不見倶楽部   作:遠人五円

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山の主

  山。

 

  四国の山にはあの男がいる。

 

  だから妖怪も人も近寄らない。

 

  もし山で迷ったら隠神刑部(いぬがみぎょうぶ)に祈りを捧げよ。

 

  そうすれば助かるかもしれない。

 

  そんな話が四国にはある。四国の中でしか知られていない話だが、その話の影響は強く小学校では山に行かないようにと注意すら出されている。街の至る所では指名手配の張り紙が貼られているが、その写真は全て遠巻きに撮られて影になり顔は分からない。

 

  だからこそわざわざ街に降り立ってから山へと足を向ける紫に何人もの人が声を掛ける。「危ないからやめておけ」「死ぬ気なのか?」「女性が一人で行く場所ではない」紫のことを知っている者が見れば何を言っているんだというようなことだが、彼らは誰もが本当に心配してのことだ。その反応が面白いからこそ山へと入る姿をわざと見せる。

 

  迷惑な話だ、それを見るものからすれば溜まったものではない。だが声を掛けても誰も彼女の後は追いかけない。知っているからだ、山の主が四国の山にはいる。山の工事現場で重機がひっくり返っていればそれは山の主のせい、山で猟師が怪我をすればそれも山の主のせい。香川、愛媛、徳島、高知とどこでも関係なく山に足を踏み入れれば山の主に見られていると思った方がいい。

 

  紫は山へと悠々と入っていくと赤や黄色に変わった葉の美しさを存分に楽しみながら適当に足を動かす。人が立ち入らないおかげで大きく潤沢な秋の味覚たち、風にほのかに揺れながら葉を叩き合わせる木々たちの歌は紫の来訪を歓迎しているように聞こえるが、一人に限ってはそうではない。

 

  紫の耳に木々の軋む音が聞こえる。山々に反響して遠くからもの凄い勢いでそれは迫ってくる。紫は笑みを深めて歩くことをやめない、そうして遂に目の前に落ちて来たそれはなんの躊躇もなく手に持った鉈を紫に向かって振り下ろした。

 

  鋭く眼にも止まらぬ一線はしかし紫の周りに貼られた結界を切り倒すだけにとどまり紫までは届かない。ふわりと距離をとった紫の目の前の男の姿は奇抜の一言に尽きる。背が高く筋肉質だが細い山猫のような体躯、靴は履いておらず服も着ていない。腰に長めに巻かれた動物の毛皮のみであり、髪は長く邪魔なのか無造作に所々結ばれた髪型は現代アートのようだ。そんな男が紫の方へ鉈を突き出し吠えた。

 

「お前隠神刑部の婆ちゃんの山を狙いに来たな! 懲りない奴らだ全く全く! その首切り落としてやる!」

「貴方は何度言っても分からない男ね。私は別にこの山を狙ったことはないですし、用があるのは貴方によ」

「なにぃ!俺を倒して婆ちゃんの山を狙ってるのか‼︎ 許さんぞ! 許さんぞ!」

 

  何度もやたらめったら振られる鉈を紫は面倒くさそうに結界で反らすが、それが全て斬り伏せられる。技量は確かなのだがどうも頭の緩さが目立つ外の異変解決者に頭痛を覚える紫は、一度指を鳴らすと地面に開いたスキマから数えるのも億劫(おっくう)になるほどの標識が飛び出し男の周りを動けないように遮った。

 

「あのね、私は隠神刑部と知り合いだし用があるのは貴方なのよ。山など狙っていないし何度も私と貴方は会っているでしょう」

「なんだ婆ちゃんと知り合いか、それは悪かったな! だが俺は人の顔を覚えるのが苦手なんだ。どっかで会ったか?」

「ええ何度もね。ほら八雲紫さんよ」

「八雲? 紫? 誰だそれ俺は知らんぞ」

「ちょっと」

 

  本当に知りませんといった風に首を傾げる男に紫は頭を押さえため息を吐く。なぜこんな男を外の異変解決者に選んでしまったのか会う度に少し後悔するが、見過ごせない力の持ち主なのだからしょうがない。

 

「それでその八雲むかりが何しに来た?」

「八雲紫よ……ええ貴方にちょっとした話があってきたのですわ。いいかしら、貴方たちの山に」

「なんだとぉ! やっぱり山を狙って来たのか‼︎ 許さんぞ! 許さんぞ! 許さんぞ!」

 

