不見倶楽部   作:遠人五円

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死の向こう側

  一葉高校の文化祭は大盛況と言って問題なかった。長い歴史はそれだけ多くの一葉高校出身者を排出し、大学生から皺の多い御仁まで多くの者が久々の古巣を訪ねようと足を運んだ。お目当は学生たちの出店や展示であることにはあるだろうが、校外の者も校内の者も誰もが見に行くのは花形である体育館のステージ上での催しだ。そんな中でバンドや演劇に続き幕開けた五光同盟の発表は音楽と喜劇を超えた見世物に違いなく、同じ国にいながら全く異なった伊周の雰囲気に誰もが息を飲む。真っ暗になるように目張りされ、唯一昼間のように明るい体育館のステージの上は今まさに伊周の独壇場と化していた。発表が終わる頃、伊周より前の発表を覚えている者は残念ながら出てこないだろう。

 

  式神という日本人ならば誰もが知っている事柄を非常に簡潔に説明し、専門的な部分は省き誰もが面白いと感じる小噺のような内容は、小さな子でも退屈せずに伊周の話に耳を傾ける。

 

「皆さんご存知の通りや思いますけど、式神というのは陰陽師ーいう者が使役する簡単なものから小難しいものまでいろいろあるまあ術というよりは技でして、今回はそれをお披露目しよう思うとります。皆さん不思議やなーと思ってることがあると思うんですけど、なんで陰陽師も巫女さんもそういった人たちは技を使う時にお札なんか持っとるん? って思ったことあるやろ? あれは要は言葉遊びみたいなもんで、陰陽師の場合式に神様やなくて本当は意識の識にペラペラの紙いう字が合わさって識紙なんよ。識別する紙ってなんや思うかもしれんけど、何か決まった要因を受けた時にそれが反応するってことで、一種のシステムを作るってことなんです。そこのちっちゃな僕も例えば友達の家に行ってインターホンを押すやろ? そうすれば音が鳴る。それと一緒なんや、だから例えば熱に反応するゆう式神作ってやれば……ほら、そこのお嬢ちゃん手出してみ?」

「…………うわぁ」

 

  伊周が手渡した折り鶴が少女の手のひらに乗って少しすると、少女の小さな熱に反応し弱々しい羽を大きく動かして照明の消された体育館の闇の中を飛んでいく。ステージの前に噛り付いている子供一人一人に手渡す分だけ、空を舞う折り鶴の群れは増え、大人たちは口を開けたまま目を丸くし、子供たちは飛び立った折り鶴を追って走り回る。

 

「なんや手品かいな思うとる人もいる思いますけど、そう思う人は手え上げてな、足りなくなってもすぐにそこらに落ちてる紙でも使って折ますから心配せんでくださいね」

 

  その宣言通りに上げられ続ける手の数だけ鶴を折り、発表が終わる頃には空で鶴たちが渋滞を起こし非常に窮屈そうだったという。一葉高校始まって以来の大歓声に包まれた五光同盟の発表を見た者たちが、同じく最優秀賞を取った不見倶楽部に興味を持ち来てくれるのだが、不見倶楽部の部室内は体育館とは正反対で、一目不見倶楽部の展示物を見ると溜め息を吐いて出て行ってしまう。

 

  客が見たいのはパフォーマンスであって、学術的に価値のあるものでは無いらしく、不見倶楽部の展示物を褒めてくれるのは年輩の方たちばかりであり、それも「こんなこともあったなあ」といった懐かしさに浸ることしか言わない始末。おかげで天辺まで登った太陽が傾き始める頃には、客がくる数よりも五人があげる欠伸の数の方が多くなってしまった。

 

「副部長、これでいいんですか?」

「いいよ別に、有名になりたいわけじゃないし」

「でも悔しかったりしないんですか?」

「全く」

 

  不見倶楽部の部員として願子たちは同じオカルト研究部だというのに全く違う扱いの差に一言言いたい気分なのだが、こういう時こそ率先して動いて貰いたい副部長はこういう時こそ動かなかった。

