不見倶楽部   作:遠人五円

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夏の花火は五〇号玉

  不見倶楽部レポート 百十八番 『博麗』

 

 ----博麗。

 

  その名が遠野で呼ばれ始めた時期は定かではない。

  その名が初めて出たのは、遠野物語の中である。

  遠野物語とは、日本民俗学の開拓者と呼ばれた一人の男が岩手県遠野地方の逸話、伝承を纏めた説話書だ。

  明治四十三年に発表されてから、今なお読んでおらずとも聞いたことがある者は多いだろう書物。しかし、博麗のことについて書かれた項が世に出回ることはなかった。

  印刷ミス、政府の圧力、それとも全く別の何か。

  憶測は幾らでも浮かんでくるが、答えを知ることは出来ない。例え知ることが出来たとしても碌なものではないだろう。

  それでも博麗という名さえ知っていれば、知ることのできる情報は無数にある。このレポートには、俺が知りえる博麗についての情報を纏めたいと思う。

  博麗とは、遠野で古くから妖怪と親交を持つ者たちの総称だ。これは古くから続く旧家の書物でも漁れば容易に知ることができる。

  人が忌避し、恐れるだけのものの隣に立ち、普通のどこにでもある村々と同じように生活を送る。

  その姿は一般の人の中でしか生きてこなかった者たちから見れば妖怪の傍に立つ人など妖怪と大差ない。

  だからこそ人でない人を自分たちと分けるために『ハクレイ』という名が呼ばれ始めた。

  漢字にするなら『博零』が正しい。

  物事を広く多く知るという意味を持つ『博』という字。しかし、人の世を見ていないということから『零』がつき『博零』。

  周りの人間がそう呼び始めてから『博零』は徐々に広まった。まだ日本が閉鎖的な時代であるがため、それは遠野地方全体でしかなかったが、その時代の規模で考えれば相当大きい。

  人が『博零』と妖怪を避けていた時代は長く続いた。だが時代が移っていく中で、妖怪の中から神にも等しい力を持った者が現れる。

  それはより恐ろしい存在だったが、雄々しく、美しく、目が離せない魅力があった。周りの『博零』以外の人間たちはそのものが持つ豊かな力に惹かれ始め、少しづつ祈り始める者たちが現れた。