  周りを囲む標識たちを切り裂き紫へと飛びかかるが、スキマへとするりと逃げ込んだ紫は男の手の届かない空中に身を移す。下には紫が空にいることに気がついた男がちょこちょこ跳び上がっているが全く届かない。それでも十メートル以上跳んでいる男はとんでもない、それも跳び上がるごとにその距離を伸ばしていっている。捕まらないように少しずつ高度を上げる紫に男は忌々しげな顔を向けた。

 

「こらぁ! 降りてこおい卑怯だぞ! なんで翼もないのに飛べるんだ? お前さては新種の鳥だな!」

 

  全く話が進まないことに紫はもう慣れてしまったがそれでは困る。副部長との会話がどれほど楽だったことか、あの男を引き込めて良かったと改めて感じる。下で叫んでいる男には小難しいことを言っても無駄だとあらゆる過程をすっ飛ばし自分の目的を遂げるために最短であろう言葉を口に出す。

 

「いいかしら刑部、貴方たちの山を狙っている者がいるわ」

「なんだとぉ! 誰だそれはお前じゃないのか‼︎」

「山を狙っている者は諏訪にいる。名は不見倶楽部よ! いい不見倶楽部!間違えちゃダメよ不見倶楽部よ!」

「よっしゃ分かった! なんだお前いい奴だな! ようし諏訪だな! 諏訪、諏訪……諏訪ってどこだ⁉︎ くっそお適当なこと言いやがって! お前嘘言ってるんじゃないのか? やく……えっとやっくん‼︎」

「誰よ! もう私が送ってあげるからさっさと行ってきなさい!」

 

  ぴょんぴょん跳ねる刑部は大地に戻ることはなくスキマへと消えていく。なんにせよ目的は達したとようやっと紫は一息つく。本当は刑部たちの山に近々客を寄越すと言いたかったのだが、いろいろ面倒になった紫はもういいやと刑部の方を諏訪へと送った。だがそれで大丈夫なのかとすぐに帰った時藍に言われたが、副部長たちならどうにかするだろうと無責任に全て投げ出すのだった。

 

 

 

 

 

  秋だ。この季節諏訪湖から一望できる周りの山々は大きな紫陽花(あじさい)のように色取り取りの顔を覗かせる。だがそれを見れないぐらい学校へ足を向ける願子と友里、杏と塔子の足取りは重く顔は俯いていた。いつもなら校門に集まるのだが、今日は早くに諏訪湖に集合した四人。それはこれまで一緒にいる時間が減ってしまったためだ。ろくに話もできないためその時間を作ろうとこうして集まった。

 

  八月の中頃に始まった修行は願子たちをこれでもかと削っていた。ただの筋トレのようなものなら今よりマシだっただろうが、願子たちの考えていた以上の修行の内容に参ってしまっているのだ。

 

「ああなんで土曜日なのに修行のためとかで部室に行かなきゃいけないんだろう……夏の前は良かったよね、なんて言うかさ」

「しょうがないでしょ願子、あたしたちで選んだんだから」

 

  始まる前はやってやるぞと息巻いていた願子もいざ始まるとそれが正しかったことなのか疑問に思ってしまう。ゲームのようにパラメーターをいじれるわけではないのだから日々過酷なことをするのは仕方ないのだが、それにしても今やっていることが正しいのか信じずらい。

 

「そう言う友里はどうなの? いつも何やってるのよ」

「あたしは元々副部長と格闘の特訓してたからその延長みたいなものね、橙が相手してくれてるんだけどはっきり言って今まで橙のこと舐めてた、すっごい強いんだから。ほら見なさいこの腕の引っかき傷、また今日も傷が増えるのよどうせ、親を誤魔化すのも大変なんだから」

 

  八月から一番身体に傷が増えたのは友里だ。友里が掲げる腕には大きな三本の細い線が残っており、それ以外にも細かな傷が身体のあちこちに見えている。

 

  友里の修行は橙との格闘だが、友里はどう? と願子が言った通り四人は全く異なる修行を別々に行っている。夏の日に部室に姿を現した紫がまず四人に言ったことは「貴方たちは副部長や伯奇のようにはなれない」、その言葉に反発しようと口を開きかけた四人に続けて紫が言ったことは納得できるものだった。

 

  副部長も伯奇も努力の結果自分だけの技を磨き今の位置にいる。どれだけ副部長や伯奇のようになりたくてもそれは不可能、自分を磨くしか道はない。だからこそ願子たち個人の長所を伸ばす修行をする。