 

「いいじゃないか、楽するために伊周を呼んだんだ。目論見は大成功、ゆっくりコーヒーブレイクと洒落込もう」

「副部長先輩は本当にそれでいいんですか? 折角来てくれたお客さんに舐められていますよ私たち」

「いいさいいさ、俺たちが本気を出すのは幻想を見に行く時だけだよ。やる気が無いんじゃなくてやる気の方向が違うんだ、だいたいパフォーマンスするとして俺はどうしたらいい? 複眼晒して壁に拳でも突き立てろって? 俺の首が飛んじまうよ」

「あら面白そうね」

 

  これ見よがしにコンタクトを取り外し塔子を睨む副部長の精一杯の皮肉に願子たちは困ったように笑顔を返すことしか出来ない。沈黙に耐えかねた四人は示し合わせたかのようにコーヒーに逃げ込む。

 

「全くお前たちそこまで言うなら文化祭らしく宣伝でもしてきてくれよ、それと文化祭を大いに楽しんでるだろう伯奇と橙の様子を見てきてくれ」

「……分かりましたよ副部長」

「頼むぞ願子、ああ後友里さっき複眼を出したおかげで気が付いたんだが刑部が来てるぞ、二年のお化け屋敷で暴れてるから先に回収した方がいいだろうな」

「ちょっと嘘でしょ家で大人しく待っててって言ったのに、もうしょうがないんだから願子たちは先行ってて私そっち行ってから合流するから」

 

  金色の髪を鬱陶しそうに搔き上げて部室を出て行く友里の後ろ姿は、男の元に向かうというのになんの色気も感じない。すっかり友里と刑部の立場はどちらが上か誰が見ても分かるほどはっきりしていた。色恋沙汰は残された三人も嫌いでは無いが、ピンク色の色が欠片も見えない二人には呆れて乾いた笑いしか出てこない。友里を追って三人もまた部室から出て行き、ようやく静かになったと副部長は一人深く椅子に身体を預けた。

 

  一葉高校の文化祭は在校生徒数が多いなだけに大学の文化祭と比べても十分遜色が無い。一年生も二年生も三年生もこの日ばかりは学年の垣根を越えて学校中に学年を表す色違いのスカーフが溢れている。

 

  一年生の出し物は初めての文化祭ということで気合が入っているものが多く、また三年生も最後の文化祭ということで同じく気合いが入っている。二年生もそれらに負けじと気合いを入れているものだから、行事としてはこの時点で成功していた。

 

  これも生徒会の仕事の合間に率先して陣頭指揮した生徒会長のおかげなのだが、それにしてもここまで頑張れるのに部活動などになるとどうして結果を出せないのかと三人は疑問に思う。

 

  それは生徒会長が動いているからに他ならない。どんな生徒も彼女の言葉に背中を押され、普段ならば手を出さないようなことでも手を出してしまう。そのおかげで一葉高校の学生はどんな子でも学校行事には真面目という比較的いい印象を学校外の者たちに与えていた。

 

  だがそれも一年生の願子たちのとなりのクラスがやっているコスプレ喫茶の盛況ぶりを見ればどうでもいいことだと見切りをつけて三人は煌びやかに彩られた学校の廊下を生徒たちの邪魔にならないように端を歩いて行く。

 

「凄いね、なんていうか修行ばっかでクラスの行事さえ部活を理由に出てなかったから別世界に来たみたい」

「そう考えますと私たちって随分遠くに来ちゃいましたね、もし副部長と会ってなかったら私たちもああして騒いでたんでしょうか?」

「あらあら珍しいわね杏さんがそんなこと言うなんて、私から言わせれば人生にたらればはないのよ占いにもね」

「よくズルするのに?」

「あらあらあらあら」

 

  輝かしい学生生活を願子たちが送れる日はもう来ない、それは願子たちが誰よりも分かっていた。普通という一般常識の領域に戻るにはもう随分と道を違えてしまった。だがその道は何より明るく色々な色に溢れているものだ。副部長の信濃物語を見て昔を懐かしむ先人たちと同じ、懐かしみこそすれ戻ろうとは思わない。

