不見倶楽部   作:遠人五円

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化け猫&不見倶楽部with博麗

「や、やめろ人間!」

 

  少女の叫びは虚しく日の傾きかかった夕焼け空に消えていった。背中には木造の壁が立ちはだかり逃げることは許されない。少女に向けられる八つの瞳はギラギラと輝き、天照大神の子孫であることを存分に証明していた。その輝きは太陽の恵み、闇に閉ざされた世界を照らす妖魔滅却の輝きである。内から湧き出る無からの光に背中を押され八本の腕が伸ばされる。その腕に容赦の二文字はない。ただ自分を満たすため、うちに湧く疑問を払拭するために伸ばされた腕は少女の願い虚しく刻一刻と少女への距離を縮めていく。

 

  なぜこうなったのか? 主人の主人から頼まれた時、久し振りの直々の仕事であると少女を奮い立たせていた。主人からも貰えた激励の言葉。それだけで少女はどこまでも歩みを進めることができる。仕事として住むはめになった場所でも知り合いがおり、家主の出す飯もうまいときた。なんて楽な仕事、最高だと喜んだのも束の間だった。

 

  最悪の状況や不幸というのは油断した時にやってくる。急にやって来た四人の悪魔は話を聞かず、少女がどれだけ喚こうとも一切の慈悲はなしに盤上にチェックをかけた。逃げるための道はない。唯一の昔からの知り合いに助けを求めようとしても、向ける視線は拾われず、伸ばした手を取ってはくれない。

 

  動体視力のいい猫の目を今こそ恨んだ。目の前に迫る手が、見たくもないのに見えてしまう。その手の動きに後ろめたいものは何もないのか、速度が落ちるどころか近づくほどに加速した。

 

  そしてそれは確かに掴んだ。少女の頭に被られた帽子から伸びる二つの幻想。その手触りを楽しむかのように伸ばされた手は艶かしく動く。

 

「ちょ、ちょっと人間、止めろって」

 

  止めるはずがなかった。寧ろ少女の言葉を受けてその動きは加速する。嫌がる少女など御構い無しに少女の隅々まで手は伸ばされた。嘆きは無視され腰から伸びる二つの尻尾まで余すことなくその上を手が滑る。

 

  拒絶の人を人と思っていない少女の言葉もそれこそが油に火を注ぐ行為であるとも気づかずに少女は油を注ぎ続けた。それを受けて四人の悪魔の中に潜むその原因は(くすぶ)るどころか天まで届く勢いで伸びていく。

 

  身体を這いずり回る感触が絶えず動き回っている。だが少女は負けるわけにはいかない。この先に待っているのだ。八雲の姓を受け取り、いずれ自分が偉大なる二人に並ぶ時を夢見て足を止めるわけにはいかない。

 

  しかし、それには大きな壁が立ちはだかっていた。本当なら四人の悪魔なんてどうにでもなるのだ。少しでも爪を伸ばせば悪魔の心臓に容易く届く。だがそれは許されない。それは他でもない主人たちから止められていた。少女はこの悪魔四人を守らなければならないのだ。それが少女にかせられたもう一つの仕事。

 

  憧れの主人たちに追いつきたいが、何よりその主人の指示が少女の足に絡みつき、底なしの沼へと誘っている。そして少女は……少女は…………。

 

「はいはいそこまでにしろよ、困ってるだろう」

「遅いんだよ副部長! ぶっ殺しちゃうぞ!」

「わーこわーい」

 

  今まで見ていた嫌いな男によって救われた。橙から伸びる化け猫の証に飛びついた願子たち四人の手から子供を抱き上げるように救出すると、すぐに飛び離れた橙は伯奇の後ろにその身を隠す。この数日でそこそこ気心の知れた橙と副部長は、人間という呼ばれ方から副部長にランクアップしていた。が、そこまでであり、伯奇の影からアーモンド型の瞳がきつく向けられている。

 

「副部長ズルいですよ! なんで言ってくれなかったんですか!」

「そうですよ副部長先輩! あんなに可愛い子のこと黙ってるなんて酷いです!」

「うるさいぞ人間! お前たちはもう少し反省しろ!」

「「「かわいいー!」」」

 