 

  この方針に乗っ取って願子たち四人がやっていることは全く別のことなのだ。今まで自分の修行が大変でそういったことを話さなかった願子は友里の話を聞いて自分はまだマシかもしれないと思い直す。

 

「杏ちゃんは? なんかバイクを使ってるってことだけは聞いてるけど」

「その通りで私の修行はバイクでずっと走ることですよ。平日も食事や睡眠授業以外ではほとんどずっとバイクで走ってますね。紫さんが来ている時はよく分からない空間の中を延々と走っています。この前紫さんが来た時なんて一日のうちに二十万キロも走っちゃいましたよ。時間の違う空間なんであそこまで一日で走ったのは初めてですね。もうすぐ修行での総走行距離が三千万キロいきそうです」

「さ、三千万?」

 

  杏の修行を聞いて願子の顔が引き攣る。バイクで走るだけなら楽に思えるがおよそ修行を始めてから二ヶ月ほどで三千万となるととんでもない距離を走っている。四人の中で一番背の低い杏の中にいったいどれほどの力があるのか、その胆力に願子は言葉が出ない。今も一人バイクを押して歩く杏はなんでもないようで、まるでバイクが無いように普通に願子たちの隣を歩いている。

 

「辛くない?」

「いえ別に、私バイク好きですから」

「そっか……で? 塔子はどうなのよ」

「あら私? 私はそれはもう凄いわよ!」

 

  力強く言う塔子に確かに凄いんだろうなあと願子は無言で頷く。修行が始まり見た目が一番変わったのは塔子だ。まずジャラジャラうるさかったおまじないの装飾たちがぐんと減った。それでも多いが、今身につけている物は過剰な飾りを施されたものなどではなく、質素だがどこか品のあるものが多い。おかげで元々の見た目と合わさり今は美しさに磨きが掛かっている。これまで祈祷師のようだった見た目から呪い(まじな)師へとジョブチェンジしたらしい。

 

「私はおまじないや占いを一から学び直しているのよ。物の意味や形、それの効果的な配置に(まじな)い道具の製作までね。それと合わせて霊力の使い方の修行もしているわ。今なら本当に効果のあるおまじないをちょっとなら使えるわよ。紫さんや副部長さんの教え方が上手いし、ほら少し前から来るようになった藍さんという人が今は一番見てくれているんだけどもうあの人は凄いわよ! あの人こそ私の師匠だわ!」

 

  最近不見倶楽部に来るようになった八雲藍という妖怪、綺麗な見た目と鋭い目つきから怖い人だと願子は思っていたが、塔子の姿を見る限りそうでは無いらしい。寧ろ塔子に気に入られるとは藍の方が御愁傷様だと心の中で祈りを捧げる。

 

「そう言う願子さんはどうなのかしら? 願子さんの修行はなんて言ったって紫さんよりも多く副部長さんが直々に付けてくれているんでしょう?」

「うん、まあね」

「へーそうだったんですか」

「私も師匠に聞いただけなのだけれど、友里さんは元々副部長さんと特訓してたのよね、どうなのかしら?」

「あー副部長は分かってると思うけど凄いわよ。なんていうか格闘ゲームのキャラクターと勝負しているみたいな、ね願子」

 

  大地を踏みしめれば大地が(うね)り、拳を突き出せば空気が弾ける。動きを目で追うのは難しく、全て分かっているというように動く副部長は相手にすれば凄まじい。だが願子が友里の言葉に頷くことは無かった。

 

「いやあ私は副部長に格闘は教えて貰ってないのよねー」

「あら、じゃあ何を教えて貰っているのかしら? 私も副部長さんからは格闘じゃなくて魔力や霊力を使わないで使える呪術なら少し教えて貰ったけど」

「なんでも部長がいた時に副部長が考えていた霊力とかを使った技なんだって、ただ考えたのはいいんだけど自分では使えないからお蔵入りしてたらしいそれを引っ張ってきたみたい。そのおかげで私はいつも目がしょぼしょぼしちゃって……」

「そう言うってことは目を使った技なんですか?」

「うんそう、この色眼鏡と合わせて使うの。なんでも色眼鏡を使っている時は強制的に霊力も消費してるらしいから特訓して霊力を操るようになるまでの時間を短縮できるから効率がいいって。おかげで前よりこの眼鏡を使えるようになっちゃって最近は形の無い電気なんかも見えるようになっちゃった」

