不見倶楽部   作:遠人五円

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祟り神

  拾い集めた情報を前に生徒会長と願子は難しい顔でそれらを眺めていた。神長官守矢史料館の代々の資料は綺麗に保管されていたおかげで探すのは容易であり、十二月二十二日には必要な資料を全て掻き集めることに成功する。普段は紙の劣化を抑えるために保管されている資料も、副部長の繋がりのおかげで見ることができているのが大きい。その資料は代々東風谷が記したものであり、今も東風谷の家の居間でそれを眺めることができていた。

 

「なんだか分からないけど大変ねー、今の部活はこんなことしちゃうのね」

 

  そう言ってお茶の入った湯飲みを二つ妙齢の美女が願子達に差し出しながら太陽のような笑顔を向ける。彼女こそ東風谷早苗の母親であり、その母親と知り合いであった副部長や生徒会長のおかげで特例で資料を眺めることができていた。

 

「すいません家にまで上げていただいて」

「あらいいのよ、普段貴女達みたいな若い女の子と触れ合う機会なんてあまりないし」

「叔母様も十分若いですよ!」

「芍薬ちゃんたらそんなお世辞言ってもお茶のお代わりが出るだけよ」

 

  普段呼ばれることを嫌う生徒会長の名前も、早苗の母親から言われる分には気にした様子もなく生徒会長が浮かべる笑顔は崩れない。柔らかい早苗の母親の雰囲気は、願子も数回しか見てはいないが確かに部長の母親なんだと言えるくらいに似通っている。数日前に知り合ったばかりの願子もすでに彼女のことが好きになっていた。

 

「でも良かったわ、あの子に後輩が出来たんだもの、五年間も一人でやっていたんだからきっと嬉しいでしょうね」

「…………そうですね」

 

  だが嬉しそうに不見倶楽部のことを語る早苗の母親の言葉にだけは願子も生徒会長も何も言うことができない。早苗の母親は東風谷早苗のことを覚えていない。ただ彼女が覚えているのは、かつていた娘を訪ねてやって来ていた副部長と生徒会長、副会長のことだけだ。彼らが何故東風谷の家を訪ねたのかというのは、娘に用があったからではなく東風谷の歴史に興味があってというものに書き換えられていた。早苗のことをよく知っている生徒会長が真実の話を出したとしても早苗の母親には冗談としか思われないだろう。それに真実を話そうとも願子も生徒会長も思わない。言ったところでどうにかなるわけでもなく、副部長にも口止めされていた。

 

「副部長はよく来てるんですか?」

「ええ良く来てるわ、東風谷の資料によっぽど興味があったんでしょうね、ただその分お願いもいろいろしちゃってるんだけどね」

 

  縁側の方を見ながらそう言う早苗の母親の視線を追ってみれば、縁側では副部長が赤ん坊の相手をしながら座っていた。赤ん坊はすこぶる元気がいいようで、伸ばされた手が副部長の耳を掴み面白そうに引っ張っている。

 

「私もようやっと娘が持てたし、あの子がよく相手をしてくれるおかげで子育ても大助かりよ」

「そうなんですか、あのお名前を聞いても?」

「勿論、(たまき)って言うの! 本当は娘には早苗って名付ける予定だったんだけどあの子が大反対してね。それなら名付け親になってってお願いしたの、彼は我が家にとって結構重要人物なのよ」

 

  東風谷早苗が幻想郷に行って一年、早苗には妹が出来ていた。かつて娘がいたからか、早苗の存在が消えてから子供が欲しいということで生まれた新たな東風谷。願子は知らなかったことだが、副部長は部活の無い日はよく赤ん坊の相手をしに東風谷の家に来ていたらしい。その証拠に赤ん坊は随分と副部長に懐いており、兄妹のようにさえ見える。

 

「環もすっかりあの子に懐いて、ほらお兄ちゃんが出来て良かったわねー」

 

  そう言いながら早苗の母親は副部長の腕に抱かれた環へと手を伸ばすと、流石親子と分かるのか環は嬉しそうに伸ばされた手を握る。後ろからそれを眺める生徒会長と願子はなんとも言えない気持ちに包まれ、早苗の母親が居なくなったことで資料に目を戻すことでその気持ちを追いやった。

