不見倶楽部   作:遠人五円

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長かったよ……


GW

  皆さんは佐渡島(さどがしま)を知っているだろうか? と聞かれれば勿論知っていると答えるだろう。小学生の時に地図帳を開き、誰もがぴょこんと飛び出した佐渡島を見て、日本にはこんなところがあるんだと思ったに違い無い。

  佐渡島は新潟県に属していながら本州から離れた島である。

  佐渡島の歴史は古く、奈良時代から流刑地の一つとされていた佐渡島は、万葉歌人の穂積朝巨老、順徳上皇、世阿弥など、多くの貴族や文化人が流され、伝統文化が盛んな土地の一つになっている。

  中でも能楽の一つである能が暮らしの中に溶け込んでいる珍しい地域で、江戸時代には二百を超える能舞台があった。今でも三十以上の能舞台があり、その数はなんと全国に残る能舞台の三分の一に相当する。

  歴史や伝統文化以外にも、佐渡島には古くから伝わっているものがある。それが有名な日本三名狸である佐渡団三郎狸だ。

  佐渡の狸の総大将。人を化かしてからかったり、木の葉を金に見せて買い物したりと自由奔放で人間臭い大妖怪だ。しかし、お金に困っている人にお金を貸したりと意外と優しい面もある。

 

「そのため団三郎狸は人々に厚く信仰され、二つ岩大明神として祀られている。だって」

 

  佐渡島のご当地キャラが描かれた薄いパンフレットを読む願子の言葉に耳を貸すものはいない。

  友里も杏も塔子もそんなことを気にしている余裕は無いからだ。どうも『こちやさなえ』の異変から願子から危機管理能力が欠如しているように見える。

 

「さらに団三郎狸は」

「願子ちょっと黙って」

 

  数十分も前からパンフレットを読み続ける願子に遂に友里から文句が出た。それも仕様がない、話は数時間前に遡る。

  五月に突入し、全校生徒が待ちに待ったゴールデンウィーク。不見倶楽部に入り一週間、副部長はその間四日も生徒会長に呼び出されておらず、コーヒー研究会なのかと間違えるほどコーヒーしか飲んでいなかった願子たちは、この日をそれはもう一週間が一年にも感じるくらいに楽しみにしていた。

  前々から副部長からゴールデンウィークに旅行に行くから外出届け書いてねと、渡されていた用紙を四人は速攻で親に頼み込み了承を得、不見倶楽部としての初めての活動を待っていたのだ。

 

『さあ諸君! 待ちに待ったゴールデンウィークだ! ゴールデンウィークが終われば始まる仮入部期間や体育祭を楽しみにしている者たちもいるだろう、だが楽しいことばかりで無く中間テストも待っている。私たちはこの短い休みをいかに大切に使うかが重要になってくる。勉強も大事だろう、スポーツも勿論大事だ……しかし! 遊べる時に遊ばずして何が高校生だ! 私は行くぞお! 遊びに行くぞお! うおおおおおおお!!!!』

 

  生徒会長もゴールデンウィーク前の全校集会でポニーテールを存分に揺らしながらこう言っていた。三年生なのに大丈夫なのだろうか? しかし、生徒会長の言うことは最もだ。勉強よりもスポーツよりも今は不見倶楽部のことで頭がいっぱいの四人は生徒会長に合わせて声を上げた。あの友里ですら小さく声を上げたあたりどれだけ四人が楽しみにしているかが分かるだろう。

  そしてゴールデンウィーク初日、何も言わない副部長に連れられて、諏訪駅から電車を乗り継ぎ新潟へ、そこからフェリーに揺られて一時間。着いた土地は佐渡島だった。移動の運賃は全て部費で出るらしく、快適な時間を送れたが、全員が思う『なぜ佐渡島?』という疑問には全く副部長は答えてくれなかった。

  しかも着いて早々、

 

「じゃあ俺は行くから」

 

  と飛ぶように走り去ってしまった副部長は本気の走りを見せ、誰一人として副部長に追いつけず、気付いた時には右も左も分からない森の中にすっかり四人は迷い込んでしまった。

 

「ねえ、副部長に会ったらあたしぶん殴りたいんだけど間違ってないよね?」

 

  と言う友里の感想に否と答える者はおらず、そうして歩き続けて数時間。島のはずなのに全然町に出ず、願子たちの前に現れたのはそれはもう大きな大豪邸。

  平安時代によく見られる豪邸の代名詞、寝殿造りの大きさに圧倒され、名所なのかと島に着き唯一手に入れたパンフレットと格闘してもそれがいったいなんなのかさっぱり四人には分からない。

  何時の間にかあたりに霧が立ち込みだし、せめて道を聞こうと足を踏み入れたのが間違いだった。

 

 これやばいんじゃない?

