口の中にガムを放り入れる。数秒噛んだところで、軽く顔をしかめる。予想した味とかなり違う。ガムのカバーを確認し、そこに書かれてある商品名を確認する。そしてそれを見て、なるほど、とこの妙な味に関して納得する。なんというか……筆舌しがたい味。うん、表現するとしたらたぶんそんな感じ。ちょっと表現が難しい。そして噛めば噛むほど段々その味は強くなってくる。そろそろ吐き出した方がいいんじゃないかなぁ、等と思ったりもするが、それはそれで勿体ない気がする。なら頑張ろう。耐えろ、俺の精神。そんな事を自分の心に訴えながら静かにガムを噛む。
今の俺の恰好は、管理局の制服の上から周りへと溶け込む様にグレー色のマントを被っている状態だ。現状外に見えるのは顔と手だけで、それ以外は完全に隠れている。もしこの状態で見つけられるのであれば完全に此方の事を察し、魔法で強化した視力で真直ぐ此方を見ている場合の時だけだ。そしてその可能性は激しく低い。
つまり、簡単に言えば今の自分は隠れている。目的があって。その環境をガムを噛みながら再確認する。ここは廃棄都市区間―――どちらかと言えばミッドチルダ北部に位置する”都市だった”エリアを指す。それが何故廃棄された、なんてことは歴史の教科書を開くのが億劫な自分にはどうでもいい話だ。だが問題なのはクラナガンで一旗揚げようとしている組織がここで取引を行おうとしている事だ。その場所は把握し、大まかな時間も捉えた。あとはその時間が前後しても問題の無いように複数人体制で交代しながら現場を見張っている、という事だ。
廃ビルの一つ、その一室の窓から取引の現場となる建物を見ている。そして、その周りも見ている。が、今の所人気はない。別の場所には別の班が待機している故、そちらの警戒はそちらへとまかせればいい。此方は此方の仕事として、出来る事をすればいいのだ。軽くデバイスであるベーオウルフではなく、腕時計で時間を確認する。
「交代してからもうそろそろ6時間か」
これ、絶対空隊にやらせるようなことじゃないと思う。だけど先任たちはウキウキした様子で”犯罪者を合法的にリンチできるぞぉ!”と頭を楽しそうに振りながら喜んでいた。なんだろう、よほど溜まっていたのだろうか。そこまでハードな仕事が回っていたのだろうか。いや、此方は此方で結構キツめだが、やっぱ正規局員だとそれ以上にハードだとか? とにかくここしばらくティーダと一緒に行動していたおかげで自分の所属している部隊は他の隊と比べて頭のネジが10本ぐらい抜けている事は把握した。ウォーモンガー集団だとしても仕方がないか、と軽く諦めをつける。
もうそろそろ6時間、それはつまり交代の時間だ。ガムを噛みながら窓の外を眺めていると、後ろから気配を感じる。
「交代の時間だよ」
「あー、肩凝るなぁ……」
後ろからティーダがやってきて、そして居場所を交換する。ティーダが同じ格好で窓の外を眺め、そして俺が後ろ、壁側まで下がる。ようやく監視から解放された事で、疲れた体を思いっきり伸ばし、体を労う。このまま奥の部屋へと引っ込んで仮眠を取るのもいいかもしれないが、時間的には予測された時間に近い。だとしたら寝ないでここで待機していた方がまだいいだろう。魔力を使ったという証を残さないためにデバイスも念話も使わず一体何をしているんだ俺は、と悩みそうになるが、とりあえずは壁に寄りかかって、ティーダの方へガムを投げる。
「ありがとう」
そう言ってガムを受け取ったティーダがガムを口に運び、噛み―――そして動きを止めた。ギギギ、と音を立てそうなリアクションを持って振り返りながら顔をしかめ、此方へと視線を向けている。
「ナニ、コレ」
ガムのパッケージを見せる。
「”初恋が振られて終わった後、気になるあの子が親友に告白している所を目撃してしまった味”」
「タスラム」
「待て、構えるな。俺は敵じゃない。悪いのはこの商品を販売していたコンビニだ……!」
笑顔でライフル型のデバイスを向けてくるティーダに対して両手を上げる事で降参の意を示す。というか笑顔のまま銃を向けているので激しく怖い。……が、それも長くは続かない。呆れたような溜息をティーダが吐き、