 

「うお、 なんじゃありゃ! みろよ友里魔法使いだ、魔法使いがいるぞ! 魔法を見せて貰おう! おいお前なんか面白いことやれ!」

「え? ぇえ⁉︎」

「ちょっと刑部その人困ってるでしょうが! やめなさいマミゾウさんに言いつけるよ!」

「茶釜は……まずい」

 

  人でごった返していても質の違うものというのは嫌でも目に付くものである。とんがり帽子にマントという魔法使いのコスプレをした少女に飛び付く半裸の刑部の姿はどことなく犯罪的で遠くにいようと目に入ってしまう。三人は一度顔を見合わせると笑顔になって友里と刑部の元へと歩いて行った。こういう方が願子たちには似合っている。

 

「友里! 友里は友里で楽しんでるみたいだね」

「願子! はぁ、ようやく合流できたわ。もう刑部があっちこっち勝手に行っちゃってどうしようも」

「おい友里見ろよ、悪魔だ! 悪魔がいるぞ!」

「なんですか貴方、 ってなんで上裸‼︎」

 

  そう言っている間にも好き勝手に動く刑部に友里は頭痛を覚えて目頭を抑える。悪魔のコスプレをした生徒の叫びによって生徒たちの目が集中したが、すぐに目を逸らした。それは上裸の偉丈夫を恐れたからでは無い。薄く光る塔子の身体に巻きつくように存在する装飾の数々がその正体だ。人払いという技はこういう時本当に役に立つが、それに気分を良くして顔を綻ばせる塔子の顔は腹が立つほど清々しい。

 

「ほら行くよ刑部! 塔子にお礼言って!」

「おおよく分からんがありがとなこう子」

「刑部さんは相変わらず副部長先輩と友里さんのことしかちゃんと覚えてないんですね」

「そんなことねえぞアイス!」

「……覚えてないじゃん」

 

  刑部を回収することには成功したが、これにより不見倶楽部の宣伝という目的は不可能へと変わる。制御不能の珍獣をそばに置いての宣伝など目を引くだけで話を聞いては貰えないだろう。そもそも副部長の言う宣伝自体が無茶なものであった。不見倶楽部はその名前からオカルト研究部であるだろうと分かりずらく、オカルト研究部と宣伝しようものなら誰もが今来ている五光同盟のことだと勘違いする。しかし、この事態は副部長の思惑通りだったと言っておこう。副部長が願子たちを追い出したのは真面目に宣伝させるためではなく、遠回しに文化祭を楽しんで来いという想いがあってのものだ。あまりの回りくどさに願子たちは気が付かない。

 

「どうしよう、刑部がいるんじゃ宣伝出来ないし、適用に回って副部長にお土産でも買ってく?」

「いいと思いますよ、そうでもしないと副部長先輩部室でコーヒーしか飲みませんし」

「こんな時でさえ部室に引きこもるなんて困った副部長なんだから」

 

  そうして多くので店を回る五人だが、これがなかなかいいものが見つからない。並ぶ出店のところへ行っても不見倶楽部に入ってから副部長に連れられて各地を回り美味なものばかり食べていた願子たちにはどれも少しばかり物足りなく写ってしまう。非常に贅沢な話ではあるが、肥えた舌といものの我儘さには人は抗えない。四人の代わりに刑部が騒ぎ食い散らかしたため冷やかしにはならなかったがいい迷惑だろう。

 

「楽しむのは結構ですがあまり騒ぎすぐて問題を起こさないでくださいよ」

 

  刑部たった一人ではあるが目立つ格好に目立つ行動をしていて騒ぎを聞きつけた生徒会が動かないわけがなく、六つ目の教室を出たあたりで廊下で待っていた副会長と生徒会長が注意を促しにやって来た。副会長はいつもと変わり無いが、夏祭りを楽しむ子どものように両手いっぱいに生徒たちの出店の品をぶら下げている生徒会長には威厳は無い。

 

