不見倶楽部   作:遠人五円

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最後かもしれない今日

  机に突っ伏しても邪魔にならなくなった髪を指先で弄り、隣に座る友里を見る。面倒そうな顔をして透き通った金髪を掻き上げる友里はいつも通りのようで、その先の窓からは、昨日の悪天候が嘘だったかのように雲一つない快晴の空と、そこから降り注ぐ陽の光が窓から差し込み願子の目を焼いた。

 

「痛ったぁ」

「何やってんのよ」

「もう今日の放課後なんだなって黄昏てるの」

 

  昨日、副部長は話が終わると願子たち四人を残して、次の日また来るように言うと本当にさっさと帰ってしまった。あんなことがあった当日だというのにほっとかれ、副部長曰く大丈夫とのことだったが、『こちやさなえ』が姿を現さないかビクビクしっぱなしで願子は一睡も出来なかった。おかげで朝から上手く頭が働いてくれず、濁った頭では煮え切らない行動をとることしか出来ない。

 

「もう信じるしかないでしょ、あの不見倶楽部の副部長って人あれだけ余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)って感じだったんだから」

「そういえば副部長てさあ、いったい何者なんだろうね」

 

  不見倶楽部。新入生歓迎会にも出ず変な名前の部活のよく分からない男がただ一人だけ部室にいた。学校とは思えぬ豪華な部室、そして願子たちの知らないことを知る男。副部長のおかげで話は急激に進みはしたが、副部長のこと、おまじないのこと、『こちやさなえ』のこと、願子たちの中の疑問は、ほとんど解決していないと言っていい。

 

「この問題に異様に詳しくてさあ、それに不見倶楽部って副部長だけなのかな?」

「副部長っていうんだから最低でも部長はいるんじゃないの? 昨日は一切姿は見えなかったけど」

「っていうか普通ああいう立場の人ってすごいイケメンだったりさ、なんか特徴あるもんじゃない? なんか平凡って感じの容姿だし」

 

  副部長は本当に特徴の無い男だった。容姿は良く言って中の上、悪くて中の下、唯一言えそうな特徴は、身長に対して少し長めの手足と、ある意味それに見合った細い体躯。髪は無造作で、制服を改造しているわけでも無い。どこにでもいそうな風貌は、学校で見かけたとしても記憶に残らないであろう。

 

「あのね、それはあんたが夢見すぎよ、むしろ容姿までおかしかったら逆に信用できないでしょうが。ってか副部長ってなんなのよ結局名前分かんないし」

「え、そうなの? 友里たちは知ってると思った」

「知らないわよ、部室でもあんたが起きるまで黙ってなんかずっと書いてただけだし、私たちと自己紹介した時も副部長としか言わなかったし」

 

  友里は、「だから信用しきれない」と肩をすくめる。こうして情報交換していても、解決に向かわず疑問が積み重なっていくだけ。願子からすればどっちに転がろうとこの問題は今日終結することが決まっているのだが、歯痒いことこの上無い。

 

「にしてもあんた意外と落ち着いてるね。もっと取り乱すと思ってた」

「ヘヘっ、私も」

 

  にへらと笑う願子の笑顔には、無理している気配は微塵も見られない。願子が落ち着いているのには当然理由がある。言ってしまえば、あんな目にあってもこの特殊な状況を信じ切れていないのだ。一度幻想などないと思ってしまったからこそ信じ切れない。中学生がする妄想や、テレビでやっているオカルト特集の方がよっぽど真実味があるとさえ思っている。。まさに起きながらに夢を見ているような気分。それに合わせて、『きっと面白いことだある』と叫び続けている好奇心センサーがいい具合に願子の心を麻痺させていた。

 

「そんなんで放課後大丈夫なの?」

 

 そんな一見能天気にしか見えない願子の態度は友里からすれば心配でしかない。一歩間違えば、すでに精神をやられていると思われても仕方ないかもしれないが、おまじないに対して覚悟を決めていると見れば、願子には落ち着いていられるもう一つの理由があった。

 

「大丈夫だいじょーぶ! 友里たちがいてくれるんでしょ、副部長はまだよく分かんないけど、友里たちがいてくれるなら大丈夫だって」

「全くあんたは」

 

