「陸士108部隊か」
「うん、ちょっと隊長の人と知り合いでね」
ティーダはそういうと一切臆することなく陸士108隊の隊舎の中へと入って行く。ミッドチルダの西部、エルセア地方に存在するこの隊舎はクラナガンからそこそこの距離がある―――が、陸全体でデータは共有しているものだ。空では完全に管轄外なので陸のデータは提供がない限り触れる事が出来ない為、こうやって出向いて提供を頼むか、もしくは相手が送ってくれるのを待つ必要がある。ともあれ、こういう仕事でコネがあるのは非常に重要な話で、助かる話でもある。
こうやって人脈を築いている姿を見ると、この男は本気で執務官になろうとしているのが理解できる。
基本的に空へ所属するのはエリートのコースなのだ。首都航空隊というのは、空の魔導師としてのキャリアを積む為であれば是非とも一度は所属しておきたい場所なのだ。なにせ首都の防衛、それは管理局の中央を守護するという意味があるからだ。経歴に箔をつけるのであればこれ以上ない仕事となる。そして更にそこで大きな手柄を立てれば―――人生勝ち組コースまっしぐら。
この事件が少々捜査官としての領域に踏み込んでいるように感じるも、ティーダが解決に乗り出すことにしたのはおそらくそう言う背景があるからに違いないと思う。危険な話だとは思う。だが危険なのは一人だった場合だ。この半年しかまだ一緒にいないが、俺はティーダ・ランスターという男を大分理解していると思う。だからこそ言える。この男は一人だったら絶対にこういう手段を取らなかった。俺という存在が横にいるから無理ではないという判断を下したのだ。
場所をわかっているように進むティーダの後に付いて隊舎の中へと入って行く。他の陸士隊の隊舎には何度か邪魔した事があり、108のは初めてだが、その構造は別所で見た他の陸士隊の隊舎と造りは変わりないように見える。どうやら規格は統一されているらしい。
「で、ここへ来たのは知り合いだからってだけじゃないんだろ?」
その言葉に対するティーダの返答は若干遠回しなもので、
「ここの近くに何があったか覚えている?」
ここの道中で見かけたものは―――空港だ。ともなると、
「密輸か」
「正解。ここは要請を受けて応援に行くことが多いけど、一番の仕事は密輸に対する事だから、それに関する報告とデータだったら他の所よりも遥かに優秀なんだよ」
なるほどなぁ、と呟いたところでティーダの足が隊舎内の一室の前で止まる。不思議なことにここに来る途中、様々な隊員を見かけることはあっても、こちらを止めるような行動を取るものはいなかった。そこらへんの認識緩いのかなぁ……と一瞬思ったが、
……まあ。
こんな所で犯罪を働こうとする者はいないだろうし、その意味もほとんどないだろう。普通に警戒するだけ無駄だということに気づき、どうでもいい思考として処理する。ともあれ、ティーダが軽く扉をコンコンと、響く音を鳴らして叩く。それに反応する声が扉の向こう側から聞こえる。
「入って良いぞ」
「失礼します」
聞こえてくるのはそれなりに歳を取った男の声だった。では、と遠慮なく扉を開けて入ってくる姿に中の男は軽く驚きの表情を見せてから、笑みを浮かべる。
「てめぇ、来るなら連絡入れるかアポを取っておけよ馬鹿野郎」
「いやぁ、やっぱり先に連絡入れてたら準備しちゃうじゃないですかゲンヤさん」
「それが普通なんだよ。別に変な方向に頭を回さなくていいんだよお前は」
呆れているようだが、歓迎しているようにも思える。そんな感じの吐息をゲンヤと呼ばれた男は吐いた。おそらく四十代後半、だが髪の毛は既に白く染まっており、掘りの深い顔はまるで苦労を重ねてきたように年齢以上の歳を感じさせる。その感じからして、実際苦労してきたんだろうな、と軽く察せられる容貌だった。ともあれ、ティーダがこちらへと向く。
「こちらはゲンヤ・ナカジマ三等陸佐。かなりエライ人だけど二人の娘を一人で育てているシングルファーザー。俺も数年前ティアナと二人っきりになったばかりの頃に会ったんだけど、娘の育て方を直接教わった恩人的な人物だよ」
「おいそこ、なんだよ恩人”的”な人物ってのは。というか俺も急にお前が接触してきた日には驚いたもんだよ。妹と二人だけになったので子供の育て方を教えてください、って確実に15歳のガキの発言じゃねぇよ」
