不見倶楽部   作:遠人五円

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伯奇と霊夢

  空を飛ぶ霊夢の姿をあたしは毎日羨ましく眺めていた。

 

  小さい頃、あたしが八歳、霊夢は五歳、決して広いとも言えない博麗の里をよく二人で駆け回っていた。山に立つ木々や小川が何よりも最高の遊び場で、いつも二人で日が暮れるまで妖怪たちと遊び倒した。

 

  霊夢は小さい頃に両親が亡くなってしまい、あたしの家で暮らしていた。一人っ子だったあたしは霊夢をそれはもう可愛がり、周りからは本当の姉妹のようだとよく言われたものだった。

 

「ちょっと霊夢、飛ぶのは禁止!」

「えーいいじゃない。一角も点も飛んでるよ?」

「そーだそーだ!」

「一角も点も飛ぶの禁止! あたしたち人間に合わせなさい!」

 

  その頃から霊夢の才能は抜群で、あたしを含めた他の博麗たちとは格が違った。生きてる世界が違うとでも言うのだろうか? 一つあたしが結界を張る間にも、霊夢はより強く多くの結界を張ることができた。だから鬼ごっこなんかの遊びでも霊夢が負けたところを見たことがない。たまに大人も混じって遊んだりしたが、それでも一番は霊夢だった。そんな霊夢を周りは神童だと騒ぎ、長からも直々の修行をつけて貰っていたりしたが、その頃のあたしはそんなことどうだってよかった。ただ可愛い妹分がすごいことが他らしくて、霊夢と二人毎日毎日楽しく過ごしていたんだ。

 

「伯姉ちゃん、今日はどうする?」

「んー魚釣りにでも行く?」

「行こう行こう!」

 

  でもそんな日は長く続かなかった。ある日あたしと霊夢は魚釣りにでも行こうと近くの川へ向かおうとしていたが、それは長に呼ばれたことで中止になってしまった。子供心に遊びに行けなかった不満を二人でぶーたれながら長の待つ屋敷へと向かったが、そこにいたのはあたしたちも含めた博麗の里の全住民。隣の家のお兄さんも、力の強い叔父さんも、かっこかわいいお姉さんも一人残らず集まっている。それと同じようによく見る妖怪たちの姿もちらほら見え、あたしや霊夢を含めた小さな子たちは珍しいこともあるもんだと楽観していたが、大人たちは違ったようで、緊張した様子で長の方に全員が顔を向けていた。

 

「伯姉ちゃん、なんか来るよ」

「え?」

 

  霊夢があたしの裾を引っ張って呟いた後に現れた者のおかげで、大人たちが緊張していた理由がすぐに分かった。丸く円になるように座っていたあたしたち博麗の視線がその中心に走る空間の裂け目に集まる。子供も大人も関係なく、スルリとそこから伸ばされる白い手袋に包まれた腕を見た。それに続いて現れたのはテレビでしか見たことがないような金髪の麗人、それに続いて九つの狐の尾を持つ者と、二股の猫の尾を持つ者がふわりとあたしたちの前に現れた。

 

  次元が違う。生まれた頃から妖怪たちを慣れ親しんできたあたしたちにはそれがよく分かる。よく一緒に遊ぶ妖怪たちとはまるで異なる。ただそこにいるだけで息苦しい感覚。存在の密度が桁違いだ。周りの妖怪たちは頭を垂れ、その者の帰還を歓迎している。ここでようやくあたしは思い出した、博麗の盟友『八雲 紫』という存在がいることを。そして彼女がそうなのだ。例え誰が彼女の名前を呼ばなくても、一目見ればそれが分かった。

 

  「元気そうで何よりね」

 

  紫がなんでもない一言を口にするだけで、周りの博麗の大人たちの緊張が一気に高まる。誰もが紫の一挙一動を見逃す者かというように瞬きも忘れて彼女を見ていた。それが当然というように紫は周りを眺めると、世間話もなく、淡々と来た理由を口にする。

 

「私が来た理由はお分かりね。この中から博麗の巫女を選びますわ」

 

  小さな頃から親に聞かされていたことがある。あたしだけじゃ無く、博麗の里に住む全員が親から子へと必ず聞かされること。いつになるかは分からない、しかし必ずいつかこの中から博麗の巫女を選びに幻想郷の賢者がやって来る。話半分に聞いていたことがまさか本当にあるなんて。

 

「恐れながら八雲様おひとつお聞きしたいことが御座います」

 

