不見倶楽部   作:遠人五円

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第三章 始まります。


第三章 『土着神』
始まりの日


  十二月某日、その日は天気予報で夜から雪と報じていた通り細かな白い結晶が宙を舞っていた。穏やかな夜の霧ヶ峰の森の中を一匹の猫が寒さに息を白く吐きながら空を飛ぶ鳥よりも早く木々の上を駆けていく。

 

  橙が走っているのは(かね)てより懸念(けねん)されていた事態が動き始めたからだ。その証拠に橙が後ろを見れば、木々の間の影を這うように黒々とした泥が橙を追って走っている。目の前の障害物を溶かしながら突き進む泥は、また一本木を溶かし倒し、鈍い音が森に響く。その衝撃にゆらりと舞う雪が跳ねた。

 

  早く、より早く橙はそれに捕まらないように全速力で木々を蹴る。単純に空を飛ぶより早いからこそ選んだ手段であったが、それは正解であり間違いでもあった。矢のように飛ぶ橙にぴったりと付いてくる泥に空を飛ぶだけなら簡単に追いつかれてしまい、だが木々の間を跳ぶのでは相手の視界から逃れることはできない。それに合わせていくら橙が妖怪とは言え体力には限界というものがある。

 

  橙に置き去りにされる白い吐息の大きさが徐々に増え、泥との距離が徐々に近づいていく。祟りを押し固めた泥に包まれれば、いくら妖怪とはいえ無事には済まず、憎悪と怒りの熱に身体の芯を焼き尽くされてしまう。

 

  捉えられる距離だと泥は木々を掴み橙の元へと飛び出した。無数に枝分かれした手が橙へと伸ばされるが、橙はすでに泥など眼中にない。目に映るのは独特な木造の楕円の屋根。

 

「副部長‼︎」

 

  橙の声と呼応して、橙の横を深緑の二つの輝きが通り過ぎた。次の瞬間に轟音が響き、振り返った橙の瞳には、叩きつけられ凹んだ大地とそこで泥溜まりが痛々しげに手足を動かしている。

 

「流石だ橙、時間ぴったし。よくアレを引きつけてくれた」

「死ぬかと思ったわよ! アレって例の『こちやさなえ』って奴なの? 気持ち悪いわ、妖怪じゃなければ幽霊でもない」

「いや『こちやさなえ』とは元が異なるただの泥だ。アレは『こちやさなえ』の百分の一程の祟りだが、性質は神に近い、あの時は決着を着けるに足る要素が手元にあったが今はない。さて困ったな」

 

  隣に降り立った橙の横で副部長は顳顬を指で掻いた。神を殺すとなると容易ではない。どれだけ小さかろうと神を消すというのは膨大な労力を必要とする。

 

「ならどうするの? アレを放っておけるわけないでしょ。副部長でダメなら私でもダメ。だいたいなんで急にあんなのが」

 

  いつ飛び掛かってくるか分からない泥を睨みながら橙は愚痴を吐き捨てる。今まで静かだった諏訪に湧き出た泥を見つけた美代から連絡を受けたために急遽橙が囮となって副部長の家まで連れてきたのはいいのだが、急だった所為で闘い方が纏まらない。だがそれを見越していたように忌々しい顔をした橙の頭に優しく副部長の手のひらが乗せられる。気温の低い夜の中でその熱は嫌に熱く橙には感じられた。

 

「俺もお前でもダメでも手はあるさ」

 

  なんの心配もしていないという副部長の顔の目の前で、泥が手を出されるのを待ち切れずに弾ける。副部長と橙の目前まで一気に迫る泥に思わず橙は目を瞑ってしまったが、いつまで経っても身体に何かが触れる感触は無く、冷たい雪が身体に触れて溶ける感触しかしてこない。薄っすら目を開けた先には刃の壁が泥を滅多斬りにし、その量を捌ききれず、かつ反撃も出来ずに身に降り注ぐ力に負けて空中に泥が止まっていた。

 

「ハッハー! おい副部長、約束だぞ約束だ。これが終わったら山に返してくれるんだろうなあ!」

「ああちゃんと電車で四国まで送ってやるよ、終わったらだけどな」

 

  振るわれる鉈の音は鈍いものでは無く、鋭すぎて戦闘機のエンジン音のようであった。異常に練り込まれた気の色の所為で黄色い閃光が空を彩る。細かな粉雪さえ更に細かく切り裂かれ、目の前で繰り広げられる斬撃のサーカスに橙は目を奪われてしまい、副部長の服の裾を弱々しく掴んだ。