だがそれを苦笑して言える辺り、いい思い出として記憶しているのは少々羨ましい話だ。自分はまだ半年の関係だ。ティーダの様に数年の歳月を重ねれば自分もこうやって奔走している時期のことを良い思い出として笑う事が出来るようになるのだろうか? まあ、それは別として、
「どうも、イスト・バサラ空曹です。この外道とコンビやってます」
「おう、ゲンヤ・ナカジマだ、よろしく」
ゲンヤと握手を交わし合う。意外と力強い握手の返しと、そして硬い手の感触。これは結構鍛錬重ねてるなぁ、と口に出さず呟き、一歩後ろへと下がる。ここへ来たのはティーダのコネによるものだとすれば、ティーダの仕事なのだ、話をつけるのは。だからこそ話の開始はティーダから始まり、
「ゲンヤさん」
「おう、なんだ」
「データ提供してください」
「―――駄目だな」
一瞬で断った。
◆
「いやいや、少しだけデータ提供してくれるだけでいいの。こっちの捜査で必要になるから」
「おう、”だから”断っているんだよ」
どういう事だこれは、と視線をティーダへと向ける。ティーダはその視線を受けて、素早くこちらへと視線を返してくる―――任せろ、と。自信に満ちた視線に押され、軽く頬を掻く。何というか……今の視線で大体見えてきた。何とも面倒な話だと思う。故に―――お手並み拝見と行こう。ティーダ・ランスターという男の手腕、見せてもらおう。
「いいか、アポなしでやってきたのは知り合いっつー温情で許すとしよう―――だけどな、俺らはミッドの平和を守る管理局なんだ。いいか?」
まるで子供に聞かせるようにゲンヤは言葉を強調してくる。
「俺達が法を守らずに誰が法を守る―――陸の管轄で起きた事は陸の管轄だ。だからお前が何かを提供して欲しかったらアポとって、申請して、そして話を通して来い。世の中信用だけで情報を得られると思ってんならずいぶんと甘い話だぜ、未来の執務官殿」
挑発する様なゲンヤの言葉に、ティーダは口の端を浮かべる。
「そうですね、もし私人としてこの場に来ているのであれば確かにそうでしたでしょう。ですけれど、こちらは”首都航空隊”という身分を持った人物としてここに参上しています―――つまりそちらは”陸”という組織である以上、”空”が挑んでいる案件に対しては要求を通させる権利が存在しています」
実質的には空が陸の上位に立っていると言える。別にそう明言されているわけではないが、暗黙の了解、共通見解―――そういう意識は存在し、より危険のある事に対して挑む空や海は陸に対して上位に立っていると認識され、そして”本局”は空に対する情報の提供は惜しまないようにと推奨している。つまり状況的に見ればこちらの方がいささか有利だが、
「詭弁だなぁ」
ゲンヤはその言葉を一言で斬り捨てる。
「厳密には上位下位は存在しないし、俺はアポを貰ってない。それにだ、そういう強引な手が通じるのは相手が俺と同じ階級だった場合だ。うん? 解るか? 俺は隊長、超偉い。三等陸佐、超凄い。普通ならそう簡単には会えないオッサンなんだよ。だから今回は諦めろ。最低でも隊長職の人間じゃなきゃノーアポでまともに交渉するなんて無理だぜ。だから―――」
ゲンヤが会話を終わらせる為に帰れと言おうとした瞬間、ティーダが口を挟む。
「―――交換条件です」
ゲンヤの言葉を途中で止め、
「俺と、そこのイストは非常に優秀な魔導師、二人とも総合AA評価の魔導師です。そして総合AAという存在が陸に対してどういう価値があるのか」
ゲンヤは口を閉じ、そして片手を持ち上げる。それは5、という数字を表している。
「5回」
「流石にぼったくりですね、1で十分です」
「アホかテメェ、そっちが頼み込んでる状況なんだよ今は。だから5だ」
「数分で終わるデータの移譲に二人分の十数時間分の労働を対価にするのが陸のやり方ですか。アットホームな職場が呆れてものも言えませんので1で」
―――ちょっと待てそこのオレンジ頭。貴様、俺を勘定に入れてないかこの交渉。というか巻き込みやがったな。
「あぁ、わかったわかった、確かに俺のが酷いかもな―――じゃあ4だ」
「ではその誠意にこちらも誠意を見せるとして2で」
