不見倶楽部   作:遠人五円

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博麗が来た

  開け放たれた扉の先、不見倶楽部の部室の中には誰も居なかった。

  塔子たちがいつ来ても執務机に座っている副部長の姿は無く、開けられた窓と、風に揺れる蚊取り線香の煙が人がいた痕跡は残しているものの、副部長の気配さえ感じない。外で騒ぐ(ひぐらし)の鳴く声だけが二人の少女を出迎えた。

 

「あら? どこへ行ったのかしら?」

「居ないんでしょうか?」

「うーん、そうみたいね」

「…………ハァ? ふざけんじゃねぇ」

「え?」

 

  急に口調の変わった伯奇の方へ振り向いた塔子の視界が光に染まり、強烈な衝撃と共に次の瞬間には本棚に突っ込む。装飾と破けた本の破片が宙を舞い、血を撒き散らして力無く塔子は床に叩きつけられる。伯奇はそれを心底つまらなそうに見ていた。

 

「おーい、生きてるかぁ? まあどっちでもいいけど、手からすこーしばかり霊力を放ってやればこの通り、脆いんだよ一般人」

 

  ぐったりと動かない塔子の身体を足蹴にすれば、小さな呻き声を零す。そんな塔子などどうだっていいというように、視線を外すと、伯奇は乱暴に部室の中を物色し始めた。

  別に奪いたいものがあってやっているわけではない。ただ、なんとなく面白いものが見つかるかな? くらいの軽い気持ちだ。そんな伯奇の行動は(むし)ろ余計に立ちが悪いと言える。

  箪笥(タンス)をひっくり返し、執務机を蹴り飛ばす。舞い落ちる書類を時折手に取って眺めるが、目に入るのは全日本オカルト連盟総会のお知らせという伯奇に取って心底どうでもいいものばかり。面白みもないというように伯奇の手が何度か光、それに合わせてまた書類が宙を舞い窓が割れる。

 

「荒れているわね、伯奇」

 

  夜盗紛いの行為をする伯奇に苦言を言う者は、この場では倒れる塔子しかいないはずだが、意識の戻らぬ塔子に何か言える元気はない。しかし、その言葉は確かに部室にいる伯奇の耳に届いていた。伯奇は何処へ目をやるわけでもなく、また一つ執務机を吹き飛ばす。

 

五月蝿(うるさ)い」

「諏訪で起きていた異変はいつも通りあの男が解決しましたわ、貴女がいちいちここに来なくても」

「五月蝿いって!」

 

  投げられたランプはただ一枚嵌められたステンドグラスへと飛んでいくが、何者かに掴まれたようにそれは空中で静止した。

  差す陽がステンドグラスを通り、数多の色彩が彩る中に一本の線が通る。世界を割るように走る線が何処までも広がらぬように両端をリボンで括り付け、世界を押し広げて穴が開く。

  穴の奥では無数の瞳が怪しい光を持って輝き、その目に見守られるように一人の少女が浮かび上がってきた。

  長い金髪の毛先を幾つかのリボンが結び、金色の瞳がじっとりと伯奇を見据えている。時代錯誤のフリルのついた紫色のドレスに身を包み、白い手袋に覆われた手に持つ扇子で口元を隠す姿は怪しい占い師のようだ。怖いくらいの美貌(びぼう)は世界がずれたような空気を纏い、人の姿をしているはずなのに確信を持って人でないと言える。

  そんな少女はつまらなそうに扇子を閉じると、手を一振りしただけで荒れに荒れていた部室が、何も無かったように元に戻った。その常軌を逸した光景に伯奇は驚くこともなく忌々しげにもう一度執務机を蹴飛ばした。

 

「なんだよ紫、こんなとこに来るなんてさぁ、霊夢の奴はいいのか?」

「あの子は私が居なくても問題ないわ。やる時はやる子だもの」

「へーへー、さすがあんたのお気に入りだね」

不貞腐(ふてくさ)れるのは止めなさいな。霊夢は貴女の従姉妹でしょう、仮にも貴女はお姉さんなんだからもう少し心配してあげてもバチは当たりませんわ」

 

  倒れる塔子に八雲紫(やくもゆかり)が手をかざせば、重力が消えたように浮き上がり、ゆっくりとソファーに寝かされる。その身体には本棚に叩きつけられた時に出来た裂傷は既に無く、気持ち良さそうに寝息を立て始めていた。

  対照的に伯奇は忌々しげに顔を歪めると、紫に対して光を放つ、しかし、片手間に振られる紫の手に霞のように簡単にそれは掻き消されてしまう。それを見て伯奇は一つ大きな舌打ちをして生活感のないもう一つの執務机の上に乱暴に座る。