 

「さて……叔母様と環ちゃんの相手は副部長がやってくれている。今の内に情報をまとめるとしようか」

「はい、でも不思議ですね。部長の家にいて、そのお母さんと環ちゃんが居るのに部長がいないなんて」

「それは言うな、今はそれよりも大事なことがある」

 

  狙われているのがかつて諏訪の神事を執り行っていた巫女の末裔であるということは既に分かっている。ならばそれを狙っているのは? 祟りの泥が従う相手など祟りの神以外ありえないのではないか? その考えを基に東風谷の資料に書かれたかつて諏訪に存在していた神を追うために願子も生徒会長もここにいる。

 

「でも神様なんて本当にいるんですかね、副部長が前に二柱の神が部長と一緒に幻想郷に行ったとは聞きましたけど」

「日本は八百万の神というように多くの神が存在する。おそらくちゃんといるだろうさ」

「それはそうかもしれませんけど神様ですよね、なんか凄そうですし本当にいるなら副部長がすぐに見つけちゃいそうですけどそんな話は聞きませんし」

「今の世は信仰が薄れているそうだから神の力も弱まってるそうだ。それが関係しているのかは分からんが、だからこそ私達はここにいる」

 

  テーブルの上に広げられた資料はたったの三枚、諏訪の神について書かれた資料はとても少なかった。おかげで得られる情報も少なく、これだという決定打に欠けていた。最初の資料は大和の神との戦争について、もう一枚はその後の顛末。最後の資料には幾つかの神の名前が書かれている。

 

「最初の資料はあまり意味がないな、調べればインターネットでも分かる」

「諏訪の神と大和の神が戦って大和の神が勝ったんですよね」

「ああ、だが諏訪の民は諏訪の神の祟りを恐れて信仰を捨てなかった。よって諏訪の神の存在はそのままに、大和の神である八坂神と共に諏訪を治める形に落ち着いたわけだ」

 

  神代の戦争の中で数少ない大きな戦争の一つ。八坂神と洩矢神との戦いの記録はすぐに知ることができる。当時鉄輪という最新の武器を扱った諏訪の神は、八坂の持ち出した藤の枝によってそれが朽ち果て敗北したというのは有名な話だ。

 

「だが、問題はこの二枚目だろうな」

 

  一枚目を脇にどけ、二枚目をテーブルの中央にと持ってきながら生徒会長は唸った。その内容は、戦争に負けた諏訪の神達、主神を除きその全ての神は八坂の御柱によって地に打ち付けられたというもの。

 

「なんで八坂神はこんなことしたんでしょうか?」

「それはよくある話だ。戦争に負けた相手を戦犯として吊るし上げるなんてことは今だってあるだろう、諏訪の神を諏訪の民は恐れていたとはいえ、勝ったのにそれだから全く手が出せませんでしたじゃあ八坂が来た意味がないし面目が丸潰れだ。だから恩情として主神は残し、それ以外を刑に処したんだろう」

「殺されたってことなんでしょうか?」

「どうかな、そうは明記されていないが……」

 

  三枚目に書かれた五つの名前をちらりと見ながら生徒会長は顔には出さないように心の内で不安な想いを募らせる。犯人が未だ分かりはしないが、その正体が神である可能性が高いことは既に分かっていた。祟りと一年半に渡って戦い続けた副部長が言うのだからその信憑製は高い。だがそれは外れて欲しい推測だ。これまで祟りの塊と闘ってきた親友の姿を見ている生徒会長にとって、次の相手がそれよりも格が高い祟りの神であるとするといったい諏訪がどうなってしまうのか分かったものではない。

 

  三枚目の紙の一番上に書かれた洩矢諏訪子の文字を見ながら、ついぞその姿を生徒会長は見られなかったとはいえ、その凄まじさは早苗から嫌という程聞いていた。それに類する存在に副部長が勝てるか否か、困ったことに正真正銘の神を前にして勝てるとは言えない。

 

「だがこの資料に書かれていることが本当だとして、その場所が分からない。御柱を突き立てたとは書いているが、場所は書かれていないし、そんな昔からあったなら嫌でも目立つはずなんだが」

