不見倶楽部   作:遠人五円

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部室へようこそ

「……願子……願子!」

「……う、うん?」

 

  ぼやけた目を擦りながら願子が目を開ければ、三人の心配そうな顔が自分を覗いていた。柔らかい感触を背に受けて、目に映っているのは友人たちだと理解すると、微睡(まどろ)んでいた意識が徐々に覚醒していく。

 

「友里、ここは?」

「よかった、大丈夫そうね」

 

  安心したといったように笑顔を見せる友里の顔。それは、願子が意識を失う前に見た泥人形とは比べ物にならない暖かな人間味を帯びていた。普段ジャラジャラと五月蝿(うるさ)い塔子の装飾たちの音も、表情の読み切れない可愛らしい杏の微笑みも日常に戻ってきたという感じを与えてくれる。

 

「って、そうだ! あれは!」

「ちょっと、まだ寝てなさい」

「そんなことより! あのヘドロみたいな、ああもうなんて言えばいいの!」

 

  身体を起こす願子に友里は静止の声をかけるが、効果はない。辺りを見回す願子の目には、『こちやさなえ』と勝手に口から出た存在は見当たらなかった。それに次いで自分の身体を(まさぐ)るが、特に異常は見当たらない。あれは本当のことだったのか? 痛みも倦怠感も綺麗さっぱり無くなり、白昼夢でも見ていたとしか思えない。そんな願子がそこらかしこに動かした目に映るのは、友里、塔子、杏の変わらない三人と、木造の壁に床、高そうなカーテン。

 

「ここ……どこ?」

 

  少し落ち着いて周りを見ると、部屋の雰囲気が明らかに変だということに気が付く、保健室などではない。置かれた木造の本棚や箪笥(たんす)は相当に凝った装飾が施され、木造の床には綺麗な赤い絨毯(じゅうたん)が敷かれている。照明は学校に似つかわしくないこれまた凝ったランプが所々に置かれ、暖かい電球色のオレンジ色の光が辺りを照らす。高そうなカーテンを両脇に添えた窓からは、もう雨の止んだ諏訪湖が星々の輝きを写し込んでいる。その景色を伝えてくれる窓に嵌められた硝子は、今はあまり見かけない少し表面の歪んだ磨り硝子と呼ばれるものだ。入り口の扉は両開きの重厚な造りで、これもまた木造で出来ていた。取っ手には蛇の装飾が彫り込まれ、燦爛(さんらん)たる姿から、金箔が貼られているらしい。

  願子が自分の寝ていたものに目を落とすと、それはベットではなく高そうなソファーだった。柔らかい臙脂(えんじ)色をしたそれは校長室にすら置いていないかもしれない。

  学校の中にあるとは思えない古い高級ホテルのような一室に、願子は口が開いたまま塞がらない。そんな願子の様子に当然というように、残りの三人は小さく笑みを浮かべた。

 

「気が付いたようでよかったよ」

 

  そんな願子に次にかけられた言葉に、願子は肩を跳ねさせる。

  その声は女性のものではなかった。低く、この空間に響く声は男性のもののそれだった。

  願子がそっちへ目をやると、執務室に置かれるような重厚な机に、一つの写真立てとこの部屋には似つかわしくないパソコンが一台置かれ、その脇には書類が高く積み上げられている。その奥には、学校指定の学ランを身に纏った一見冴えない男が座っていた。

  目に掛かるくらいの黒い長めの前髪に、眼鏡を掛けた以外に特に特徴のないどこにでもいそうな男。何か手元で書いていたようであったが、願子の方へ一度目を向けると、手を動かすのを止めてペンを置き、数少ない特徴の眼鏡を外すと、男が座っていた執務机の隣にもう一つ置かれた執務机の方を回って願子の前へとやってくる。

  身長はそこそこ高い。175はありそうだ。しかし、細い見た目からは威圧感を感じることはなく、むしろ存在感が薄い気さえする。息を吹きかければ消えてしまいそうだ。初対面の男に戸惑う願子だったが、そんなことなど御構い無しに男は口を開く。

 

「えっと……あの」

「ああ、自己紹介がまだだったな。俺はここ不見倶楽部(ふーけんくらぶ)の副部長だ。よろしく」

「不見倶楽部?」

「まあ要はオカルト研究部だよ、それで名前を聞いてもいいかい?」

「あ、瀬戸際願子です」

「そうか、それじゃあ瀬戸際さん。ようこそ、我らが不見倶楽部へ、歓迎しよう」

 

