高そうな食器、並ぶワインボトル、賑やかな人々の声。運ばれてくる料理は一枚の絵画のよう、ナイフとフォークを手に眺めている間皿という名のキャンパスに描かれるそれらは時が止まる。だが一度手を付ければ食欲をそそる香りに誘惑され、皿上の芸術品を壊さずにはいられない。
口の上で繰り広げられる味のミュージアムに願子たちは頬を緩ませ、伝票を見た副部長は泣いた。
「副部長、どうせ部費なんですからそんな顔しなくてもいいじゃないですか」
「馬鹿、願子! 豪遊ばかりしていたらすぐに金は底をつくぞ! もっと節約精神を大事にしなさい」
「副部長が部室にいろいろものを買わなきゃいいんじゃないですか?」
「友里さん、あれは別なんですよ。あれは夢を買ってるんです。杏がバイクの部品買うのと一緒」
「それなら分かります!」
未成年のためお酒は入っていないが、思わず指を這わせたくなるようなグラスを突きながら言う副部長には哀愁が漂っているが楽しそうでもある。
オカルト総会が無事に終わり、最優秀賞と努力賞に選ばれた不見倶楽部の面々は、打ち上げと称して結構高めのお店でディナーと洒落込んでいた。流石は軽井沢、高いお店には事欠かず、夏の夜を楽しく過ごすために旅行客でいっぱいの庶民寄りのお店でさえ七人で数万円はかかる。
「お前らよく味わって食べろよ! 払ったお金を無駄にはするな」
「あらあら、それで副部長さん結局ホテルで見た幽霊の正体はなんだったのかしら?」
「あああれね。秘封倶楽部の宇佐見菫子が幽体離脱していたのが正体だった。だから消えた後にうちの部屋を訪ねてきたんだ」
「やっぱりそうだったのね!」
「やっぱりってよぉ、なんだよ塔子お前気づいてたのか?」
「ええ、だって格好が怪しかったもの!」
お前が言うなと伯奇から白い目を向けられても、店内にうっすら響くピアノのBGMに合わせて装飾を打ち鳴らし身体をくねらせる塔子には全く効いていない。もう慣れている不見倶楽部のメンバーは何も見ず、何も言わず目の前の料理に集中する。
「でも幽体離脱なんてどうやったんでしょうか? 狙って出来たりするんですか副部長先輩」
「宇佐見さんは超能力が使えるみたいだったからそれだろう、幽体離脱だって超能力の一種であるし」
「超能力! それってスプーン曲げたりとかのあの超能力ですか!」
「発想がなんとも庶民的だな願子は、だがまああってるよその超能力で間違いない。てか食い付きがすごいな、好きなの? 超能力」
「違いますよ副部長、願子小さい頃超能力を使えるようになるって言って隠れて特訓してたりしましたから」
「そうそう……って友里なんで知ってるの⁉︎ 誰にも話したことないのにぃ⁉︎」
「幼馴染を舐めちゃダメ」
幼馴染に暴露され顔から火が出るのかというほど赤くなった顔を急いでジュースを飲むことによって誤魔化す願子だが全く誤魔化せていない。なんとも生暖かい目が自分に集中し、色眼鏡を掛けることによって視線を飛ばすことで願子は逃げた。
「でも所詮は人間ね! 超能力? なんて言うのが使えても私のこと気付いてないみたいだったし」
「そりゃ橙の能力は対人向けなんだから初見ではしょうがないだろう。俺は気付くけど」
そう、宇佐見菫子はオカルト総会の時伯奇を追って尾行していたが、もしホテルで初めあった時に橙を見つけることができていたらそっちを追っていただろう。橙の能力は対人向けというように、人に対してどちらの程度の能力も絶大な力を発揮する。複眼ではない副部長、伯奇でも初見では本気で自分の姿を隠す橙に気付くかどうか半々といったところだ。菫子が橙に気付くには絶対的に経験が足りなかった。それに加えて菫子の自分は上にいるという態度も問題である。周りの細かいことに注意を払っていれば菫子なら気付いたはずの違和感に気がつかない。そんな菫子を今は面倒だが脅威ではないと副部長も伯奇も考えている。
「へえでもいいなあ超能力かあ、ねえ副部長そう言えば修行っていつから始まるんですか?」
伯奇を倒したことによって力をつけるしかなくなった願子たちの修行、ただそれは一向に始まる気配が無かった。副部長も何も言わず、はや一週間が過ぎ少なからず願子たちは不安になる。それはすぐにでも脅威が襲ってくるかもしれないといったものではなく、早く副部長に近づきたい副部長のようになりたいという想いからくる不安だ。このまま何もなくまた副部長の足手纏いになることだけは四人は嫌だった。
