そして少女は夢を見る   作:しんり

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第十四話

 私は恐怖を覚えません。私は怒りを覚えません。

 そのふたつの感情を理解はできますが、自分の心に抱くことはついぞできないままです。

 それは魂の色がどうしても精神に作用してしまうからです。

 どこかの世界では、確かに表面的にそのふたつの感情を示すことはできましたが、やはり私にはそれを継続させることはできませんでした。

 私という個の魂がここまで表層に出なければ、普通の人間としての振る舞いに問題は生じなかったのでしょうけれど。それは今や夢幻と消えた可能性です。

 

 

 アンデルセンは、そんな私を魂の底まで見抜いたようです。

 いいえ、夢に見てしまったのです。私が夢を見るその傍らで。

 

 

 この夜。聖杯戦争の終わりの予感を身近に感じさせました。

 そんな時に、無言でその物語を差し出されたのです。

 人の心を理解し、人の感情を有し、しかし心の底では何も望むべきことも心を揺り動かす愛も感じはしないことをつづった、人の姿をした器の物語。

 

 彼らしい絶望の影を感じさせる話ではありますが、物語の中で完成された美しい器は、色とりどりの花々に飾られたと締め括られています。

 これはきっと、彼なりに感情を得ろという言葉の表しなのでしょう。……本当に、ツンデレなんですから。

でもそんな彼のことは、嫌いにはなれません。

 

 ふと思い返せば私にはもったいない人が、私に関わってくれる。この上のない幸せだと思います。

 いつの記録でも、どこかの点で、そんな人と関わることがあるのです。

 だから私は人というものを嫌いになりきれないのでしょう。

 

 自覚はなかったとはいえ、夢を渡る私は人の穢れを負いやすくありましたから。

 その穢れを払う方法を教えてくれた人にも、感謝は尽きません。

 ええ……彼もまた、英霊の座についていることでしょうけれど。私には会う価値などありはしません。

 いや……しかしそれは、今の私には関係のない話でした。

 

「狼煙、か。あれはここにいるぞとかいう自己主張だろうな。目立ちたがり、いいやマスターを集めるものだろうな」

 

 予感がするままに目を覚まして窓の外を見ていた私の隣にアンデルセンが立つ。

 彼に「そうかもね」と返して、礼装という形で渡された彼の(物語)を撫でる。

 

「ねぇ、アンデルセン」

「……」

 

 横にある彼の顔を、覗き込みます。

 私の方が身長が低いので、当然下から見上げる形です。

 

「あなたに、令呪をもって願い(告げ)ます。あなたの身を蝕む痛み(呪い)が、この現界の間消えるように。……重ねて令呪をもって願い(告げ)ます。あなたに、心からの感謝が伝わることを」

「……ハッ、お前は、やっぱり底なしの馬鹿者だな。こんな俺に、そんな無駄な命令を下すなど」

 

 「馬鹿だ」と、困ったようにも呟くアンデルセンに、私は笑います。

 きっと、この偽らざる感情(願い)が伝わったのでしょう。

 

「あなたの書いてくれた物語、大事にします。あなたは私との出会いを覚えていなくてもいいですから。ただ、どこかの読者はあなたの物語に確かに感謝をしたのだと。だから、うん。あなたのこれより未来のマスターが、あなたの書くに足る人物であることを願います」

「ふん、そんなのはわからんな。未来のことなど、現時点のこの俺とは一切関わりないところだ。しかし……それでもお前の願いは確かに受け取った。いつか、どこかの召喚でお前の物語を再び書くとしよう」

 

 もっと悪態づくかとも思ったが、最後ということで意外と素直になっているようだ。

 まったくもって、彼は私にとって得難きサーヴァントです。

 この世界でこんなにも私を理解する者が増えるとは思いませんでした。私を理解するのは、大抵がどこか変な人ばかりなのですけどね。

 私の表層意識は完全に『普通』の人間に近しいと認識はしているのですが、人を見る瞳があれば、わかってしまうのでしょう。

 

「お前の……いや。我がマスターであり、我が読者である、水谷響の未来に痛みのない安寧があることを願っておくとしよう」

 