 

「で? 本当なのかよ、この不見倶楽部とかいう訳の分からない部活の副部長が異変を解決したってのはさ」

「本当ですわ、別に私が頼んだ訳でもないけれど、確かにあの男が異変を解決したわ。霊力も無い、魔力も無い、ただの一般人よりも素質では劣るあの男がね」

 

  紫の言葉に伯奇は強く歯を食い縛る。

  気に入らない。

  ただの一般人が調子に乗って幻想に手を出すのが何より気に入らない。

  そんな伯奇の思考など手に取るように分かるというように紫は僅かに目を細めた。

 

「あの男は使えるわ、彼は幻想郷の外にいる人間の中でその思考も能力も有用よ。上手く使えば貴女の仕事も」

「そんなのどうだっていいんだよ、あの男のことはあんたからもう聞いてる。だからこそ気に入らないんだよ。大丈夫だって、ちょっと試すだけさ」

「貴女が試さなくてもあの男の能力に間違いはないわ、この諏訪を取り巻く異変はなるべくしてなったもの。それは私にも止めることは出来ないわ、それをやってしまうと世界の均衡が崩れてしまう」

「おいおいなんだよ、随分そいつを買ってるなあ、あんたの言うただの人間より劣るその男」

「あの男は試金石よ、今ではなく未来の幻想郷のために必ず役に立つ」

 

  ここまで人間を評価する紫に伯奇はさらに顔を歪める。その顔が伯奇の前で博麗霊夢(はくれいれいむ)程では無くとも、霧雨魔理沙(きりさめまりさ)十六夜咲夜(いざよいさくや)を褒めた時のものと同じなのが気に入らない。

 

「それにあの男を買っているというのならそれは私よりも洩矢諏訪子(もりやすわこ)八坂神奈子(やさかかなこ)の二人の方ね。あの二人、不見倶楽部の副部長さえ一緒に幻想郷に来ていたら自分たちの異変は成功していたと吹いていたわ」

「は! 神に好かれた男ってか? そりゃ大層な男だな」

 

  伯奇の意見には紫も賛成だ。洩矢諏訪子と八坂神奈子、幻想郷の中でも力の強い二柱の神が、東風谷早苗以外の人間をあれだけ褒めたものだから、さすがの紫も普段隠している表情に出てしまうほど驚いた。

  それから副部長のことを探るのは非常に簡単だったと言えた。諏訪子と神奈子の二人が口を開かなくても、東風谷早苗が勝手にベラベラ喋るものだから、知らなくていい情報まで知ってしまったほどだ。

 

「でもあまり彼を見縊(みくび)ってはダメよ。彼は東風谷早苗、洩矢諏訪子、八坂神奈子の三人を幻想郷へ送った男なのだから」

「あっそー、それは余計に気に入らねえな」

 

  そう言って伯奇は元に戻った執務机に立てられた写真立てを吹き飛ばし部室を後にする。

 

「貴女ではダメなのよ。『沈む程度の能力』の貴女では」

 

  目を閉じて諦めたように溜息を吐く紫が扇子を広げれば、紫がここにいた痕跡(こんせき)は綺麗さっぱり消え去って、部室に残されるのは、夢の世界へ旅立った塔子と壊れた写真立てだけだった。

 

 

 

 

 

 

  部室に帰った願子たちは部室の光景に大きく溜息を吐く。

  もう総会まで時間が無いというのに、準備を済ませた副部長を除き四人しかいない不見倶楽部の部員の一人が盛大に部室で(いびき)をかいているのだから当然だろう。

  蜩たちの大合唱の中、嬉しそうに腹を出してソファーの上に寝転がる塔子を起こそうと、床に垂れる装飾の一本を掴み願子は力強く振るった。

 

「塔子起きなさい! と、う、こ‼︎」

「うぇ?」

 

  ぶん回される装飾に引っ張られて意識を覚醒させる塔子の間抜けな一言に再び三人は頭を押さえ、塔子が身体を起こすのを見届けるとソファーに座り込んだ。

 

「あんた何寝てんのよ、いいものでも見つけたの?」

「……あら?」

「大丈夫ですか塔子さん、何かあったんですか?」

 

  詰め寄る三人になんとか言葉を返そうと塔子は頭を捻るが、何も口から出て来ない。喉元まで確かに何かが上がって来ているのだが、ふわふわと確証の無い記憶から形を得たものが何もない。覚えているのは急に光が自分を包んだ光景だけだ。なぜそうなったのか、なぜ部室にいるのか(おぼろ)げにしか思い出せなかった。