 

  初めにそれを口にしたのは誰だっただろうか。右に左に、上に下に、縦横無尽にどこまでも続く廊下は無限回廊。網代縫(あじろぬ)いの凝った天井が地平の彼方まで続き、薄暗い廊下を一定の間隔で置かれた大きな信楽焼(しがらきやき)の狸の持つ提灯(ちょうちん)がほのかに照らした。両脇には障子がずらりと並び、障子を開ければまた障子。その障子を開ければまた障子。障子、障子。開けずにきめ細やかな和紙を打ち抜いてみても先にあるのは障子だけ。

  異常事態だった。先の異変と同じくありえないことが起こっている。なんでもない旅先で、副部長に連れられて、四人がどれだけ頬をつねってみても覚めないのだから夢ではない。

  そうして願子はパンフレットを読み、三人は呆れた。

 

「で? どうするの?」

 

  パンフレットを読むのをようやく止めた願子を含めて、四人は歩くのを止め、なんとか頭を回し始める。

  目の前に広がるのは廊下、後ろに広がるのも廊下。右には障子、左にも障子。

  不気味だ。『こちやさなえ』のような直接的なものでは無く、害のない無限迷宮には、手がかりの一つも転がっていない。そもそも、蛇の卵というキーアイテムがあったからこそ乗り切れたようなものなのに、それすらない状況では、四人には手の打ちようがない。

  友里から零れた疑問を拾う者はおらず、疑問は零れ落ちて無限回廊の奥へと消える。

 

「あら、どうしようもないんじゃないかしら?」

「そんな事ないですよ、副部長先輩に連絡取るのはどうでしょう?」

「副部長の連絡先知ってる人いるの? あたし知らないよ?」

 

  会話は一向に進まない。廊下と同じく会話まで無限回廊に迷い込んでしまったように何も上手くいかない状況にフラストレーションのみが高まっていく。

  しかし、そんな三人の意識を変えたのは願子だった。

  何も言わずに願子は急にずんずん奥に進み出し、慌てた三人は願子を呼び止めるが、全く気にせず願子は進む。

 

「いや止まってても何にもならないって、友里も杏も塔子も暗いよ。だって副部長が私たちを連れて来たんだから危ないわけないじゃん」

 

  進む願子に諦めて着いて行く三人の顔はまだどこか納得していないが、仕方が無いと先へ進む。

  廊下、障子、廊下、障子、景色は一切変わらない。異常な状況に関わらず、何にも変わらない状況が逆に三人を焦らせる。ひょっとしてずっとこのままなのではないか? 死すら訪れず、永遠に歩き続けるのではないか? そう考えると生温い空気が氷点下まで下がってしまったように感じてしまう。死を感じさせる幻想は恐ろしいが、死を感じさせない幻想もまた恐ろしい。世界は常にあらゆるものが流れているのに、そんな中で永遠に止まってしまうというのは耐え難い大きな恐怖の一つである。

 

「ねえ願子、やっぱり一回立ち止まって少し考えようよ」

「そうですよ願子さん、あの異変みたいにただ進めばいいってわけじゃないですよ」

 

  願子は進む、進む、進む。壊れた玩具のように足を止めず、ただ前に、前に、前に進む。

 

「願子さん聞いてるのかしら?」

 

  応えず歩き続ける願子の前方で、不意に一枚の障子の奥で何かが弾けた。その光は障子に影を落とし、シミのように広がっていく。浮かび上がるのは、虎、雉、猿、蛇。あらゆる生物が浮かんでは消え、浮かんでは消え、混じり合い、この世ではありえない生物の群れが行進を始める。障子に描かれるのは影の百鬼夜行。

 

「願子!」

 