 

「ん、終わったな」

 

  副部長が小さく零した言葉に橙は副部長の顔を見上げるが、その橙の顔は副部長を通り過ぎて夜空に浮かぶ海の月に奪われた。ゆっくり、ゆっくりと大地へ沈みこむ塊は、泥を飲み込むとそのまま大地の奥へと姿を消す。伯奇の技の後には幻想すら一つの泡も残されない。その通り泥はその姿をもう見せることはなかった。

 

「よお副部長、終わったろ?」

「見事なもんだ。今思えばなんでお前に勝てたのか不思議でならないよ本当に」

「へいへいあたしが未熟でしたよ」

 

  軽口を叩きながら降りてくる伯奇には疲れた様子は見られず、余裕だったようでありその顔には明るい笑顔が描かれていた。だが、副部長の顔は優れず、木の上で高笑いしている刑部とは対照的であった。

 

「副部長、これっていったいどういうことなの? 急に泥が湧き出すなんておかしいよね」

「…………そうだな、ちょっと調べる必要があるらしい」

「遂に始まったってことじゃねえのか?」

「だといいんだがな、なあ橙、紫さんに連絡取れるか?」

「やってはみるけど……」

「頼むよ」

 

  なんとなく橙は嫌な予感がした。それは副部長が紫を頼ったこともそうだが、冷たさを増す空気の所為でもあった。視界を過ぎ去る雪を眺めながら、小さく白い吐息を吐き出し副部長の家へと帰って行った。

 

 

 

  そんなことが幾日か前にあったのだが、諏訪は表向きはいつもの日常だった。朝になれば人々は起き学校や会社へと向かう。車も事故を起こすことなく走り、大きな事件もない。十二月に入って寒さは厳しく、この日も天気予報では雪であると報じていた通り、空からは細かな白い粒が風に揺られて細々ではあるが舞っていた。

 

  学校も通常通りに授業をやって、願子たちもいつもと変わらず幻想に思いを馳せながら授業を聞き流していた。なんでもない一日。冬休み前の期末試験に向けて部活も無いのだが、その点で言えば今日は変わっていた。

 

「もうダメ……終わったわ。修行しながらテストの勉強なんてできるわけないって」

「あのねえ願子、そんなこと言ってられないでしょ」

「そうですねー、私たちは学生ですし」

 

  困ったことに一葉高校の偏差値は低くはなく、そのレベルは高い。生徒会長や副会長は全国模試で一桁が取れるほど頭がよく、それに連なる学生もそこそこの数が在籍している。そのため平均点は高くなり、赤点の危機がすぐそこまで迫っていた。

 

「あらあら願子さんたら、普通に授業を聞いてれば勉強なんてしなくてもなんとかなるわ」

「塔子が勉強できるってことだけが私には未だに信じられないよ、友里! 助けて〜」

 

  四人の中で意外にも一番勉強が出来るのは塔子であり、続いて友里。願子と杏は二人と比べるとスズメの涙がいいところだった。泣き付く願子を鬱陶しそうに相手をする友里に絶望の目を願子は向けるが、何も変わらぬ昼休みが、話したことも少ない同級生に願子が呼ばれたことによって変わっていく。

 

「えーと、瀬戸際さん?」

「え? あ、何?」

 

  名前はなんだったかと声を掛けてきた男子生徒を見ながら頭を捻る願子だが、それは相手も同じようで困った表情を浮かべている。男子生徒は何も言わずに教室の入り口を指で差し、そちらへと目を向けるといつも部室でしか見ない副部長が立っていた。

 

「副部長! ……どうしたんですかいったい」

 

  初めて願子たちのクラスに顔を見せた副部長に驚きつい声を張ってしまい周りの注目を集めてしまったために気まずく語尾が小さくなる。副部長は気がついた願子たちに向かって周りには目もくれずに近づくと、今日は部室に来るように言ってさっさと去ってしまう。急な上級生の登場に教室は少し騒めくが、それよりも驚いたのは願子たちだ。

 

「なんだろうねいったい」

「あらまた何処か久しぶりに連れて行ってくれるんじゃないかしら」

 

  そんな風に考えていた四人だが、そうでは無かった。陽気に放課後に部室に入った四人は、場の重い空気に喉を鳴らす。副部長、伯奇、刑部、伊周、美代、生徒会長、副会長、橙の八人が真面目な顔で向かい合っていたからだ。

 