  まるで夢を見ているみたいにふわふわしていたあたしと違い、流石は博麗の長と言うべきか、周りの博麗と同じように緊張しているだろうが、しっかりとした言葉で紫に言葉を投げる。固唾飲んで見守るのは博麗の里の民たちのみで、狐と猫の妖怪の瞳がキラリと長の方へ向く。

 

「何かしら?」

「現博麗の巫女は亡くなったのでしょうか? そういった話はまるで聞いていませんので」

「当然の疑問ですわね、安心して頂戴まだピンピンしてますわ」

 

  この言葉に周りの大人たちがざわめき始める。あたしたち子供はこの時まだ知らなかったが、博麗の巫女が交代するのは当代の博麗の巫女が亡くなった時のみ、それを考えれば大人たちが騒ぎ始めたのは当然だった。

 

「少しうるさいわね」

 

  紫の一言の後、突如二体の妖怪から放たれた妖気がその場にいる人の口を塞ぐ。静かになった空間に続く紫の声が嫌にはっきり聞こえた。

 

「貴方たち博麗はむしろ喜ぶべきよ、当代の博麗の巫女は仕事を終えたのよ、五百年前から続く長い仕事を。貴方たちは見る資格がある、貴方たちが作った世界を」

 

  紫が手を掲げると、空間に大きな裂け目が一つ開く。裂け目の向こう、薄暗い空間から覗く無数の瞳があたしたちの方を覗き、その瞳が閉じられると、あたしたちの瞳に映ったのは正に幻想の世界。

 

  どこまでも続くひまわり畑、見たことも無い大きな桜の木と空を覆うほどの桜吹雪、神々しい大きな山、ジェット機のように縦横無尽に空に引く雲を残す天狗たち。見たことも無いほど澄んだ川からは河童が覗き、燃え盛る大地に雄々しく立つ鬼。

 

  素晴らしい。それ以外の感想を持つことが出来ない。目を見開き、息を飲む音だけが聞こえる。中には涙を流す博麗がいるほどに、その景色は美しかった。

 

「幻想郷はこれから変わりますわ。だからこそ必要なのは新たな幻想郷に合う新たな博麗の巫女、選ぶのは一人よ。ただ今すぐにというのは色々酷でしょう、此方にも準備がいりますし、選ぶのは半年後よ。ではよろしく」

 

  それだけ言うと紫と二体の妖怪は直ぐにその場から魔法のように消えてしまった。初めてだ。あたしは初めて心の底から欲しいと思った。博麗の巫女、その地位を。もし選ばれればあの美しい世界に行ける。幻想に囲まれた素晴らしい世界に。ただ浮かれていたあたしは全く気付いていなかった。去っていく紫の目が最後に霊夢へ向けられていたことに。

 

  その日からあたしは努力した。霊夢との楽しかった日常を止めて、連日今までやらなかった修行に打ち込んだ。度重なる霊力の消費で毎日気絶して倒れ込み、慣れない走り込みや格闘の修行で手足はボロボロ。それでも良かった。傷が一つ増える度にあたしは確実に前に進んでいる。そうして三ヶ月後、ついにあたしは。

 

「すごーい! 伯姉ちゃん飛んでるよ!」

 

  飛べた! あたしは飛んだ! いつも眺めていただけだった霊夢と同じように、あたしはあたしだけの力で空を一人で飛んでいる。これがどれだけ凄いことか分かるか? 分からないだろう!

 

  ただ可愛いだけだった霊夢に強く憧れたのは博麗の巫女を選ぶと紫から告げられてからだ。空を飛ぶ霊夢をただ凄いと言っていた時は終わった。あたしと霊夢は何が違う? 同じ人間で、同じように過ごし、それもあたしの方が年上だ。なのに霊夢は人が呼吸するのは当たり前なのと同じように空を飛ぶ。その場へあたしはようやっと辿り着いた。血反吐を吐き、泥を(すす)り、女の子らしかった白く透き通る肌や黒く長い髪をボロボロにしてようやっと飛べた。あたしは博麗の巫女への道を確かに進んでいる!