「御柱祭りとは関係ないんでしょうか?」

「あれはおそらくこの二枚目の事をなぞった神事というだけで関係ないだろう。人が神を繋ぎ止め続けるなど出来るとは思えん」

「そうなると手詰まりじゃないですか、神の名前は分かっても何処にいるか誰が犯人かしれないかも分からないんじゃ」

 

  ぼやく願子だが、生徒会長の厳しい眼が願子に刺さり、その先に続くはずだった愚痴を飲み込ませる。

 

「だから願子、君がいるんだ」

「私?」

「名前は分かった。副部長の眼と違いお前は遠くの離れた存在も見れるんだろう? 八雲紫も名前だけでその姿を見ることに成功したと私は聞いたぞ」

 

  生徒会長が願子を伴い神探しを行っていたのはそれが理由だ。最も確率が高いがあって欲しくない問題に早々に答えを出すために願子を連れてここに来た。神の姿を追い、それを見られたならこれほど分かりやすい判別方法は存在しない。

 

「いやそれはそうですけど……出来るかどうか」

「出来るさ」

「でも」

「君に無理なら誰にも無理だ。願子、今は君にしか出来ないことがある。それにさなちゃんと副部長の後輩なんだろう? なら大丈夫だ。私はあの二人を信頼している。その内の一人が信頼する君を信頼しよう」

 

  少しも目を逸らさずに願子の目を見てそう告げる生徒会長の言葉を聞いていると、本当に出来るのではないかという気になってくる。ピリピリとしたよく分からない熱が願子の身体中を駆け巡り、今ならば出来ると脳がそう判断を下す。視界の端で環の相手をしている副部長の方を願子は一度見る。副部長ならばどうするか、きっと見れば分かると言っていつものように綺麗な複眼を晒すのだろう。神が見れるかもしれないといった好奇心と、憧れの人の姿を思い願子は額に掛けられた色眼鏡を目の前に下ろした。

 

  ふわふわとした浮遊感が願子の脳内に広がって、数多の色が折り重なるが瞳に映るのは不鮮明な景色だけだ。目的のものが何処にいるのか探すように飛ぶ視界に、脳のキャパシティを超えた情報が願子の頭を回す。姿形の分からない相手を探す時はいつもこうだ。限界まで行使される色眼鏡の放つ熱が顳顬(こめかみ)を焼き、その痛みが回る視界の情報をシャットダウンしようと休止寸前の脳の尻を叩く。

 

「きっつ……」

 

  一度息を吐いて視界を切る。八雲紫を見た時は抜き差しならない切羽詰まった状況であり、それ故膨れ上がった大きな感情を向けられたからこそできたものの、危機が迫っているとはいえそれが身に感じられない今の状況では難しい。

 

  洩矢諏訪子。今回おそらく関係がないと分かっている五神の内の一柱の名前を願子は少し充血した目でそれを眺める。副部長が幻想郷へ送った神、願子の命を狙う祟りを生み出す原因となった神、願子が不見倶楽部に入る切っ掛けを作った神、良くも悪くもその神のおかげで今の願子がある。見るべきなのが諏訪子ならば願子の想いの強さも違ったのだろうが、そうでないから身が入りづらい。

 

  洩矢茅野、洩矢霧峰、洩矢湖子、洩矢鍬子、諏訪子の下に並ぶ四つの名前を見てもどうにも願子の中で何かが嵌らない。日本人が普段生活している中で神というのは身近に過ぎる。日常生活の中にさえ溶け込み、何処の家にあるように願子の家にも神棚がある。その正体を見るといっても、あまり実感が湧かなかった。寧ろ妖怪や幽霊といった存在の方が好奇心も湧くというものだ。

 

  だがだからと言って見れませんでしたという訳にもいかない。生徒会長をがっかりさせたくないということも勿論だが、何より副部長に信頼されていると言われてそれを無下に願子はしたくない。憧れ付いて行った夏までの四ヶ月、その憧れから直にものを教えてもらった四ヶ月、身を結ばせ副部長に見せるチャンスはもう三ヶ月しか残されていないのだ。

 

  神が見たいという想いでは無く、副部長に自分はここまで出来ると言うために、その想いを新たに膨らませて色眼鏡の視界へと集中する。

 