「へえ凄いじゃん、副部長みたいに龍脈まで見えるの?」

「それは無理、電気とかはまだイメージできるから見えるけど、初めて紫さんを見ようとした時みたいにイメージできないものを見るのは相当負荷がかかるっていうか、副部長と違って私が見るには感情や想いに左右されるからあんまり勝手がよくないのよね」

 

  額に掛けられた眼鏡を手に取り覗き込んでやれば、最近ではすっかり身体に馴染み自分の一部のようになった色眼鏡は嬉しそうにキラリと光る。虹色のレンズは相変わらず色々な色を願子に返し、それを見た願子も相棒に笑顔を返した。

 

「でも副部長に近づけてるって気はするかなあ、副部長が凄いからあんまり実感無いんだけど」

「それは分かる、なんていうか特訓相手が凄すぎて」

「私はドゥカちゃんと走っているだけですから強くなってるのかどうかも分かりませんよ」

「そうね〜、私もおまじないの知識を蓄えているだけって……何かしらあれ」

 

  願子たちは塔子の呟きに引っ張られて顔を前に向ける。そこにあったのは目を疑うような光景だった。ほぼ全裸のような身長二メートルはあろう鉈を持った男が空から降ってくる。意味が分からない光景に四人は声も出ず、地面にぶつかる! と叫びを上げそうになる四人の目の前で、男はなんでもないように地面に着地してしまった。しかし、その衝撃を無かったことには出来ないようで、地面に大きな凹みを残して雄叫びを上げる。

 

「痛えぇ! くそ、やっくんめ許さんぞ! 許さんぞ! 全く全く困ったやろうだ! …………ちょっと待て、ここ山じゃねえぞ! どこだここは⁉︎ うわあ海がありやがる! 向こうに見えるとこは噂に聞く外国かあ⁉︎」

 

  海ではなく湖である、続いている陸地が見えないのかという四人の心の中のツッコミは入れられず、諏訪湖の手摺に飛びついた男は「なんてこった、異国に来ちまったのか?」と、手摺にしなだれかかるように崩れ落ちる。

 

  本能が言っている。これはやばいやつだ、絶対に関わっていけない者だ。突如現れたおかしなものがこれまで良かった試しがない友里たちの足を男とは反対方向へと向かせるが、願子だけは動けずいた。

 

  『きっと面白いことがある』、これだ。いつものように絶対よくないことであろうと願子の頭の中で弾ける麻薬に願子は逆らえない。だがそれを残った理性がなんとか押し留め願子の取った行動は向かうでもなく引き返すでもなく動かない。

 

  願子たち以外の諏訪の住人は怪しすぎる男にとっくに離れて行ってしまっており、残った願子に男が近寄って来たのは仕方がないことだった。

 

「おいそこの女!」

「え? 私?」

「そうだお前だお前! ここはどこだ? 外国か?」

「いやここは諏訪ですよ、長野県にある」

「諏訪! どこかで聞いたような…………」

「ちょっと願子何やってんの」

 

  逃げ遅れた願子の元に離れようとしていた三人が戻ってきた。近くで男を見ればその威圧感は凄いものがある。ほぼ全裸の男が目の前におり、それも自分たちより頭一つも二つも大きいのだ。少し猫背だがそれでも十分大きい。ミケランジェロの彫刻のような肉体には所々大きな傷が目に付き、明らかに一般人ではない。

 

「いやでも友里、こんなおかしな人だと逆に副部長の知り合いとか」

「……ありえそうだから困るわね」

「それでどうしたんですか?」

「この人自分がなんでここにいるか分かってないみたいで」

「あらそうなの? ねえ貴方はどこから来たのかしら?」

「山からだ‼︎」

 

  胸を張って宣言する男に四人は微妙な表情を返す。しばし沈黙が続き、風に乗って熟れた葉っぱが諏訪湖に落ちる姿を見ていた方がよほど人生にとって有益なのではないかと四人は思い始めていたが、男にとっては違うらしく沈黙をものともせずに再び言い放った。

 

「山からだ‼︎」

「いやそれはさっき聞いたから、だいたいどこの山よ」

「隠神刑部の婆ちゃんの山だ!」

「隠神刑部? たしか四国の方にそんな妖怪いなかったっけ?」

「いたわね、確かいたはずだわ」

「じゃあこの人は四国の方なんですかね、いったいどうしてここにいるんでしょうか?」

「俺か? それはやっくんが婆ちゃんの山を狙ってるやつが…………そうだった! 山だ! 山を狙ってるやつがいるんだった! 許さんぞ! 許さんぞ!」

 