  副部長はそう言うと願子の座っている向かいの同じようなソファーに腰を下ろし、立っていた三人にも座るように促した。全員が座るのを確認すると、ソファーの間にある背の低いソファーテーブルに置かれた小洒落たポッドで、飲み物を入れて全員に配ってくれる。角砂糖の入ったビンとミルクが置かれ、綺麗な白いカップから漂う匂いからしてコーヒーのようだ。部屋の雰囲気と相まって普段目にしているものよりも高級に見える。実際に手に取ったカップの感触から、本当に高いのかもしれない。

 

「悪かったな、瀬戸際さん」

「へ、なにがですか?」

 

  出されたコーヒーの飲みやすさと、口に広がる丁度いい苦味に頬を綻ばせていた願子だったが、急な謝罪に間抜けな声を出す。

 

「ここ」

 

  副部長は後ろ髪のあるあたりを指差した。願子がそこに手をやると在るべきはずのものが無くなっていた。少し癖の入った長い髪がバッサリと無くなって、首に少し掛かるくらいにまで短くなっている。願子の手が虚空を数回掴んだ。

 

「あれ! なんで!」

「あ、あの願子さんそれは副部長さんが」

「副部長さんが?」

「き、切ったんです」

「なんで!」

 

  副部長へ勢いよく振り向くと、副部長は「だから悪かったと言っているだろう」と、無駄に洗練された動作でコーヒーを飲んだ。その様子から本当に悪びれてはいないらしい。願子は歯軋りするように歯を噛み合わせ遺憾の意を表明するが効果は無く、これでは願子がただ駄々をこねているようにしか見えない。そんな願子を気遣ってか、願子の疑問に答えたのは塔子だった。

 

「願子さんが卵を割ってから、あなたおかしかったのよ」

「塔子……」

「卵を割った体勢のまま固まって、何かよく分からないことをぶつぶつと口ずさんでいたわ、まるで村田さんみたいにね。私たちもどうしたらいいのか分からずにただ突っ立てるしかなかったのだけれど、急に来た副部長さんがあなたの髪を切ってあなたは倒れてしまったというわけ。どういうことか分からなかったけれど、今のあなたを見る限りあれはよかったみたいね」

 

  塔子の説明のおかげでなんとか願子は理解できたが、それで髪を切られる理由が分からない。別段思い入れがあるわけでは無く、切るのが面倒だったから伸ばしていただけだったが、急になくなってしまうと少しショックだ。あるはずの無い髪を触る動作をしつつ願子が副部長の方に目をやると、面倒そうに、しかし、マナーを気にしてか音を立てずにコーヒーのカップをテーブルへと置いて副部長はようやっと話し出した。

 

「信じなくても結構だが、オカルトっていうのは意味合いの掛け合いなんだ。君たちは、いや瀬戸際さんだけかな? 今日オカルトに遭遇しただろう? あのままだと瀬戸際さんは死んでたよ、凄い祟りだった。髪は女の命と言う。だからそれをできるだけ乱暴に、粗末に、暴力的に奪う事によって祟りを逸らしたんだよ。男だったら何も出来ずに見殺しにするしかなかった。瀬戸際さんが女性でよかったよ。それに近くを俺が通りかかったのも幸運だったな。ただそのせいで毛先が傷んでいるからケアはしっかりしとしたほうがいい」

 

  副部長はそう言い終えると、壁にかけられている錆び付いたボロボロの包丁を指差し、また一口コーヒーを飲んだ。願子たち四人はコーヒーを飲むことを忘れて副部長の方をただ呆然と見ている。この男は変だ。なぜそうも当然のようにありえない話をするのか。卵の事すら目にしても四人は未だ信じ切れずにいるのに、この男はオカルトであると断言している。それも錆びた包丁で女性の髪を切る狂人だ。卵を割った願子本人すら、今はあれは夢だったのではないかとすら感じているというのに。何よりこの男は卵の事を知っているのか?

 

「あの知ってるんですか?」

 

  全員が思い浮かんだ疑問を真っ先にぶつけたのは友里だった。この豪胆な性格は日常生活では少し鬱陶しいこともあるだろうが、こういう時は本当に頼りになる。その疑問を受けて、副部長は少し難しい表情を浮かべ何か考えていたように見えたが、それも一瞬のことで「それは蛇の卵のことかな?」と、口にする。

 

「知ってはいる。だがあれはもっと前からある」

「前から?」

「そうだ、出雲さん。卵というより『こちやさなえ』かな? あれは去年の丁度今くらいの時期に始まった」

「こちやさなえ!」

 

  副部長から出た言葉に願子は強い反応を示す。急に立ち上がった願子に座るように副部長は促すが、興奮している願子は聞く耳持たず、机に身を乗り出して副部長に詰め寄った。その衝撃で幾つかの角砂糖がサイコロのようにビンから転がり落ちてしまう。