  橙の叫びは意味が無いらしい。何を言っても願子たちは「かわいいー」と返すだけだ。友里まで一緒に言いはしないが、それでも頬が緩んでいる。恐るべきは女子高生の力と言えばいいのか 、家の前で流石にこんな感じになると思わなかった副部長は見えないところで頬を掻く。橙の今日の晩御飯が人知れず豪華になった瞬間だ。

 

「だいたいなんでこんないっぱい人間を連れてきたんだよ副部長!」

「化け猫観察日記を書きたいんだって」

「は? 化け猫? か、観察日記? 馬鹿なのかこいつら! 馬鹿でしょ‼︎」

 

  思わず語尾が仕事モードから素に戻ってしまうほど橙はドン引きした。

 

  実際人間個人に向かってお前の観察日記が書きたいなんて言われた日にはその日から赤の他人決定。病院をオススメしさようならだ。知性ある橙に観察日記書かせろと言って了承されるはずもない。

 

「まあそう言わないでくれよ、なあ橙今日の晩御飯豪華にするからさあ」

「そんなんで釣られるわけないでしょ! だいたいなんで私が人間の頼み事なんて聞いてやらないといけないんだ!」

 

  もっともである。だが橙の叫び虚しく再び願子たち四人が橙に躙り寄る。反撃できない橙が取った行動は伯奇を盾にすること、右から寄られたら右に伯奇を押し、左に来たら左に伯奇を押す。小さな子供がするような行動に「かわいいー!」と返され流石に堪忍袋の尾が限界まで引っ張られた橙から妖気が膨らむ。

 

  ただの子供と思う無かれ。かわいい子供に耳と尻尾がただ生えているわけではない。八雲紫と八雲藍という強大な妖怪二人になんだかんだ言って認められているのがこの橙だ。幻想郷の住人たちはそれこそ腰を抜かすような存在が多くいるからその者たちからすればそうでないのかもしれないが、橙だって強力な妖怪であることに違いはない。

 

  もしここで橙が本気で暴れた場合、勝てないことはないのだが、副部長と伯奇二人掛かりでも苦労するくらいに橙は強い。

 

  その理由の一つに橙の能力がある。橙の能力の一つ、人を驚かす程度の能力。なんともしょぼそうで弱そうと思うかもしれないが、そう思った者から死んでいく。驚くという状態は言ってしまえば完全な隙状態だ。身体が硬直し、言葉も出せずただ突っ立っている案山子と何も変わらない状態となる。さらにショック死という言葉がある通り、過度な驚きはそれだけで人を死に貶めてしまう。それを任意で引き起こせることがどれだけ強力か分かって貰えただろう。ただし人をとついている通り人にしか使えないのがこの能力のちょっと残念なところだ。だがそれでもここでは十分過ぎた。

 

  膨らむ妖気に当てられて、特に何もされていない願子たちの毛が逆立つ。手を伸ばしたまま全身の筋肉の一瞬の痙攣に身体が固まってしまった。声もです、動けもせず、黄色い大きな猫の目が願子たちを睨んでいる。その姿はただのかわいい子供ではない。人が恐るべき妖怪そのものだった。

 

  しかし、それもすぐに伯奇が橙の頭を小突いたことで霧散した。背中に流れた冷ややかな空気は願子たちから完全に流れ去り、蒸し暑い夏の陽気が肌を撫ぜる。激しく脈打つ胸を押さえ四人は橙に手を伸ばすのを止めた。

 

「おい橙、お前少しやりすぎだぜ」

「うーだって人間たちが!」

「まあ気持ちは分からなくもねえけどよお、お前の主人の紫や藍だったらもっと上手く対処するだろう? 持ち前のカリスマと大きな器で引き受けてやろう、それで報酬は? ぐらいの心構えじゃないとあの二人みたいにはなれねえぞ」

「うぅぅ……!」

 

  頭をぐりぐり撫で回す伯奇の姿は妹をあやす姉のようだ。こんな形で、口も悪い伯奇だが、元々姉として十分に霊夢の相手をしていた伯奇である。小さな子供を扱うのは慣れている。伯奇の言葉に思う部分もあったのか、橙は妖気を発するのは止めて一度鼻を鳴らすと願子たちの前へと姿を現した。

 

「しょうがないわね、引き受けてやるわよ」

 