  足は止まらない。影の一部になったように魑魅魍魎(ちみもうりょう)と歩みを合わせる願子の姿は常軌を逸していた。そんな中でくるりと振り向く願子の瞳に光は無く、大きく手を広げると、影がぞわりと大きく波打つ。

 

「大丈夫大丈夫、ほら行こう皆が呼んでるよ」

 

  信楽焼の狸がゲラゲラ笑い、障子が押されてガタガタ揺れる。真っ直ぐ伸びていた廊下は捻れ、願子は立ったまま三人の視界の中を九十度も傾いた。提灯から溢れる炎が障子を焼いて、人の身ほどもある目玉が動き三人の姿を捉えた。

 

「ちょ、ちょっと」

「あらあらあらあら」

 

 脆い和紙を破って人ならざる手が無数に伸びる。頼りない木の檻を今にも砕き、三人の命を掴もうと醜悪に手をこまねいている。爪が、舌が、牙が、あらゆる器官が三人の肌を撫ぜ、恐怖で逆立つ肌の味を吟味する姿を眺める願子の口が弧の字に裂けた。

 

「願子さん!」

「なに!」

 

  一枚の障子が勢いよく開かれて姿を表すのは瀬戸際願子。なにやら顔に青筋を立て、非常にご立腹らしい。

  願子の開いた障子の勢いに追いやられるようにもう一人の願子を除き、景色は崩れいつの間にか長かった廊下は奥に壁の見える短いものへと変わっている。

 

「ちょっと三人とも酷いんじゃないの? ここに入ってからすぐに私を置いていなくなっちゃうしさあ、何時間一人で待ち惚け食らわされたと思ってんの⁉︎ しかもそんな大声で呼ぶことないじゃん、こんな狭い家なのにそこまで私耳悪くないから!」

 

  願子の奥に見える空に浮かぶは真ん丸満月。それが照らし出す四人の踏み入った場所は豪邸ではなく、数多く月明かりを通す隙間から大変な荒ら屋だということが分かる。

  そんなことより三人は、無言で一斉にもう一人の願子の方へ指差した。未だ怒り心頭の願子は力強くそっちへ向くと、段々と真顔になっていき、終いには口を大きく開けた。

 

「私がいる!」

 

  願子の目の前に願子がいる。鏡が置いているわけでもないのにその姿は瓜二つ。願子が手を挙げればもう一人の願子も手を挙げる。願子が回ればもう一人の願子もくるりと回る。足が縺れて願子が転べば、もう一人の願子も同じようにその場で転けた。

 

「なにこれ!」

 

  段々楽しくなってきたのか、アホなポーズを取り続ける願子。三人からは恐怖の色は完全に消え失せ、鏡合わせでポーズを決める二人を残念な顔で見続けていたが、偽者の願子の方はもう飽きてしまったらしく、一度頭に手を乗っけると、

 

  ーーーーポフン。

 

  緩い音とともに四人の目にまず入ったのは人に身ほどもある大きな狸の尻尾。

 

「いやいや、まさかこんなに早く戻ってくるとは驚きじゃな、あの男が言うようにお前さんそっちの素質はあるらしいのう」

 

  赤み掛かった茶髪に丸眼鏡。願子たち四人とは比べものにならない大人の色気が現れた少女からは漂っている。百人に聞けば百人が美人だと答える容姿には、ただ二つの違和感があった。頭から伸びる二つの獣耳。腰あたりから伸びる大きな尻尾。しなやかに動くそれは作り物のような気配はない。四人の口からは唾を飲み込む音だけが聞こえ、少女はつまらなそうに息を吐いた。

 

「素質はあってもお前さんらまだまだじゃのう、あの男があれだけ褒めるのも珍しいから期待してたんじゃが、まあこんなものか」

「あの男って副部長先輩のことですか?」

「うむ、なんでもまだ見えないものを見たことないお前さんら三人に幻想を見せてやってくれと頼まれてのう、年甲斐もなく久しぶりに儂も頑張ってしまったぞい、ほっほっほ」

 

  そういうことか。

  三人の顔に納得の二文字、副部長がここに来た理由は友里と杏と塔子の三人のため。目の前で笑う少女? にお願いしてまだ見て感じていない三人に幻想を見せるためにやって来たのだ。

