありませんでしたが、簡単に日本語の指導役みたいなことをしたので嫌われてはないはずです。

 彼のホームステイ先にも伺ったことがありますし。

 彼は私が家族を喪ったことを聞いてというか、知って割りと親身になってくれたのです。ありがたいですね。それに、本当に優しい人です。

 

 そこで魔術の基礎を習ったのですが、彼はすごく教えかたが上手で思わず夢で会ったソラウにそういう話をしてしまいました。

 ソラウは私が教えて良かったのにと少し嫉妬のようなものを見せつつ、何かを考えた様子で心配してしまいましたが。

 

 彼女と婚約者さんは、いろいろと派閥争いでごたついているそうでしたが、資金を貯めその後帰国したライダーのマスター、ウェイバーさんも巻き込んで何とか乗りきったらしいです。

 そういったことについて詳しい話は聞いてないですが、近々婚約者とは結婚するそうです。

 その上で、早急に魔術刻印を一族の誰かに継がせて、更にその人から自分の産んだ子供に継がせるとのことでした。

 なんとも、ハードな人生を歩む友人であります。

 

 無理はしないでほしいなと思いながらなんだかんだソラウと、彼女の婚約者さんの家の後見を受けて奔走するウェイバーと交流は続いています。

 ここ一、二年はエアメールを送ったやり取りなので時間はかかれども楽しいですよ。

 

 あと、直接関与したことも顔を合わせたこともないのですが、セイバーのマスター衛宮切嗣は一人の少年を養子に迎えて、時折海外に愛娘を取り返そうとその家に行っているようです。

 そう言峰がちらりと教えてくださいました。なんでも、今の彼は特に脅威にはなりえないし興味も失ったがそれでも動向を気にしてしまうのだそうです。執念深いというか、何というかですね。

 

 そんなことはともかくとして、彼の養子である子とは同級生ですので、関わる機会はないにしても話の節々にその人の影響が出ているのも感じられました。

 だからと言って何かある、というわけではないですけどね。

 間桐の家とか遠坂家とか特に関りは持っていないので割愛します。遠坂家の娘は同級生とのことですし、いつか関わる機会も出てくるかもしれませんね。

 兄弟子に当たるのだという言峰は会わせる気はないようですし、私も会おうとは思っていないのでそれでも構わないでしょう。

 

「さて、今日は掃除しないとね」

 

 ぽかぽかと暖かい春の日射しに洗濯物を干し終えた私はうんと背伸びをする。

 一階建ての家だが一人で管理をするのは骨が折れる。伯父は週四ぐらいの頻度ではくるけれど、片付けはてんでだめな人なのだと奥さん、伯母が言っていた。

 彼女は日中私が学校に行っている間、夕食を簡単なものとはいえ作ってくれているので実にありがたい話です。

 

 まぁそんなこともあると納得して、それ以来自分でできる範囲のことはするようにしていますが。

 料理も土日の内に深山町にある伯父の家にお邪魔したりしているし、たまに教会で作れと王様に引っ張られたりすることもある。

 ギルガメッシュにはたまに魔力を根こそぎもっていかれることがあるのですが、何をそんなに使っているのやら。

 

 祖父母の使っていた部屋と自分の部屋、それから水回りの掃除を終わらせると、あんなに高い位置に日がのぼっていたのに、今はすっかり傾いてしまった。時間の経過は早いね。

 今日は伯母もこないので、残っている食材を使って自分で晩ご飯を作ります。

 凝ったものを作るのは面倒なので、簡単にチャーハンと付け合わせにサラダで完成です。

 

 そんな簡単なご飯を食べ終わってからすることもないので戸締りの確認だけしてささっとお風呂に入ってしまい、髪を乾かしてからお布団に籠る。

 ここ二年冬場から初夏にかけてたまに朝目が覚めたらギルガメッシュが暖房がわりに私を腕におさめていることもあるが、それ以外は至って平穏で何事もない毎日を過ごしています。家の鍵は随分前に複製されてしまったので諦めました。

 

 学校などに行けば被災者の残った子供ということで最初の頃は腫れ物を触るような扱いでしたが、まぁ年がたてば気にもならなくなりました。

 元々そうしたことは気にしていない方でしたし、そんな扱いをされた記録はいくつもありますからね。

 