その先は語る必要はない。1と5という数字が出た時点でこの決着は二人の間では見えていた事だ。
「では3回で」
「おう、3回”ウチの連中の訓練と警備の手伝い”をよろしく頼んだぞ」
ティーダがゲンヤのその言葉に驚きの表情を浮かべ、何かを言おうとして口を開こうとするが、それを途中で止めて口を閉じ、代わりに吐きだしたのは諦めの吐息だ。
「先に何の回数か指定してないのがバカなんだよ。お前交渉なのに相手が知り合いだから”言わずとも通じる筈だ”とか思いやがっただろ? そういう甘さが付け入れられる隙になるから気をつけろ。交渉ってやつは極めようとすればするほどマジで魔窟って事が解ってくるからな。自分の主張を通す事だけを考えておきな若造」
参りました、と言って両手をあげるティーダの姿に口笛を吹いて軽く手を叩く。
「俺、そこの外道と半年コンビ組んでるけどいいように負かされたのは初めて見たぞ。あ、待て、宴会で地獄から蘇った上司がビンをティーダに振り下ろす宣言した時に“待ってください”を“いいや限界だね”の一言で終わらせてたな」
「それは交渉でもなんでもないから安心しろ。大体」
と言って、ゲンヤはまず、と言う。
「第一に、俺の方が歳を取っている、それだけで交渉に関しては有利だ。わかるか? 俺の方がもっと経験してるんだよ。次に立場だ。確かに空と海の方が陸よりも重んじられる風習があるのは知っているが、それは現場レベルで通じる話じゃねぇんだよ。もっと大きなレベルで話すのなら確かに意味はあるさ。たとえば入局希望者の統計データとか、どちらが縄張りでどこを管轄するとか或いは予算とかな。だからそういう事を有利だと思ってんなら捨てておけ。特に俺の様に頑固なおっさんタイプだと一番意味がねぇ。最後に脇が甘い。最後はどうにかなるという認識が存在している。そのせいで明確に勝利したヴィジョンを今回は用意できなかったな? 身内を相手にした時も親の仇と交渉するつもりでやっとけ」
「勉強になります」
そう言ってティーダが頭を下げる。
……勉強になるなぁ。
目の前のゲンヤ・ナカジマみたいな、歳をとったベテランは本当に貴重な人材であり、そして見習いたい存在だ。何せ、我々のような若い世代にはない凶悪な武器、”経験”を所持している。少なからず死亡率が存在している魔導師という職業を十数年も生きているのだから、その経験は貴重なものだと理解できる。
そういうベテランから伝えられるべき技術を伝える戦技教導隊の隊員が19だったり21だったり、そこまで年齢が下がるぐらいに若い人間を駆り出す程、管理局は人材不足なのだ。個人的には海をある程度縮小して、新たな次元世界の発掘を止めて現在の世界の治安維持に全力を回さなきゃいずれ潰れるのではないかと思うのだが。
「で、何が欲しいんだ」
「ここしばらくの密輸に関するデータ全部お願いします。整理とか洗うのとかはこちらでやるので」
「そうか、お前もう死ぬのか……」
「あばよティーダ、ティアナの面倒は俺が見ておくよ」
「死にませんしイストはあとで少し話し合おうか?」
ゲンヤが苦笑する。
「中々愉快な相棒を持ったもんだな?」
「恐縮です」
「あぁ、恐縮してろ褒めてないから。お前とつりあいそうなくらいアクの強いやつだな、ぱっと見。まあ、数日待っておいてくれ、そう簡単に渡せる量でもねぇから一応軽いまとめだけはやっておく。その代わりお前と、そしてお前でちゃんとウチを手伝えよ? 戦技教導隊にコネがねぇから訓練頼みたくても全く頼めねぇんだよこれが。世の中世知辛くね? 俺申請しに行ったら”すみません、コネなしですよね? あきらめた方が早いですよ”なんて言われたんだぞ。普通あそこまで露骨に言うかよ」
まあまあ、とティーダが宥めるが、どうやらさっきの交渉の結果は確定らしい。つまりどっかで休日潰してここの連中の訓練を手伝ったり、職務を手伝ったりしに来なくてはならないらしい。いや、確実に2週間俺の休暇が潰される事になっている。
「ごめん、今更だがティーダ、お前を殺したくなってきた」
「え、殺したいほどに感謝している? ありがとう」
軽く襟首を掴んで持ち上げるが、笑顔で動じる様子を見せない。
―――ハハ、こやつめ……!
