不見倶楽部   作:遠人五円

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副部長と友里のとある一日

「副部長、お願いがあるんですけど」

 

  もうすぐ梅雨に入ろうかという時期のある日。帰ろうかと副部長が執務机を後にするために立ち上がるはずだった腰は、上がることなく再び執務机と並ぶ高そうな椅子に吸い込まれた。

  一時間も前に願子たち三人と一緒に帰ったはずである友里がなぜ戻って来たのかは副部長に知るところではないが、いつになく真剣な友里の顔を見ていると聞かれればならないという気に副部長をさせた。

  何より友里が副部長に何かお願いするというのは大変珍しいと言える。願子、杏、塔子の三人と異なり、友里の立ち位置だけは四人の中で少しばかり異なっていた。

  初めて会った時から最も副部長を信じていなかった友里も、異変を通して副部長の認識を多少は変えたようではあったが、それはやはり多少であり、信頼できるが当てにはできないという一歩引いた位置にいた。

  願子も杏も塔子も、まるで妹が兄に(じゃ)れつくように副部長の周りをうろちょろするが、友里だけはいつも不機嫌そうにその三人の様子を眺めているだけ。

  そんな友里が一人で副部長の前に立っているのだから気にならないわけがない。

 

「あたしを鍛えてください」

 

  強くなりたいから。友里の言葉はシンプルな思考からくるものだ。

  前の異変の時、友里は親友である願子に力を貸せたと言っても、それは微々たるものでしか無かった。

  親友のために今まで祈らなかった蛇の卵に祈っただけに過ぎない。

  次に何かあった時、それでは嫌なのだ。

  願子は幻想を追うことを決して止めないだろう。副部長が近くにいる今なら尚更だ。

  祟りの蛇を打ち払った副部長のように、次こそ親友の、願子の隣に立ちたい。願子に這いよる恐怖を自分の力で打ち勝ちたい。

  そう考えた時、頼るべき相手は自ずと限られた。

  副部長は気に入らないが、副部長以外に頼るべき相手がいない。

  副部長ほどの不可解な相手を見つけるとなると、十五年ほどしか生きていない友里にはアテがなかった。

 

  「お願いします」

 

  頭まで下げる友里に副部長は言わずもがな困ったように部室の隅に置かれる柱時計へと顔を向ければ、時刻は九時に差し掛かろうとしている。

  しかし、時間が遅いからといって友里は引き下がる相手ではない。このままでは明日は生徒会長に呼び出されるコースまっしぐらだ。

  流石にそれは勘弁願いたい副部長は、取り敢えず帰りの準備を整えてしまうと友里を伴って学校を後にした。

  波打つ月を見ながらの帰り道は、清々しい訳はなく、非常に重苦しいものだ。

  一度仕切り直そうと副部長が雑談を振っても、友里には少しも響いておらず、先程の問いへの答え以外は受け付けてはくれないらしい。

  澄まして歩く友里の顔は、答えを求めている癖に副部長の方は向いておらず諏訪湖で揺れる月にしか向いていない。

  この問題に対してあまり話したくない副部長は、それを良しとし何も言わず帰り道を進んでいく。

  諏訪湖を外れると疎らだった人通りはグンと少なくなり、規則正しく並ぶ民家の影も見えなくなる。副部長が足を進める先にあるのは、霧ヶ峰の森。しかも大通りは通らずに獣道にしか見えない人一人分の細道を進んでいく。

  街灯が消え、月明かりしか差さない道を、先を行く副部長から離れぬように、それでもまだ友里は副部長の後をついて行く。

  森の暗闇から覗くのは野生動物の光る目と空に浮かぶお月様。夜闇という原初の恐怖に何度も本能が友里の足を元来た道へと戻そうとするが、副部長にお願いしてしまった手前途中で引き返したのでは自分自身を許せない。

  しかし、学校を出てから既に一時間近く歩いているというのに歩みを止めない副部長はどこまで行くのか? 歩みを森の中で止めてもらっても困るが、流石に友里は不安になってくる。

  それでも意地を押し通し歩く友里の視界が開けると、月明かりはスポットライトのように一軒の家を照らし出した。

  二階建ての木造でありながら、壁が滑らかに波打っている。切妻でも片流れでもなく、木の板をこれでもかと重ね合わせられた住居部分より大きく見える楕円の屋根。そこから伸びる真っ黒い煙突からは煙が上がり、異様な形をしていながらも、広い縁側と引き戸、霧除け庇が和の家であることを示していた。

  映画のセットのような家に戸惑う友里を放って置き、副部長は手慣れた様子で、土間に続く引き戸を開けると友里へ手招くこともせずに中へと消えていく。

  ここまでくれば友里にも分かる。

  珍妙奇天烈な家は何を隠そう副部長の家なのだ。

  来た道を一度振り返る友里だが、月明かりのおかげであれほど明るかったはずの道は森の暗闇が完璧にその道を隠してしまい、どこをどう歩いてきたのか分からない。

  一分、二分、三分、四分。

  家に行くのも戸惑われたが、森の中で一夜を過ごすなど御免被ると恐る恐る玄関の取っ手に手を伸ばす。

  その先にあったのは、外見とは裏腹に古く格式高い日本の古民家のような内装だった。

 

  「副部長?」

 

  薄暗い廊下を仄かに照らす行灯(あんどん)の先へと友里は言葉を放るも、返事はまるで帰ってこない。

  ゆっくりと靴を脱ぎ廊下へ足を下せば、床が軋む(うぐいす)張りの廊下だけが友里の来訪を歓迎してくれる。

  唾を飲み込み先へと足を進めるが、生活感を感じられない副部長の家には、副部長が入ったはずなのに誰もいないように感じられる。しかし、土間には見慣れた副部長の靴が置かれていたので、誰もいない訳ではない。