  視界の中は黒一色に染まった。一寸先は闇と言う言葉はこういう時のために存在するのだと思う程の黒。視界だけが黒く、色眼鏡さえ外すか視界を切れば生徒会長が前にいる風景があると分かっていても頭まですっぽりと黒に浸かってしまったような感覚になる。

 

  左に視線を飛ばしても、右に視線を飛ばしても、映る景色は黒だけで果てしなく続いているのか一寸先に壁があるのかも分からない。

 

「願子……平気か?」

 

  暗闇の中でしっかりと聞こえる生徒会長の声に今いる場所が東風谷の家であると思い出した願子は小さく安堵の息を漏らす。今見ているものは所詮見ているだけであり、身体はしっかりと信頼できるものの前にいる現実がより深く視界を潜らせる原動力に変わる。そうして視界に色眼鏡の新たな色が重なると全く別のものが見えてきた。

 

  よく見れば、黒一色の不動の世界だと思われたそれは緩やかに流れていた。細い糸が敷き詰められたかのように大きな流れとなって一方向に突き進んでいる。

 

「嘘……」

「どうした⁉︎」

「なんて言ったらいいか、まだ神様は見えないですけどこれって……」

 

  願子が初めて見た幻想、『こちやさなえ』と同じ祟りの泥。視界一杯に広がる本流の正体はそれで間違いない。

 

  願子の色眼鏡の一番の特徴は、視界を飛ばせることでなければ、比較的誰にでも扱えるということでもない。副部長にも不可能な感情を見ることこれに尽きる。目の前を過ぎ去っていく無数の小さな声、その色は黒く濁り切っている。

 

 怨み、

 

 嘆き、

 

 怒り、

 

  一方的で理不尽な嫉妬と呪詛の声に目を瞑りたくなるが、自分を奮い立たせて願子はその先へと視界を進ませる。

 

「生徒会長、これ神様だろうとそうじゃなかろうと相当不味いですよ、一つ一つは本当に小さいんですけど全体なら春の異変以上の大きさの祟りが見えます。それもどこかを目指してる」

「目指してる? 願子、お前は神を見ようとして視界を飛ばしたんだ、つまりその祟りの進む先には神がいるはず…………恐れていた事態だな、余り現実味がないが……場所は分かるか?」

「分からないです、今も祟りの流れに乗って視界は常に動いてますけど黒一色でなんの景色も見えません」

「……犯人が神の可能性が飛躍的に上がっただけでもいい、視界を切るか? その方が」

「いえ生徒会長大丈夫です。まだ行けます」

 

  視界は流動し続け、上に下に右に左に、どこへ向かおうとしているのか絶えず動き回り休むことは無い。だがただ一つの変化として、流れは突き進む毎に細くなり、それに合わせて圧縮される祟りの色が濃くなっていく。粘性を帯びているのではないかと思える程に色が濃くなった頃、細くなり続けていた視界が一気に開けた。

 

「開けた! 見えました!」

「本当か!」

「はい! ……これは……柱が四つ、資料の通りです」

 

  暗い空間に聳える四つの柱、上は果てまで続き、下も同じく底抜けに伸びている。資料の通りなら神代から続くもののはずが傷一つなく、機械で作られたかのような綺麗な八角形の巨大な柱からは圧倒されるだけの力を感じる。隠された神秘性や打ち付けた者の神力よりも、ただその御柱の大きさに圧倒されてしまう。遠くから見れば釈迦(しゃか)の手から伸びる指のようだったそれは近づけば摩天楼のように立つ壁にしか見えない。

 

「大きいですね、御柱祭で見る御柱の太さだけで十倍以上はありそうですよ」

「そんなに大きいのか……なぜそこまで大きなものなのに普段見えない。異空間にでもあるのか?」

「さあそれは分かりませんけど、でも一つも抜けているようには見えないですし神様が犯人じゃ無いんじゃないですかね」

「それならその方がいいんだがな、しかし、祟りの泥はどうした? そこに続いていたんだろう、どこに行ったんだ」

 