  喚きながらなんの意味があるのか鉈を虚空に向かって振るう男の姿は完全に不審者のそれだ。遠巻きから諏訪の住民が願子たちの方を指差し何やら話しているのが見えてしまう。一度話してしまった手前取り敢えず話を折りたたもうと四人は急いで口を動かした。

 

「山を狙ってるっていったい誰がですか?」

「む、なんだヘンテコ眼鏡、お前も山を狙ってるのか⁉︎」

「いや私じゃなくて誰が狙ってるのかって!」

「うんそうだな、そうだ、確か……風船倶楽部!」

「なにそれ、バルーンアートの部活かなんか?」

「凄い微妙な人たちが狙ってるのね」

 

  山を狙うという言葉からもっと凄そうなのが出るのかと思いきや、どちらかと言うと可愛らしい名前に四人の肩から力が抜ける。

 

「でも風船倶楽部ですか、てっきり副部長先輩の関係者だと思っていたのに違うんですね」

「副部長? なんだそれは、美味いものか?」

「いや食べ物じゃなくて私たち不見倶楽部の副部長ですよ」

「ん? おいヘンテコ眼鏡、今なんて言った?」

「はい? だから不見倶楽部の」

 

  急な衝撃に襲われた願子の膝が崩れた。それに驚く暇もなく頭上を通過する鉈が目に入り、続け様に靡く金髪が視界をかすめて願子は友里に連れられ男から跳び退いた。

 

「ちょっとあんたいきなりなにするわけ? 今の当たってたら怪我じゃ済まないよ」

 

  橙との特訓の成果か友里に動揺は見られず、逆に急に死が迫った願子は心臓が張り裂けるのではないかというほど急激に脈拍が上がった。友里に引っ張られた反動で額からずり落ちた眼鏡が目に掛かる。

 

「そうだ不見倶楽部だ、不見倶楽部‼︎ 危うく忘れるとこだったぜ! お前らだな婆ちゃんの山を狙ってるって奴は!」

「あら? さっきは風船倶楽部って言ってなかったかしら?」

「塔子、今はそれどころじゃないでしょ! 危ないからあたしの後ろに下がってて!」

「ええそうね、私の仕事は終えたわよ」

 

  塔子が友里の言う通り後ろへ下がるのと同時に願子たちと男を見ていた市民たちが思い立ったかのように話を止めて遠ざかっていく。こういう事態のために塔子が最初に教えられた技が『人払い』だ。簡単なもので規模も大きいものから小さなものまである(まじな)いの基本的な技の一つ。かっこつけた台詞を言いながら、ちゃんと成功したことに塔子は一人喜び気持ち悪い笑みを浮かべる。

 

「なにニヤついてんのよ」

「おいいつまでくっちゃべってんだ! さっさと構えろ!」

「友里さん、なぜか知りませんけど待っててくれてるみたいですよ」

「当たり前だ! こういうのは卑怯なのはよくない、うん、卑怯なのはよくないからな」

「どの口が言ってんの?」

 

  自分が最初に奇襲したことなど頭にないようで「早くしろ!」と男は一番近くにいる友里を急かす。その誘いに乗って前に出ようとした友里だったが、願子に袖を掴まれて止まってしまう。

 

「願子?」

「……友里、あれやばい。真面目に戦わない方がいいよ。馬鹿みたいだけど気の量が尋常じゃないの、まともにやったら絶対勝てない」

 

  願子の目に映るのは視界を覆う黄色いオーラ。それは異常な濃さを誇り、少しの興味しか抱いていなかった願子の目に簡単に映ってしまった。修行のおかげで願子が新たに身につけたのはただ見たものに驚くだけではなく、正確に実力差を見抜く力だ。まだ友里も男も臨戦態勢に入っていないのに手前の友里の十倍以上はあろうかという気が身体から発せられている。

 

「じゃあどうすればいいの?」

「ごめん友里、ちょっとだけあれの相手できる? 多分逃げようとしても逃してくれるような感じじゃないし、だから避けるのメインでまともにかち合わないで、その間に杏ちゃんと塔子と作戦練るから」

「分かった」

「おいおいまだかよ!」

「今行く! ……全く変に律儀な馬鹿ね」

 