 

「やったね伯姉ちゃん! 飛んでるよ! 空に散歩に行こうよ!」

「はいはい、今日だけね」

「やった!」

 

  地獄を見ているあたしと違い霊夢は能天気そのもので、あたしが相手をしないからこそ妖怪たちと毎日遊んでいるだけだ。悪い気はしたけどあたしはどうしても博麗の巫女になりたい。正直に言うと霊夢が博麗の巫女を目指すと言わなくてホッとした自分がいた。もし霊夢が本気で博麗の巫女を目指していたらあたしの最大のライバルは霊夢だっただろう。「伯姉ちゃんと一緒にいたいからいい」と言ってくれた時は嬉しかったが、ごめんね霊夢、あたしは博麗の巫女になりたいんだ。たった一人でもあの幻想の世界に行きたい。

 

  残りの三ヶ月は更なる地獄だった。長にまで頼み込み、それこそ常に死が隣り合うような修行をして、髪も爪も手も足も傷が無いところなど無いというほどに修行漬け。そして遂に噂で聞いた程度の能力さえ手に入れて。

 

「半年経ちましたわね」

 

  そして再びあたしたち博麗の里の全住民が集められ、紫が姿を現した時、あたしの顔はそれはもう満面の笑みでもうあたしが選ばれることは決定事項だと思っていた。一週間前の修行で他の博麗を寄せ付けず圧倒していたあたししかもういないと。

 

「博麗の巫女はもう決めていますわ、はっきり言って彼女以外に博麗の巫女はありえないわ」

 

  彼女! つまり女!

 

「次期博麗の巫女は博麗……」

 

  呼ばれる。あたしの名前が。自然と握る手の力が強くなり、鼓動が早くなる。そうだ、早く呼んで! あたしの名前を! あたしの名前を‼︎ さあ、さあさあさあ‼︎

 

「霊夢」

「やっ!………え?」

 

  今なんて言ったの? 霊夢? あたしじゃなくて? なんで? 嘘? え? だっておかしいでしょ、あたし頑張ったよ? 今までの全部かなぐり捨てて頑張ったよ? なんで? なぜ?

 

「霊夢貴方よ、早くいらっしゃいな」

 

  隣にいた霊夢が一度あたしの裾を掴むが、驚愕に目を見開き固まって何も言わないあたしには何も言うことが無いというのか、手を離して紫の方へ歩いていく。ちょ、ちょっと、ちょっと!

 

「ちょっと待って!」

 

  紫の前で霊夢が立ち止まり、紫が面倒くさそうにちらりと此方へ目をやる。なんだよその目は、あたしは頑張ったんだよ、頑張ったのに。

 

「なんで、なんで霊夢なの! あたしは、あたし頑張ったんですよ! この半年誰よりも! 霊夢よりも! あたしの方がずっとずっと!」

「そう、それは凄いわね。でもごめんなさい貴方じゃ駄目なのよ」

「なんで! あたしは、あたし‼︎」

 

  紫の目は冷めきっている。紫の背後に控える二体の妖怪もゴミを見るかのような目だ。なんだよ、なんなんだよいったい!

 

「悪いのだけれど半年前から博麗の巫女は霊夢に決めていたの。だからどれだけ貴方が頑張ろうとこれは決まっていたことなのよ、この半年間は霊夢が最後にここで過ごすための期間、それだけよ」

 

  なん……だよそれ。だっておかしいじゃん、あたし頑張ったのに、初めから何をしても選ばれないってそんなの、そんなの、だってあたし。あたし……。

 

「それに霊夢と貴方では格が違うわ。貴方じゃ幻想郷では」

「うわぁぁぁぁ!!!!!!」

 

  やだ! やだやだ! 聞きたく無い! 聞きたく無い! あたしの身体の内側から言葉に表せない感情が溢れ出す。小さな子供のあたしの身体から何倍もあろうかという霊力の塊が零れ落ちる。

 

「「紫様‼︎」」

「貴方たちは下がっていなさい」

「「ハッ!!」

 

  赤い赤いあたしの感情の塊が伸ばされた紫の指先に触れる。

 

  ズブリーー。ズブリとーー。

 

「これは」

 

  あたしの心が沈んでいく。深く、深くどこまでも。なんで、どうして、嫌だ、聞きたく無い。沈んでしまえば聞こえないから。どこまでも深く深く沈んでしまえば。

 

  紫の人差し指が沈んでいく。その力強さに咄嗟(とっさ)に手を引いた紫の人差し指は綺麗さっぱり消え去って、存在そのものが喰われたように何もそこには残っていない。

 

「このガキ!」

「やめなさい藍、これは」

「伯姉ちゃんダメ!」

 

  飛び出したのは博麗霊夢。もう濁って見づらいあたしの視界に霊夢が飛び込んでくる。なんだ、なんだよ、この半年遊んでしかいなかったお前が! あたしにいったい何をしたい!

