if……ありえなかった物語   作:ネザース

2 / 2
意外にも平塚静は気前がいい

「ごめんなさい」

 

 海老名の一言は、静かに響き渡った。

 

「私、今は誰とも付き合う気がないの。誰に告白されても、付き合う気はないよ」

 

 穏やかで、だが手厳しい、完全な拒絶の言葉。

 それを真っ向から叩きつけられた戸部は、ただ呆然と立ち尽くすことしかできない。

 

 分かりきっていた結末だ――

 八幡は我知らず、唇を噛み締める。

 

 こうならないように、依頼された

 こうならないように、動くつもりだった。

 だがその全てを、八幡は土壇場で放り出した。

 

「じゃあ、そういうことだから」

 

 海老名のその言葉は、硬直する戸部よりもむしろ、それを見ていた八幡や葉山に向けられていた。

 それくらいは、八幡にも分かった。

 そのまま踵を返し、海老名は小走りで立ち去る。

 

「ひ……姫菜!」

 

 八幡の隣で固まっていた結衣が、不意に飛び出した。

 止せ――と止めようとする八幡だが、その隣で雪乃が小さく首を振る。

 

「行かせてあげなさい」

 

 小さな囁き声に、八幡の動きが止まる。

 その間に結衣は、海老名を追って小道の向こうに姿を消した。

 

「今回の依頼は終わったわ。私たちの失敗よ。だったらその結果には、それぞれが向き合うべきだと思うの」

 

「……ああ、そうかもな」

 

 と、そのタイミングを見計らったかのように、葉山が動いた。

 まだ微動だにしない戸部に向かって、大股で近づく。

 

 顔を見合わせた大岡と大和が、おっかなびっくりその後に続く。

 少し迷った八幡は、動かずにただその場で成り行きを見ていた。。

 

「戸部」

 

 葉山のかけたその声に、ようやく戸部が動いた。

 軋むような、不自然な動きで、ゆっくりと振り向く。

 

「隼人くん……」

 

 戸部の表情にも声にも、全く生気がなかった。

 目元や口元が、ピクピクと小刻みに引きつっている。

 

「ふ、振られちまったよ、俺。はは、参っちまったなあ……み、みっともないとこ、見られて――」

 

 そう切れ切れに言った弾みに、戸部の目尻からポロリと涙の玉がこぼれる。

 笑い飛ばそうとして、失敗して、戸部の顔がクシャリと歪んだ。

 

「隼人くん、俺、つれえよ」

 

「だろうな」

 

「海老名さんに振られるの、こんなにつれえって、思ってなかったよ」

 

「そうだろうな」

 

 ベソベソと、情けなく泣きじゃくる戸部を、葉山は抱き締めた。

 その背を軽く叩きながら、耳元に小声で何かを囁いている。

 

(あー、これって海老名さんが見たら大歓喜だろうなー)

 

 そんな愚にもつかないことを、八幡はボンヤリと考えていた。

 ただそれだけしか、できなかった。

 

「あの時、海老名さんが言いたかったことが、ようやく分かったわ」

 

 八幡のすぐ隣で、雪乃が嘆息した。

 

「比企谷くん、あなたは分かっていたのね」

 

「気づいたのは、今日になってからだけどな」

 

 それも三浦からのヒントや、海老名とのある種のシンパシーが重なった結果、たどり着いただけのこと。

 雪乃や結衣が気づけなくても、当然のことだ。

 

 と、雪乃の目が不意に鋭く細まる。

 

「ところで比企谷くん、あなたさっき何か良からぬ手口で場を治めようとか、考えていなかったかしら?」

 

「そ、それは――」

 

 怜悧な視線で内心の思惑を言い当てられ、八幡は激しく焦る。

 だが雪乃は、すぐに目を伏せると、物憂げな声で言った。

 

「……また私たちは、あなたに何もかもを押しつけるところだったのね。ごめんなさい」

 

  ○  ●  ○  ●  ○

 

 駆け足で海老名を追った結衣は、小道の入り口近くで、ようやく彼女に追いついた。

 

「待って、姫菜!」

 

 結衣の声に、海老名は足を止めた。

 その十歩ほど手前で結衣も立ち止まり、肩を上下させる。

 

「あ、あのね、姫菜……その――」

 

「……こうなること、分かってたんだよね」

 

 要領を得ない結衣の声を無視し、海老名は言った。

 振り返らず、今の顔も表情も見せないまま。

 

「別に私、とべっちのことが嫌いなわけじゃないよ。でもさあ、今の私が誰かと付き合ったって、うまくいくわけないでしょ? 何でそんな簡単なこと、みんな分かってくれないのかなあ」