  ため息を吐き男の前へと出る友里だが、内心はどうしようもなく緊張していた。自分の力が通じるのか? といった不安からではない。願子に注意されるよりも早く友里は目の前の男の実力が自分よりも上であることに気がついていた。なぜなら友里も同じく気を扱う者だ。修行しているのにそれを見抜けないようではどうしようもない。

 

「来たな! お前はいい奴だな、やっくんは駄目だ。あいつは悪い奴だ、卑怯だからな」

「やっくんって誰よ、それに聞く耳持たないみたいだけど一応言っとくとあんたの勘違いよ、私たちは山なんて狙ったことないわ」

「いや俺は確かに聞いたぞやっくんから!」

「それ騙されてんのよ、悪い奴なんでしょ? そのやっくんって人」

「うん? そうなのか? うーん、駄目だ。騙すだのなんだのよく分からん! こういう時は取り敢えず倒しておけば問題ないな!」

「……なんて言うかあんた今まで会った中で一番酷いやつね」

 

  頭の悪いことをいいながらも友里に鉈を差し向ける男の身体から爆発的に気が膨らんでいく。その気によって大地が震え振動によって重力に逆らった小石や砂が宙に浮き上がる。ただそれを受けた友里が感じたのは伯奇のような攻撃的なピリピリしたものではなく、山で大きな動物を前にしたような不思議な感覚だった。静かだ。莫大な気とは裏腹に向けられる気からはなんの感情も感じない。あまりの奇妙さにふと友里の身体から力が抜ける。

 

「友里‼︎」

 

  それを見逃さず一気に友里の目の前まで瞬間移動したかのように近づき男が横薙ぎの一線を放ったが、願子の一声で我に返った友里は紙一重でその斬撃を屈んで躱す。金色の線が数本宙を舞い、男に隙ができた。副部長や伯奇と比べて男の動きは決して洗練されているとは言いづらい。友里の目の前に移動した速度は早く、振るった鉈の速度も速い。だが動きは雑で大振り、友里が拳を伸ばせるガラ空きな場所が多くある。だが友里が取った行動はそこから跳び退くこと。隙だらけだった。いい的だった。それでも鉈を振り切った態勢から笑みを浮かべ友里を見続けていた男に友里は言いようのない危険を感じた。それは橙と闘い身に付いた感のようなものだったが、それは正しかったと言える。

 

「なんだ来ないのか」

「……あんたそこまで甘くないでしょ」

「うん? お前頭いいな。わざとこうポカッと開けて来たところをスパっとするつもりだったのに」

「そういうことは口に出さない方がいいと思うんだけど」

「それもそうか! お前やっぱりいい奴だな、名前を聞いとこう、大丈夫、死んでもちゃんと俺が覚えててやる」

「いい奴とか言っときながら殺す気なわけ? はぁ、全く頭が痛くなってくるわ…………出雲 友里よ」

「出雲友里だな、覚えたぞ! 俺は刑部(おさかべ)、犬神刑部狸の婆ちゃんの末子だ!」

「は?」

 

  男の名乗りに友里は間抜けな声を上げた。それは隠神刑部の末子という方ではなく、刑部という名前の方に反応してのことだ。いつか橙から聞いた副部長と同等だろう人間の名前。四国の野生児。点と点が線で繋がっていく、やっくんというのは八雲紫で間違いない。つまりこの事態は紫のせいだということ。友里の怒りのボルテージが上がっていく。

 

「ちょっとあんたやっくんって!」

「行くぞぉ‼︎」

「ちょっと!」

 

  男の動きが変わる。友里を試すためだった最初の一撃とは違いやたらめったら届こうが届くまいが関係なく刑部は鉈を振るい始めた。そうして現れるのは刃の壁だ。刑部に近ずくことは叶わず、急所に当てるとも考えていない刑部の斬撃を友里は躱すことも叶わず被弾していく。それでも適当に振られている分致命傷にはならず、友里の肌に薄っすらと赤い線を残すだけに留まった。だが突破口がまるで見えない。鉈を振り回し続けながら友里へ寄っていく刑部を止める術はなく、友里の退路が短くなっていく。

 

「ちょっとあんた待ってって!」

「うぉぉぉぉ‼︎ 負けんぞお!」

「友里‼︎」

「ムッ⁉︎」

 

  願子の叫びと同時にピタリと動きを止めた刑部の目の前に鉄の馬が横切った。それが過ぎ去った後に友里の姿は無く、友里の後ろにいた願子たちの姿もない。刑部は鉄の馬が走り去っていった方向を見つめ笑うと後を追って走り出す。