  偉そうに胸を張って答える橙に願子たちは苦笑いを返すことしかできなかった。窮鼠(きゅうそ)猫を噛むというか、窮猫人を噛むといったところだ。何事もやりすぎは良くない。ただかわいいだけだった橙が、手を出してはならない者へと変貌する。それに気をよくしたのか、仕事モードを止めて橙は楽に話すことに決めた。

 

「よかったなお前ら、橙ほど強い妖怪と話せる機会はそうそう無いぞ、しっかり礼儀を払って接せよな」

「え?マミゾウさんより強いんですか副部長」

「いやマミゾウさんの方が圧倒的に強い。どれくらい強いかというと俺をデコピンで完封できるくらい強い」

「マミゾウ? 二ツ岩 マミゾウ⁉︎」

 

  さっきのようにならないためか副部長からも釘を刺される。なら最初から言っておけという視線が副部長に突き刺さるが全くそれが効いてない副部長は、「コーヒー入れてくるわあ」と家の中にと消えた。マミゾウの名を聞いて驚いた橙は無視された。

 

「おい人間たち、二ツ岩マミゾウと知り合いなのか?」

「え、はい一応知り合いです。えっと橙さんは知ってるんですか?」

「知ってるけど会ったことは無いわ。ただ強大な妖怪だって紫様と藍様が話していたのを聞いたことがあるのよ」

 

  そう話す橙の中では先ほどの願子たちと同様驚愕が渦巻いていた。ただの人間かと思えば自分の主人でさえ一目おくような大妖怪と知り合いだと言う。どうもまだ底が見えないと願子たちのことを計り兼ね、難しい顔になってしまう。

 

  そんな橙に同じく疑問を持ったのは願子たち。伯奇の先ほどの話しと今の橙の話の中で出てきた紫というワード、これがどうにも引っかかる。紫と言えば願子たちも知っている相手に一人いる。その場にいるだけで空間の雰囲気をガラリと変えてしまう本物の大妖怪。その前に願子たちが出会っていたマミゾウも大妖怪であるのだが、その纏う空気が全く違った。

 

  マミゾウは出会い方こそ恐ろしいものであったが、その姿を現してからは気のいい優しいお姉さんといった感じであり、一夜を共に過ごしただけだが四人はすっかりマミゾウのことが好きになった。

 

  対して八雲紫は違う。一度会っただけだが決して仲良くなれないという考えが巡る。副部長も性悪妖怪と言っていた通り、柳に風な副部長ですら苦手とするような相手だ。願子たちからすれば全くお近づきになりたく無い。

 

「あのー、橙ちゃん紫様ってもしかして八雲紫?」

「様をつけなさい様を! でもそうよ八雲紫様。流石に紫様のことは知ってるのね! 流石は紫様ね!」

 

  悪い方に願子たちの予感は当たってしまった。苦い顔をより苦くして橙のキラキラ輝く顔を見る。わざわざ紫に様を付けさっきの伯奇の話。橙が紫の手の者であるのは明らかで、八雲紫の魔の手がこんなところに伸びていることに願子たちは笑うことしかできない。

 

「あはは、橙ちゃん八雲紫……様のこと好きなんだね」

「そうよ! って橙ちゃんってなによちゃんって! 呼ぶなら橙様でしょうがヘンテコ眼鏡!」

「いやこれは副部長から貰った凄い眼鏡なんだよ! 橙ちゃんもきっと驚くから! ね? みんな」

「「「うーん……」」」

 

  三人の反応は良くなかった。願子の色眼鏡の話はどうだっていいというのもあるが、伯奇の一件以降いつなにがあるか分からないという理由でポケットではなく額に掛けられた色眼鏡は困ったことに全く願子に似合っていない。背伸びした子供がサングラスを着けているようにしか三人には見えないし、その特徴的なサングラスが目立って街や学校を歩いた時の通行人の目が痛い。だがそれに関して言えば塔子もどっこいどっこいのため人のことは言えないのだが……。

 

「まあなんだっていいけど、観察日記って私のなにを書くのよ」

「それは……どうしよう」

「そうですねー、好きな食べ物とかなにが嫌いかとかでしょうか?」

「後は一日どうやって過ごしているかとかかしらね」

「せめて決めてから来なさいよ……」

「悪いわね、あたしもそう思うわ」

 

  なんとも段取りのよろしくないスタートであったが、それでもなんとか願子たちは橙の話を聞くことができた。お立てれば結構口を滑らせてくれる橙の話は橙だけの話に限らず、願子たちが特に惹きつけられたのは幻想郷の話だ。