 

「確か誰かと部室に来たのだけれど……」

「誰かって……副部長先輩?」

「そうじゃ無くて……」

「じゃあ生徒会長とか? 副会長かな?」

「そうでもなくて……」

「ならいったい誰なの? あんた寝すぎておかしくなってんじゃないの?」

 

  必死に考える塔子は本気で思い出そうとしているのだが、全く思い出せない。そんな塔子に呆れて視線を散らす三人の中で、願子の目に部室の中の唯一の違和感が目に付いた。

  いつも綺麗にされている部室の中で、最も手入れされている写真立てが硝子を撒き散らし床に転がっている。

  それは副部長が最も大切にしているものだ。部長と副部長が二人で写っている写真。それが分かっているから、願子たち四人の中でそれを粗末に扱う者はいない。この部室を訪れる数少ない者である生徒会長と副部長も雑に扱うことは絶対しない。それが乱暴に床に転がっている事実が願子の思考に影を落とす。

 

  何故?

 

  願子の疑問を尻目に、何処からともなく伸ばされる手が写真立てを拾い上げた。その手はゆっくりとした動作で、腕一本からも哀愁が漂っている。

  音も無く部室に戻ってきた副部長は、壊れた写真立てを悲しい目で見つめると、散らばった硝子の破片には目もくれず変わらずに執務机の上に戻す。写真立ての中の思い出は、ところどころ穴が開き焼き焦げており、部長と副部長の姿はそこにはもう無かった。

 

「あの、副部長?」

 

  いつもなら呼び掛ければなんらかの反応を示す副部長も、願子の言葉が聞こえていないのか呆然と焼け焦げた写真だけを見続け突っ立っている。その姿は年頃の男子高校生のものであり、なんら変わりない普通の人間だということを願子に教えてくれていた。

  副部長の異変に気付いたのか、願子だけでなく友里たち三人の意識も副部長へと向いていくが、そんな中で副部長は周りなど気にしていないように(おもむ)ろに自分の目へと手を伸ばすと、隠された蟲の目が姿を見せた。

  綺麗な蟲の目は、その輝きの中に僅かな怒りの色を忍ばせて、無数の瞳がただ一つの写真を見ている。

 

「……霊力の残光が見える」

 

  零された副部長の言葉は願子たちに確かに届いたが、意味が分からず何も言えない。そんな願子たちに向き直ると、部室で寝ていた塔子に詰め寄り強引に肩を掴んだ。込められた力は強く、塔子の顔が痛みに歪む。

 

「塔子、お前からも霊力……それにこれは妖力だな。見えるぞ俺には、何があった」

 

  向けられる言葉は『こちやさなえ』を前にした時のような威圧を含んだものであり、目の前に広がる二つの蟲の目の迫力と相まって塔子は何も言えず震えるばかり。その様子に見兼ねて友里が慌てて副部長の腕を掴む。

 

「副部長止めて! 塔子痛がってる!」

 

  友里の叫びで僅かに正気が戻ったのか、「すまない」と力無く腕を離し副部長もまたソファーに座り込んだ。落ち込む副部長の姿は非常に珍しいものであるが、できればこんな形で見たくは無かったと四人は思う。

  それでも副部長の脳は回転を止めてはいないようであり、蜩の声に混じるようにポツポツと話し始めた。

 

「不見倶楽部の部室には敵意ある部外者が入れないような呪術式を組んである。一種の結界だ。吸血鬼が招かれなければ家に入れないのと同じようなな。つまりそいつは小上さんが連れてきた、これは間違いない。小上さんと写真立て、それだけじゃあなく至る所に見える霊力の残光がそれを証明している」

 

  また一つ明かされる不見倶楽部の秘密に驚いている暇はない。三人は塔子の方へ振り向くが、当の塔子は何がなんだか分からないといった風にキョロキョロ辺りを見回すだけだ。

 

「思い出せないなら別にいい。手はあるさ」

 

  そう言って副部長は執務机の棚を開け、一枚の用紙をソファーテーブルへと放り投げる。

  書かれているのは全日本オカルト連盟総会とは全くの別物。

  はい、いいえ、その間にある鳥居、男、女、数字、あから始まる五十音表、それは紛れもなく二十世紀に流行した最もお手軽な降霊術。

 

「小上さんはよく知っているだろう?」

狐狗狸(こっくり)さんね!」

 

