マテリアルズRebirth   作:てんぞー

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イスト・バサラ

 噛みついたイングの首を解放し、その体がどさり、と音を立てながら床へと落ちる。その姿を眺める事無く目を閉じて天井へと視線を上げたまま、身体の動きを止める。噛みついた首から大量の血がしたたって口と顔を濡らしていた。それが喉を通り、何故か甘く感じられた。血の味を舌の上で味わうとどうしてか、この状況が面白くて、達成感などの前に笑いが込み上げてくる。

 

「ははは―――」

 

 おかしい。何かがおかしい。良く解らないが、この状況が堪らなく愉快だった。笑うしかなかった。笑い声しかなかった。それが半分嗚咽に似た様な笑い声だったなんて、慟哭の様な笑い声だったなんて知らない。何故か目から涙が流れているのかもわからない。ただ、ただただおかしかった。この状況が、自分がやったことが、そして成し遂げた事に対して笑うしかなかった。もう、それしか出てこなかった魔力も、体力も、精神力をも使い果たした。本当にイングを殺せたのかは解らない。もう彼女の生死を確認する手段はないのだ。

 

 ―――何せ、手が動かないので。

 

 1ミリたりとも。ピクリとも。全く反応しない。完全に二の腕辺りから神経がぐちゃぐちゃにちぎれている。もうこれほどなく致命傷だった。どうしようもなく両腕は言う事を聞かず、そして永遠にこの手が動く事はないだろう。おそらく再生治療でもほぼ不可能なレベルかもしれない。色々と終わったな、と自覚する。最強の格闘家との決戦、そして勝利。その後に残されたのはなんだ。格闘家としてのアイデンティティは消失し、浴びる血に酔って、そして高笑いを上げている。俺はあとどれだけぶっ壊れればいいんだ。今すぐにでも家に帰ってあの少女達を抱きしめたい。日常に戻りたい。あの陽だまりで平和な日々をずっと過ごしたい。

 

「帰りたいよ、皆……」

 

 顔を振ってついた血を掃う。動かないイングの体に対して小さくごめんと呟く。ああも殴り合えば彼女の言葉が偽りではなかった事なんて伝わってくる。拳を通してどんな思いでいたのかなんて理解してしまう。嫌でも理解できてしまう。そのストレートで虚実の無い拳は的確に此方の心にその思いを叩き込んできていた。あぁ、クソがと呟くしかなかった。これが普通の敵だったら倒しても別に心を痛めなかった。ただこいつは女の子だった。ただの女だったんだ―――。

 

「クソがぁぁぁぁあああ―――!!」

 

 叫んでもどうしようもない。胸の内が晴れるわけでもない。戦いはあと、もう少しで終わりだ。そう終わらせなくてはならない。始まったのであれば終わりがある。そしてそれは絶対に永遠にならない。なぜなら永遠とは幻想であり、幻想とは届かないからこそ幻想であり続けるのだ。それを夢見るのは人間の勝手だが、そこに到達する事はない。永遠に。だから終わらせなくてはならない。屍の上に築かれてきたこのくだらない馬鹿騒ぎを、最後の一戦を終えて、そして首領の終焉を持って決着をつけなくてはならない。

 

「スカリエッティ……!」

 

 怨敵の名を口にして転がす。そう、やつだ。奴だけが本当の敵だ。奴だけが怨敵と言えるだけの敵だ。許せない。許さない。殺す。絶対に殺す。法になんか裁かせない。他の誰にもあの命は渡さない。もう手は動かない。だが足も牙も残っている。まだ踏み殺せる。まだ噛み千切れる。あの男への殺意と執念だけが疲れ切って倒れそうな体を支える。溢れ出しそうな血を無理やり体の中へと押し込んで体を保っている。朦朧としている意識をしっかりと鎖のように繋ぎ止めている。

 

「殺してやる……それで、終わりだ……!」

 

 呟きながら歩きはじめる。目指す所は一つ、スカリエッティのみ。まだなのはがスカリエッティを殺していない事に期待しつつ、崩れた瓦礫を足と上半身の力だけで登って行く。跳躍するだけの力が残されていないのでほとんど上へと登るときは這うような恰好になるが、そんな事を気にせず荒い息を吐きながら上へと向かい、崩壊した上の階へと戻ってくる。既に体力をほとんど使い果たしているせいか、本来ならジャンプで上がれる距離さえも息を整えなくては先へと進め無いぐらいに疲労だった―――予想外に両腕を失ったのは大きい。腕が使えない事がこれほどまでに苦痛だとは思いもしなかった。

 

「格闘家廃業だなぁ」

 