  しかし、今まで君悪がり自分たちを(ないがし)ろにしていた人間に神でもない妖怪が手を貸すはずがない。そんな中で人間たちに手を差し出したのが『博零』だった。

  それからだ。『博零』が『博麗』と呼ばれるようになったのは。

  唯一妖怪のことを良く知り、どんな異形を前にしても凛々しく対等に語り合う姿は美しい。

  だからこその『麗』の文字。

  『博零』は『博麗』になり、今まで見下されていた存在が、(あが)(たてまつ)られる存在となってそのあり方を確固たるものとして確立した。

  しかし、それだけではダメだったのだ。

  妖怪と人を繋ぐ『博麗』はその勢力を強めたが、増える人間と妖怪を繋ぐのにはただの郡集団である『博麗』では限界があった。

  そのために必要になったのは圧倒的な取りまとめ役。即ちそれが『博麗の巫女』、幻想と現実を繋ぐ最強の存在。

  そんな博麗の巫女は血筋で決まるのではない。

  長らく妖怪と関わったことで培った『博麗』独自の技術。それを最も上手く扱える者、そして誰もが憧れを抱く者が『博麗の巫女』として選ばれる。

  人の身でありながら、妖怪すら手が届かない存在。

  その力は圧倒的であり、『博麗の巫女』のおかげで遠野地方の平穏は長らく保たれた。

  だが発達する人の技術と比例するように幻想は忘れられていく。それは妖怪も、それに近い『博麗』も例外ではない。

  人は得た技術を試すためにより強い妖怪を相手にし、『博麗の巫女』に(すが)ることもなく、幻想が消える速度は加速度的に上がっていった。

  消えていく幻想は見る機会さえ減り日本各地で忘れ去られ、遂に無かったことにされるまでに落ちぶれて行く。

  そうして幻想が消えていく中でそれを守らんと立ち上がったのが八雲紫という妖怪だ。

  八雲紫はこの世の全ての境界、あらゆるものの線引きを操ることができると言われている。

  そんな八雲紫が取った手とは、幻と実体を分ける線を引き、幻想が生きることのできる隔離された世界を作るというもの。

  それこそが後に『幻想郷』と呼ばれる土地になる。

  とは言えそう簡単に『幻想郷』が出来た訳ではなく、完成するまでには多くの問題があった。

  大きくは二つ。まず場所、人と妖を組み込むに当たって文明が大いに発達していっている都会では絶対に不可能、それでいてある程度不便なく生活できる場でなければならない。

  次に必要だったのは取りまとめ役だ。ただ人と妖怪を隔離しただけでは起こるのは生存を賭けた戦争。八雲紫は強大な妖怪だったが、だからこそ人々妖怪に関わらず恐れられ、その事態は避けられたろうが適任であるとは決して言えなかった。力だけの支配では長く持たないということは八雲紫が誰より知っていたということもある。

  その二つの条件に当てはまる唯一の土地が遠野だったのだ。『博麗の巫女』といううってつけな存在がそもそも存在し、人と妖怪の間で古くから親交があり、いざ妖怪が暴れたとしても『博麗の巫女』以外にも妖怪との戦いに精通した者が多い。

  そして八雲紫は遠野地方の奥深くに結界を張り、念願の『幻想郷』を作り出した。

  八雲紫の提案で、『博麗』を多く引き込みすぎるのは良くないとし、『博麗』からは『博麗の巫女』だけが幻想郷に移り、妖怪との調和を保つこととなった。

  『博麗の巫女』だけを幻想郷に引き込んだ理由としては、『博麗』自体が強すぎたこと以外に、張った結界を外から守る者が必要だったからだ。

  人と妖怪の数はその当時、幻想郷よりも外の世界の方がまだ多く、ようやく作った八雲紫の理想郷を良くないことに利用しようとする者たちから結界を守る多くの者が必要だったために、その大部分を『博麗』が担うことになったという経緯がある。

  人であるために寿命を迎える、なんらかの原因で死んでしまったなどの時には、外に残った『博麗』から新たな巫女が選ばれ、晴れて『博麗の巫女』となる訳である。

  例え『博麗の巫女』に選ばれなかったとしても『博麗』の力は相当に強い。もし遠野地方に出向くことがあるのなら、『博麗』という文字は出来れば避けたほうがいいだろう。

 

  ----以上。

 

 

 

  読み終えた紙から顔を上げ四人は顔を合わせた。

  書かれた内容は詳しく綿密であり、もう副部長のやることにいちいち驚いていられない。

  つまり不見倶楽部レポートに書かれた博麗がやって来た。副部長はそう言っている。

  書かれている内容を信じるならば、不見倶楽部部長である東風谷早苗が行ったとされる幻想郷にいるであろう最強の『博麗の巫女』ではなかったとしても、来たのは博麗、その強さを計り知ることは出来ない。

  博麗伯奇、その博麗が副部長になんの理由があってか会いに来た。

  それは何故?

  ただ前回の異変の時と違い四人に分かることは、

 

「副部長やばいんじゃないの?」

 

  友里から出た言葉は今ここにいる四人の総意だ。

  副部長が書いたレポートにも書いてある。博麗の文字は避けたほうがいい。他でもない副部長がこう書いているのだ。つまり四人が最強だと思っている副部長をもってして相見(あいまみ)えないほうがいい相手。

  これが本当ならば四人にはまず手に負えない。

 

「塔子、博麗ってどんなのだったのよ」

「容姿は覚えてるわ願子さん。特徴的だったから。でも伯奇さんが何をやったのかはあんまり覚えていないの、ただ言えるのは気がついたら私は気絶してたってことだけよ」

 

  申し訳なさそうに答える塔子の精神力は決して弱いとは言えない。

  見えない『こちやさなえ』を前にして、願子を身を挺して守ったことからもそれが窺える。

  それだけでなく願子同様に幻想に対して貪欲だ。占いマニアと呼ばれるだけの知識欲を(たずさ)えている。その塔子が何もできず、見ることさえできずに気絶させられたとなると、副部長のレポート通り戦闘の素人ではないということが分かるだろう。