  それにしたってもう少し説明があってもいいんじゃないかとも思う。三人とも本当に一度死を覚悟した。

 

「あのうそれでお姉さんは誰なんですか?」

 

  当然の疑問を口にしたのは、副部長への怒りゲージが溜まり始めた三人ではなく、今回おまけ扱いである願子から。

  少女は「儂を知らんのか⁉︎」と言うと、一度こほんと間を置いて、大層大袈裟なポーズを取った。

 

「佐渡の狸の総大将、築いた伝説は一つや二つじゃ指が足らん。生き物、道具変化するならなんでもござれ。佐渡団三郎狸こと二ッ岩マミゾウとは儂のことじゃあ!」

「「「「……へー」」」」

「……最近の若者は冷めとるのう」

 

  ブルーな色を背負うマミゾウになんだか悪い気になる四人。しかし、現代っ子の四人には団三郎狸と言われてもピンとこなかった。

 

「そんなマミゾウさんは副部長さんと知り合いなのかしら?」

「ぁあ、うむ、ちと前に縁があっての、借りを作ったり貸しを作ったりまあ腐れ縁というやつじゃ、出会って一年経っておらんがなかなか面白い時間を過ごさせて貰ったぞい」

「へぇ副部長先輩が」

「うむ、それでお前さんら嫌に普通じゃが儂が怖くは無いのか?」

 

  怖く無いのかと聞かれれば、さして怖くは無いと三人は首を振った。

  頭上を跳ね回る副部長。誰も触れていないのに割れる天井、溶ける壁、それが徐々に自分たちの方へ降りてくる光景が放つ圧倒的な死の気配に関わらず、それが欠片さえも瞳に映らない。

  それと比べれば、マミゾウの見せた光景は背筋が凍るには十分だったが、変化を解いたマミゾウは、それよりも卵から現れた部長の幻に近い雰囲気を持っており、三人の緊張がほぐれるのにも十分だった。

 

「ふぉっふぉっふぉ、変わった奴らじゃ、もうそろそろ時間もいいだろうしそろそろ行くとするかのう」

「どこに行くのよ?」

「来れば分かるさ」

 

  そう言ってマミゾウは四人を連れて森の奥へと入って行く。暗い森の中であるが、不思議と前を行くマミゾウを見ると、四人の中には不安はなかった。

  マミゾウが進んでいくごとに、四人に合わせて足音が増えていく。近くの茂みが一度ガサリと音を立て顔を出すのは一匹の狸。それが二匹、三匹と気づけば狸たちの大行進。願子たち人間に恐れることなく、誰もがマミゾウの後を追い、時折楽しげな声をだす。

  それから五分も歩けば開けた野原に辿り着き、そこでは数多くの狸が総大将の登場を出迎え一斉に声を上げた。その丁度真ん中に、頭に肩に腕に足、狸に埋れて見慣れた男が願子たちの方へ手を振っている。

 

「ようどうだった?」

 

  軽い感じで言う副部長から一斉に狸たちが飛び去ると、助走をつけて友里が突っ込む。見惚れてしまうような綺麗に伸ばされた拳は副部長の顔に突き刺さり数メートル程吹き飛ばす。

 

「こうでした」

「……うん、良かったね」

「ほっほっほ! 面白い人間たちだのう! さて、人でも獣でも集まったならやることは決まっておる! 今日は夜通し呑み明かすぞ! ぱーてぃーの始まりじゃ!」

 

  白い徳利をマミゾウが掲げれば、溢れる酒は七色の火に変化して何もない野原を幻想的に彩った。それに合わせて跳ねる狸はそれぞれ龍や鳳凰といった空想の生物へと変化する。どこからともなく取り出した篠笛を副部長が吹けば、楽しげな音色に合わせて狸たちが踊りだす。満月の光を存分に浴びて、空を彩る空想の宴。願子たちに人懐っこく(じゃ)れ付く狸たちとそれを眺めながら過ごした時間。願子たちが送ったゴールデンウィークは紛れもなく人生最高のものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ただ、後日二日酔いになった。

 




マミゾウさんにはこれからもちょくちょく出て頂きます。
四人の姉貴分の一人として頼れるお方。

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