  誰も何も言わずコーヒーのカップが受け皿に置かれる高い音だけがたまに聞こえる空間は異様と言えた。だが願子たちが入って来たのを確認した副部長は微笑を見せて四人をソファーに座るように言う。

 

「副部長? いったいどうしたんですか、全員部室にいるなんて」

「悪いな願子こんな時期に、だが集まらないわけにはいかないんだ。これを見れくれ」

 

  そう言って願子たちの目の前に置かれたのは朝刊の新聞だ。大きくUFO発見かといった見出しが書かれており、それが長々と二ページに渡って写真付きで乗っていた。

 

「なにこれ、これであたしたちまで呼んでみんな集まってるの?」

「UFOなんて凄いですね! やっぱり早いんでしょうか?」

「おいざけんなそっちじゃねえ」

 

  願子たちの見当違いの感想に伯奇を筆頭に伊周と橙は呆れたように視線を明後日の方へ投げる。勢いよく何枚かページを捲った美代に続いて、橙がペシっといい音を響かせて小さな記事を指差した。

 

『諏訪大社の下社で女性が死亡、殺人事件の可能性』

 

  その内容は記事を書いている本人もどうも疑わしいと思っているというのが文章を読んだだけで伝わってきた。時間にして昨日の朝、散歩をしていた老夫婦が立ち寄った下社で女性の遺体を発見したという。死亡推定時刻はその日の深夜二時頃であり、女性に外傷は見られなかった。死因は窒息死で、肺が水で満たされていたという。だがこれの不可解な点は、女性の身体が全く濡れていなかったことと、その肺を満たしていたのが真っ黒い水だったことだ。さらにおかしな点として、女性の身体からは心臓が無くなっていたとされる。だが先述した通り外傷は無く、この死体解剖をした医師は気味悪がってそれ以上取材を拒否。いったいどういうことなのか全く分かっていることはないのだが、身体が欠損していることから殺人事件の可能性があるとして警察は追っているらしい。

 

「これっていったい……副部長たちが全員いるってことは普通じゃないんですよね、それは記事からも分かるけど、ひょっとしてこれが?」

「ああ、遂に始まったみたいだぜなあ副部長」

 

  八雲紫すら懸念している諏訪に隠れた問題。それが急浮上してきたに違いない。記事だけでも分かる明らかな異常事態、だがそれは正しくはあったが間違ってもいた。その証拠に伯奇に名指しで呼ばれた副部長は小さく首を横に振るう。

 

「いや、違うんだ。気付くのが遅すぎた、遂に始まったんじゃあなくもう始まっていた。その証拠は……美代」

「あいあいさー、うんとねー、諏訪でこういう死に方したのは一人じゃないみたいなんだよね。普通に死んじゃったなら私は簡単に降ろせるしよく見えるんだけど、今この諏訪にはそうじゃないのがいっぱいいるみたいなの、それも近い時期のものならその記事のを抜いて二週間前と一ヶ月前、それもそれらは私が降ろせない霊ともちょっと違う。その霊と同じものなら一番古くて四ヶ月前かなー」

「つまり俺たちと伯奇が闘ったすぐ後だ」

 

  諏訪に不可解な遺体が出始めたのは四ヶ月前、それから美代が言うに同じような遺体が今までに五体は出ているらしい。

 

「あーと、副部長? 四ヶ月前からそのよく分かんない遺体が出始めて、それとは別に美代ちゃんに降ろせない霊がいて、それとは別にまた降ろせない霊がいて?」

「難しく考えすぎや、もっと頭を柔らかくせんと、美代さんの言うことをただ纏めると、普通に降ろせる霊これをAとしよか、そして諏訪にいる降ろせん霊これをBとしよ。後は四ヶ月前から出始めたおかしな遺体の霊、これをCとして三種類の霊がいることが分かればまあいいやろ。そやないと話が進まんしな」

 

  伊周が分かりやすく纒めたおかげで、ようやく願子たちにも話を聞く冷静さが帰ってきた。

 

「それで今回問題になってるのはそのCのやつってわけでいいの副部長」

「そうだ」

 

  そう言いながら副部長はまた一枚のA4の用紙をテーブルへと放る。新聞に書かれている内容と合わせて他の五つの遺体の情報が事細かく書かれていた。

 

  上から一人目は市内の女医、時期は四ヶ月前、諏訪湖に水死体となっているところを発見される。両足が綺麗に切り取られたように亡くなっており、警察の見解では船のスクリューに巻き込まれたとされた。それ以外の外傷は特に無く、恨みも買っていなかったために事故死とされた。