 

「そ、そんなことないよ! だって姫菜――」

 

「そんなこと、あるよ」

 

 懸命に言い募ろうとする結衣を、海老名は一言で断ち切る。

 結衣が初めて聞く、どこか小暗い声だった。

 

「私、腐ってるから」

 

 今の一言は、単に彼女の性癖や趣味嗜好を示す言葉ではない。

 それくらいは、結衣にも分かった。

 

「私ね、今の自分とか、自分の周りとかも好きなんだよ」

 

 言葉を失った結衣に背を向けたまま、海老名は語る。

 

「こういうの久しぶりだからなくすのは惜しいなって。今いる場所が、一緒にいてくれる人が好き。だから……私は自分が嫌い」

 

 海老名の声は、平静そのものだった。

 決して激してもいなければ、荒らげてもいない。

 だからこそ続く一言は、鋭く結衣を抉る。

 

「今の結衣のことも、ちょっとだけ嫌いかな」

 

「……あ」

 

 立ち尽くす結衣を残し、海老名は歩き出す。

 その後を追おうとする結衣だが、まるで足が釘付けになったように動かない。

 

 と、小道の入り口で海老名を待っていた人影に、ようやく結衣は気づいた。

 派手な金髪の巻き毛に、整った顔立ちの仏頂面――三浦優美子だ。

 

 三浦は何も言わずに海老名の肩を叩くと、結衣に一度だけ軽くうなずいた。

『後はあーしに任せる』――そんな三浦の声なき声が、結衣に届く。

 

 最後まで、海老名は結衣を振り向かなかった。

 

  ○  ●  ○  ●  ○

 

 大岡と大和に介添えされ、戸部はゆっくりと小道を戻っていく。

 さすがに泣きやみはしたものの、一言も発しようとはしない。

 

 後には八幡と葉山、そして雪乃の3人だけが残された。

 

「君のこと、少し買いかぶりすぎていたのかもな」

 

 そう八幡に告げる葉山の声は、いつもの穏やかなそれだった。

 決して八幡を責めようとはしていないし、非難の色もない。

 だからこそ、なおさら堪える。

 

「君が気に病むことはない。元々、俺たちの内輪の問題だ。その解決を君に押しつけようとしたことが、そもそも間違っていた。君が無関係な厄介ごとから手を引きたがるのも、当然だ」

 

 そうじゃない――八幡は内心でそう答えた。

 決して、自分は依頼から逃げようとしたわけじゃない。

 戸部の真剣な想いを、無下にできなかったのだ。

 

 だが告白に失敗し、無惨に玉砕した戸部の姿を思い出すと、自分の正しさに自信が持てなくなってしまう。

 当初の予定通り、偽の告白で場を丸く収めるべきだったのではないかと、考えてしまう。

 

 何より、葉山に対してだけは、言い訳じみたことを口にしたくはない。

 

「後は、俺たちで何とかしてみる。だから、君は――」

 

「やめなさい、葉山くん」

 

 そこで、初めて雪乃が口を挟んだ。

 スクッと八幡の隣に立ち、肩を並べ、射るような視線を葉山に向けている。

 

「……雪ノ下」

 

 そういう時と場合ではないことくらい、重々分かっているのだが――

 それでも八幡はこの瞬間、雪乃の姿に見惚れてしまった。

 

「ようやく、私にも事情が飲みこめたわ。葉山くん、あなた海老名さんからも相談を受けていたのね。戸部くんからの告白を、止めて欲しいと」

 

「ああ、そうだ」

 

 葉山はうなずく。

 だから、葉山は悩み、動けなかった。

 戸部と海老名、そのどちらかを選ぶことができず、結果として中途半端な対症療法しか打てなかった。

 

 そのことを、比企谷八幡は責めようとは思わない。

 変わりたくないという葉山の気持ちが、理解できたから。

『みんなの葉山隼人』という有り様を、分かってしまったから。

 

 だが、雪ノ下雪乃は違った。

 

「あなたは、いつもそう。いつも()()()()()()だけしか考えられない。誰か1人を選んだり、誰かのために動いたり、そういうことはできないのね。本当に、何も変わってない」

 

「そうじゃない、そうじゃないんだ雪乃ちゃん!! 俺は――」

 

 取り乱し、声を張り上げる葉山。

 初めて見るそんな葉山の姿に、八幡は目をみはる。

 

「……あなたのやり方、嫌いだわ」

 

 痛烈な一言を、雪乃は口にした。

 

