不見倶楽部   作:遠人五円

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副部長と願子のとある一日

「副部長ってなんで眼鏡掛けてるんですか?」

 

  五月のまだ冷たい陽気の中で、ソファーからキラキラ輝く諏訪湖を見飽きた願子の零された疑問は至極どうでもいいものであったが、副部長の目を考えれば当然の疑問ではある。

  こんな話になったのも、部室には今副部長と願子の二人しかいないからだ。友里も杏も塔子も今日は用事があるらしく、何もやることのない願子はたまにはいいかなと副部長しかいない部室へと足を運んだのだが、執務机に座り相変わらず副部長は何かを書いてるだけで、願子の相手はしてくれなかった。

  そんな副部長が何か手元でやっている時だけ掛けられる眼鏡がどうしても気になってしまったのだ。

  副部長は目は悪くない。寧ろいいと言える。人の見えないものを見る深い森の色を宿した蟲の目は、願子に見えないものを平然とその目に写すのだ。

  そんな複眼を持っていて、いくら特殊なコンタクトをつけているからといって眼鏡をかけている理由が願子には皆目見当もつかない。

  願子の質問に副部長はようやっと動かしていた手を止めると、眼鏡を外して立ち上がり、二人分の珈琲を煎れるとソファーの方にやってくる。

  眼鏡を外す、珈琲を煎れる。どちらも副部長が誰かと話を始める時の特徴だ。なぜわざわざ形式張った形をとるのか理解できない願子だが、副部長の煎れる珈琲はもうすっかり願子の中でお気に入りになっているため文句を言おうとは思わない。

 

「俺は瀬戸際さんが思ってるほど目は良くないのさ」

「そうなんですか?」

 

  いつもと変わらぬ珈琲の優しい苦味に舌鼓(したづつみ)を打ち、副部長の意外な秘密に言葉を返す。

 

「ああ、複眼っていうのは動体視力はいいんだが止まっているものを見るのは苦手でね。それにコンタクトで隠してる分余計にさ」

「だから眼鏡ですか」

「そう、それもちょっと変わったね。掛けてみるといい」

 

 そう言って執務机から副部長愛用の深い緑色の縁の眼鏡を持ってくると願子に手渡してくれる。それを掛けてみると酷いの一言に尽きた。

  周りがぼやけすぎて先がよく見えない。これ程の度が必要になるとすると副部長の目は相当悪い。

  歪む視界に願子は軽い頭痛を覚えて、急いで眼鏡を外すと副部長に手渡した。

 

「副部長本当に目悪いんですね」

「物凄くな」

 

  これでは生活も苦労しそうなものであるが、副部長の立ち振る舞いを見る限り問題は無いようである。

  眼鏡を受け取った副部長は、執務机の上に眼鏡を戻し、備え付けの引き出しの一つを開けるともう一つの眼鏡を持ってきた。

 

「副部長それは?」

「瀬戸際さん一人で暇そうだからな、折角だから面白いものを見せよう」

 

  副部長に新しく手渡されたそれは眼鏡ではなくサングラスだった。虹色に輝く丸いレンズが嵌め込まれたそれは一般にラウンドと呼ばれる種類のものだ。手の上に乗っているにも関わらず、そのサングラスからは重さが余り感じられず、一枚の薄羽が乗っているような感じがする。実際に願子の手に触れる今にも折れてしまいそうな薄い木製のフレームの感触は非常に柔らかくマシュマロの感触に近い。

 

「副部長、これっていったい……」

「色眼鏡さ」

「はい?」

「色眼鏡だって」

「え?」

「色眼鏡だって!」

 

  色眼鏡、サングラスのこと。しかしそんなのは見れば分かる。副部長だって分かっている。

  副部長が言っていることはもう一つの意味の方だ。偏見。先入観、偏ったものの見方。

  それでも意味が分からないと願子は首を捻り、副部長はおかしそうにそんな願子の顔を見ている。必死に考えを巡らすが、少しすると願子は簡単に両手を上げてギブアップ宣言し、副部長に答えを求めた。

 

「それは色眼鏡、感情によって見るものが変わる不思議な眼鏡さ」

「感情、ですか?」

「そう感情、そのレンズの色は感情の色を表している。掛ける者の想いによって違うものを見せてくれるのさ」

 

  それは凄い!