 

「友里大丈夫?」

「なんとかね」

 

  杏のバイクに無理やり四人で乗っかり学校への道を走る。四人も乗っているにも関わらずバイクは百キロ近い速度で走り、車道を走る他の車の間を縫うように走り抜けていく。願子たちの思いついた作戦はこのまま副部長のいる学校まで走っていくこと。勝てない相手には無理に闘わない、修行を始める前に副部長が願子たちに言ったことだ。

 

「でもいったいどうやったの? あいつの動きが急に止まったけど」

「あはは、私も役に立ったみたい? これも副部長との修行の成果って奴ね」

 

  副部長直伝の技、曰く『眼で刺す』。視線が刺さるという言葉から発想を得たこの技は、眼から感情を飛ばす技だ。眼のレンズを引き絞る要領で感情を集め、それを相手に叩きつける。霊力という火薬で放つ見つめるだけというおよそタイムラグの生じない光速の弾丸。どんな相手でも急に圧縮された感情をぶつけられれば一瞬身体が硬直してしまう。橙の程度の能力の一つに近いこの技は簡単だが強力だ。もしこれを開発した副部長が使えたとしたら願子と違い三百六十度どこでも視線を刺せる恐るべき技と化す。

 

「それで友里さんなにかあの人と話していたようだけれどなんだったのかしら?」

「ああ、多分聞いたら嫌になるようなことをね。あの男の名前は刑部、橙が前に言ってたでしょ? 紫が送ってきたのよあいつ、嘘まで吹き込んでね」

「え? 本当に? ってことはこれも修行の一環なの?」

「知らないけどあいつマジでこっちを倒そうとしてきてるしそうじゃないのかも、ただあたしが言えるのは今度紫に会ったら一発殴らないと…………って嘘、杏‼︎」

「分かってます! まさか走るバイクに追いついてくるなんて」

 

  運転している杏を除き後ろを振り向く三人は驚きの表情を浮かべた。半裸の男が山を駆ける動物のように手と足を使い走って願子たちに迫っている。百キロ近い速度で走るバイクに追いつく勢いだ。笑顔を浮かべていることからまだ余裕まであることが分かる。

 

「おいおい、なんだおい! お前ら速えな! そのバイクいいなあ! だが待て待て‼︎ まだ終わってないだろ逃がさんぞ‼︎」

「バイクは知っているみたいね」

「いや塔子感心してる場合じゃないでしょ! てか声が大きい! なんでこんなにはっきり聞こえるのよ! 杏ちゃん大丈夫?」

「はい‼︎ これまで死ぬほど走ったんです! 四人乗っても速度は落としませんし学校までショートカットしますから少し荒っぽくなりますよ! しっかり捕まってて下さいね!」

「ショートカットって、ちょっと杏!」

 

  何を思ったのか杏は諏訪湖に向かってハンドルを切る。諏訪湖の湖畔に向いている学校に行くには確かに湖を突っ切るのが最短距離、実際四人の目には学校が既に見えてはいる。だが杏が運転しているのは船では無くバイク。水に浸かれば沈むだけのそれを迷わず湖へと突っ込ませる。

 

  目を瞑り水の衝撃に備えた三人だったがいつまで経っても冷たい水が自分たちの肌を撫ぜることが無く、薄っすら開けた目の先には、水上を滑る車輪が見える。

 

「今のドゥカちゃんはガソリンで走ってるんじゃありません! 私の霊力や気を燃料として走ってます! 車輪を回すのは私の力、今の私とドゥカちゃんに走れない場所はありません!」

 

  杏の言う通り願子の色眼鏡越しの視界には細く鋭利な霊力の輪が車輪とともに回っているのが見える。それが水の上を高速で回っており、遠心力によって浮いているのだ。だがそれで逃げ切れるほど刑部も甘くはない。願子たちの後ろから凄い水飛沫を上げて水面の上を走ってきている。

 

「なんだそりゃ! バイクじゃなくて船だったのか⁉︎ 待て待て待て‼︎」

「やっぱりあいつ馬鹿だわ」

 

  友里の呟きを置き去りにしてバイクは水面に一筋の跡を残して駆けていく。水上では杏に分があるのか、縮まってきていた距離はそれ以上縮まらずに学校までの距離を縮めていった。

 