 

「副部長、知ってるんですか!」

「分かった! 話してやるから暴れるな、座れ! 全く凄いお嬢さんだな君は。……どこから話そうか、そうあれが初めて出てきたのは去年の春だった。その時は蛇の卵なんておまじないのおまけじゃあなくてな。ただ『こちやさなえ』という形になった祟りが一人歩きしていた。その時は酷かったぞ、五月までの間に学校で八人が死んだ。そのうち学校の外へと広がり半年で死んだ数は百を越える。とはいえあれが諏訪市内から出ることはなくてな、しかも半年経ったらぱったり聞かなくなったもんだから消え去ったと思ったんだが、まさか蛇の卵なんて依り代を得て復活するとは俺も驚きだ」

 

  誰かの唾を飲み込む音が響く。

  去年にこちやさなえによって百人以上が死んだ?

  信じられない、信じられるはずがない。ただなんとなく手を出したものがそんなに危険なものだったなど信じたくない。

  願子は卵を叩き割った時確かに覚悟を決めていた。それは卵のおまじないのせいで死んでしまうかもしれない覚悟。だがそれは心のどこかでそんなはずはないと願子も思っていたからこそ踏ん切ることができたのだ。それが村田さんだけじゃなく、もっと大勢の人間が死んだものが原因だと言われ正気でいられるはずがない。

  先程まで立ち上がっていた元気は消え、代わりに現れたのは恐怖と焦燥感。身体の内側が逃げ出さないように強く肩を抱く。

 

「あの、それは本当のことなのかしら?」

「嘘言ってどうする。それにお前たちもたとえさわり程度でもおまじないの祟りを見たんだろう? 百聞は一見に如かずさ」

「でも信じられないわ!」

「信じなくてもいいさ、だが事実だ」

「あ、あの副部長さん」

「どうした桐谷さん」

「そ、それで願子さんはもう無事なんでしょうか?」

 

  杏の言葉に今一度全員の視線が副部長の方へと向いた。落ちた角砂糖を一つづつ摘んではビンに戻す作業をしていた副部長はやっぱり来たかといったように、手を止めるとため息を小さく零し、軽く首を左右に振った。

 

「残念ながら駄目だな。凄い祟りだ、俺のやったことは所詮気休めだよ。ただ瀬戸際さんはオカルト研究部の素質があるぞ、卵を奪いカチ割ったおかげで君たち三人が祟られることはほぼ無いと言っていい」

「い、いや私たちじゃなくて、願子さんは!」

「うーん、そうだなぁ、まあ手が無いわけじゃあ無いか」

「ほ、本当ですか!」

「まあね、ただしそれには瀬戸際さんの協力が必用不可欠なんだよね」

 

  願子はその言葉にまたも身を乗り出すと、机を乗り越えて副部長の肩を掴む。綺麗に元の場所へと収まったはずの角砂糖が今度は宙を舞った。

 

「ほんとに、ほんとにほんとですか! 私助かるんですよね! 卵の呪い解けるんですよね!」

「だから落ち着けと言っとるだろうが! 確証は無いし、呪いじゃなくて祟りだ」

「の、呪いと祟りと、な、なにか違うんでしょうか?」

 

  呪いと祟り、似ているようだがそれは全く異なる。呪いとはある程度人為的な要因が元になって起こるものだ。呪いをかけるという言葉があるが、祟りをかけるといった言葉がないのがその証拠。それに、

 

「いいか桐谷さん。この蛇の卵のおまじないというのは、言ってしまえば信仰なんだよ。蛇の卵という御守りに祈っているだろう? だから厄介なんだよねぇ。君たちだけじゃあない。どこから始まったのかもしれないおまじない、数多の蛇の卵を持つ者の祈りがあれの力になってしまう」

 

  願子たちだけで四人、死んだ村田さん、他にももっといるだろう。願子たちの学校でもいったいあと何人の生徒が懐に卵を忍ばせているのか分かったものではない。ふと廊下を通りすれ違った生徒が持っているのかもしれないのだ。そうだとすると、あれはいったいどれほどの力を持っているのか想像も出来ない。

 

「そんなのに対処できるの?」

 

  願子が弱気になるのは当然だ。四人の中で唯一あれに遭遇した願子だからこそ、あれの恐ろしさがよく分かる。きっとそれでもあれの本質に(かす)りすらしていないということも分かってしまう。これは、友里、杏、塔子には絶対に分からない。副部長の言った通り百聞は一見に如かずなのだ。たとえ願子が一日かけて精一杯説明したとしても、あれのことの一割も伝わらないだろう。