 囁くような男の声が、淡い燐光とともに消えかかる。

 

「ありがとうございます。アンデルセン。私のキャスター」

 

 消えかけたその姿に笑って、手を伸ばします。

 彼は残った半身を、消えかけの手を私の手に重ね小さく笑いました。彼にしては珍しい皮肉の感じさせないものです。

 

「ああ……」

 

 吐息のような声を最後に彼の姿はこの世界から消え失せた。

 

 そして感じる寂しさは人間の機構として自然なことだろう。

 これは、過去に幾度も感じたものですからわかっています。

 感情というのは、色んな場面で見てきて知っています。この肉体で感じるのは初めてのことではありますが。

 

「うん。でも、なんだかんだこの二週間くらいは、楽しかったなぁ」

 

 楽しかった。楽しかったのです。

 彼の記憶を見たときから、同類のものを除いてこの世界の誰よりも理解し得る存在だと思いましたから。

 彼はきっと、魂の記録の中でもかなり特別だと思います。

 そこに恋愛感情というのはもつれ込まないですけれどね。

 

 私には、恋も愛も、理解はできても受け止めるだけしかできませんから。

 私自身に備わっていないわけではないのですが、どうにも薄っぺらいものでしかないです。

 親愛も友愛もこれがそうなのだろう、ということはできますけれど。ソラウとかね。

 ただ、人の感じる他人への強い愛の心はどうしても抱けない。

 強い感謝を幾人かには向けたが、そこにも恋も愛も違うものでしかないのです。

 

「……きっと、今夜で終わってしまうね」

 

 運が良ければ、世界が私の生を許したのならば私は生きているだろう。

 ……残念ながらこの家は、狼煙のあがった市民会館からそこまで遠いわけではない。

 今夜の戦闘の余波を被ってしまう可能性は高い。

 

 一応結界は張るし、アンデルセンが作って置いていた礼装が幾つか残っている。

 ないよりはある方がましという程度のものですが。

 

 私は彼の作ったそれらを持って、ベッドに横になります。

 ゆっくりと瞼を閉じ、やがて肉体は眠りにつきます。

 

 

 目覚められたのなら、きっとそこは地獄なのだろう。

 

 

 そんな確信にも似た未来を感じながら、私は白き魂の箱でその時を待ちます。

 何時もと違うこの空間に首を傾げて確認する。

 

「は、な?」

 

 ぽつん、と足元に転がっていたそれに瞬きます。

 一瞬花の彼によるものかと思いましたが、すぐに違うと思う。……たぶんこれは、彼の物語の影響だ。

 あれは私の表面ではなくて、深層に影響を及ぼすようだ。流石、アンデルセン先生である。

 

「まったく、理解したうえでこれなのだから、こ憎たらしいものですね。いつかまた会う機会があれば、文句をつけるところですよ、アンデルセン」

 

 思わず笑ってしまいながら、ソファに横になる様に寝ころび、つんつんとその花をつつく。

 花弁を散らした傍からひとつ蕾が開くのが不思議です。

 花から感じる暖かさに目を閉じながら、私は目を閉じる。

 

 そうしてどこか遠くで、何かが壊れていく夢を見る。

 

 金色の光り。赤黒い血。赤い炎。

 誰かの悲鳴。誰かの怒声。誰かの悲嘆。

 誰かの痛み。誰かの怒り。誰かの嘆き。

 

 これはきっと、世界の隙間にあいた孔から見えるもの。

 視すぎてしまったら、きっと囚われてしまうもの。

 

 だから私は、それから目をそらして深く眠ります。

 私にできることは、何時だってどこでだって、ありはしないのですから。

 

 私にできるのは、ただあるがままのものを受け入れることのみ。

 それは過去から続く、どうしようもない真実なのです。

 他人の願いの皮を被ることはできるけれど、私はどこかで破綻してしまうからできない。

 どこかの誰かのように、自身の糧に、燃料にすることも能わない。

 どうしようもなく、見た目だけの見せかけだけの、私の友人以上の人形だと思います。

 

 私はでも、それでも人の生を歩くのはきっと、世界がそれを望むからなのでしょう。

 私はいつだって、そうなのだから。

 何かの犠牲となることだって構わない。私はそうでしか在れないから。

 