  呆れる友里を尻目にまたにへらと笑う願子。おかげできっと大丈夫だという思いが、友里の中でも僅かながら強くなる。

 

「あらあらあら、願子さんに友里さん朝から仲良しね」

 

  しかし、それもすぐに終わった。

 

「塔子、あんたはもういつも通りってわけ?」

「あら友里さん、折角願子さんが私たちの命を助けてくれたのだからいつも通り過ごさなければ逆に申し訳ないというものでしょう?」

 

  無駄に豊かな胸を張って宣言する塔子に向けられる目は侮蔑(ぶべつ)の目が四つ。昨日は最も錯乱していた癖に、最も立ち直りが早いとはタチが悪い。当然そんな塔子には願子たちが何か言ってあげるわけもなく、微妙な空気が流れる。

  しかし、流石に塔子も思うところがあって何か心境の変化があったのか、いつもなら自分の言いたいどうでもいいことを紡ぐ口は、微妙な空気の中少し慌てた様子で咳払いをすると、「あらあら」とまた始めた。

 

「そんな顔をしないでちょうだい。私だって流石に今回は悪いと思ってるわ」

「ってことは今までは私たちに悪いと思ってなかったと」

「まあまあそんな細かいことはいいじゃないの、今回反省した私は、願子さんの助けになるべく昨日頑張ってきたのだから」

 

  副部長に次いで昨日すぐに帰ってしまったのは、四人の中では塔子だった。今のようなうるさい姿はまだ無く、多少気落ちしたまま帰って行ったのだが、それでいったい昨日何を頑張ってきたと言うのか二人には見当がつかない。見当がつかないが、碌なことではないだろうと予測できる。

 

「塔子がいったい何を頑張ったのよ」

「あら、願子さん気になるのかしら? ……分かったわもったいぶったのは悪かったからそんな目で見ないで頂戴。おまじないに関しては無理だったけど副部長さんの言っていたことの裏取りをしてきたのよ、結果は副部長の言った通り。確かに去年この学校の先生と生徒合わせて八人が亡くなっていたわ、これで副部長さんのこと少しは信用できそうでしょう?」

「そんなのよく分かったね」

「占いマニアの(つて)を使ったのよ」

 

  ドヤ顔の塔子を見る限り嘘ではないらしい。てっきりゴミと大差ない情報が出てくると思っていた願子たちの予想は大ハズレ。本当に塔子なりに力になるため頑張ってきたようだ。ただ占いマニアの伝というわけの分からない情報網にはお近づきになりたくないので、願子たちは深く突っ込むのをやめた。

  しかし、ここでまた新たな疑問が願子の中では湧いてきてしまった。元新聞部だからこそ余計になのだろうが、一年の間に八人もの人間が死ぬというのは大事件だ。だというのに入学する前も後もそんな話は全く聞いたことがない。残念ながら願子たちにその理由を調べる時間は無いため、これは副部長に聞くことが増えたなと願子は心の中でそう決めた。

  そんな疑問の応酬とも呼べそうな何も進まない不毛な会話劇を繰り広げる願子たちに近付き辛かったのか、三人の遠巻きで足踏みしていた杏がようやっと三人の方へとやってきた。

 

「お、おはよう」

「おはよう、杏ちゃん。昨日はよく眠れた」

「あ、いえ、実はあんまり」

「私もー」

 

  幸薄そうな杏が来て、遂にこれで四人が揃った。この四人プラス副部長で今日の放課後におまじないの決着を付けるのだ。四人からすれば副部長は頼りにはしているが然程当てにはできない。しかし、ここに今揃っている四人は違う。親友、新しい友、腐れ縁。繋がり方は違えども、いつでも背中を預けられる者たちだ。そう思えるくらいには、お互いがお互いを分かっている。

 

「も、もう今日の放課後ですね」

「ねー、なんか不思議な感じ」

「あんたはもうちょっと緊張感持ちなさい」

「あらいいじゃない、いつもの願子さんて感じで」

 