  生徒会長の疑問は当然だ。それを受けて願子は辺りを見ると、開けた空間に広がった泥はその全てが下に向かって落ちている。四つの柱に沿うようにして滴る泥は、柱にへばりついているもののそれには興味が無いようで、落ちることを止めるものは何も無い。

 

「……下です生徒会長、全部の泥が下に向かって落ちていってます、それに……」

「それに?」

「いえ、兎に角視界を下に進ませてみます」

 

  言おうとしたことを願子は飲み込んだ。自分が祟りの泥に乗って出た場所以外からも周りの空間から自分が出た時のように至る所から泥が染み出して来ている。一つの流れだけでも人の手に余る量の祟りが何倍にも増えていき、その空間の色が黒を塗り重ね過ぎて赤みを帯びているように見える。

 

  下に進めば、泥以外に目に映るものは所々御柱に巻き付けられた御柱に負けぬ程の太い注連縄(しめなわ)とそれから垂れ下がる大きな幣紙。捻れた注連縄は大蛇のように力強く、祟りに晒されながらも漂う幣紙はそれに染まらずあらゆる不浄を跳ね除けている。幣紙には全く読めないが格が高いだろう筆跡で何かが書かれており、読めないはずなのにそれの意味が理解できた。書かれているものは神の名前、打ち付けられた神の名前だ。神を鎮めるために最大級の敬意を払い書かれただろう文字からは数多の祈りの色が見える。

 

  黒の中に浮かぶ祈りの極彩色の彩雲が暖かく眩しく願子の瞳を包み込み、下へと進む願子の背を押し進む速度を加速させ、また視界に別のものが散り始めた。

 

「? え?」

 

  塵のように細かなそれらは次第に大きさを増し、それが何かの破片であることが分かり始める。鋭く砕けた木片の量が視界に増え、それを見て祟りの泥が嬉しそうに進む速度を上げ身体をくねらせた。四本の柱に異常がないか願子は細心の注意を払い視界を進ませるが、その様子は見られず四つの柱は雄大な姿を保ったまま底無しの空間へ伸び続けるが、それに加えて木片も大きくなっていく。

 

「やばい……やばいですよ……」

「おいどうした‼︎」

 

  その木片を過ぎ去る度に言葉にできない重圧が願子の身体を襲い続け、視界を切りたくても何かに阻まれているかのように視界が下に引きずられる。そして目に映るのは遂に柱の形状を保ったままへし折れた柱の姿。

 

「おい願子!」

「……生徒会長、柱が折れてます」

「なんだと‼︎ くそ、やはりそれが答えなのか、いったい何が……いやそれよりどれだ? どれが折れている!」

「それがどれでもありません」

「なに?」

「五本目です」

 

  四本の柱は全く微動だにしていない。その代わりにそれ以外の不浄を一手に引き受けたかのように一つの柱が根元から引き千切られていた。その柱が作る影に向かい周りから泥が殺到している。主人に貢げ物を捧げるように嬉しさに打ち震え、その振動が願子が決定的なものを見ないように視界を遮っていた柱の亡骸を僅かに動かした。

 

「あ……」

 

  なんだろう? 目に映った存在の答えは分かっている筈なのに脳が理解しないように情報のシャットアウトを図る。普通の女の子だ。偏見なく見ればそう見えるかもしれないが、それは絶対に違うと示す少女の特徴が嫌に目に付く。闇に輝く銀色よりも鈍い鉄色の髪、その上に被せられた西洋甲冑の兜のように丸みを帯びた被り物には剥き出しの目玉が二つ付いている。白内障を患っているかの如く霞みがかった白い瞳がギョロリと暗闇の中を泳ぎ、それは願子と目があった。

 

「か……あ……?」

 

  その目玉の後を追って鉄色の髪が暗闇の中を靡く。

 

  待て

 

  待て

 

  向くな

 

  向かないで

 

  拒絶の心を露わにしてもその想いは受け入れられない。強大な力に引っ張られて願子の視界は固定されてしまう。透き通ったとは決して言えない日に焼けた鉄のように黒っぽい肌、全てを削れ切れそうな尖った爪と、針金のように細い指。着ている服は鍛冶師のように無造作でぼってりとしているが、その内の細い少女の線を浮き出している。その上にある小さな頭と滑らかに動いているが髪の(つや)は硬そうな光を発し、機械に作られたように整い過ぎている少女の顔が願子の方を向き切ってしまった。