「なんというか……凄く言葉にしづらい味だよね。……こう、気になっていたあの子の転校する日に告白しようとしたら実は既に彼氏持ちだった感じの味……」
「お前、それどう考えても実体験にしか聞こえないぞ」
「実際実体験だしなぁ……」
ガムのせいでどうしようもない空気に囚われる。先に溜息を吐いたのはどちらかは解らないが、ティーダは再びデバイスを握ったまま窓の外を眺め、そして俺も壁に寄りかかったまま無言で時を過ごす。流石に18時間も待機していれば話す話題も尽きてくるが、
「なんだかんだでこのままチーム組みそうだよな、俺ら」
「そうだなぁ、実際年齢は同じぐらいだし、前衛後衛で分かれているし能力と相性を見るに結構いい感じだと思うよ」
窓の外へと視線を向けたままティーダはそう言い、そして自分もその発言には同意する。たぶんこうやって俺がティーダと一緒にこの初仕事へと乗り出しているのもそういう意図があってのものだと思う。銃を使った狙撃、射撃、そして援護を得意とするティーダと、前衛で自己ブーストと継続回復力を持ったタンク型の俺とでは非常に相性がいい。俺が前に出て耐えながら殴って、隙が出来たらティーダがガンガン狙撃すればいいのだ。人間性的にも冷静で視野の広いティーダと、直情的で直感的な俺は正反対なタイプであり、組んでおけば意見が食い違う事もあるだろうが、互いの見えない部分をカバーしあう事も出来る―――少なくともむやみやたらに反発しあう程俺達は子供じゃない。魔導師として仕事をするという事はそういう子供らしさを失ってゆくという事だ。
個人的には、管理局に憧れる様な子供も、働くような子供もいなくなればいいと思う。
笑顔がなくなればその分、世界はもっと寂しい所になるだろうから。
「まあ、階級がめっちゃ釣り合ってないんだがな」
「大丈夫大丈夫、本当に能力さえ証明すればすぐに昇進するから。というかここにいる間は階級が低いと逆に困るから此方で理由を見つけて上げておきたいのが現状だから、少し活躍すればいいよ」
空隊はエリート部隊で、万年人員不足だ。他の部署から色々人員を引き抜いては運用しているのが現状だが―――確かにその中に階級の低い者がいたら攻撃される材料にはなるかもしれない。
政治的な話は非常に面倒だ。正直そういうのは全部ティーダに投げっぱなしにしておく。シュテルは結構こういうドロドロな話を好むが、何故好むのかは良く解らない。まあ、完全に主題から逸れた考えだ。考えを元に戻しておく。階級を貰えるのであれば貰っておこう、損する事はない。というか9年間頑張ってきて未だに一等空士という立場が少々特殊なのかもしれない。
……今までが無欲だったしなぁ……。
嘱託魔導師で、なあなあにやれればそれで十分だった。兎に角干渉されないし、好き勝手出来るし。階級を得るという事は責任を得るという事でもあるが、それを避けられる現状でもない。あの四人を育てる為であれば責任と、そして何よりも金が必要なのだ。あぁ、結局世の中は金だ金。金で世の中は回り続けている。
と、くだらない事に思考が流れ始めたところで、ティーダが外を見たまま片手を持ち上げ、此方へと近寄ってくるように指図してくる。それだけで事態を察する。体を低くし、素早く移動する。ライフル型のデバイスを構え、窓の外を見るティーダの視線を追う。―――その先には黒い車が廃ビルの間を縫い、予め調べておいた取引場所へと移動している姿が見えた。素早くポケットから携帯端末を取り出し、登録されている番号にコールし、発見の合図を送る。もう既に算段は付いている―――現場には囮となる仲間がいて、突入役の仲間も待機している。自分とティーダの仕事はここから逃げようとする者の足止めだ。逃げ道を調べ、潰し、限定するのも仕事の範囲に入る。逃げるなら確実に俺とティーダが潜伏しているこのビルの前と、大方の予想はついている。
此方が存在をバラすまで、気づかれないためにも魔力を使う事は出来ない。
この肌で感じる緊張感……マテリアルクローンズを拾った日から久しく感じてなかった真剣な現場の緊張感だ。ティーダは緊張した様子を見せないが、確実に集中しているのは見える。互いに存在を隠す為に魔力は使わず、ティーダはデバイスについているスコープを、そして此方は双眼鏡を使って遠くの様子を確認する。