「流石に大丈夫だとは思うがな、その男刑部だったか副部長の知り合いだと聞いている。まあ楽しんでくれ」

「おうよ! お前いい奴だな!」

 

  副部長といい生徒会長といいなぜか癖の強い者ほど仲良くなるのが早いらしい。いい笑顔で握手をする二人は十年来の友人のようだ。

 

「いやあしかし良かった。文化祭は大成功、私も口を出した甲斐があったな。最後の文化祭がこれだけ賑わえば憂いもない」

「そっか、会長も副会長も副部長も今年で最後ですもんね」

「不思議ね、副部長さんたちが居なくなるなんて思えないわ」

「でも半年もしたらいなくなったっちゃうんですよね。副部長先輩も会長先輩も副会長先輩も……」

 

  失言というわけでもないが、自分の言葉のせいで少し暗い雰囲気になってしまった空気に生徒会長は内心で舌を打つ。彼女にとって一番いいことは生徒が楽しそうに騒いでいる姿であって暗く沈んでいる姿を見ることではない。少し不味ったなと会長は頭を掻いてすぐに話を逸らした。

 

「まあそれは置いておいて‼︎ お前たちが連れてきた五光同盟は凄いな! あれだけ体育館が賑わったのは初めてだ。幻想かそうじゃないかを感じるギリギリのラインを攻めることができているあたり彼女もさなちゃん同様そっちの天才という奴だな」

「会長までそう言うってことはやっぱり伊周って凄いんだね」

「凄いのは認めますが、少々恐ろしくもありますがね。副部長が呼ぶということは普通ではないと思ってはいましたがもし暴れられでもしたら春の二の舞です」

 

  副会長の懸念はそれであった。最後まで五光同盟が来ることに反対していた理由は、文化祭で集まった異端たちが学校ごとここを破壊するかもしれないということにある。副会長も副部長は信頼しているが、副部長が連れてきたものはそうではない。実際伊周は好戦的な性格であり、いつ手が滑って教室が吹き飛んでもおかしくはない。しかし、それはより大きな問題が先に控えていることによって無視できる問題でもあった。諏訪の祟りの問題、それは当然副部長から生徒会長と副会長に話がいっているため二人は知っている。それを加味した場合、伊周が動くことは無いのだが、それを理解できるほど二人はまだ伊周のことを知らない。

 

「副会長の疑問も分かるがな、そう問題ばかり見ていたら疲れてしまうぞ、ほらもう一つの爆弾も歩いてきたしな」

「あ? なんだよあたしに言ってんのか? ったく副部長といいお前といい口が達者なことで」

「お前はもっと自分が問題児だということを理解しろ‼︎ うちの在学生でもないお前が毎日学校に来ているせいでそれをもみ消し続けている私の身になってみろ、副部長との約束がなければ今すぐにでも私が叩き出してるところだぞ!」

 

  いつの間にかふらりと願子たちのところに来ていた伯奇と橙を見て、生徒会長は苦言を言う。副部長との約束というのは、修行のことではなく、有事の際に一葉高校を守るというものである。この約束を簡単に生徒会長は漕ぎ着けてしまった。副部長を介して伯奇を縛るこの約束は非常に一葉高校にとって有益であり、生徒会長も口では厳しいことを言っているが叩き出す気など毛頭ない。伯奇程のボディーガードを雇うとなれば本来ならいくら金を積んでも足りない。

 

「分かってるさ、あたしだってここは気に入ってるし大人しいもんだぜなあ杏?」

「そうですかね?」

「全然駄目じゃん伯奇」

「ったくなんだよ、杏も願子も酷えよなあ」

 

  そう言いながらも楽しそうにしている伯奇にもう小言は言わないようで、生徒会長も副会長も小さく笑って頷いている。祭りの賑やかさも加わり心地いい空気にその場に誰もが笑顔を見せていたが、橙だけはそうでは無かった。それは動物の勘か妖怪の勘か、猫の髭を刺激するような光の中に隠れたピリピリとした空気を橙は感じていた。そしてそれが形になるように小さな悲鳴が一つの教室から聞こえてくる。