  ひょっとすると願子にとって最後かもしれない朝。だが願子には確信があった。三人の顔を見ているとこれが最後だという感じがしない。だからきっと大丈夫。そんな思いを胸に授業まで他愛も無い普通の会話に花を咲かせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ううむ」

「早く入りなさいよ」

「だってぇ」

 

  放課後、タイムリミットは近付くどころかもう過ぎているかもしれない。不見倶楽部の重厚な扉の前で四人は二の足を踏んでいた。願子は昨日意識の無いうちから無駄に豪華な調度品に彩られた空間に居たからこそそこまで気にしなかったのだが、まるで別世界のあの空間に自分から入るとなると少し気が進まない。絢爛豪華(けんらんごうか)な扉の上の壁に掛けられた不見倶楽部と文字の入ったプレートが、今いる場所が間違いでは無いことを十分願子たちに教えてくれているため、後は入ればいいだけなのにまごついてしまう。そんな願子の姿を高そうな取っ手の蛇の装飾たちは笑っているよに見える。西日になり差し込む陽の光をキラキラ反射させて輝く取っ手は、もういいからさっさと握れと自己主張するが、それでも願子の伸ばす手は空を切るばかり。

 だいぶ間が空き、ようやく手を取っ手へと伸ばした願子だったが、痺れを切らしたのは扉も同じようで、願子の手が触れる前に扉は小気味好く軋む音を立てながらひとりでに開いてしまった。願子たちの方にと外開きに開ききった扉の先には誰かが立っているわけではなく、本当に扉が勝手に開いたらしい。その不可解な光景に願子は手を伸ばしたまま固まっていたが、

 

「遅かったな」

 

  窓際の執務机に座る副部長の低い声が、昨日のように願子の意識を覚まさせた。副部長はまた何か手元で書いていたようだったが、扉が開いたことによって入った日差しに目を細めると、副部長は四人に手を招いてソファーの方へと身を移した。四人がソファーへと移った時には、すでに四つのコーヒーが置かれ、その光景は昨日の焼き直しだ。願子たちが座ると、扉が勝手に開いた説明も無く、前置きも無しに早速本題へと口を開く。

 

「その様子だとあれはまだ姿を見せてないようだな。お前たちがここに来る前にやられてなくてよかったよ。そんなわけで改めて作戦を伝える」

 

  ゾッとする遠慮の無い言葉を挟むと、副部長はおもむろに懐へと手を伸ばし、緑色をした布に包まれた何かを取り出した。その布は見たところ一般的にハンカチと呼ばれるもので間違い無い。刺繍などは無くまっさらな無地で、何の変哲も無いように見える。ただ、それに包まれたいるのは?

 

「あの、副部長。それっていったい」

「多分瀬戸際さんが考えている通りのものさ」

 

  そのハンカチの膨らみは、ここ数日嫌という程見てきたものだ。願子に友里はもちろん、塔子に杏はもっとよく分かるだろう。楕円を思わせるシルエット。それだけで間違いないと断言できる。

 

「副部長、どういうことですか? あたしにも分かりますよ、それって『蛇の卵』でしょう?」

 

  蛇の卵。

  それで間違いなかった。今願子たちの最大の悩みの種であり、最も見たく無いもの。現に塔子は目線を逸らし、願子も麻痺していた恐怖心が刺激され、一気に冷たいものが背中を流れる。

 

「そうとも、これが俺のとっておきだよ」

 

  そう言った副部長の顔は歪みなど一切なく口が綺麗な弧を描いた笑顔だった。確信しているのだ。これが、蛇の卵があれを穿つと。信じられない。意味が分からない。文句の一つでも言いたいのに、願子も誰もあっけにとられて喉が詰まってしまった。そんな反応を待っていましたと言わんばかりに、楽しそうに副部長の口は滑り出す。

 

「気持ちは分かる。しかしなあ、これは冗談なんかじゃあなく本当にとっておきなんだよ。よって昨日言った通りだ。これは出雲さんと桐谷さんの二人で持っていてくれ」

 