 

「でも博麗さんという人は副部長先輩にいったいなんの用があったんでしょうか?」

 

  それが四人には一番分からない。

  人と妖怪の調和を保つのが『博麗』だというのなら、それを正すためにわざわざ諏訪まで来たということになる。

  しかし、副部長がそのバランスを乱したとは四人には到底思えなかった。それどころか四人の知る副部長は、レポートに書かれた『博麗』同様に妖怪の知り合いがいるくらいだ。

  唯一四人が知っているそれとは真逆の行為は、諏訪に流れた祟りを潰していたということ。その行為が乱したと言われれば、四人はすぐに否と答えるだろう。

  祟りから願子を、四人を助けてくれた副部長の行いが間違っているなどと四人は言って欲しくはない。

  だが、なんにせよ事実として博麗はやって来てしまっている。その事実を(くつがえ)すことは出来ない。

 

「副部長とただ戦いに来たとか?」

「どこのバトル漫画よいったい」

「でも友里、戦いに来た以外に考えられないでしょ?」

 

  でなければ副部長の写真を吹き飛ばしたりしない。それが理由だ。

  不見倶楽部に生徒会は絶対に手を出さない写真。副部長の言葉からそれをやったのが博麗伯奇であることに間違いない。

  伯奇がそれを知っていたのかどうかは定かではないが、副部長に対する宣戦布告として、これほど効果がある行為はないはずだ。そうでないならただの自殺志願者でしかない。

  事実副部長は今まで見せない激情を願子たち四人の前で見せた。いつも苗字にさん付けで呼ぶ副部長が名前を呼び捨てにするほどに。

  副部長がそれほどまで余裕が無かったのは、願子たちが見た中では『こちやさなえ』と対峙した時のみ、それを考えれば、また同じ死闘が繰り広げられるかもしれないという考えが浮かぶのは自然と言えた。

 

「副部長先輩やる気なんでしょうか?」

「十中八九そうだよ、あの副部長があんなに怒ったのなんて私初めて見たもん」

「博麗はまだいいとして八雲紫って方はどうなの、妖怪なんでしょ? それも副部長が相手するの?」

 

  八雲紫、幻想郷を作った妖怪。

  それが本当ならば、副部長よりも、部長よりも、博麗よりも上の存在である。

  しかも、八雲紫だけでなく博麗がセットで来ているのであれば、いくら副部長でもただでは済まないであろう。

  何より副部長があれほど顔を(しか)めたのだ。それが他でもない不安となって四人に押し寄せる。

 

「副部長勝てるかな?」

「どうかしら、いくら副部長でも」

 

  たった数時間前までオカルト総会に浮かれていた願子たちにもうそのことを考える余裕はない。四人にとって最も考えたくない問題が目の前にあるからだ。

  副部長が負ける。するとどうなる?

  それが四人には分からない。

  四人が不見倶楽部に立っているのは副部長がいたからだ。

  『こちやさなえ』相手で勝ったとはいえ一週間以上包帯を巻いた痛々しい状態だったのに、負けたとなれば死んだとしてもおかしくないだろう。

  副部長がもし今居なくなってしまうなど、そんなことを四人は許せるはずがない。

  副部長が負ける姿を想像するのも四人には難しいが、今回はそれがあり得てしまう。

 

「私たちにできることってないかな?」

 

  願子の口から出る言葉に、返される言葉はない。

  願子は命を副部長に助けて貰った。

  その恩を返せるチャンスなどそうそうあるものではない。だが、今がその時だ。

  もう脅威だと分かっている者が目と鼻の先に来ている。手を伸ばそうと思えば、届かなかろうと伸ばす先が分かっている。

 

「あればいいけど、私たちにできることってなんなのかしら」

「確かに。あたしたちは副部長のように戦えない。(むし)ろ足手纏いになる可能性が高いし」

「でも副部長先輩の力になりたいです」

 

  どうする?