 

  霊夢が手を伸ばし感情の海へと飛び込んだ。紫の指を引きちぎったあたしの感情にいったい何がしたい。沈めや沈め、霊夢、霊夢、霊夢霊夢。なんでお前が、なんで、なんでお前なんだ。寧ろ他の子ならまだ良かったのに。他の子なら許せたのに。あたしが一番大好きな、一番大好きだったのに。

 

  あたしの感情は薄まらずそれより深さを増していく。なのに、なんで? 感情の海から光が溢れる。全てを包み込んでしまうような優しい光。それがあたしを包み込み、視界が真っ白に染まっていった。

 

  あたしが次に目を覚ましたのは霊夢が博麗の巫女に選ばれてから三日後のことだ。目が覚めてから里中駆け巡ったが、霊夢の影はどこにも無く、幻想郷に行ったと長に聞いてもまだ何処か信じられなかった。

 

  笑えるだろ? あたしはとんだピエロだよ。絶対に無理なことを目指して死ぬ程努力していたなんて笑い話以外の何者でもない。それに最後の最後でなんの努力もしていなかった霊夢に手も足も出ずに負けるなんて笑うしかないだろう。

 

  分かった、あたしがやるべきこと。強くなることだ。誰より強く、何より強く、紫があたしを選ばななかったことを後悔する程に。強く強く強く強く強く強く‼︎ そのためならなんだってしよう、なんだってやろう、あたしこそ博麗の巫女なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう、あたしは強くなるんだ。強くなくちゃダメなんだ。分かるか?」

「分からない!」

 

  諏訪湖の湖畔に全速力で走ってきた願子は息を切らせた口で、虚空を見つめながら零された伯奇の言葉に吐き捨てた。それになんの反応も見せず、願子の言葉など無かったかのように言葉を続ける。

 

「なあお前天才って会った事あるか? あいつらは凄えぞ、笑っちゃうほどな。凡人たちなど嘲笑う必要もないというほどに圧倒的でもう生物が違うって程にな」

「だからなんなのよ? 貴方が天才だとでも言うの?」

「違うって、違う違う。ただ言えるのは、そんなことも分からないお前如きがあたしの前に来て何がしたいのってこと」

 

  伯奇の身体から圧力が増す。願子に軽い調子で向けられた掌に伯奇の感情が集まっていく。願子の不幸は見えてしまうこと、掌に集まる赤い赤い炎のような感情が火を噴いた。

 

「ちょっ!」

「へぇ……」

 

  咄嗟に動かそうとした足が絡まってその場に倒れこんでしまう願子だが、そのお陰で伯奇の感情に飲まれずに済んだ。だがそれで終わりでは無い。向けられた掌はそのままに、次の感情が込められる。

 

  やばい、やばいやばいこのままじゃ私!まだ何もやってないのに!

 

  転んだ願子に動くことは許されず、手を前に突き出して身を守る姿勢を見せることしかできはしない。虹色のレンズの向こう側で、真紅の感情が弾ける。

 

「え……あ!」

 

  そんな願子を救ったのは、轟音を響かせて迫る一台の単車。伯奇から放たれた霊力と願子の間に勢いよく滑り込み、願子へと伸ばされた手はしっかりと願子の手を掴む。

 

「杏ちゃん!」

 

  なんとか願子を引き寄せようと引っ張るが、それより早く後輪にぶち当たった伯奇の霊力が単車の後ろを喰いちぎる。その結果殺しきれなかったスピードに引っ張られ、二人は諏訪湖に落っこちてしまう。

 

「ちょ、ちょっと願子! 杏!」

「あらあら大丈夫?」

 

  ブクブク泡を吹き出して勢いよく顔を出す願子と杏の二人に二本の腕が伸ばされる。がっちり手を繋ぎ引き上げられた二人は、伯奇がその場にいるのも忘れてへたり込んでしまう。

 

「あーあー、一つだった的が四つに増えちゃってまあ。で? 何してきたわけ?」

 

  はっきり言って四人に伯奇を倒すことなど不可能だ。しかし、それでも、副部長が帰ってくるまでの時間なら稼げるかもしれないから。四つの息が一つになり、八つの目が一人の少女に向けられる。

 

「「「「 私(あたし)たちは不見倶楽部! 貴方(あんた)を倒す‼︎ 」」」」

「寝言は寝て言えボケどもが‼︎」

 

  諏訪の夜はまだ続く。

 

 




凡人VS凡人、最も泥臭い闘いが今始まる!

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