  大事に静かに包みを置いて二人の前へとそれは差し出される。国によって月の模様の見方が変わるように、ここ数日で卵の見方は随分と変わってきた。願子にとっては、初めは興味の対象、次にくだらないおまじないの道具、願いを込めたもの、恐怖の対象、そうやって形を変えてきた。それは他の三人だって同じはずだ。だから目の前に置かれた卵に全く手を伸ばそうとしない二人の姿は間違っていない。

  副部長はいったい何を考えているのかここにきてより分からなくなる。副部長だって分かっているはずだ。友里が四人の中で最も副部長を信用していないと分かっているはずなのだ。そんなこと願子にだって分かっている。副部長がそれを分からないなんて願子には思えなかった。他のものならまだいい。鉛筆でも消しゴムでも、スコップでも箒でも、蛇の卵以外ならなんだっていい。なのに『それ』は絶対駄目だろう。しかも副部長は昨日の段階で二人に最も重要なことを頼むと言っていた。つまり最初からこれを友里に頼むと決めていたのだ。

  願子が恐る恐る横目で友里の方を盗み見れば、コーヒーに全く手を出さず、行儀良く膝に置かれた二つの手は力一杯握り締められていた。友里だって分かっている。副部長は冗談じゃないと言ったからには本当にとっておきなのだろうと。しかし、友里からすれば今まさに親友で幼馴染の命が無くなるかもしれない状況を作り出した卵を手に取るなんてことしたいはずが無い。だからこそ、卵に手を伸ばしたのは友里ではなく杏だった。

 

「ふ、副部長さん。これを持ってればい、いいんですか?」

「ああ、それを二人は持っていてくれ、ちゃんと卵に祈ってな。後は瀬戸際さん、ほれ」

 

  卵を手に取った杏に念を押すと、副部長は懐からまた別のものを願子に投げて寄越す。一瞬蛇の卵かと警戒した願子だったが、受け取った手の感触からそれが卵などではなく、もっと平べったいものだということが分かる。手へと目をやれば、形状的に紙で出来た御守りらしい。

 

「あのー、副部長これはなんですか?」

「何って御守りだよ。昨日ぶっちぎった瀬戸際さんの髪を使った」

「私の髪!」

「そうだ、髪は女の命。昨日瀬戸際さんの命は俺が刈ったからな、つまりオカルト的に瀬戸際さんは命を取られたんだよ。だから昨日は奴は去った。でも瀬戸際さんが死んでないと分かったやつは戻ってきて瀬戸際さんの命を狙ってるというわけだ。そこでこの御守りは瀬戸際さんの命で作られ、やつに奪われていないからやつが来ても瀬戸際さんと瀬戸際さんの命に意識が分断されて逃げやすくなるって代物なわけだ」

 

  副部長の説明を受けたが、よく分からなかった願子は取り敢えず凄いなあといった声を上げる。ただ手にある御守りを見ても、副部長が言うような効果があるとは信じられない。

 

「さて、これで準備は整った。瀬戸際さんはもう後はほっつき歩いて来てくれ。やつは祟りとして凄いパワーを持っているから出れば分かる。そうしたら俺が行くからそれまでなんとか逃げてくれ。出雲さんと桐谷さんの二人は部室で待機だ。瀬戸際さんは俺がやつに追いついたら部室まで逃げる。これで全部だ」

 

  何度聞いてもシンプルな作戦だ。そんなんで大丈夫かと少し心配になるが、もうやるしかないと今一度願子は覚悟を決める。

 

「じゃあ俺も行くから」

「へ? 何処にですか?」

「部室じゃなくてもっとどこにやつが出ても駆けつけやすい所に行くのさ」

 

  副部長が動いたことでより一層始まる雰囲気が強まった。心臓の鼓動が早くなる。これは恐怖でもなければ武者震いでもない。ただ始まるという緊張によってだ。ただ、そんな副部長に一人が待ったを掛けたせいでそんな緊張も消え去った。

 

「あの……副部長さん、私は?」

「あー、悪い悪いすっかり小上さんのこと忘れてたよ。だからそんな顔するな、大丈夫大丈夫ちゃんと決めてる。いいかい、小上さんはな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぜんっぜん来ないんだけど」

 