  堂々巡りの思考の中で、残念ながら四人に考える時間は無い。

  それは目も眩むほどの光が部室を包んだから。

  痛みは無い。不自由も無い。

  ただ眩しい光が部室に差し込んでいる。

  四人が光を追って部室の窓に急いで貼り付けば、遠く諏訪湖の上で七色の光が渦巻いていた。

  それは夏の夜空を彩る大きな花火より遥かに大きく、それでいて眩しい。数多の光は星々の輝きすら塗りつぶし諏訪湖を照らし、霊力の塊が何も無いように見える空間から溢れシャボン玉のようにゆっくりと地面に沈んでいく。

  その光は祟りとは真逆の性質のはずなのに、酷く願子たちの心を不安にさせる光景だ。ピリピリとしたよく分からない力によって、肌の産毛が逆立っていく。

 

「ちょっと待って!」

 

  背筋に流れる痺れを振り払うように願子が急いで懐から取り出すのは虹色に輝くレンズを持った眼鏡。

  それは何を隠そう数ヶ月前に副部長から直々に貰った色眼鏡と呼ばれるものだ。

  副部長曰く感情によって見たいものが見える眼鏡。

  願子が躊躇なく全く似合っていない色眼鏡を掛ければ、ふわふわとした感覚が頭を巡る。

 

  集中、集中して。

 

  そのふわふわした形の無いものを、絞るように一つのものへと向けていく。

  見たいのは、霊力の花火の中心地。

  赤、青、黄、数多の色が視界の中で重なっていくごとに、願子の意識が飛び出したかのように先へ先へと伸びていく。

  視界は飛び立ち、霊力の飛沫を通り過ぎ、辿り着いた場に見えるのは闇に溶けるセーラー服と深紅のスカーフ。(なび)く髪に光るピアス。

 

  見えた。

 

「塔子! あの空飛んでる真っ黒いセーラー服着てるのが博麗伯奇でいいんだよね!」

「嘘、見えるの願子さん。いったいどれだけ離れてると」

「いいから早く!」

 

  しかし、塔子が答えるよりも早く知りたい答えは飛んで来た。目視できるほどに巨大な光の(うね)りを縫って、光りの塊を踏み締め深緑の二つの目が宙を跳ぶ。

  数多の色彩が乱れる中でも、副部長の目は衰えることを知らず、寧ろその輝きは強さを増して博麗の少女の姿を捉えていた。

  相変わらず人の領域をやすやす超えていく副部長の姿にホッと息を吐く願子であったが、今回ばかりは相手が悪いと言わざるおえない。

  伯奇は自由自在に空を飛び、その手に握られた格好とはアンバランスなお祓い棒から光りの塊を無数に放つ。

  対する副部長は飛んでいるのでは無く跳んでいる。足の出す位置は、伯奇の放つ弾幕の上。自由に動ける者と動けない者、副部長の動きは素晴らしいが、空を舞う伯奇に決して届かない。

  それが分かっているかのように、上へ上へ飛ぶ伯奇の弾幕は確実に副部長に擦り始め、赤い飛沫が僅かに空を彩り始めている。

  副部長が危険だ。

  それは見えている願子が四人の中では誰より分かっている。それが分かっている願子が次に取った行動は副部長を助けに行くというものではなく、もう一つの脅威をを見ること。

  いくら危険でも副部長が簡単にやられるとは願子には思えない。ならば今一番起こって欲しく無いことは、副部長すら顔を顰める八雲紫が二人の戦闘に関与すること。

 

「……ダメ」

 

  しかし、それには一つ問題があった。

  願子は八雲紫の姿を知らない。

  伯奇の姿が見えたのは偶然の産物だ。

  霊力の中心地を見ようとした結果伯奇を見つけただけに過ぎない。

  いくら感情で見たいものが見えるとして、形の分からないものを見るのでは感情を形にするのに手間取ってしまう。

 

「ちょっと願子、あんた見えてるの?」

「うん……この眼鏡は副部長に貰った感情によって見たいものが見える眼鏡。博麗って人は見えてる、副部長と戦ってる。副部長キツそうだけどまだ大丈夫みたい。今は八雲紫を見ようとしてるんだけどダメ、八雲紫の姿が分からないから見辛いの」