 

  二人目は市内の中学生、霧ヶ峰近くの森の中で遺体が発見される。発見された当初野生動物に食い荒らされたためにボロボロであった。それでもなんとか遺体は回収されたが、両手足、頭部を除き身体が無かった。野生動物に持っていかれたとされ、森に居たところを動物に襲われたと見られる。ただ遺体の周りが異常に湿っており、この日と前日、前々日に雨が降った記録はない。

 

  三人目は市内の老婆、仕事も随分前に辞め静かに余生を過ごしていたのだが、最近姿を見ないということで様子を見に来た近所の住民に死亡しているところを発見された。その住民はえらく取り乱し、現在は市内の病院の精神科に入院している。発見された老婆の遺体には頭部が無かった。殺人事件として捜査班が組まれたが、すぐになんの証拠も出ずに迷宮入となった。

 

  四人目は市内の病院で生まれたばかりの赤ん坊である。分娩室に置かれた赤ん坊を助産師が少し目を離していた間に死亡した。赤ん坊には何ら不自由な部分は見られずいたって健康であったとされる。だが死亡した際に両腕が綺麗になくなっており、その場で助産師は気絶。後日赤ん坊の母親は気が狂い自殺した。

 

  五人目は市内の高校生、市内の公園で死亡していた。その光景は異様の一言に尽き、発見された当初は風船が引っかかっているように見えたと言う。死亡した高校生には身体から一つ残らず骨が無くなっていた。あまりの意味不明さに警察や医者もお手上げであり、あえなく迷宮入となる。

 

  この四人の全ての遺体の肺は黒い水で満たされており、外傷が目立ったものは二人目を除いて無かった。

 

  そう書かれた紙を眺めながら願子たち四人の肌に薄っすらと冷たい雫が覆う。淡々と記された死亡者の記録は現実離れしているが、だからこそ春の異変のことを四人は思い出す。

 

「生徒会長と副会長と俺と美代でなんとかそこまで情報を集められた。年齢も職業もバラバラだ。警察はここに来て無差別殺人なんじゃないかということで毎夜パトロールをしているらしい。だから最近よく街で警察官を見るだろう?」

「確かに見ますけど、これってやっぱり異変なんですよね。いったいどんな……」

 

  そこまで言って願子は難しい顔をしている五人の異変解決者を見るが、全員顔を顰めるだけで全く口を開く様子がない。そんな五人に変わって口を開いたのは、誰より偉そうにソファーの端に腰掛けたいた生徒会長だ。

 

「さてな、私はこういうことには副部長と違って強くはないからそこまで偉そうなことは言えないが、準備をしているという見方で間違いないだろう。全員身体から一部を奪われ、死に方も同じ。死亡した高校生がうちの生徒なら私も強く出られるのだがそうでないから探りも最低限だ。他校の生徒のことを根掘り葉掘りは聞けなかった」

「それだけではないのですよ。この件に関わることを警察が強く警戒しているのです。六人目は死亡記事が出ていますが、残りの五人は世間一般では出回っていませんから、それを知っている者はおかしいということであまり強引な手段が取れません」

 

  今回の情報を集めるに当たって最も尽力したのは美代だ。つまり諏訪の彼方此方にいるAの霊たちから大部分の情報を得ており、生徒会長と副会長の交渉によって得られた情報はその裏付けくらいの効力しか残念ながら無かった。

 

  そして生徒会長の言った通り、この六件の事件の狙いは準備というのが一番しっくりくる。全員に共通する死因と、持っていかれる身体、無差別殺人とも取れるがそうではない理由がある。幻想が関わっているからだ。

 

「更に悪い知らせがある、この五人目の女子高生の事件の当日、今から二週間前のその日に俺と橙と伯奇と刑部は祟りの泥と闘ったんだが、おそらくそれと同じものがその学生を襲ったらしい。つまりたまたまその日に美代が見つけたからいいものの、それらは俺らにも見つけることが困難で、一体ではなく何体も今の諏訪にいるということだ」

 

  副部長の声が静かに部室内に響いた。雪の静けさが合わさったように淡々とした面白みもない口調だからこそ嫌に願子たちの耳に副部長の声が聞こえる。副部長とそれに類する者たちですら気が付かない存在が今の諏訪に大量に存在しているなど願子たちは信じたくなかった。だがその事実に現実逃避している間にも副部長の話は続いていく。

 