 

  青銅色の瞳が願子の目を射抜く。歪な少女の容姿と雰囲気は願子の心を鷲掴みにし、不安を一気に爆破させるどころか握り潰した。脳の情報処理を軽く超えた恐怖が願子の思考を停止させ、何も言うことを許さない。

 

  神。

 

  目にしただけで分かってしまう、これはダメだと頭の中で防衛本能が警鐘を鳴らす。人が敵う存在ではない、伯奇も刑部も伊周も美代も、人の中で最高方の者たちを見てきた願子も即座にその答えを叩き出した。例え八雲紫であろうとも、橙であろうと、藍であろうと、マミゾウであろうと目の前の神と比べると小さな存在に見えてしまう。かつて諏訪に身を置いた人々が身を投げ打って信仰したもの。その想いを一身に受けて揺らぎすらせずに君臨した存在。その途方もない大きなものが今願子を見ている。

 

「………………ハァ」

 

  漏らされたのは溜め息。その場にはいない願子の視界を見て漏らされる落胆の色は、色眼鏡がなかろうともひしひしと願子に伝わってくる。

 

「久しぶりに……本当に久しぶりに人が見に来たと思えば……風祝でさえないとは……諏訪子の奴は衰えたな」

 

  静かに黒の中に響くメゾソプラノの心地いい声色が願子の視界に流れてくる。聞こえないとはいえ、透き通った感情の色は願子が今まで見てきたものよりも遥かに綺麗だ。

 

「私に気が付くのが遅すぎる、諏訪大戦の頃ならこうはならなかっただろう。こいつらから聞いたよ、外では信仰が薄れたとな……いくら力が衰えているとはいえそこまで堕ちたか」

 

  願子の目に映り続ける感情の色は綺麗ではある。黒の中に鮮明に映る一色の色、だがそれは優しさや嬉々とした明るいものではない。祟りの泥から見える無数の呪詛の何倍もの質を持った感情が目の前の神から発せられている。鈍い鈍い錆び付いた鉄の色。赤い赤い鮮血よりも真っ赤な怒りの色。

 

「だから言ったのだ、八坂に降伏するぐらいなら諏訪一丸となりて全ての民が死に絶えようと闘いを続けるべきだと……それをしなかった現状が今だ、何という……何という体たらくだ。なあ?」

「あ……ぐ……」

「おいどうした願子!」

 

  虚空に伸ばされた神の手がその場にいない筈の願子の首元を確かに掴んだ。生徒会長の目には明らかな異常が見えていた。目の前に座る願子の首にくっきりと浮かぶ手のひらの跡。それを引き剥がそうと手を伸ばすが、それに触れることは叶わない。

 

「弱い……いつから諏訪の民はここまで弱くなった。貴様が諏訪子が送れる最強の者だと言うのではあるまいな、祟りを潰せる者達がいることは既に聞いている。まさか貴様がそうでは無いだろう? だが偵察でさえ私に送るのが貴様のような弱い者など侮辱にも程がある」

「……うぁ」

「貴様いつまで黙っているつもりだ、何か言うことは無いのか? それとも好奇心で覗きに来ただけか?」

「……あ、あなた、誰?」

 

  それを聞いて願子の前の神の目が釣り上がる。一瞬般若のように怒りに顔を歪ませたが、すぐに破顔させると大きな声で笑い始めた。だが願子の首に込められる力はより強くなり、首の音が悲鳴をあげる。

 

「はっはっはっ!!!! くっくっくっ……誰か、誰などと聞かれる日が来るとは……愉快だな本当に愉快だ。貴様芸人になれるぞ」

「う……ぐ……」

「だがそれ故に貴様は死ぬ、神に不敬を働き死ぬなど珍しくもないだろう? 私の名前は洩矢(さなき)、冥土の土産に持っていけ、先に三途の川で他の者が来るのを待っていろよ」

「願子‼︎」

 

  握り潰そうと握った手が虚空を掴む。自分を見ていた筈の視線は消え去り、暗闇だけが支配する世界が戻ってきた。

 