「まあまあ、落ち着けよ。ウチの隊員の生存率を上げるためだと思ってよ。あぁそうだ。ついでにウチのガキ共もつれてくるか。ティーダは銃と魔法だったよな? お前、握手した感じかなり手首の筋肉とか発達してた感じだけど、戦種どうだ」
ゲンヤの質問に対して右手のデバイスを見せる事で回答する。
「殴りプリ」
ネトゲかよと言ってゲンヤが一瞬顔を覆うが、その後再び顔を持ち上げる。
「格闘技は?」
「ストライクアーツとシューティングアーツを少々、あとはベルカ式の格闘術で投げとか組み技が得意ですね」
「おう、決定だな。3回もありゃあ十分手本にゃあなるだろ。とりあえずそっちの欲しいもんに関しては了承した。こっちから日程を送るから休日のスケジュール調整宜しく」
ある程度の成果は得られたが、やはり敗北の色の方が若干大きかったかもしれない。得難い経験ではあったが、この後車の中で軽くティーダを苛める事を決定しつつ頭を下げ、
「ありがとうございました」
頭を下げて退室する。
◆
……行ったか。
執務室の椅子に寄り掛かり、窓の外から車に乗って離れてゆく二人の青年の姿を見送る。ティーダに関しては前々から知っていたが、もう片方の青年……イストだったか、彼に関しては初めて会った。だが彼もティーダと同じく、まだ粗削りの宝石のように見える。原石ではない。共に輝く方向性と形は見出している―――ただその形へと辿り着いていない、そこへと至る道への途中の様に思える。
「いいねぇ」
自分も、若い頃はあんな風に頑張って輝いていただろうか。女房と、クイントと会う前の頃の自分を思い出し、軽く苦笑する。今更昔を思い出して浸ったとしても何かある訳でもない。それよりも今は二人の娘の生活を守ることと、そして隊長として預かる部下たちの命の方が重要だ。戦技教導隊にコネを持っていなかったので、総合AA評価の魔導師を隊の訓練に付き合わせることができるのは僥倖だ。何せ格上との戦いは大きな刺激になるし、良い経験にもなる。新しい刺激は大きな進歩を与える要因となる事を自分は知っている。だからこそ、
「いいねぇ……」
そういうつぶやきが口から漏れてしまう。
「―――入ってええですか?」
ドアを叩く音と、扉の向こう側から少女の声が聞こえる。自分の娘よりも何歳か歳を取っているが、それでも先ほどの青年たちよりもかなり若い少女の声だ。
「おう、入っていいぞ」
「そんじゃお邪魔しますわ」
軽い声で中に入ってくるのは茶髪、ショートカットの少女だった。管理局の制服を着用しているが、まだ若いせいで着ている、というよりは着られている様に思える。まだまだ学業に勤しむべき年代だというのに、管理局に入局とは人生を棒に振っているな、と軽く思ってしまう。が、思うだけだ。決して口に出す事はない。
「おう、どうした八神はやて准陸尉」
若いくせにこの階級、相当期待されているもんだと思う。経歴を見るからに納得の行く処置なのだが。
「いや、頼まれていた書類、片付け終わりましたよ、って」
「おぉ、悪ぃな」
「悪いと思ってもないことで謝らんでくださいな」
「はははは!」
「ほんまに謝るのやめたな……」
だって悪いと思ってないし。隊長が部下に、たとえ研修生であろうと仕事を押し付けるのはごく当たり前の事だ。だから、
「よし、はやて、お前ここ数ヶ月の密輸に関するデータまとめておけ。なるべく早く提出な」
「ちょ、ちょっと待った!」
「だが待たない。これは隊長命令だ」
「あかん」
精々若いうちに苦労しておくべきだ。その苦労はいつか、苦い経験として絶対に自分を助ける力となるはずだ―――これがどういう助けになるかは知らんけど。
「というかゲンヤさん、これさっきの人たちに頼まれたもんよな?」
「おう。そうだぜ」
何か引っかかるのか、はやてはその確認を取ると、腕を組んで少しだけ唸る。その要素を見て、口を挟む。
「なんだ、気に入らないのか?」
「いや、むしろコネは積極的に使うモノだと思うてます。使えるものはなんでも使わなきゃあかん時もありますから。でもそうやなくて……」
はやては窓の外を、青年たちが去って行った方角を見つめている。
「なんかなぁ……? なんかあの赤毛のアンちゃん、昔地球で見かけた気がするんよなぁ……こう、記憶がその周りだけもやもやしててよう思い出せへんけど」
ま、とはやては底に言葉を付け加える。
「赤毛なんてミッドには腐るほどおるし見間違いかも」
「ま、だろうな。地球なんて任務でもなきゃあ行かないしな。それよりもだ、ほら、徹夜したくなきゃとっととはじめろ新入り。まだまだ仕事はあるぞ」
「あかん、私管理局のブラックっぷりナメとったわ」
「おいおい、これはまだ序の口だぜ」
「なん……やて……?」
ノリいいよな、この娘は。だからこそこっちに研修に回されてきたのだろうが。ま、正直今回の件はこっちにとっては非常に美味しい話となった。
……またカモられに来るといいなぁ。
そんな事を思いつつ、日々の業務へと戻る。