 

「方法はあるさ」

 

  願子の不安に副部長の答えは是。不敵な笑みを浮かべて、コーヒーの最後の一口を啜り切る。その姿は頼もしくはあるが、どうにもまだ拭いきれない不気味さがあった。要は信じ切れない。急に現れたよく知らない男を信用しろというのがまず無理な話だ。それは願子だけでなく、他の三人も同じこと。

 

「信じていいんですか?」

 

  だからこそ友里は力強くそう言った。

 

「願子は私の親友です。あたしは願子をとりあえず助けてくれたからといってあなたのことをまだ信用しきれません。まだ本当なのかも疑わしいこんな状況で願子の命を預けるなら、あなたよりもその道のプロに頼んだ方がまだ信用できます。だけれど一度願子を助けてくれたのも事実なんでしょう。はっきり言ってこの異常な事態をあなたに任せていいんですか?」

 

  友里の目には今までにない決意が宿っている。願子がおよそ十年間見てきた能天気さは無く、もしここで副部長がふざけた一言を放とうものなら、間違いなく拳でも蹴りでも飛ばすだろう。そんな視線を受けた副部長は、萎縮するどころか目を細め、より笑みを深めると、「断言しよう」と、友里の決意に答える。

 

「あまり言いたくはなかったが、君たちは幸運だよ。この問題に関して俺より詳しい人間はこの日本どころか世界中探してもいやしない。悪いがその理由を話す気は無いが、世界中で唯一俺だけが対処できるだろう。それだけは間違いない」

 

  副部長はそう言い切ると、「安心したか?」と、頼んでもいないのに全員のコーヒーのおかわりを注ぐ。しかし、それでも友里は納得仕切れないようで、「理由を話してください」と続けた。

 

「話す気は無いと言っただろう」

「なら信用しきれません」

「ちょ、ちょっと友里! いくらなんでも」

「あたしはあんたに死んでほしく無いの! あんたはあたしの初めての友達で、小学校も一緒、中学校も一緒、高校もそう! きっとこの先も一緒にくだらないことしてたいの! いつか誰かと結婚して、子供が出来て、孫が出来て、それでも偶に会って縁側でくだらないこと言うようなだらだらした人生一緒に過ごしたいのよ……いつまでも……」

「友里」

 

  零れ落ちそうになる涙をなんとか堪えて願子に届けられる言葉は、正しく友里の本音だった。澄ました様子も、演じた様子も無く、噓偽りもありはしない。ただ泥臭く絶対に言わないような友里の心の奥底の言葉。ありえない不思議なんかじゃあない。煌びやかな幻想なんかじゃあない。どこにでもあるような人の言葉でしかなかったが、それでもこの場で友里の言葉よりも美しいものはないだろう。それがここにいる誰にも分かるから、副部長はこれまでにないほど大きな口を開けて笑い出す。

 

「はっはっはっ! いや、久々に良いもの見せて貰ったよ! 参った! やられた! 最高だ! 分かったよ話そう君のために。ただし全てを話すには残念ながら時間が足りない。だからここで言うのは一つだけだ。後は全部終わった時に話そうか」

「……なんですか?」

 

  目尻に溜まった涙が落ちる前に指で弾き出し、副部長の顔を真っ直ぐ見つめる友里を、副部長もまたしっかりと見つめ返し、副部長は全員の意識が自分の方に確かに移ったのを確認すると、目の前に一枚の白紙を取り出すとそこに文字を書いていく。東、風、谷、草、苗、五つの文字を書き終えると、副部長はゆっくりと口を開いた。

 

「俺は東風谷早苗(こちやさなえ)を知っている」

 

  その一言で十分だった。東風谷早苗、誰も知らない誰かをこの男は知っている。

  それが逆にこの男の怪しさを一段と引き上げたが、それと同様に酷い違和感が四人の頭の中に広がった。『こちやさなえ』と『東風谷早苗』。呼び方は全く一緒だが、理由は分からずともこれらが全く違うものだということがなぜか理解できてしまう。書かれた文字からはコールタールのようにどろりとした粘つく陰鬱な『こちやさなえ』の空気は感じない。山を流れる小川のような爽快さをむしろ受ける。

 

「なんで?」

 

  その言葉が願子から出たのは当然だが、これ以上は話す気がないのか、副部長は書いた紙を丸めると執務机の隣に置かれたゴミ箱へとそれを投げ捨てた。綺麗な放物線を描き、寸分の違い無くゴミ箱へと吸い込まれる。

 