 

 ふ、と耳を澄ませばパチリパチリと何かのはぜる音が聞こえてきました。

 意識すればそれはどんどんと大きく耳鳴りのようになる。

 

 その音に引っ張られるように急速に精神が目覚め、肉体を起こす。

 

 すると、開いた視線の先には、私を挟むように頭上で積み重なった瓦礫が視界に映る。

 けれど、私の体は足に角材が乗っている他は問題ありません。

 足が傷ついてしまったことに何かの因縁かと感じつつ、上体を起こします。

 

 手をついた先は、体を包んでいた布団だが、埃や石くずに汚れてしまっている。

 瓦礫に角材が乗っているので僅かに隙間があったので、その隙間から無理矢理足を横に捻って手で引っ張りながら引き出します。膝より下だったので助かりましたね。

 

 両足を出せたのでやっと落ち着いて、私はようやく周辺へと目を向けました。

 瓦礫から見える先にはパチパチと炎が爆ぜる、天をも焦がすような赤い世界が広がっています。

 

「ああ、これは……」

 

 私の回りには、炎の爆ぜる音しか聞こえない。

 人の呻きも、聞こえてこない。

 ……きっと私が無事なのも、彼のお陰なのだろう。破れてしまった礼装を見下ろしてそう思う。

 でも、彼の書いた物語は無事だから良かった。それだけが、私が今心配する事柄でした。

 

 ここは地獄です。赤い灼熱の世界です。

 世界に開いた孔は閉じ、その災禍をこの一帯に撒いただけ。

 

 聖杯の、黒き泥はこの世の全ての悪を詰め込んだもの。

 先程夢で私が視ていた孔は、黒き聖杯の開いた点だったのです。

 

 家族はきっと、この土塊のどこかに埋まってしまったでしょう。

 私のいる周り以外は瓦礫と炎しかありません。呻きさえ、聞こえてこないのです。

 

 その喪失の悲しみを抱きながら、私は膝を抱えて本をその中に包む。

 ある程度炎が収まらない限り、出ても助かりはしない。焼かれたら痛いですし。

 やっぱり死ぬのなら痛みはなく、というのが私の信条でもありますから。

 そこだけは譲れません。いいえ、それだけはですね。

 どんな死でも構いはしませんが、やはり痛くなければそれがいい。

 

 

 そんなことを考えていただけでどのくらいの時間がたち、どのくらいの人が死んでいったのかはわかりません。

 

 でも、それでも私は、彼に見つけられました。

 彼。私を、見定めるかの王は。

 

 ただ裸に赤い布を纏っただけという凄くコメントのしづらい格好で、でしたが。

 まるで犬か猫のようにひょいっと掴み上げられた上にそのような姿だったもので、複雑な気持ちになってしまうというものだ。

 彼は死にはしないと思っていたのですが、さすがにそれは予想できませんでした。

 

 ギルガメッシュの気紛れかとも思いましたが彼が私を助けるというのならば、拾うというのであれば、それを拒む必要も意味もありません。

 だから私は、ただその赤い瞳を見つめ返しました。

 

 私はまだ世界に生きることを認められたのだから。

 認められる限り、私は決して死ぬことはないし死ぬことはできないのです。

 そこに喪う悲しみはあれども、私は今までもこれからも、その在り方を変えることはできないですから。

 

 ギルガメッシュに抱えられて遠のく赤い世界を見つめながら、私はそっと微笑みました。

 

「おやすみなさい、お父さん、お母さん、お姉ちゃん」

 

 家族の顔を思い浮かべながら、私はその死の安らぎを願って別れを告げます。

 私の異常性を感じながらも受け止めた、優しい家族には笑顔で以て別れるべきだと私は思います。

 

 くつくつとギルガメッシュが喉を鳴らして笑われてしまいましたが、そんなに可笑しいことだとは思いませんよ。

 いえ、普通の人間の反応ではないとは自覚していますけれど。

 

 彼の反応に苦笑してしまいながら、私は目を閉じてしまいます。

 少しくらい家族の夢というものが見えたらいいなと、そう願います。

 


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