  狐狗狸さん。

  日本で1970年代に大流行したテーブル•ターニングを起源にした占いの一種。霊を降ろし、机に乗せた指が勝手に動く最も知名度の高いオカルトの一つだ。

  塔子の答えに副部長は、そうだと頷き、一枚の五円硬貨を用紙の隣に静かに置いた。

 

「五円は御縁があるように、俺たちの人数も丁度五人、これが丁度いいさ。部室にいる他の奴に聞くとしよう」

 

  五円硬貨を紙の上に置き直し、人差し指をその上に乗せる。さあ早くというように副部長は怪しく光る複眼で四人に促すと、塔子は勢いよく、残りの三人は渋々五円硬貨に指を乗せる。

 

「さあこれから言うことは分かっているな?」

「あらもちろんよ!」

 

  声を上げる塔子とは違い、残りの三人はゆっくり頷く。そうして五人は声を揃えて決まった文言を口にする。

 

『こっくりさん、こっくりさん、どうぞおいでください。おいでになられましたらはいへお進みください』

 

  そうして、

  ゆっくりと、

  五円硬貨は動き出す。

 

  『はい』

 

  「「「「動いた!」」」」

 

  中学の頃に願子も狐狗狸さんは当然試したことはあるが、その時はピクリとも動かなかった。それが今は当たり前のように簡単に動いてしまった。

  ただ眺めているだけで、全く力を入れていないのに指を立てた五円硬貨は紙の上を滑っていく。

 

「さあ始めようか、こっくりさん、こっくりさん、我が部室に来た不届き者の名をお教えください」

 

  副部長の言葉を受けて、五円硬貨は滑っていく。その動きには迷い無く、示す文字は、

 

  『は』

  『く』

  『れ』

  『い』

  『は』

 

  しかし、そこまで行って怯えたように五円硬貨は震え出し、動かなくなってしまった。不安になって副部長の方を見る願子たちだったが、副部長は何かを考えるように顔をしかめているだけで、何の行動も起こさない。

 

「副部長?」

 

  呼びかけにやっと戻ってきた副部長は、もういいだろうと言って鳥居まで戻るようにお願いするが、五円硬貨は動かない。焦り始める四人だったが、虚空に拳を突き出す副部長に続いて壁に謎の凹みを残すと、副部長はさっさと手を離しソファーに埋もれるように身体を預ける。

 

「博麗かぁ……」

「そうだわ! 博麗よ! 博麗伯奇って名乗ってた」

「誰よそれ、何でそんなの連れて来たの?」

「仕様がないでしょう願子さん、初対面の相手に不見倶楽部の副部長に用があるなんて言われたら」

 

  肩を竦める塔子に願子は呆れるが、ソファーに沈む副部長は何も言わず「博麗かぁ……」としか呟かない。

 

「副部長先輩、博麗っていったい何なんですか?」

「博麗は幻想郷で最も重要な役職に着く一族とでも言おうかなー、遠野物語を読んだことはあるか? 遠野では昔から妖怪との親交があってな、その中で最も繋がりが強かった人間たちのことを博麗と呼んだ。その中でも特に力が強く、人と妖怪の調和を司る者を博麗の巫女と呼ぶ。それは今でも続いているとかいないとか」

 

  怠そうに言う副部長は、目頭を押さえ本当に参っているように見える。

 

「その博麗さんが副部長先輩に何の用だったんでしょう?」

「そんなの俺の知ったことじゃあないが、部室に散ってる霊力から言って碌なことじゃあないな」

 

  それに、と一言挟むと副部長はより一層険しい表情を見せる。光る複眼はその輝きを深く落とすが、目に宿る輝きの質はむしろ増す。

 

「残る妖力の方が問題だ。完璧に消せた筈なのにワザと残していったに違いない」

 

  誰なのか? といった疑問は誰も口にすることは出来なかった。忌々しげな顔をする副部長がそれを許してはくれないからだ。周りの反応など気にせずに身体を起こすと、一人の名前を口にする。それは博麗では無く、

 

「八雲紫だ、間違いない。一度この妖力の形は見た。あの性悪妖怪が来やがった」

 

  八雲紫、その名前は願子たち四人は当然知らないものだ。しかし、博麗の時よりも顔を(しか)める副部長の様子から言って面倒な相手に決まっている。

  副部長はそう言うと、執務机の書類の束からまた一枚の用紙を願子たちの方へ差し出すと「読んでおくといい」と言って出て行ってしまった。

  渡された用紙は今までのものと異なり質のいい紙で、不見倶楽部の印が押されこう書かれていた。

 

不見倶楽部レポート 百十八番 『博麗』




八雲紫が出るだけで、東方って感じがするから不思議。流石幻想郷の管理人。

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