「修行はオカルト総会が終わるまで紫さんに待ってて貰ってるんだよ、オカルト総会の前にすぐにでも修行じゃあいくらなんでも大変だろう? 安心していい諏訪に戻ったら始まるから」
「どういったことをするんでしょうか?」
「さてね、悪いが俺には分からん。魔力や霊力のない俺はそっちを伸ばそうと思ったことがないからなあ」
事実副部長はそっち方面はあまり詳しくない。橙や伯奇の方が詳しいだろう。オカルトの分野でも副部長は地方伝承と神様に詳しく超能力や霊力といった特別な力に関してそれほど詳しくないため語ることができない。
「いいから覚悟してなさいよ! 紫様は凄いんだから!」
「あらそれは期待できそうね」
「へえ八雲紫?」
不意に声が願子たちに落とされた。鈴のような声が頭の中で響き周りを見回すが自分たちの方を向いている人は見当たらない。そんな不思議に続くように、小洒落たドアベルを鳴らし入り口の扉が開く。位置的に入り口の方が見える席に座っている副部長と願子、杏と橙は入ってきた人物を見て眉を顰めた。
切れ長の眉に細長い狐目をした端正な顔立ち、長めの髪を
五光同盟、最優秀賞を獲得した部活であるため願子たちはパンフレットでその部を確認していた。基本は普通の紹介文であったが、その中にやたら登場していた『式神』の文字。五光同盟の発表も式神の歴史とその実演であり、折った折り紙が動き出した時は願子たちもようやっと面白い発表だと喜び、橙は難しい顔をした。
その五光同盟の一人が、明らかに不見倶楽部のいる席を見つめ、柔らかな笑みを顔に貼り付けて歩いてきている。いったいなんの用なのか分からない願子たちに言いようもない緊張が走った。
「どうも不見倶楽部の皆さん。うちは五光同盟の
目を細めて悪びれながら浮かべる笑顔は美しくつい見惚れてしまうが、それと同時に願子たちに浮かぶ疑問。今ここに来たばかりの少女が話を聞いていた? いったいどうやってといったことを伊周も顔から読んだのか、すぐに言葉を続ける。
「あーえらいすいませんなあ、うちこう見えても式神使えるんですよ、だからそれでちょっと盗み聞きしてたんです。それにしてもまあ……橙さんもいてはるんやったらさっき言ってた話は八雲紫さんのことで間違いなさそうやんなあ」
首を可愛らしく傾げて橙の方を見る伊周の言葉に合わせて願子たちも橙の方を見る。そこにはなんとも面倒くさそうな顔をした橙がおり、知り合いならと副部長が一つ席を追加した。
「わあ紳士さんやね、それじゃあ失礼して……橙さんがいるいうことはあんさんたち普通のオカルト研究部やないね、今回のオカルト総会に集まったオカルト研究部の中で
「はあ、どうも。それより橙ちゃんこの……えっと」
「安倍伊周ですー。伊周でええよ」
「伊周さんと橙ちゃんは知り合いなの?」
願子の問いに橙は難しい顔をさらに難しくして何も言わず黙り込んだ。説明が難しいのだ。安倍伊周、京が生んだ安倍晴明の生まれ変わりと讃えられる式神使いの天才。彼女こそ何を隠そう副部長や伯奇と同じ外の異変解決者の一人である。それをここで言うのは、外の異変解決者のことを知らない願子たちに言うのは戸惑われ、またすぐにシラを切って話し出せるほど橙にはまだ経験が足りなかった。この橙の様子にある程度察した副部長と伯奇は顔を見合わせ、同じ結論に至ったことを確認するとすかさずフォローに入る。
「まあそんなことはいいだろう。伯奇だって橙と知り合いだし他にも一人二人そういった奴がいたって不思議じゃあない。それに安倍さんは式神が使えるんだそうじゃないか、そういった不思議な力を持った人間と八雲紫が接触していないはずがない。なあ伯奇」
「そうだぜ、あいつは変わった人間が好きだからな。それに今回なんであたしたちに会いに来たのかを聞いた方がいいんじゃねえか? その京都の五光同盟様がいったい何の用なのかさ」
「別に本当にただ会ってみようと思っただけや、あんまり期待はしてへんかったけど、嬉しい誤算やわ面白い人達で良かったわ(本当に)」