「……消えたか、完全に気配が消えた。なかなか奇怪な技を使う……ふふふ、なあ諏訪子、久しぶりに遊べるな。精々手駒を揃えておくといい、もう少しだ。もう少しで……」

 

  暗闇に溶ける呟きに呼応して鐸に送られる祟りの点滴の量が上がる。祟りに力と諏訪子に相見える嬉しさに打ち震える神の姿を最後に願子は日常へと戻ってきた。色眼鏡は吸いついたかのように願子に張り付き剥がれなかったが、生徒会長が無理矢理引き剥がしたことによって視界は切れ、願子の目には神の代わりに尻餅をつき色眼鏡を手にしている生徒会長の姿が見える。

 

「ゲホッゲホッ!……あぐ」

「ぃたたた、おい願子無事か! 生きているか!お前目から血が出てるぞ!」

「……大丈夫です。なんとか、生きてますよ」

「良かった。その様子を見る限り見たな、酷なようだが聞かせてくれるか?」

「……はい」

 

  夢を見ているようだったが、思い起こせばくっきりとその姿を願子は思い浮かべることが出来る。圧倒的に存在の質が違う存在、初めて見た神の姿は強烈過ぎた。血涙を零す目を優しく擦り、見たものをそのまま生徒会長にと伝える。

 

「副部長や生徒会長の言う通り神が犯人みたいです。洩矢鐸って名乗ってましたよ、鉄色の髪を持った怖いくらいに綺麗な神でした」

「やはりそうか、私は直接見てはいないが凄まじいだろうことは分かったぞ」

「……生徒会長、勝てますか私たち? 勝てる気がしません。あれは駄目ですよ、人が神を崇め奉る理由がよく分かります」

「それは……」

「分かってます。例え勝てなくても、副部長は闘うんでしょう? 死ぬことになろうと拳を振るうんでしょう? あれに……」

 

  こちやさなえの時のように、博麗伯奇の時のように、きっと副部長は向かっていく。今までは勝った。だが今回は? あれに向かって行っても副部長が勝てるビジョンが浮かばない。それで私達はどうすると願子の頭にこびり付く疑問が拭えない。副部長が勝てない相手に自分がどうにか出来るという甘い考えを持つことなどできず、僅かな希望も見えてこない。

 

「私は副部長の力になりたいです。憧れの人だから……でも……でも私は今回きっとなんの力にもなれない」

「……言いたいことは言ったか?」

「え?」

 

  泥に触れたせいか底無し沼に嵌ったように堕ちようとしている願子の手を取るものは何も無いなんてことは無い。願子と共にいるのは生徒会長、生徒の頂点に立つ存在だ。自校の生徒が絶望に染まろうとしているのを見て何もしないわけがない。自分を奮い立たせる為にも生徒会長は言葉を紡ぐ。

 

「願子、君はもう十分力にはなっている。それで逃げたいと言っても誰も咎めはしないさ。副部長だってそうだろう、後は君が決めることだ。副部長には私から話せばいい」

 

  柔らかく笑顔を見せる生徒会長の言葉に嘘は無いと感じることが出来る。だが、それにしてにずるいと願子は思う。屈託の無い優しさを向けられ、そんなことを言われたら逃げたいなどと言えるはずがない。願子だって逃げたいわけではないのだ。ただ嫌なのだ、副部長が死んでしまうなどと考えたくはない。それでも副部長はやるのだろう、いくら悩もうと、遅かれ早かれ副部長に着いて行く以外の選択肢などありはしない。その踏ん切りをつけさせるのに生徒会長の言葉は十分だった。

 

「……いえ、私が言います。私が見たんです! すいませんでした。それとありがとうございます生徒会長!」

「うむ!」

「それじゃあ部室に戻りましょう! 副部長も連れて早く皆に教えてあげないと!」

「ああそろそろ此方の番と行こうか、神なんて怖くはないさ、なんて言ったて私の親友は現人神だからな!」

 

  大分騒がしくしていた筈だが、それは縁側にいる副部長が上手く早苗の母親の意識を反らせていたらしく、奮い起つ二人の姿を副部長はおかしそうに眺めながら環に頬を引っ張られていた。それに笑顔を返して二人は副部長へと向かって行く、願子にもう迷いはない。


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