 いつも通り夢を渡った後に三年前に比べて色が少し増えた白い空間に戻る。

 普段はその花やら何かの飾られてゆくその空間にいますが、たまにぱったりと意識を失う時は花の彼のところに行ったこともあるので、その際に渡された輝く花も在ったりします。それは一輪だけですけど。

 あの人、私を支点にしてこの世界を観測するつもりなのです。嫌だとは思ってないのですが、私生活を見られるのは女として恥ずかしいです。流石の私もそういう恥じらいはもっていますから。

 まぁそう訴えても彼は笑って流すだけでしたし、ギルガメッシュにもそれは通じないですが。

 

 魂の記録のインストールもあの戦争でだいぶ進んできたので、器の中で区画ごとに取り分けているような状態となっています。更に要すれば、フォルダわけしてるみたいな感じですね。言葉で表現するならば、おおよその時代ごとや世界の種別、名前のリンクをしているものと、という感じでしょうか。

 それもいつかきっと、語れる時がくるかもしれませんね。今の私から別の私に繋がる同じであって少しだけ違う私の可能性(if)の物語が。

 

 今はまだ、この先に続く人生()を歩まねばなりません。

 いつ終わりの時がくるのかは今の私にはわかりませんけれど。

 

 その時まで、今しばらく私の物語は続くことでしょう。

 花が開く、いつかの時まで。

 

 

 

 

 

 ──女の話をしよう。

 

 女はただ日常に埋没した。

 普遍的な(変化ばかりの)日々。普遍的な(変化の少ない)人々。

 そして時々の非日常(予想外)

 

 女は平和を愛していた。

 けれどその愛は一方的なもの。

 誰に求めるわけでもない愛など、愛と呼ぶにはあまりに稚拙だ。

 

 

 けれど女はそれで良いと言う。

 それがいいのだと人形()は笑う。

 

 

 では日常が日常でなくなったならば?

 そうなったのならば女はどうなるのか。

 

 答えは変わらない。

 

 何故なら日常とは変化の日々だからだ。

 変化する日常が日常であるからこそ。

 

 女はそれを容易く受け入れる。

 

 

 女はそうして受け入れ続けた。

 けれど何事も限度というものがある。

 

 (人形)の容量を越えたそれらは受け入れる(人形)を壊そうともがく。

 

 けれど器はまだ未完成な土塊。

 容量が足りそうにないならば新しい土塊をつけたすだけ。

 

 そうして(人形)を大きく広げしかし美しく見えるようにけれど決して脆くなきようにと整えられてゆく。

 乾燥させて焼きあげて更に美しい模様(化粧)を携えられながら。

 

 焼き上がった完成品は愛されるべき至宝となるだろう。

 その作品(人形)の表層を人は心に浮かべて。

 

 

 ではその中身はどうであろうか。

 人形()の中身は空洞でしかない。

 

 しかし女は人形であれども人を理解する機構を持ち駆動する。

 模倣することを覚えて自身で自身の機能を積み上げていく。

 

 そんな自動人形(人間)へと変質した(感情を覚えた)女はそうして生まれてまた壊れることを繰り返し繰り返し行う。

 故に人形の中身は不良品(幾多の人生)を詰め込んだ、とっておきのガラクタ(人のなり損ない)だ。

 

 しかし人間は美しい人形(ガラクタ)見た目(表層の感情)だけを見て評価(判断)をする。

 その真実を知ろうともしない人間たちは彼女に花を添えてゆく。

 人形が更に美しく華々しく朽ちることのないままであるようにと。

 

 そして人形はそれを受け入れる。

 それが人形が人形である所以。

 感情を理解し感情を模倣し感情を表す機構をもった自動人形の末。

 

 しかしてその人形()の未来はいったい何色に染まってゆくのか。

 それは何時かのお楽しみ。

 

 人形()を変える何かに出会うことがあったのならば。

 夢を見る(その人)はきっと、美しく花を開くことでしょう。

 




感想、誤字報告、閲覧してくださった皆様、ありがとうございました。
この物語はひとまずこれにて完結とさせていただきます。


ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。

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