  すっかり日は落ちた。

  部室を出てからまだ部活動に勤しむ生徒たちと煌めく諏訪湖を眺めながら行ったり来たり、登ったり下ったり、立ち止まって休憩したり、願子が不見倶楽部の部室を出てから数時間。全く『こちやさなえ』の影すら見えず、これではただ学校内を散歩しているだけだ。おかげで入学して一ヶ月も経たずに願子はこの数時間で校内に随分と詳しくなってしまった。日が傾いて段々諏訪湖の色が消え失せるのに合わせて願子の心も焦っていき、終いには小走りになって学校中駆け回ったが、現れたのは先生だけで、廊下は走らないようにと注意されただけだ。それに副部長とも三回すれ違った。

  今日で全てが終わると副部長から言われていたのに、もしこれで『こちやさなえ』が現れなかったら願子はただのまぬけでしかない。人生の中でこれだけ無意味な数時間を過ごしたことを願子は恐らく忘れないだろう。貰った御守りもこれではゴミ当然。何よりこの時間を無駄だと感じる要因のもう一つは今も願子の隣にいる。

 

「あらあらあら、願子さん駄目よそんな暗い顔をしていては、それではきっと来るものも来ないわ」

 

 ーーーージャラジャラ

 

 ーーーージャラジャラ

 

  来ない原因はその(やかま)しい騒音のせいなのではないかと文句の一つでも言ってやりたい。

 

「てか塔子はなんで私と一緒にいるのよ」

「あら、聞いていなかったの? 副部長さんが言っていたでしょう? 願子さんのサポートよ」

 

  やれやれといった動作まで鬱陶しい塔子に願子が返すのはため息だけ。

  願子が副部長の言葉を聞いていたかと言われれば、聞いていたに決まっている。聞きたくなかったが聞こえてしまった。聞き返したかったが、その時には副部長はもう出て行ってしまったため無理だった。おかげで願子は数時間も塔子と一緒に校内旅行だ。

 

「まあ副部長が言うんだったら仕方ないけどさ、せめてその騒音どうにかならない? なんの装飾か意味わかんないし」

「まあそう言わずに、ほら一つあげるわ、これは凄いのよ、いざという時助けになる紐で要は命綱みたいなものでね」

「いや、別にいらないし他のいっぱいあるやつは外さないわけ?」

「あら願子さん、これにはちゃんと意味があるのよ、悪霊退散とか幸運をとか。それに分かりやすいのもあるわ、ほらミサンガとかね、まだ何もお願いしていないけれど」

 

  これ見よがしに手首を見せて来るが、ミサンガよりも他の幾つもの派手な装飾品のせいでよく見えない。幾つもの小さな髑髏が付いているもの。木でできたよく分からない言語が綴られているもの。ミサンガよりもよっぽど禍々しく効果がありそうだ。いったいどこから見つけてくるのか。

 

「ミサンガとかどうでもいいよ。そんな装飾付けてるから出てこないんじゃないの?」

「そうね、だから付けてるのだけど」

「はい?」

 

  意味がわからない。願子の歪めた顔を見ても願子に差し出した紐を握ったままあらあらといった顔を止めない。『こちやさなえ』が出なければ副部長の作戦も意味はないのに。

 

「どういうことよ塔子」

「どういうことってそのままだわ、出なければ出ない方がいいじゃない。昨日のことも、卵のことも悪い夢だったでいいじゃない」

 

  塔子の顔が変わる。

  昨日と同じだ。塔子の余裕の空気は無くなった。あるのは虚しい音だけ打ち鳴らす数多の装飾と、怯えたただの少女だけ。

  願子もここまでくれば流石に分かる。塔子は怖かったのだ。昨日からずっと『こちやさなえ』に、蛇の卵に怯えていたのだ。今朝のいつもの様子もただの虚勢だっただけだ。

 

「それとも願子さんは出てきて欲しいの? あれは願子さんの命を狙っているのよ。出てこない方がいいに決まっているじゃない」

「でも塔子」

「それに友里さんだけじゃない。私だって願子さんがいなくなるのは嫌だわ、それも私のせいで。だって私たち友達でしょう?」

 