 自虐的な事を呟き、やっとの思いで立ち上がる。こうなってしまっては聖王教会との約束もどうなるのかは解らない。両腕の使えない男に価値はあるのか。いや、そもそもこれだけしでかした―――いや、違う。女一人殺して悦に浸っていた男に価値など存在するものか、存在してなるものか。そんな外道、狂人、邪悪の類―――消えちゃえばいいのだ。

 

「はぁ、はぁ」

 

 荒い息を吐きながら体をゆらゆらと揺らし、そしてようやく目的地の近くへと到着する。声と気配が増えている様に感じる。まさかスカリエッティが捕まってないよな、と焦り、少しだけ歩みを速めて最初の位置へと、スカリエッティのいた位置の後方から現れる。

 

「おや、その様子だと勝者は君か」

 

 そして見た光景は異様なものだった。

 

 そこには二人のスカリエッティがいた。一人は劣化したように白い髪と罅割れた姿を晒し、もう片方は若々しさに溢れているスカリエッティだ。区別するなら老スカリエッティと若スカリエッティだろうか、若スカリエッティの背後にはボディスーツに身を包んだ赤毛と紫髪の女の二人がいる。それが若スカリエッティの護衛だと気づくにはそう時間は必要なかった。敵がそこにいると認識した時点で牙をむく―――なのはが倒れている姿を見ればこいつら全員が敵だと認識できる。

 

「あぁ、高町なのはだっけ? 安心したまえ、麻酔銃で眠らせているだけだ―――ここで殺すにしては少々惜しいからね」

 

 そう言われ、なのはを確認すればその胸が僅かながらだが上下しているのが確認できる。どうやら本当に眠っているらしい。その姿に安堵を覚えるが、それでも牙を向ける事は止めない。

 

「で、スカリエッティが二人いるって事は片方俺に殺されてもいいって事だよなぁ」

 

「うん? あぁ、それが君のモチベーションの一端でもあったのか。なるほど」

 

 そう言って老スカリエッティは若スカリエッティの横へと行くと、老スカリエッティは若スカリエッティの肩をたたいて、あとはよろしく頼むよ、そう言って若スカリエッティの前に立つ。それから此方へと振り返り、両手を広げる。

 

「だが残念。君はしくじった」

 

 そう言って腕を広げた老スカリエッティは此方を見ている。その姿に激しく嫌な予感を感じる。次の瞬間、若スカリエッティが銃を取り出した事で何をするのかを理解できた。体はそれを止める為に動き出す。だがリインフォース、そしてイングと続いて酷使し続けた体はここでついに限界を迎えて膝から先に崩れ落ちる。やめろ、と言葉を吐き出そうとするが血が喉から込み上げてきてその言葉を吐き出すのを邪魔する。

 

「―――私の勝ちだ」

 

 血を吐き出して喉をクリアにする。

 

「やめろぉぉぉおおおおおおおお―――!!」

 

 若スカリエッティが老スカリエッティの頭を撃ち抜いた。

 

 どさり、と音を立てて脳に穴をあけた老スカリエッティの体が床に倒れる。その光景をまるでスローモーションの様に眺めるしかなかった。ゆっくりと、ゆっくりと倒れる姿を見て、自分の宿敵が、怨敵が、復讐の全ての矛先が目の前で何もできずに散るのを見る。何をふざけているんだと心が叫ぶ。ソイツは俺のだ、と。俺が殺すべきだったんだ、と。お前にその権利はないのに。そいつを殺すのは俺の特権なのに。俺が復讐しなきゃいけなかったのに。

 

 殺意が全身を満たす。

 

 力が四肢に漲る。

 

「スカリエッティいいいいいいいいい―――!!」

 

 若スカリエッティへと向けて吠えながら牙をむいて床から跳ね、男の首に噛みつくべく行動を開始する。だがそれよりも赤毛の女が割り込む。凄まじい速度で割り込んできた女は一瞬で此方へと接近すると、脇腹に蹴りを叩き込んで此方の体を通路の奥へと蹴り飛ばしてきた。それに抗うだけの力はなく、何度か床を跳ね、転がりながらようやく体の動きを停止させる。血を吐きながらむせていると、近寄ってくる姿がある。目の前で白衣を着た男―――スカリエッティがしゃがみ、此方に視線を合わせてくる。背中に感じる感触と重みは両腕を塞ぎに来ている。

 

 完全に捕えられたと認識するが、それでも体に殺意は残っている。目の前の男を殺さなきゃどうしようもない事実だった。だから殺させろ、そう心の底から叫ぶ。そしてスカリエッティはそれに応える。

 

「―――いいよ。私を殺したいんだろう? 構わないさ」

 

「ドクター」

 