ニコニコしたまま副部長と伯奇の顔を伊周が見ているあたり伊周も察したらしい。この中で本当に話が分かる相手は副部長と伯奇の二人であり、それ以外の四人はおまけであると感じた伊周の中で早々に願子たちへの興味が失せる。それを示すかのように副部長と伯奇の頭の中で伊周の声が響き、願子たちへと目だけ向けるが、全く反応していないためこれが二人にだけ向けられたものであると二人は悟った。
「伊周さんは京都で式神の研究をしてるんでしょうか?」
「うん? いやあ研究というより家業やね、うちは古くから式神を扱うことを仕事としてきたんやよ。(あんさんたち噂に聞く博麗と諏訪の守護神やろ? 初めましてやなあ)」
(諏訪の守護神だってよ)
(なに笑ってんだよ伯奇、俺はそういう風に名乗ったことは一度としてねえぞ)
「家業ですか! やっぱりそういう人達っているんですね」
「探せば以外といるもんや、それにしてもあんた変わった眼鏡持っとるなあ。(ふふふ、面白い人達や、同じ外の異変解決者としてこれからよろしく頼むわ)」
願子たちの相手をしつつ全く違う会話を繰り広げる伊周は相当器用だ。頭が回らなければこういった芸当はできない。それが分かるからか副部長の顔は渋くなる。一日のうちに二人も面倒くさそうな女に絡まれれば当然だ。宇佐見菫子といい、この安倍伊周も相当曲者の臭いを感じる。見ることに慣れている副部長は複眼でなくても長年の経験である程度相手の表情からなにを考えているか分かってしまう。願子たちを見る伊周の目は人を見下すそれだ。こういった人間は絶対面倒ごとを起こすというのは世の常である。
「分かります⁉︎」
「勿論分かるよ。(よろしくついでに聞きたいんやけど、今日総会中に外で暴れようとしとった子は誰や?)」
(秘封倶楽部の宇佐見菫子って名乗ってたよ)
「あら、見ただけで分かるものなのかしら?」
「ある程度見ることに慣れれば誰だってできるようになるよ。(秘封倶楽部、聞いたことはあるけど、厄介やったんか?)」
(ああ面倒だぜ、なんたって超能力者らしいからな、あたしも初めて見たよ)
「へえ、今度教えてくださいませんか?」
「それはいいけど、あんさんたちの副部長さんに聞いた方がええんとちゃうん? (そらうちも見てみたかったなあ、ただなんで逃したんや? その場で叩きのめしたらよかったやないの)」
「それもそうですね!」
(おいおいあそこで暴れたらお前だって困るだろう)
副部長の心の声を聞き、それでもそんなの関係ないといった顔を浮かべる伊周はそれによって起こるだろう問題は置いておき菫子と同様にいざやっても負けるとは微塵も思っていないらしい。同じ外の異変解決者であるはずなのにこうも好戦的でいいのだろうかと思う副部長だったが、伯奇の例があるためそれ以上は言えなかった。
「それじゃあそろそろうちは帰ります。あんまり長くいても折角の打ち上げがシラけてしまうやろ? ほなまたな。(あんさんたちとはまたすぐに会う思うけどな、そんな予感がするんや)」
(いやだ)
(悪いが願い下げだぜ)
(おやまあ酷い人達やー、でもうちの予感はよく当たるよ?)
一通り副部長たちと秘密の会話を楽しんだためか席を立つ伊周を誰も止めることはなく、恐るべきほどなにもなく伊周は帰っていった。後に残された七人はただそれを眺めていたが、伊周が居なくなったところで願子たちが再び橙に詰め寄る。副部長たちに誤魔化されたことくらい願子たちだって分かっている。自分たちへの隠し事を願子たちは許さない。
「で? 橙ちゃんあの伊周さんって人は誰なの?」
「そうそう、すぐに吐きなさいよ。普通の人じゃないのはもう分かったから」
「うー……分かったよ。安倍伊周は陰陽道の天才って言われてるやつで副部長たちの言った通り紫様が気に掛けてる人間の一人なの。式神を扱うってあたりで分かると思うけど私あいつ苦手なのよ。本当にね、副部長と伯奇が相手してくれて助かったよ」
ある程度の時間を貰っていたため、重要な部分を隠して橙は願子たちに知っていることを話す。別に嘘というわけではない。伊周は陰陽師、式である橙とは相性が悪く、橙は伊周のことがどうしても好きになれなかった。
「ふーん、それだけなの?」
「なによ金髪、私が何か隠してるとでも思ってるの?」
「まあまあ友里さんも橙さんも落ち着いてくださいよ」