「待てって‼︎」

「やった! 学校ってうぇえ‼︎」

 

  陸地にバイクが乗ったと同時に投擲された鉈が車輪に絡まり四人はその場に投げ出される。なんとか受け身を取って起き上がった四人の前には、息を切らせた刑部が既にそこにいた。流石に水上を走るのは疲れたようであるが、顔から笑みが消えていない。

 

「私のドゥカちゃんがぁ‼︎」

「ようやっと追い詰めたぞ、全く全く困った奴らだ」

「ちょっと待ちなさい、あんた勘違いしてんの! 八雲紫にそそのかされてんだから!」

「八雲? 紫? 誰だそれ、俺は知らんぞ友里」

「ちょっと」

 

  本当に知りませんといった風に首を傾げる男に友里は頭を押さえため息を吐く。なぜこんな男が自分たちよりも強いんだと頭痛がしてきた。

 

「ふうん、兎に角観念しろ! 隠神刑部狸の婆ちゃんの山を狙うやつは俺が許さんぞ!」

「全くなんなのいったい隠神刑部、隠神刑部って‼︎」

「隠神刑部狸ってことは狸の妖怪よね? マミゾウさんとはえらい違いね、こんな人を野放しにしておくなんてマミゾウさんの爪の垢でも煎じて飲んで欲しいわ」

「うん……うん⁉︎ ま、マミゾウ? マミゾウ婆ちゃん⁉︎ お前らマミゾウ婆ちゃんの知り合いなのか⁉︎」

 

  二ッ岩マミゾウの名前を聞いた刑部の顔が急に悪くなる。汗をダラダラ流し、目は焦点が定まっていない。その姿は親に悪さがばれて怯える子供のようだ。

 

「うん、マミゾウさんは私たちのお姉ちゃんみたいなね」

「お、お姉ちゃん⁉︎ おぉう、そうか、そうかあ、分かった! 俺が悪かった‼︎ マミゾウ婆ちゃんの妹が隠神刑部の婆ちゃんの山を狙うはずがねえ‼︎ だから頼む、マミゾウ婆ちゃんには言わないでくれえ、もう茶釜は嫌だ! 嫌なんだよお!」

 

  四人が分からないうちに何かのトラウマスイッチが入ってしまったらしい刑部は「茶釜……茶釜……」と呟きながら呆然としてしまっている。強大な気は鳴りを潜めてしまい、ただの不審者に戻ってしまった。急にことにあっけにとられる四人だったが、これ幸いと友里が刑部に言葉を投げる。

 

「ふーん、どうしようか? こっちはすっごい迷惑かかってるんだけど」

「わあ⁉︎ だから謝ってるだろう! なあ友里勘弁してくれよお、茶釜は嫌なんだよお‼︎」

「なら今度紫を一発殴る時手伝って、あたしがやるよりあんたがやった方が効果ありそうだし」

「おお分かった‼︎ 任せとけ! そのむかりって奴を殴ればいいんだな!」

「紫よ、紫」

 

  その友里の姿は聞き分けの悪いペットを躾けているようだった。なんとも言えない顔で願子と塔子はそれを眺め、杏はひしゃげたバイクの車輪に泣き縋り相棒の安否を祈っていた。

 

「…………お前たちなにやってんの?」

 

  そんな光景を、校門近くで騒いでいる後輩たちの姿を見た副部長が言うのは当然で、なんとも気まずい空気が流れる。別に誰も悪くはないはずだがなんとなく気恥ずかしい四人はなんと言おうか口籠ってしまい、そんな四人は放っておき、友里の前にいる半裸の男に気がついた副部長が刑部の前に出た。

 

  無言で見つめ合う二人の男。伯奇を前にした時のように副部長から言いようのない力の波動を四人は感じる。それに呼応するかのように刑部の気が再び高まっていく。一発触発の空気の中二人の手が動く。止めようと動こうとした四人の行動は遅すぎた。

 

「副部長だ!」

「刑部だぜ!」

 

  それはもうガシッという音が聞こえるくらいの見事な握手だったと後に部室に辿り着いた四人は疲れた顔で伯奇と橙に報告したという。

 

  ちなみに何度言っても四国への帰り方を理解しない刑部は、なぜか友里の家に住み着いた。友里が親へと言った言い訳は拾ってきたペットを飼っていいか聞く子供のようだったそうだ。




無言の男の詩があった、奇妙な友情があった。副部長と刑部は意外とウマが合った。

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