 紫髪の女がスカリエッティのその発言に不安を覚えるが、スカリエッティはまあまあ、と彼女を宥める。そしてスカリエッティは楽しそうに口を開く。

 

「技術や情報の引き継ぎは全て終わらせているからね、私は。パーフェクトスカリエッティって呼んでもいいのだよ?」

 

「くたばれクソ虫」

 

 そう言ってやるとスカリエッティは笑みを浮かべる。嫌な笑みを。そして自分に向けてこう告げてくる。

 

「これから君に新たな情報を二つ告げる。それはあそこで死んでいるスカリエッティが完成させたプロジェクトFに関する情報の根幹にかかわる事だ。その二つの情報に関して君に順番に教えよう―――私を殺すかどうかはその後に判断したまえ。いいかね?」

 

 何がどうであれ、絶対殺す、そういう殺人の意志を込めてスカリエッティを睨む。だが次の瞬間、スカリエッティが吐いた言葉にその意思はいとも簡単に崩れそうになる。

 

「―――このプロジェクトFによるクローンは寿命が精々10年程度だ」

 

「―――……あ……は……ぁ?」

 

 全身から力が抜けてゆく。待て、待てよ。十年。たったの十年。十年しか生きられないだと。人生の絶頂期を迎えてそれで終わり。短い。それは人生にしてはあまりにも短すぎる。そんな事を彼女たちに伝えられるはずがない。それは、あまりにも……無慈悲というものだ。だが、それが現実というのであれば……!

 

「君はそれを現実として受け入れて、彼女たちに残された時間を全力で過ごそうとするだろう。あぁ、そう言うぐらいには君の事はよく知っているつもりだよ。だからね、あっちで死んでしまっているから最後のテストだ。代理試験官で悪いが個人的にも少々気になるところだからね―――いいかね?」

 

 スカリエッティは笑みを浮かべて言う。

 

「―――彼には無理だが私になら助けられる」

 

「……あ、ぁあぁ……」

 

「さあ、質問だイスト・バサラ。どうする。君が守りたいと、そう思って愛している娘達はあと九年程度しか生きられない。それだけだったら諦められただろうが、この世で彼女たちを救える技術を持っているのは私だけ―――私なら彼女たちを救える。君はどうする? 復讐を果たすかね? 彼女たちを救うために頭を下げるかね? もしくは考える事を放棄するかね? あぁ、高町なのはに関しては気にする必要はない。彼女は老人共のお気に入りだからね、私としても手を出さない方針だからね。さ、言い訳に使えるものはなくなったぞ―――答えろ怪物(モンスター)。君は善性を犠牲にするのか。それとも家族を救う手段を捨てて見殺しの道を選ぶのか。じっくりと考えて選びたまえ」

 

 スカリエッティの言葉がまるで呪いの様にしみこんでくる。どちらを選べか、だと。どちらを選ぶか。家族か、復讐か。そんなものを自分に選べと。狂っている。自分の死を最後の最後まで利用して此方を試しに来ているのなんて徹底的に狂っている。そうとしか表現できない。だが、こんな状況に追い詰められても普通に答えを導こうとしている俺も狂っている。

 

 俺も、こいつも狂っている。そこに違いなんてあるのだろうか。狂い方は違っていても結局は行きつく場所は同じなのではないか?

 

 結局、狂人に居場所なんて―――。

 

「は、あはは……ははははは―――ハハハハハハハハハハ!!」

 

 笑い声しか出てこない。

 

 プレシアのクローンが自爆した。

 

 ティーダが死んだ。

 

 家族のクローンを殺した。

 

 ティーダのクローンを殺した。

 

 リインフォースとの因縁にケリをつけた。

 

 イングを噛み殺した。

 

 そして、その結末が、果てがこれだ。

 

 ―――あぁ、何て素晴らしく、美しくもクソなんだこの世界は。

 

 それでも奇跡はいらない。ここで全ての問題を解決できるような奇跡は求めない。そんな安っぽいものに俺の人生を台無しにしてもらっても困るし、俺の努力を全て無にしても貰って困る。そう、俺達は飢えているし満たされもしないし、うまくいかない事だっていっぱいある。でもそれが現実に生きるって事なんだ。

 

 神様に奇跡を求めちゃいけない。奇跡なんてもので俺達の人生を馬鹿にされちゃいけない。だから―――だから俺達は人間でいられるんだ。

 

 奇跡に逃げず、現実を見て、結果を受け入れて……自分で選ぶ。それが現在を生きるって事なんだろう。

 

 だから、

 

「俺は―――」

 

 選ぶ。

 

 後悔は絶対にしないと誓って。




 これにて第1部完結です。今までお付き合いありがとうございました。

 閑話を幾つか挟んだらSts時期へと突入する事になります。

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