「そうねー、それより凄いわよね、副部長さんや伯奇さんみたいな人がまだまだいるなんて、橙さんや副部長さんにも私たちが知らないだけでそういった知り合いがまだいるのかしら?」
ここだ! っと副部長は橙に目だけで畳み掛けろと合図を送る。興味が移ろい始めた願子たちの頭の中の方向を変えるにはこのタイミングしかない。目を剥く副部長に橙は内心引きながらもなんとか記憶の棚を漁り話を続ける。
「いるわよ、副部長や伯奇クラスの人間なら私もあと二人は知ってるわ」」
「へーどんな人たちなの?」
四人の視線が橙に集まる。ここ数日で橙は口の滑りやすいと分かった副部長と、もともとぬけていると知っている伯奇も、橙の話に注意しながら気付かれないくらい僅かに目を開いた。橙が副部長や伯奇と同等だという人間、伊周と同じく外の異変解決者で間違いない。興味ないフリをしつつ副部長たちも橙の話に耳を傾ける。
「一人は青森の恐山にいるよ。聞いたことあるでしょ、自らに霊を降ろす口寄せの術に長けたイタコって言う巫女の話、その中で自分に降ろせない霊はいないって言ってる人間。もう一人は四国、山々を好き勝手練り歩いてておよそ今の外の世界の人間たちと比べると幻想郷で生活してるんじゃないかってくらいの野生児。ただし気の量がバカみたいに多くてそこらの妖怪じゃあ手がつけられない人間」
「本当にそんな人たちががいるのかしら? 橙さんの妄想とかじゃなくて?」
「なんで聞いといて信じないんのよ!」
「まあ副部長や伯奇みたいな人がいるなんて簡単には信じられないけど」
「えーなによ友里、いいじゃん別に、その方が面白そうだし」
「あたしはどんな奴らかとかどうだっていいけどよお、なあ橙名前くらい知ってんだろ教えろよ」
伯奇の顔が悪い顔へと変わっていく。副部長たちの前に現れた時と同じ顔だ。少しは落ち着いた伯奇であるが、自分の力を示したいという戦闘狂として長い時間を過ごしたためか、その一面は未だに払拭できずにいるらしい。そんな伯奇の目の前にいる副部長は困った顔になった。
名前を教えろと言う通り伯奇はその二人のことを知らない。伊周が伯奇に対して初めましてと言った通り伊周と伯奇も面識がない。橙が話に挙げた人間の数を考えれば、今までに話に出てきた五人が外の異変解決者の全メンバーである。選ばれたばかりの副部長はしょうがないとして、最古参である伯奇が知らないということはこれまで外の異変解決者は顔合わせすらせずに個々人で動いていたということに他ならない。
「確か
今橙の口から出た美代、刑部、伊周、伯奇、副部長という五人が外の異変解決者。橙の説明も合わせて自分を棚に上げて面倒そうな連中だとより困った顔を顰めて副部長は内心ため息を吐いた。
「へー凄いなあ、副部長以外にも凄い人っているんだね! 会ってみたいですよね副部長!」
「全く会ってみたいとは思わないな」
「えーなんでですか?」
「伯奇を見ろよ、顔合わせた途端に殴りかかってくるような奴かもしれないだろ」
「悪かったな!」
「でも副部長先輩、伊周さんはなんていうか普通でしたよ」
「お前たちはまだまだ何も見れていないな、あいつお前たちのこと超見下してたぞ」
「知らぬが仏だなぁ」
橙の頭の痛くなるような話を聞いて、願子たちにもそろそろ細かなところを見ろと今までなら言わないだろうことを口に出す副部長の話を受けて、信じられないのか四人は目を丸くする。だが、伯奇からも同じ話が出たことによって、四人の顔は一気に不機嫌なものとなった。
「なによそれ、本当に? 全然気が付かなかった……」
「ハァ、どうして伯奇といいこうちょっと不思議な人ってそうなのよ」
「なんだよ友里、あたしに文句でもあんのか?」
「悔しい! また私たちは副部長と違って戦力外通告だなんて!」
「大丈夫ですよ! これから私たちは強くなるんです!」
「あら杏さんいいこと言うわね、私ももっともっと占いを極めないと!」
「「それは止めて!」」
なんにせよ伊周の登場によって四人のやる気に火が付いた。それがいいことなのかは分からないが、ろくでもない今日一日の中ではいいことだと副部長は綺麗なグラスに入ったアイスコーヒーを眺めながらこの先訪れるだろう面倒ごとを苦味とともに喉の奥へと流し込んだ。
外の異変解決者はこれで全員です。日本では……。これで記念すべきオリキャラ十人目、多いなぁ、橙がいてくれてよかった……。