  副部長の説明で一気に好奇心が爆発した願子は急いで色眼鏡を掛けてみる。すると柔らかいフレームの感触が伝染するかのようにふわふわとした感覚が願子の視界を包み込む。

  赤、青、黄、緑、紫、茶、白、黒、数多の色彩が視界を彩り見えるのは色の変わった部室だけ。色が変わっただけで見えるものに違いは無かった。

 

「全然何も見えないですけど……」

「瀬戸際さん好奇心で見てるだろう、ふわふわした感情じゃあ見えるものもふわふわするだけさ」

「そうですかぁ……」

 

  高ぶった意識が容易くポッキリ折れていく。不思議や幻想を追っている時にはありがちなことだが、一度ダメだとどうしても次の一歩が出ないのだ。

  色眼鏡をソファーテーブルへ置く願子は力の抜けた空気を発し、分かっていたというように、副部長は仕切り直しだと珈琲のおかわりを注いでくれる。

 

「まあそんなに落ち込むなよ」

「分かってますよ」

「ならいいんだが、瀬戸際さんはどうしてうちの部に入ろうと思ったんだ?」

「え?」

 

  副部長は含みは無いさと肩を竦めると願子へ再び疑問を促す。それでもなんとなく言いたくない願子は言い淀み口をモゴモゴ動かすだけで、そこから言葉が続かない。

  見かねた副部長は珈琲を一口(すす)ると、カップを置く音で願子の気を引き口を開いた。

 

「俺が部に入った時はまだ不見倶楽部って名前じゃなくてなあ、ただのオカルト研究部だったんだ。東風谷さんが部長をやってて引き入れられたのが始まり。もともとオカルト研究部になんか入る気なかったんだ」

「へぇ」

 

  少し気が紛れたのか、相槌を打つ願子に次はお前だと言うように手で催促すると、ずるいといった顔をする願子だったが、やがて顔が落ち着くと副部長と同じように珈琲を一口飲んで話し出す。

 

「私不思議なものに憧れてたんですよ、副部長はもう知ってると思いますけどね。それで、副部長がそれを見せてくれたから」

「見つけたのは瀬戸際さんだろう?」

「それでも! 副部長が見せてくれたんですよ」

 

  少し力の入った口調で言われる願子の言葉に少し副部長は引いてしまったが、珈琲を飲むことによってそれを流す。願子も同じく珈琲を飲み、静寂がしばらく部室を占拠したが、それも副部長がコンタクトを外すことで、願子の唾を飲み込む音が追いやった。

 

「俺の目は自分が見えるだけで、他人に見せることはできないよ、瀬戸際さんが見たんであって、俺が見せたわけじゃあないさ。そうだろう? 瀬戸際さんはなんで不思議に憧れたんだ? それには瀬戸際さんだけの理由があるはずだ」

 

  蟲の目が願子の僅かな動きも見逃さないというように、夕暮れ近い陽の光を浴びてキラリと光る。それに目も離せず、某っと副部長の目だけを見て願子はポツリと呟き始める。冷たい風が空いた窓から願子の肌を撫で付けるが、少なからず火照った願子にはまるで効果がないらしい。

 

「あれは小学生の頃なんですけど小学校の近く、諏訪湖のほとりに一本の大きな木があって、そこに木の精霊が出るって噂があったんですよ。子供心にそれが見たくって、毎日毎日、時には深夜にも通ったんですけど見えなくって。多分それが始まりですかねーって。中学の頃はきっと私にも見える、私にしか見えないものがあるはずだって色々やってもそれもダメで」

 

  そこまで言うと馬鹿ですよねーと悲しそうに笑う願子は話を切って珈琲へ逃げる。啜る珈琲は心なしか苦味が増したように感じてしまう。

  副部長はその話を聞いて、よしと一度言うと急にカップを片付けだして帰る準備を整え始めた。

 

「今日は帰るんですか?」

「ああ、行く場所行ってからな」

 