 

「? 橙ちゃんどうしたの?」

 

  裾を力強く握ってくる橙の視線に気付いた願子がそれを追えば、お化け屋敷をやっている教室を見ていた。そこからは断続的な悲鳴が上がっているが、お化け屋敷だということを考えれば別段おかしなことではない。だがよく耳を澄ませば、聞こえてくる悲鳴にはふざけた要素が無く、演技ではない本気の悲鳴だということに気づく。

 

「ちょっと刑部?」

「下がってろ友里、死だ。山でよく嗅ぐ死の匂いがする」

 

  橙に続いて刑部が友里を手で押し下げ前に出る。肉眼でも分かるほど薄っすらと黄色いオーラを纏う刑部の姿が、その場の全員の意識を変えた。全員の視線がお化け屋敷へと集まり、悲鳴を上げて飛び出してきた生徒に続いて姿を現したのは人だった。だらりと垂れ下がった手の指先から血が滴り、死んだような目をしているが確かに人だ。

 

「あらすごいリアルね、スーツもヨレヨレで自殺したサラリーマンって感じだわ」

「全く急に態度変えないでくれる刑部、びっくりしたでしょうが」

 

  友里はそう言って刑部の肩に手を置くが、戦闘態勢を全く崩す気は無いらしい。それは伯奇も橙も生徒会長たちも同様であるようで、願子が徐ろに色眼鏡をかけたのは、知り合いの手練れが気を抜いていないということが多分に含まれていた。

 

  そして願子が色眼鏡をかけたのは正解といえば正解であるのだが、やめた方がよかっただろう。願子の目に映るのは人の形をした何かであった。色眼鏡を通して見えるものは基本流動的である。副部長の見る光と波の世界もそれは同様であり、願子が見る感情と好奇心の世界だってそうだ。心も力もエネルギーも全てが止まってしまっているように動かない。刑部の言った死の匂いという言葉に引っ張られ、それの答えを願子の脳は即座に弾き出す。

 

「……ゾンビ?」

「違うよヘンテコ眼鏡、そうじゃない。質量が濃すぎてそう見えるだけかもしれないけどあれは幽霊だよ。それも無理やり実体化、降ろされたね」

 

  橙の言葉を合図にしたようにスーツの男に続いて続々と同じようなものが廊下に溢れ出した。一人では薄かった死の匂いが、急激に増されていく。本当にそこに存在しているように見えるのだが、生徒の一人に近づいたそれは触れることも無くすり抜けていく。橙の言う通り実体の無い幽霊で間違いなかった。

 

「どうしましょう伯奇さん、副部長を呼びましょうか?」

「それでもいいがよお、こいつら別に誰かに危害を加える気は無いみてえだな。死の匂いは強いがそれを振りまいてるわけじゃねえ、それより問題はこれを起こしたやつだろううさ」

 

  迸る霊力はそのままに形だけは闘いの格好を解いた伯奇はそう言ってあたりへと視線を泳がせる。誰も口には出さないが、これを起こしたであろう犯人はもう分かっている。

 

「五人目が来たの伯奇?」

「だろうよ、なあ橙」

「うんそうだね、ほら来るよ」

 

  指を指した橙の先から、まだ教室を出ていないにも関わらず明らかに雰囲気の違う空気が漏れ出している。それを肌で感じた願子たち不見倶楽部の四人は不思議な気分に身を包まれていた。複眼を晒した副部長からは神秘的な空気が、伯奇の場合は肌を刺すような痛々しい空気、伊周は甘い花のような空気、刑部からは山の広大な空気をそれぞれ感じるが、それはそのどれとも異なる。

 

  肌を撫でるひやりと冷たい空気は川辺の空気に近い。それも心の芯まで掴まれるような冷ややかなものだ。だというのに不気味な程拒絶感を覚えない、いずれ生きる者誰もが足を踏み入れる三途の川に降り立ってしまったとでもいうようだった。

 

  その冷たさが一段と強くなりそれは姿を見せる。

 