  埃一つない廊下に幾つかの行灯以外の光は無く、年季の入った日に焼けた木の柱が規則正しく並ぶ。

  一歩一歩を石橋を叩いて渡るように慎重に出し、三つ目の行灯を通り過ぎ縁側へと差し掛かった時だ。

  月の光を存分に受けて、蟲の目が友里の方を覗いていた。

  見慣れた制服姿では無く、真っ黒い着物に身を包む副部長は、目だけが宙に浮いているように見える。

  副部長は何を言う訳でも無く、縁側に座ったまま指でトントンと自分の隣を小突いた。

  座れと言っている。

  友里は少し戸惑ったが、人の家に上がりこんでいる手前我儘はできないとそこへ座れば、和を前面に押し出した家だというのに副部長から手渡されたのはアイスコーヒーだった。

  銅製のコップに大きな氷が浮かび、夜の寒さが加わり非常に冷たい。それを喉に流し込めば、ここまで歩いて来た疲れが吹っ飛ぶようだ。

 

「副部長、家族は居ないんですか?」

 

  出されたアイスコーヒーを一気に飲み干し、副部長以外誰も出てこない家には誰か居ないのか、まるで人の気配は無い。副部長ですら幽鬼のようで、現実感を感じられなかった。副部長は友里に珈琲のおかわりを注ぎながら、

 

「俺は一人暮らしだ。家族はいないよ」

 

  なんでもないように言う副部長は本当に気にしていないらしい。だから、咄嗟(とっさ)に謝罪の言葉が出そうになった友里はその言葉を飲み込んだ。

 

「さて出雲さん。こんなところまで付いてくるとは驚いたが、そんなに強くなりたいのか?」

 

  友里の気まずい空気を読んでか、遂に副部長は友里のお願いへの問いを口にする。しかし、その目は友里が副部長を見ていなかったように、空に浮かぶ月だけを見ていた。

 

「なりたいです。副部長みたいに」

「俺は別に強くないさ、部長の方が俺の百倍は強かった。何より俺を見ない出雲さんに俺は何を教えればいい?」

 

  そう言うと、ようやく副部長は友里の方へ顔を向ける。二つの複眼が友里のことを余すこと無く見つめ、友里が口を開くことを許さない。

 

「俺は弱いよ、こんな目を持っているだけで、特別な力は何一つない。東風谷さんは凄かった。溢れんばかりの神力に空まで飛べた。対して俺は生まれ持ったこの目の代償に魔力や霊力、気といった誰の中にも眠るはずの力が根こそぎ奪われゼロに近い」

 

  副部長の言う意味は友里にはイマイチ理解出来ない。魔力、霊力、東風谷早苗が空を飛べるというありえないことを言う副部長の顔は真面目でいつも通り嘘を言ってはいないらしい。それがあると無いの違いが分からない友里は分かっている事実だけを返す。

 

「でも副部長は戦えてたじゃないですか」

「俺があれらと戦えるくらいになったのは高校に入ってからさ、それまでは出雲さんたちとなんら変わらない」

「じゃあなんで副部長は戦えるまで強くなろうと思ったんですか?」

 

  親友のためでしょ? 友里の続く言葉を受けて副部長は面食らったように少しの間固まっていたが、やがて動き出すと小さく頷いた。

 

「そうだな、俺は凡人なりに東風谷さんの隣に立ちたかったのさ。出雲さんが瀬戸際さんの隣に立ちたいのと同じように」

「だったらあたしを鍛えてください」

「だが俺が戦えるようになったのはそうならなければいけなかったからだ。東風谷さんが居なくなり、溢れ出す祟りと戦うために力をつけるしかなかった」

 

  それを知り、それを見て、立ち向える人は副部長しかいなかったから。

  友里とは状況が違う。副部長がどれだけ親友のために力を振るってもその親友は隣には居ない。友里は親友のために力を震えなかったとしても親友が隣に居てくれる。それに二人の隣には副部長がいるのだ。

 

「でも副部長が居なくなったら?」

 

  そう、副部長は三年生だ。対する友里たちは一年生。副部長が一緒に居てくれるのはもう一年もない。力を震えなかった時、助けてくれる者はその時にはもういない

 

「願子は副部長が居なくなってもきっと幻想を追うことを止めない。だって副部長と会っちゃったから。だから副部長が居なくなった後、どんなものを相手にしても(こぶし)を握れる者が必要でしょう?」

 

  副部長の蟲の目は拳を握り掲げる友里を見ている。

  友里を見ているのに、今まで友里は副部長を見て来なかった。

  それは無意識で理解していたからだ。

  友里と副部長は似ている。

  似ているからこそ見れなかった。

  だが、それもおしまいだ。

  友里は見なければならない。

  友里の目は副部長を見ている。

 

「副部長、あたしを鍛えてください。お願いします」

「出雲さんは頑固だな。まあたまになら見てやるさ、さあ何から始めようか」

 

  その日から副部長と友里の秘密の夜が始まった。

  夜になると深緑の光る目と透けるような長い金髪が暗闇の中で踊っているという噂が諏訪で騒がれるようになり、願子たちがそれを追おうと躍起になるが、それはまた別のお話。

 




「友里! 最近諏訪で流れてる噂知ってる?」
「え? あ、ああまあ知ってはいるけど所詮噂でしょ? 見てもつまんないって」
「そんなこと無いって面白いよきっと!」
「いや見られたく無いし」
「何言ってんのよ?」
「あ」

願子には無意識に嘘をつけない友里。

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