  そう言って願子にまで仕度を催促すると、いつもより早く部室を後にする。

  諏訪湖の湖畔の帰り道、いつもなら願子の隣を歩く友里の代わりにそこを歩くのは副部長。バックすら持たず手ぶらで歩く副部長は教科書をどうしているのか全くの謎である。真っ赤に染まる諏訪湖を眺めながら、「よく部長ともこうして帰ったよ」という副部長の顔はすごい笑顔で、夜が近づくこの時間帯が一番副部長に合っているように願子には思えた。

 

「瀬戸際さんは視界が狭いんだよ、一度こうと決めて見て、それがダメだとそうだと決めつけてしまう。もっと色眼鏡で見ないとダメさ。いろんな色で見てこそ見やすくなるんだよ。諏訪湖だってそうだろう?」

 

  朝の澄んだ色をした諏訪湖。昼の晴れ晴れとした諏訪湖。夕日を受けて真っ赤に染まった諏訪湖。夜の星々を写し込んだ闇夜に染まった諏訪湖。

  表情はどれも違くとも、それが諏訪湖であることに違いはない。

  願子と副部長が歩く今の諏訪湖、赤い色が薄くなり、黒と赤に青、三色のグラデーションが描かれる諏訪湖は美しい。色が混ざっているからこその複雑な綺麗さがそこにはある。

 

「さて、着いたな」

 

  諏訪湖の綺麗さに見惚れたせいか、知らず知らずのうちにいつも曲がる家への道を通り過ぎ、願子の視界の先に映るのは一本の大柳。

  願子が小学生の頃に何度も通った柳の木だ。

 

「副部長?」

「今の想いに嘘は無いだろう? さあ」

 

  そうして副部長から手渡されるのは色眼鏡。極彩色のレンズは願子の方へ向いている。

 

「副部長、でも」

「さあ」

 

  強引に手に押し付けられ、色眼鏡は願子の手の中に滑るように入ってくる。レンズに反射する周りの景色は普段絶対に染まらない色に染まっている。

 これを掛ければ見えるの?

 でも、見えなかったら?

  願子が初めて追って挫折した幻想が今目の前にある。願子の始まり、無理だと決めたそこを見つめ直してそれは見えるものなのか? 願子にそれは分からない。自信に満ちた副部長の顔も今は不安でしかない。

 

「見たいのか? それとも見たくないのか?」

 

  副部長の声に背中を押される。

  今ここにあるのは、見るのか見ないのかの二択のみ。

  しかし、見たとしても見えないかもしれない。

  その不確かな事実が願子の前に大きな壁となって現れる。

  見えれば願子は、『こちやさなえ』の時と違って大きな一歩を踏み出せる。見えなかったら踏み出す足はここから先にもう出ない。

  それでも見たいかと聞かれれば、見たいに決まっている。

  願子が見た最初の夢。絶対に見たかった特別な夢。

  見たい。

  見たいから。

 

「不思議なものは純粋な子供の時しか見えないなんて伝承は日本各地にたくさんあるが、成長してからしか見えないものもあるさ、いろんな色を知ってからしか見えないものもあるんだよ」

 

  柳の影に小さなものが瞬いている。赤いような、青いような、緑のような、何かが確かに瞬いている。それは人のようだが羽があり、大きさは人の掌くらいしかない。しかし、それは確かに存在している。

 

 

  ----見えた。

 

 

  見える。見える。極彩色の景色の中に確かに見える。

  私が見てる。

  私が見たんだ。

  私の想いで私が見た。

  見えないものを私が見た。

 

「ふぐぶぢょうぅぅぅぅ!」

「瀬戸際さんに似合ってねえな色眼鏡! あまりにも似合ってないからそれはやるよ」

 

  願子の視界に映るのは、おかしな色をした副部長の姿。あまりにおかしなものだから、願子はどうしようもなく綺麗だと思ってしまった。

  今日の出来事は、願子と副部長二人だけの秘密。




後日。

友里の場合
「どうよ!」
「願子あんたサングラスめちゃくちゃ似合ってないわね」

杏の場合
「どうよ!」
「うーん、願子さん外した方がいいんじゃないですか?」

塔子の場合
「どうよ!」
「が、願子さん!あっはっは、ちょ、ちょっとやばいわそれ! あっはっは!」

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