 

  副部長や伯奇からその存在こそ聞いてはいたが、存在を知ってしかいない二人からは具体的な話は一切無く、いざ幻想郷の中の話になってもらしいだとかかもしれないといった予測の域を出ないものが大部分を占めていたため、橙の口から語られる夢物語のような話が頗る面白い。

 

  吸血鬼の住む真っ赤な館、遥か上空に住む天人、紫の友人であり最強の亡霊が治める冥界、かぐや姫がいる迷いの竹林、魔法使い、巫女、妖怪、あらゆる空想、幻想の話。退屈なわけが無かった。

 

  その中でも特に気を引いたのは妖怪の山と山の神の話。妖怪の山に突如と現れた三人の神、それこそ不見倶楽部と最も関わりの深い者たち。東風谷早苗、洩矢諏訪子、八坂神奈子。願子たちは実際に会ったことはないとはいえ、四人が不見倶楽部を知り、入る原因を作った三人だ。気にならないわけがない。

 

「現人神? 部長って人間じゃ無かったの⁉︎」

「いや人って付いてるから人なんじゃない? 知らないけど」

「なんだか凄い話ですね」

「あらあら、どうしましょうか? 化け猫観察日記よりこっちの話の方が面白そうよ」

「おい‼︎」

 

  すっかり当初の目的を忘れ幻想郷へと想いを馳せる四人に橙の怒りが飛ぶ。いざ話に乗ってやったのにどうだっていい扱いを受ければ当然だ。だが、願子たちの新たに浮かぶアイデアは、一人静かに五人を眺めていた『博麗』によって止められた。

 

「おいおいお前ら幻想郷の話を書くのはやめとけ、ろくなことにならねえし、最悪あたしと副部長がお前らを退治しなくちゃいけなくなる。分かったら素直に化け猫観察日記とやらを書いとけよ」

 

  笑みもなく冗談でもないといった表情の伯奇の注告には従った方がいい。伯奇はまだ分かるが、なぜ副部長にまで? といった疑問を四人は抱くが、真剣な伯奇の顔に四人はなにも言えなかった。

 

  そんなどうもおかしな空気になってしまった六人の元に、コーヒーを淹れてくると言いながら全く今まで姿を現さなかった副部長が七つのカップを持って帰ってきた。タイミングを読んでいたのだろうが、それによって空気が和らいだため文句を言う者はいない。

 

「どうだ、上手くいきそうか?」

「はい! ただ副部長、もうちょっと詳しく橙ちゃんのことが知りたいんですよね」

「そうですね、化け猫のことは確か不見倶楽部にレポートがあるんですよね? なんでそれはいいんですけどもうちょっと橙さん個人のことを知らないと観察日記の形にはならないかと」

「あら、それならいい案があるわ! 橙さんも不見倶楽部の部室に来て貰えばいいのよ!」

 

  名案でしょう? と胸を張る塔子に珍しく名案だと賛成したのは同じ一年生の三人。副部長と伯奇は口を(つぐ)みなにも言わないことに決めたらしい。そうなると残された橙に決定権があることになるのだが、これに橙は難しい顔しか出来なかった。

 

  橙からするとこれは断じて名案などではない。名案とは自分の主人や主人の主人が思いつくようなことを言うのであって、決して人間がパッと思い浮かべるようなことを名案と言うのではないと橙は考える。

 

  しかし、占い大好き塔子の今回の案は愚策であるとも言いずらかった。橙に任された仕事の一つに四人を守ることがある。守るのならば近くにいた方がいいのは当たり前だ。ただ人間が好きでもない橙は自分から今日からお前たちを守ってやると表立って言うのも(しゃく)であり、かと言って仕事を(ないがし)ろにするほど不真面目でもない。その結果浮かべるのは難しい顔。

 

  だがただ喜ぶ願子たち四人の姿を見て、考えるのが馬鹿馬鹿しくなった橙は流れに任せることにした。その結果近い未来に不見倶楽部のペット扱いになったのは言うまでもない。副部長と伯奇の目は悲しい目をして橙を見ていた。

 

 

 




次回は大妖怪が不見倶楽部に訪れます。少し真面目な話になるかもしれません。オカルト総会までもう少し。

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