「そしてこの事件が後何回起こるのかも分からない。後百回もあるのか、それとも既に終わっているのか、準備が終わると何が起こるのか、知らなければいけないことが多すぎる」

「つまり今は情報収集に徹するしかねえってことか?」

「それはダメやろ。そんな後手後手じゃあ手遅れになること請け合いや」

 

  伊周の言うことは的を射ていた。事態が動いているというのにその周りに手を出すだけで中心部に飛び込まないというのはあり得ない。いくら不明の危険が燻っていたとしても、それを見ているだけで何もしなければいつ爆発してもおかしくない不発弾なのだ。近づかなければ危険度も測ることはできない。それを分からない副部長たちでも無く、だからこそ伊周の言葉を受けて副部長は指を二本立てて全員の目前に掲げた。

 

「分かっている。今更この件から手を引くかどうかを問う段階は終わっている。だからこそこの場にいる全員を二つに分ける。調査と捜査でな。調査は会長、副会長、美代、願子、友里、杏、塔子にやって貰い、後は警察と同じくパトロールで泥の警戒をする。それがいいだろう」

「なんであんさんが仕切ってるのか納得できんのやけど、まあ諏訪に一番詳しい言うあんさんが言うんやからここは正直に従っときましょか」

 

  唯一伊周が不満の色を見せたが、それ以外は別段何もないようで、その話は終わりを見る。だがそれ以外に願子たちが聞きたいことが多すぎる。

 

「それはいいんですけど泥って副部長見たんですよね。それも何も分からなかったんですか?」

「……いや、そうだな。アレは春の時の泥と違ってもっと明確な意思があった。自分が何をすべきか分かっているといった感じだ。つまり俺たちが二週間前に会った存在は気付いた俺たちの注目を集める囮として動いたということであり、その上に何かしらがいる可能性が高い」

「何かしらっていったいなんなんですか副部長先輩」

 

  杏の問いに副部長は答えなかった。それは未だその存在の尻尾も掴んでいないということに他ならない。その代わりにふわりと前に出た生徒会長が話を引き継ぐ。

 

「さて、兎に角そうなれば調査班は調査班で動くとしようか、調査は夕方までで夜まで掛けるのは危険だろう。警察も動いていることだ下手な動きはかえって疑惑を招く。よって私たちが動くのは日が暮れるまで、チームは2、2、3に分ける。どうだ?」

「それは私も賛成だけどさ〜、メンツはどうするの? 知り合い同士で固めるのはいいけど、それだと私が溢れるよね、私一人でも私はいいけどさ」

「それは止めた方がいいでしょう美代様、一人だといざという時危険です。二人以上なら片方が連絡も取れることですし、ここは個々の能力で分けるのが最善だと思われます」

 

  副会長の意見が通り、その結果分けられたのは生徒会長と願子、副会長と友里と塔子、美代と杏という形で分かれることとなった。索敵能力の高い願子、副会長、美代がそれぞれの班に配置されそれ以外の必要な所を他の者が補うバランスの取れたチーム分けだ。

 

「チームは決まったが今日は止めておこう。時間があるかどうかも分からないが、急に決めてその日に動いたとしてもいい結果が齎されるとも思えん。よって今日は解散、明日に備えて色々準備もあるし私と副会長は帰る。願子たちも帰れ、私たちが送っていこう」

 

  そう言って生徒会長は半ば強引に願子たちを部室から引っ張って行ってしまい、残されたのは副部長たち異変解決者。生徒会長の気遣いに部室を出て行く生徒会長へと副部長は目で礼を言う。生徒会長はそれに微笑で答えると何も言わずに出て行った。

 

「……副部長いいの? へんてこ眼鏡たちを関わらせてさ」

「いいさ、伝えない方が今回は逆に危険だろう、橙には一番動いて貰うことになると思うがよろしくな」

「それはいいけど、副部長たちはどうするの? パトロールって言ってもそんなに広い範囲カバーできないんじゃ」

「大丈夫や、うちが式神で警察さんの無線傍受するからな、それでカバーできるやろ。問題はいざ対峙した時に泥に勝てるかどうかや」

 

  祟りの泥、前回は伯奇が片付けたが、それ以外の手段となると実は他の四人には手が無かった。『程度の能力』を伊周も美代も持っているのだが、それは攻撃という面で見れば伯奇ほど優れたものでは無い。そして副部長と刑部は足止めは出来るが決定打を与えることは出来ない。そうなると確実に潰すには伯奇が必要であり、それは厳しいものになることが容易に想像できる。

 