  風に揺れる草原を思い起こされる長く癖のない透き通った緑色の髪、白い陶器にようなシミひとつ無いきめ細やかな肌。優れた絵画や彫刻のように異常に整った顔立ちとそうであるべきというような作られたようにメリハリのあるプロポーションは性別関係無く生唾を飲み込むだろう。その人物を願子たちはいつも部室で見ている。副部長の執務机に乗った写真立ての中でである。

 

「……さなちゃん?」

 

  誰より早く口を開いたのは生徒会長だった。何も言わないが副会長も驚愕に目を見開き、生徒会長と共に溢れている亡者には目もくれず、その後ろに一人控える部長の方だけを見る。

 

「さなちゃん‼︎」

 

  次の瞬間には生徒会長は駆け出していた。願子たちが止めることも叶わず亡者の壁も気に留めず一直線に早苗の元へと駆けていこうとしたが、今まですり抜けていたはずの亡者にぶち当りそれも叶わない。それをにっこりとした顔で早苗は見ると、すぐに振り返り廊下の奥へと消えていく。生徒会長は叫び、副会長は動けない。

 

「さなちゃぁぁぁぁん!」

「……嘘、本当に部長?」

「やべえな、いったい何がなんだか分からねえが……取り敢えず流石あの男が惚れ込んだ女と言っとこうか、ありゃ人間だって言われても信じられねえな」

 

  伯奇の感想こそ、生徒会長たちを除いた全員が思っていたことだ。蛇の卵から出てきた時とは違う生気を感じる早苗は綺麗すぎた。それこそ神力という神の力の一端なのかは願子たちの知った事ではないが、何も言わず、何もせずともただ視界に入っているだけで超常の空気をあたりに振り撒く。それも決して恐怖感を覚えない優しいものでだ。冷たい黄泉の空気に包まれていたような空間が、早苗が出ただけで太陽を目一杯受けて大空の下でそよぐ地平線まで続く大草原のような空間に変わった。

 

「でも部長さんって幻想郷にいるんじゃないんだったかしら? なんでここにいるの?」

「分からないけど部長が来たんでしょ? だったら一つしか行く場所ないんじゃないの?」

「副部長‼︎」

 

  願子の予想は当然といえば当然であり、そしてそれは当たっていた。この時副部長はまだ部室で一人コーヒーを飲んでいた。久しぶりに昼間に一人きりになった静かな時間を楽しんでいたのだが、それも遠くから聞こえる本気の悲鳴にそうもいかなくなってしまった。だが強くなった願子たちと、その近くに刑部がいることは分かっている副部長はそこまで焦らずコーヒーをちびちびと飲んでいたのだが、遠かった悲鳴が近くでも上がりだしたことによって本当にそうもいかなくなっていた。

 

  副部長は仕方がないと複眼を出し、そして愕然とする。それは今まで見たこともない光景が目に入って来たからだ。学校中に薄暗い影が無数に動いている。星々の合間で見えないが存在しているブラックホールのようであるが、それとは異なり破壊的な空気はない。その強烈だが確かな静かさは死の体現である。

 

  そうしてそれに目を奪われている間に、その内の一つが不見倶楽部の扉を開けた。あたりに散らした視線を集めてそちらへ集中すると、入ってきた影を見て副部長は眉を顰める。

 

  他のものと違い中心部にはいつも見る人の輝き、流れる電流と熱のエネルギーを循環させる者がおり、その周りを白っぽい影が覆っていた。他の影とは明らかに違う呼んでいない客人を暫く眺めていたが、それからかけられた声に副部長は目を見開く。

 

「副部長……」

 

  忘れるはずのない声。かつて共に短くも濃厚な三年間を過ごした親友の声だ。それを受けて副部長の内に巡ったのは、怒りでも喜びでもないなんとも言えない想いだった。だがそれは攻撃的な色を確かに内包し、踏みしめた床が畝り早苗の影に触れると幻のように消えてしまう。

 