  塔子の言葉に嘘はないのだろう。

  昨日と同じような気弱な塔子の姿は初めて願子が塔子と会った時のことを思い出させてくれる。

  塔子を初めて見た時、今のように派手でも余裕な様子もなかった。ただどこにでもいる女の子で、杏に少し近かったかもしれない。初めて話した時も覇気が無く、今の弱ってる塔子と同じ様子だった。それがいつの間にか装飾が増え始め、占いに没頭し、気がついた時には今の塔子の出来上がりだ。

  思えば、あの時の塔子は今のように怖かったのかと願子は思う。それはきっと『こちやさなえ』のような常識外の範疇のものではないが、その何かから自分を守るために着飾ったのだろう。何かから自分を守り、逃げたい気持ちは願子にもよく分かる。だがしかし、今回はそういうわけにもいかない。

 

「塔子、私もあんたとは付き合い長いからあんたのことは少しは分かるつもりよ。でも今逃げてどうするのよ、友里も言ってた、一生あれに怯えて人生終えるの?」

「でも、願子さん」

「分かるよ、怖いんでしょ。それは私も同じ。多分塔子たちより実際にあれを見た私の方があれの怖さはよく分かるよ」

 

  嫉妬、怒り、欲望、悲しみ、恐怖。あらゆる負の感情、その形のないものを無理矢理水に溶かしこんだように、濁りきった泥水よりももっともっと黒い色に塗りつぶした色を宿している。あれを一目でも見てしまえば、常識なんて忘れてしまう。

 

「でもそれは駄目だよ、逃げるのは駄目。不思議なことやありえないことを前にした時、逃げるのは誰にだってできるよ。でも、でも違うの、私はずっと憧れてた。幻想や不思議に。今更出て来て、それも酷いものだけどそれを前にして逃げるのなんてありえない。私の好きな漫画や小説の登場人物だってそんな時は逃げないで立ち向かうの。塔子、あんただってそうでしょ、きっとあんたも幻想に憧れてる。分かるよ、私と塔子はどこか似てるから」

「願子さん」

「やろうよ、塔子。私たちならできるって!」

 

  困った笑顔だ。

  好奇心に犯された不純物の一切ない願子の笑顔が塔子に向けられる。

  塔子は願子のこれに弱い。

  自信もないだろう。根拠もない。なのになんでこんなにいい顔が出来るのか塔子には一切分からない。だから、そんな願子だから塔子は憧れたんだ。

 

「そうね……たまにはいいかもしれないわね……一回くらいなら」

 

  塔子の瞳に生気が戻っていく。それに合わせて打ち鳴らされる装飾の音からも喧しさが戻ってきた。

 

「塔子はなんだかんだ言ってそっちの方がいいよ、私たち友達でしょ」

「あら、願子さんにもようやっと私の良さが分かったようね」

「はいはい」

「じゃあそうね、このミサンガにはあれが出て来てくれるようにでも願いましょうか」

 

  塔子はすっかり戻ってきた。やっぱり腐れ縁の二人だ。友里とは違った友情の形が願子と塔子には確かにある。塔子が言う通り、確かに塔子と願子は友達だから。

 

「そうだね、じゃあついでにさっきの紐も貰っとこうかな」

「ええ分かったわ」

 

  握った紐を願子に渡すために引っ張ると、なぜか引っかかったように動かない。人の手に渡るのを嫌がるとはとんだ命綱だ。

 

「あら、おかしいわね。願子さん引っ張ってくれる?」

「えー、なんか締まらないなぁ」

 

  細い頼りなさげな紐を両腕で掴むと願子は力いっぱい引っ張った。

 

  ーーーープチッ

 

  そして確かに切れた。

  何が?

  切れたのはミサンガ。

  願子の視界の端に映る窓に何かが現れる。

  月明かりを通すはずのガラスに確かに人のような形の跡を残す。

  影より黒く。

  何よりも醜悪な祟りの汚泥がやってくる。

 

「どうしたの願子さん?」

「……塔子、やっぱりあんたないわ」

 

 




占い大好き塔子のことはもっと深くいつか書く

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