 

  願子は拳を強く握り口を歪めた。

  副部長のおかげで今自分は今までの自分では出来ないことが出来ている。

  幻想を見るだけではなく、幻想を手にさえ握っている。

  だというのに少しですら副部長の力になれない。

 

  悔しい。

 

  副部長は自分のために力を貸してくれるのに、自分は貸せるものが何も無い。

  今副部長と願子の立ち位置が違ったのなら、副部長は部室を飛び出してすぐに願子の元に駆けつけるだろう。

  願子にはそれが出来ない。

  願子にそんな力は無い。

  悔しさに震える願子の意識を戻したのは背中に叩かれた一発の張り手。

  小さな手だった。

  小さな手だったが、その力強さは願子を戻すのに十分な一発。

 

「願子さんしっかりしてください!」

 

  杏の瞳はブレておらず、しっかりと願子を見据えている。その杏の強い芯が願子のブレを支えるように小さな手が願子の肩に添えられた。

 

「私たちは不見倶楽部でしょう! 見えないものを見る部の一員なんですよ! 例え形が分からなくても見ちゃえばいいんです!」

  「……そうだね……そうだよね!」

 

  集中、集中して。

 

  杏の心を受け取って、今一度願子は感情を束ねていく。

  見たいのは八雲紫。

  注ぐ感情は副部長のため、願子と杏の二人分だ。

  例え何も出来なくても、見えるのと見えないのでは雲泥の差がある。

  だから見なくてはならない。

  色眼鏡は願子の感情を汲み取って、見えないものに照準を合わせる。しかし、やはり無理があるのか、熱を持つ色眼鏡が願子の顳顬(こめかみ)を焼いた。その痛みを振り払って感情を注ぎ続ければ、四方八方に散っていた視界が一つに纏まり願子の視界を明瞭にする。

  空に浮かぶ月の(かたわら)に、日傘をさした少女が見える。だが、見えているはずなのに、そこにいないかのような朧げな少女は異様と言えた。

 

「……嘘」

 

  そして願子に見えたものは願子の想像を超えていた。

  少女の周りに月以外何も見えないことから八雲紫という少女もまた空に浮かんでいるのだろうことが分かる。その少女がどれだけ願子たちから離れているのか願子には想像も出来ないが、願子が少女を捉えた瞬間、その少女の光る黄金の瞳は可笑しそうに細められ、確かに少女を見ているはずの願子の方へ向いていた。

 

「どうですか願子さん?」

「見えた」

「あら凄いじゃない!」

「見えたけど、私が見たと同時にあっちも私を見てきた」

「「「は?」」」

 

  三人の間抜けな声が部室に響いたが、それに言葉を返すことは願子には出来ず、三人が続いて何か言うことも無かった。

  願子の視界に変化があった。少女の姿は見えている。変わらず見えているはずなのに、周りの風景が変わっていく。

  豪華な箪笥、凝った本棚、敷かれた赤い絨毯、古びた柱時計、重厚な執務机、呆気に取られている友里と杏と塔子の姿。

 

「面白いですわね。流石東風谷早苗とあの男の後輩と言っておきましょうか、特別なものを使ったとはいえまさかただの人間に見つかるとは思いませんでしたわ。一応簡易な結界を引いていたのだけれど、その眼鏡と貴女の相性はいいようね」

 

  いつ。何をして。分からない。分からないが、これだけは四人に分かる。八雲紫がいつの間にか部室にいる。

  凄い威圧感が部室に渦巻いた。別に八雲紫が何かしたわけではない。ただ居るだけ、それだけで目に見えない重圧が四人にはのし掛かり、息をするのも苦しくなる。少しでも気を抜けば意識を手放してしまいそうだ。

  日傘はいつの間にか消え去り、扇子で口元を隠す上品そうな出立ちだが、八雲紫に四人が感じるのは掴み所のない恐怖。

 

「あの男、確か副部長と呼ばれていたかしら。こんな可愛い子たちに囲まれて幸せね、それでその眼鏡はいったいどうしたのかしら?」

 