  ○  ●  ○  ●  ○

 

 とある深夜のラーメン屋――

 

「なるほど、そんなことがあったのか」

 

 狭苦しいカウンター席で、妙齢の美人教師(笑)平塚静は歓声を上げた。

 隣に並ぶ彼女の生徒たちを、ザッと眺める。

 

「さあさあ、私の奢りだ。遠慮なく食え3人とも」

 

「…………」

 

「――――」

 

「……はあ」

 

 奉仕部の3人は、全くもって気が乗らない様子で、目の前の丼を見やる。

 あの後、八幡と雪乃は結衣と合流して宿に戻る途中、平塚に捕まったのだ。

 そのままタクシーに乗せられ、問答無用で連行されたのが、このラーメン屋である。

 

「ここは知る人ぞ知る塩ラーメンの名店でだな。牛骨と魚介のダブルスープが、アッサリとしていながら同時に重層的な味わいを――」

 

 平塚の講釈を聞き流しながら、八幡は右手で胃を押さえる。

 何せ一連の出来事を、洗いざらい吐かされた直後なのだ。

 食欲など、欠片もわいてこない。

 

「では、いただきます」

 

 低く剣呑な声でそうつぶやいたのは、雪乃だった。

 丼を抱えこむなり、猛然と麺をすすり始める。

 とても一昨夜の『天下一品』総本店で、見るだけで白旗を上げたとは思えない。

 

「勇ましいな、雪ノ下。お前にもそういった、ある種の蛮勇が必要だと分かってくれたか」

 

 訳知り顔でうなずく平塚を、雪乃は横目でにらんだ。

 と、うつむいたままの結衣が、ポツリとつぶやく。

 

「あたし、すっかり舞い上がってた」

 

「とべっちのコイバナに夢中になって、姫菜のことが見えてなかった。人の気持ち、全然考えてなかった。最低だ、あたし……」

 

「由比ヶ浜――」

 

「ほうほう、この期に及んで『失敗して落ちこんでるアテクシ超不幸でカワイイ』アピールか。そういうあざとさ、先生嫌いじゃないぞー」

 

「アウ!」

 

 今度こそトドメを刺された結衣は、そのままカウンターに突っ伏した。

 さすがに八幡も非難の目で平塚をにらむが、国語教師は意に介さない。

 

「お前は間違っていないよ、由比ヶ浜」

 

「「え?」」

 

 平塚の意外な言葉に、八幡と結衣は顔を見合わせる。

 雪乃は耳をそばだたせながら、ラーメンの替え玉を注文していた。

 

「そりゃ恋愛の相談を受けたんだぞ? 恋愛脳で物事を考えないでどうするって話だ。比企谷や葉山みたく、余計なことをグダグダ考える方がおかしい。気持ちは分からんでもないが」

 

 放言する平塚を、今度は雪乃が横目でにらむ。

 

「教師としてその発言はどうかと思いますが? 現に戸部くんや海老名さんは――」

 

「個人的には、恋愛で痛い目を見るのも青春だと思うがね。まあ、そこは人それぞれだろうがな」

 

 そうつぶやいた平塚が、ふとけぶるような笑みで天井を見上げた。

 

「――結局、やりたいこと、できること、やらなきゃいけないことに、どう順番つけて、どう擦り合わせていくか、そこに尽きるな」

 

「やりたいこと、できること、やらなきゃいけないこと……ですか」

 

 オウム返しにそうつぶやいた雪乃が、ハッと我に返って八幡と結衣を見やる。

 

「2人とも、早く食べてしまいなさい。麺が伸びるわよ」

 

「おう」

 

「いただきます」

 

 うなずいた八幡と結衣は、ボソボソと麺をすすり始めた。

 冷めかけてもなお、スープの味は絶品である。

 

 八幡たち奉仕部にとって修学旅行最後の夜は、こうして静かに終わろうとしていた。

 




 先に白状しておきますが、「やりたいこと~~」云々は『ミュートスノート戦記』というライトノベルからの剽窃です。
 とはいえ、我が家の腐海の奥底から原作を発掘するのに失敗しましたので、うろ覚えで書きましたが。

 いい加減、本もボロボロだし、ザンヤルマ等と一緒に電書化して欲しいのう。
 無理かなあ?

 ちなみに俺ガイルの二次小説を書こうと思った際、奉仕部部室の隣に探偵さんこと山田太一郎くんが事務所を構えるってクロスオーバーも構想しました。
 ……どう考えても出オチの一発ネタにしかならないので、即時却下しましたが。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。