「見つけたならば伯奇が来るまで足止めするのが基本戦術になるだろうな。それが一番確実だ」

「そりゃいいがよお、そうなると結局あたしたちは問題の先送り係で、問題を解くのは願子たち次第ってことか? そうなると大分回りくどくなるぜ」

「だがそれ以外に今は方法が無い。橙、紫さんとは連絡取れたか?」

「それがダメ、何故かこっちの声が届かないみたいで妨害されてるみたい」

「やっこさんもこっちに気付いてるみたいやな、見えない相手と闘うなんてしんどいなあ」

 

  それは副部長が一番感じていた。普段人よりも見えてしまうからこそ、見えない相手の存在がより不気味に感じてしまう。

 

「兎に角今はやるだけやるしかないさ」

「……ん、おい副部長、泥の匂いだ。泥の匂いがするぞ向こうの方から」

「刑部さん分かるんか?」

「前に一度嗅いだからな」

「わんちゃんみたいだね〜、でも当たりかな? 幽霊ちゃんたちにお願いしてた通りあっちの方で騒いでるよ、これは出たかな?」

「なら行こうぜ」

 

  伯奇の言葉を合図に六つの影が部室の窓から飛び出していく。この日こそ後に語られる人の世になってから諏訪で起きた最も大きな異変の始まりの日、紫と連絡が取れなくなった時点で誰かが気付くべきだった。諏訪はこの時点で周りからすでに隔絶されていたのである。

 

 

 

 

  諏訪湖、その遥か下誰にも気付かれす見つけられない所に多くの柱が埋まっている。過去、大和の神々との闘いで打ち立てられた巨大な柱。永遠に抜かれることは無かったはずの大きな墓標。その内の一本が何かに抉られたようにへし折られていた。そこに地を伝い黒い水が注がれていく。

 

「…………こ」

 

  それは小さな声だった。柱がへし折られてから四ヶ月、常に小さく誰にも聞かれることもなくその声は地の底で響き続けていた。怨み、怒り、悲しみ、繰り返されるただ一つの言葉にあらゆる負の感情が込められている。

 

「…………わこ」

 

  多くの神話でそうであるように、唯一神として語られる宗教でもその神以外の神は存在する。諏訪王国に存在した神が一柱だけであるはずが無い。かつて存在し忘れられた神の嘆きを拾う者は誰もいない。

 

「…………諏訪子」

 

  その声は大地を微塵も揺らすことは無いが、黒き水には波紋を残す。その細い蜘蛛の糸を掴むように一本の腕が伸ばされる。細い手だ。木乃伊のように乾ききり、小枝のような手は弱々しいが確かにそのか細い糸を手で掴む。

 

「…………洩矢諏訪子」

 

  手が水を掴んだ途端に黒き水の方が掴んだ手へと食い込んだ。点滴のように伸ばされた手に祟りの塊を送り込み、身体に流れる血のようにそれは枯れ果てた神の身体へと力を送る。枯れた身体はかつての水々しい肢体を取り戻していき、美しい少女の姿を浮き彫りにしていく。

 

「洩矢諏訪子!」

 

  叫びに乗じて震えた水を通し、諏訪湖の周りに立つ電灯の一つが急にひしゃげる。後日電気会社交換されたことによって手がかりになるはずだったそれは永遠に消え去ってしまう。それが十二月頭の出来事。少女の力は最盛期の万分の一しか戻っていないが、それでも外へ出るだけの力が戻りつつあった。

 

「洩矢諏訪子!!!!!!!」

 

  忘れられた神の怒りを鎮める巫女はもう諏訪には存在しない。祟りの頂点、土着神の頂点の傍に立ったもう一柱の土着神。かつて闘った軍神に諏訪子を除き最も厄介だったと言われた神、諏訪を制定するにあたり諏訪子を除き柱によって大地へ打ち捨てられた神、鉄を司る神が目を覚ます。

 

  神が神に対する祟りを持って、大地を割ってその顔を覗かせるまで既に秒読みの段階に入っていた。その時こそが諏訪で起こる最後の聖戦、それに対する不見倶楽部と異変解決者、もう一柱の土着神と諏訪の守護神との闘いは既に始まっている。




いずれ本筋の章は書き直したいですね、もっと内容掘り下げて映画みたいな雰囲気に出来れば最高です。ただ今は兎に角完結に向けて書き進めていきます。この三章では橙が活躍してくれるかな? 第四章で終わる予定なのでこれで半分は話が終わったことになりますね。

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