  過呼吸を起こしかけている四人のことなど知ったことではないと、八雲紫は散歩ついでに会った知り合いとちょっとした会話をしているかのように口を開く。

  その目は喜劇を眺める観客のように変わらず可笑しそうに細められ願子へと向いていた。自分で見た手前ここは引き下がっていい場面ではない。黄金の瞳を真正面から見つめ返し願子は口に溜まった唾をなんとか飲み込んだ。

 

「これは副部長に貰ったんです」

「そう副部長が、あの男はやはり見る目があるわね」

「と、当然ですよ! なんたって私たちの副部長なんですから!」

「ふふ、そう。その貰った眼鏡で私を見ていた理由是非お聞かせ願いたいですわ」

「それは、あなたが博麗伯奇って人に手を貸さないように取り敢えず見張っておこうと」

「私が伯奇に?」

 

  扇子で隠された口元は見えないが、それでは漏れ出る笑いは隠せない。願子の見当違いな発言が八雲紫のツボにはまったのか、四人が持つ真剣な空気は紫には関係ないようで、場にそぐわない声が部室に木霊した。

 

「ふふふ、そんなことを考えていたのね。なら安心していいわ、私はこの戦いに決して手を出さないことを誓いましょう」

 

  そう言って扇子をピシャリと閉じ、笑い声を止めて宣言する紫の言葉に嘘は無いのだろう。しかし、願子を見つめる薄い笑みからは胡散臭さが(にじ)み出しており、いまいち信用することができない。

 

「そんな顔しなくても誓いを破ったりしませんわ。それよりも貴女達の副部長が危ないわよ?」

 

  なんでもないようにゆったりと指された指の先、諏訪湖の上では先ほどの数倍はあろうかという色とりどりの大きな光球が空を駆け沈んでいく。

  その恐るべき淡い光の重量に押し潰され、一つの影が諏訪湖に落ちる。

 

「伯奇はやり過ぎね、ただの人間相手に夢想封印は撃ってはダメでしょうに」

 

  ポチャリと呆気なく副部長は小さな波紋を残して諏訪湖の底へと沈んでいく。

  副部長が負けた?

  落ちていく影が誰であるのかこの場でわかる人間は願子だけ、その願子の目には確かに見えていた。

 

「あら行くのね」

「ちょ、ちょっと願子!」

 

  分かっているという声に戸惑いの声。二つの真逆の声が願子に掛けられるが、願子が返すのはどちらに対しての返事でもなく自分が見たもののこと。

  それが一番信じられる。自分で見たものに嘘は無いから。

 

「副部長笑ってた! だからまだ負けてない! でも、それでも副部長が危ないなら私にもできることがあるはずだから!」

 

  それだけ言って願子は走り去ってしまう。その姿に迷いは無く、もう誰の声も届かない。開け放たれた部室の扉をそのままに、願子の姿はあっという間に見えなくなった。

 

「貴女達は行かないのかしら?」

 

  願子は行ってしまった。三人を残して行ってしまった。三人は願子のようには動けない、願子と違って自分で見ていないのだから無理もない。

  しかし、副部長の姿が見えなかろうと、見えているものは確かにある。

 

「行くに決まってんでしょうが!」「あら行くわよ」「行きます!」

 

  親友が走る姿が見える、スタートが遅れようと関係ない。願子の後を三つの影が並ぶ為に追っていく。

 

「青春、というものですわね。こればかりは人の少ない幻想郷ではあまり見ることのできない外の世界の数少ないいいところですわ」

 

  紫が窓から外へ目を向ければ、花火はもう終わってしまっていた。空へ浮かぶのは抜け殻のような博麗伯奇ただ一人。祭りの後の寂しさを背負うように、なんの覇気も感じられない。荒く肩を上下させる様子から言って、伯奇もまた余裕は無いようだ。

 

「伯奇、副部長も彼女達も貴女が持っていないものを持っているわ。これから貴女のもとに向かう彼女たちは弱いけれど強いわよ、精々それを知りなさいな」

 

  八雲紫の微笑みは、開かれた扇子に隠されて今は誰にも見られない。




次回は副部長と伯奇の話です。

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