「ありゃりゃりゃ、やっぱり生き霊を降ろすのは厳しいねえすぐに崩れちゃったよ。それにしても酷いんじゃないの? 影とはいってもあれは東風谷早苗なのにさあ」

 

  消えた影のその奥から剥き出しになった人の光がより強くなり、その本性を隠すこともなく曝け出す。明るい声とは対照的に、副部長の目にはゆっくりと冷たく冷静な流れが映る。以前橙が言った隙のないうるささというのは的を得ていたと言える。副部長よりも頭二つ分小さな小ちゃな体躯に明るい亜麻色の癖の入った髪が元気よく跳ねる。

 

「お前が「美代でいいよ」…………五人目だな。派手な登場じゃないか、事後処理の大変さが分からないわけじゃないと思うが」

「分かってるよー、大丈夫〜だってふっくんがどうにかするでしょ? 最悪ゆかりんに頼むしー」

 

  ふっくんという急な渾名に副部長は微妙な表情を返すが美代に気にした様子はない。

 

「いったい何しに来たんだ?」

「あーそれ聞いちゃうの? 分かってる癖に〜、ただ私が来たってことはさ、もうすぐ始まるよー」

「なぜ分かる? 俺にだって時期は分からないのに」

「それはまあ私は死の専門家だからさー、今のこの土地ははっきり言って相当やばいよ。私だったらさっさと引っ越すレベルだねー、だってさ、ここには私にも降ろせない霊がいるんだもん。それも百人以上ね」

 

  副部長にしか見えない世界があるように、美代にしか見えない世界がある。この時複眼の副部長には見えなかったが、真っ黒い瞳まで黒い美代の瞳は諏訪湖の奥に潜む何かを確かに見ていた。

 

「多分だけどさ〜、これ勝てないんじゃないかなって思うんだよね私〜、これまで集まったこともない異変解決者が全員集めらされてさ、それでどうにかなる問題じゃないっていうか、慣れないことはやるもんじゃないっていうか」

「なんだ忠告しに来たのか? 悪いがやばいのは元から分かってるよ、だがどれだけやばくても」

「出て行ったりしないんでしょ〜? 知ってる。ふふんいいねー、私結構気に入ってるよふっくんのこと、いい友達になれそーだねー」

「そりゃどうも」

 

  部室内を跳びはねてソファーの上でトランポリンの真似を始める五人目を怠そうに眺めると副部長はいつも通りコーヒーを差し出す。美代は珍しく怪訝な表情すら見せずに喜んでそれに飛び付いた。

 

「わーい、聞いてた通り美味しいね、将来は喫茶店でも開くの?」

「それもいいかもしれないが、俺に喫茶店のマスターは合わんだろうさ」

「そんなことないと思うけどねー、それで? どうするの? 私が来て五人が集まったし、それ以外にも戦えそうな子が何人かいるよ。でも厳しい」

「だがそれでもやるんだったらやるしかないさ。おそらくこの状況、諏訪ではなく例えばお前のいる恐山が同じ状況ならそこに五人が集められただろう。つまり紫さん的には是非ともこの問題は片付けたいんだろうよ」

「ゆかりんああ見えてお腹真っ黒だからねー、どうこの先は、ふっくんに見える? 死の向こう側が」

「死の向こう側とは勘弁だな。俺に死相でも出ているか?」

「さーてね、ただ言えるのは私にはいつでも見えてるよ。ふっくんよりもそれだけはね」

 

  その美代の言葉を最後に部室に飛び込んできた願子たちによって諏訪の守護神と死の巫女の会話は終わりを見る。いつの間にか部室に現れた五人目に誰もが驚き、口を噤んだ副部長と空気を読んだ美代によって部長の事は隙間送りとなり、この文化祭の幽霊騒ぎは、結局美代の言った通り副部長と生徒会長の尽力によって学校の七不思議の一つとして落ち着いた。

 

  そしてこれによって遂に異変解決者である五人が揃ったことになる。それを諏訪が待っていたのか、それとも紫の天才的な知略の結果なのかは誰にも分からないが、遂に事態は動き始める。


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