「もうそろそろ……かな?」
ティーダの視線の先を追えば、黒服、サングラス姿の人影が次々とビルの中へと入って行くのを確認できる。車は外へ停車しており、何時でも動かせるようになっているようだ。
「不用心だなぁ」
「そうだね」
そう言いながらティーダは音を立てずに銃撃した。銃口から放たれた魔力弾は真直ぐ飛び、そして車のタイヤを貫通し、パンクさせた。
「おいこらお前何やってんの……?」
反射的にティーダの襟首を掴み持ち上げる。が、ティーダは笑みを浮かべる。
「アドリブ、現場でのみ通用するアドリブだよ」
「お前絶対その場のノリで撃ち抜きやがったなぁ……!」
ティーダを軽く揺らすが、ティーダは笑顔であははは、と笑いながら大丈夫だよ、と言って相手が入って行ったビルの空を指さす。その上空には―――魔力スフィアが数十と浮かべられていた。それは数秒間見える位置で浮かんでいると、次の瞬間には大地へと向かって流星の如く降り注いだ。
「アレが合図だから大丈夫大丈夫」
「なんとなく上司がマジキチなら部下もマジキチになるって法則の真理をここに見た気がする」
「大丈夫、非殺傷だから死なない―――でも空飛び続けるだけなのはめんどくさいから”デカイのぶちかましたいなぁ”とか呟いてたっけ……」
何故入局できたソイツ。ともあれ、視界の先でビルが崩れながらも、その中から出てくる黒服たちの姿が見え―――今、崩れるビルの中から伸びてきた手が一人掴んで、ビルの中へと引っ張りこんだ。アレは確実にトラウマになる。そのまま車へと駆け寄り、パンクしている事を発見し、そしてスーツケースを握ったまま走り出す……此方へと向かって。
「ほら、折角初の活躍場所を用意したんだから一つ派手に暴れて手柄を立ててきてよ」
「手柄の為なら仕方がないなぁ」
苦笑しながらつぶやくと、ティーダからウィンクが帰ってくる。此方へと追い込んでくるのは軽く俺の実力を測る意図もあるのだろう―――ほんとにこういう状況で役立つかどうか。だからそれを証明するためにも、マントを脱ぎ、そしてベーオウルフを起動させる。
「仕事の時間だベーオウルフ」
『Barrier jacket』
服装は変わらずそのまま、透明のバリアジャケットが展開され、完全に趣味の産物であるマフラーが唯一展開された証明として首に巻かれる。両腕には肘までを覆うガントレットが出現し、それが出現した事を認識しながら、
窓から飛び出し、落ちる。
飛行魔法等一切使わず、やる事は一つ。
『Boost』
身体強化、これにのみ尽きる。高速で落下する体は強化され、強度を得、そして力を得る。逃走ルートが此方である為、必然的に着地するのは逃げる彼らの前。減速を一切行わない着地は衝撃を生み、大地を揺るがし、そして大地を陥没させる。元は都市だったが、それも今は昔の話。老朽化が進み、道路だった場所はあっさりと足元でぼろぼろになって演出してくれる。痛みはない。負荷もない。ただ職務を遂行するという目的がある。
目の前の犯罪者たちを見る。
「―――今、諸君の前には幾つか選択肢がある」
一つ。
「振り返ろう。空で笑って手を振っている魔導師が見えるか? ―――キチガイだ。笑顔で魔力球の雨を降らせるキチガイだ。だが魔力ダメージだからたぶん被害が一番少ない。でも、たぶん、おそらく、爆発に紛れてそこらへんの岩の塊とか飛んでくる。結構痛い」
二つ。
「あそこに笑顔で銃握ってる魔導師がいるだろ? ―――アイツ、笑顔で頭を打ち抜いてくるぞ」
そして、三つ目。
軽く近くのビルの壁を殴り、壁を粉々に吹き飛ばす。
「降伏を断った場合の貴様らの三秒後の未来だ」
『うん、イスト。君に僕たちをとやかく言う資格がないって事が満場一致で決定したよ。とりあえず脅迫ご苦労様、満足したらバインドで縛って、本局へと転送するから』
解せぬ。解せぬが―――恐怖の表情を浮かべて此方を見て、戦意を失っている次元犯罪者がいるのでそれで良しとする。動かない間にバインドを行使する。バインドで縛った本日の戦果を蹴って転がし、とりあえず空を眺める。近づきつつある同僚たちを眺め、とりあえずは、
……何とかやっていけそうだなぁ。
周りは濃いやつらばかりだが、まあ、なんとかなりそうだと判断しておく。