「今はこれ以上言う気はない。約束通り終わったら全部話すさ、何より今は時間が無さすぎる。言っておくが俺が保たせた君の命は一日だけだ。明日の放課後にはまたあれがやってくるぞ」

「嘘!」

「本当だ。だから今から作戦を伝える。そうしたら俺は明日のための準備をしなければならないからな」

 

  副部長の話で覚悟を決めたのか、そこで副部長に何か言う者は居なかった。東風谷早苗という名前はそれほどまでに効果があったのだ。一番頑なだった友里が黙っているあたりその効果の強さが分かるだろう。副部長は願子を元の場所に戻るように言い、願子が座ったのを確認するとゆっくりと話し始める。命が懸かっている願子は聞き逃さないように耳を澄ました。

 

「いいか、まず明日の放課後になったら瀬戸際さんにはそこら辺をほっつき歩いてもらう」

「はい?」

「そうしたらやつが出てくるだろうから」

「ちょっと待った! ひょっとして私囮ですか?」

「ひょっとしなくても囮だ」

 

  囮、つまり餌である。

 

「いやいやいや、待ってくださいよ! 助けてくれるんですよね!」

「そうだよ」

「ならなんで囮なんですか! はっきり言って私あれから逃げ切れる自信無いんですけど!」

「こうなるまでの経緯は瀬戸際さんが寝てる間に聞いたが、瀬戸際さんはあれだろう? 漫画や小説のような展開に憧れてたんだろう? だったらよかったじゃあないか、遂にそれがやってきたぞ」

「いや、こんなの望んで無いですから! だいたいそういうのって三枚目の役所じゃないですか!」

「よかったね、三枚目」

「嫌だぁ!」

 

  『きっと面白いことがある』

  うるさい! と不出来な脳味噌からの薬物を拒否して願子は首を大きく横に振る。楽しそうに笑う副部長を見る限り九割九分ふざけていた。願子と副部長の漫才はしかしそれ以上続くことは無く、「……副部長?」と冷え切った友里の言葉に、副部長は咳払いをして誤魔化すと真面目な顔つきに戻る。

 

「悪いが、今おまじないの祟りを受けているのはこの場では瀬戸際さんだけだ。新しい卵を持ってきて誰かが割ったとして、それでは問題が増えるだけだからな。瀬戸際さんに頑張ってもらうしかない」

 

  「それに」と、また一口コーヒーを飲んで、

 

「困ったことにあれは俺の前には姿を表すことが無くてな。だから一年前は結局捕まえられなかった。誰かにおびき寄せてもらうしかないのさ」

 

  これには四人とも首を掲げた。副部長の前にあれが姿を表すことはない? なぜ?

 

「なら願子と副部長が一緒にいれば願子は安全なんですか?」

「そりゃそうかもしれないが、それじゃあ本末転倒だろう。一生あれに怯えて暮らす気か? 何よりその方法だと、寝る時も風呂の時もトイレの時も俺と一緒じゃなきゃダメだぞ」

「それは嫌!」

「だろうねぇ」

 

  四人の疑問はさて置いて、副部長は話を進めていく。副部長に願子たちの疑問は暈されてしまったが、結局代替案が出たとしても全員分かっているのだ。『こちやさなえ』をなんとかしない限りこれが終わることがないということを。

 

「分かりました、囮やりますよ」

「それでいい。それに逃げるのは大丈夫だ、あれが出てきたら俺がなんとかする。その間に瀬戸際さんが逃げて時間を稼ぎ、俺の仕込みでさようならというわけだ」

 

  作戦は以上である。なんともアバウトな作戦であるが、副部長は失敗している未来など見えていないようで、コーヒーのお代わりいる? といつの間にか飲み干していた自分のカップに新しいコーヒーを注ぎながらどうだっていいことを聞くくらいの余裕があるようだ。願子は逃げるだけ。願子は自分の仕事に納得したが、ここで残りの三人が口を挟んだ。

 

「それであたしは何をすればいいんですか?」

「わ、私も何かできることがあったらなんでもします!」

「そうね、願子さんに借りを作るのは癪だし私も協力しようかしら」

「友里……杏ちゃん……ありがとう!」

「私は?」

 

  塔子は放って置き、杏と友里の手を握る願子の心内に不安はもう存在しなかった。繋いだ手から伝わる熱は、あれに触れられた時とは違い安心感が身体を包む。塔子は放って置き、今までにない一体感を感じる。きっとこの先も彼女たちの友情は変わらないだろう。

 

「君たち二人には俺の考える仕込みで最も重要なことをやって貰う。いいか、全ては明日決まる。明日が勝負だ」

「私は?」

 


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