蘭雪に手を引かれて、翔はロックラックのメインストリートへと出た。
ナデシコに見られたのが、そこまで恥ずかしかったのだろうか。
『にゃにを言ってるのにゃ。見られるほどのものもにゃいのに』
足下でナデシコの言っていた台詞と一緒に、インナーを試着した蘭雪の姿も思い起こされる。
そしてついでに、以前蘭雪が酔った時に見てしまった、あられもない姿も。
――やべ、鼻血出そう……。
しかも見ちゃっただけでなく、あまつさえ触っちゃったりもしちゃってるわけで。
――柔らかかったなぁ……。
が、すぐにいかんいかんと、いやらしい考えを頭の中から追い払った。
それでも、ぼぅっと火照った頬は、うっすらと赤く染まる。気温のお陰もあって熱いの何の。
「それで蘭雪さん、次はどちらに行かれるのでしょうか?」
「どこって、今どっかいい所ないか探してるんでしょ!」
すごく強烈な声で怒られてしまいました。
今の蘭雪さんなら、陸の女王リオレイアさんどころか、空の王者リオレウスさんでも逃げ出しそうですね、なんと思った翔であったが、とてもじゃないがそんな事を言える勇気はない。
と言うよりも、ナデシコに見つかったのが、そこまで慌てるようなことなのだろうか。
しかもなぜか、ヤマトはどこぞへ置き去りにされてきたようであるし、心配だ。
今頃、慣れないロックラックの地でどうしているだろう。
「あ、そうだ」
「どうかしたの?」
「いや、村長や鍛冶屋のじっちゃんや、番台さん、ラルク姉さん達に、お土産でもと思ってさ。集会所のコノハとササユにも」
「そういえば、試験に一発で受かって、それから見ようって言ってたから、まだ決めてなかったわね」
まあ、結果は見るも無惨な惨敗であったのだが。
「良いもんあったら、なくなんねぇ内に早いとこ買っとかないとな」
「それもそうね。ここって砂漠だから、品物の入荷も不定期だし、その方がいいわ。それならこっち、メインストリートはぼったくり価格のしか置いてないから」
そう言うと、蘭雪はメインストリートから再び裏路地へと足を向けた。
急に引っ張られた翔は、そのまま倒れそうになってしまう。
「っととと!? 蘭雪!」
「ん?」
「手ぇ、いつまで繋いでるんだ?」
「っ!?」
翔の手首をぎっちり握っていた蘭雪は、慌ててその手を離した。
ようやく拘束の解けた翔は、手首をぶらぶらと振って筋肉をほぐす。
長時間握られていたせいか、手首は蘭雪の手の形に赤くなっていた。
「そんじゃ、行こうぜ」
「う、うん」
促されて、蘭雪は足早に裏路地へと入っていく。
そして翔からは決して見えない角度で、さっきまでずっと翔の手を握っていた自分の手を凝視していた。
――わわわわ私、あれから、ずず、ずっと…………。
ナデシコから逃げるためにインナーコーナーを出た時から、ずっと翔の手を握っていた、というわけだ。
周囲から、いったいどんな目で見られていたのであろう。もしかしたら、知り合いにも見られたかもしれない。
そう思うと、胸の奥がきゅんと締め付けられるように痛んで、顔がかぁっと赤くなった。
「大丈夫、私。きっと大丈夫だから……」
蘭雪は知り合いには誰も見られてないはず、と心を落ち着かせ、目的地を目指した。
翔が蘭雪に連れてこられた場所は、いかにも地元の商店街といった感じの場所であった。
野菜や肉類を売っている店以外にも、衣服や装飾品を売っている店もある。
「蘭雪ちゃんじゃないかい、久しぶりだね。元気だったかい?」
「黄さんとこの娘っ子か? でかくなったなぁ」
「うちのバカ息子を婿にもらってくんねぇか?」
「めんこくなったなぁ。昔はこんなチビっこかったのに」
蘭雪、大人気である。これが地元パワーというやつか。
人の良い商店街のおっちゃんおばちゃん達は、翔のお土産屋を買いたいという要望に応えて、色々なお店に案内してくれた。
食べ物系は保存食しか選べないのでとりあえずは除外するとして、二人は装飾品や置物、工芸品の置かれている店を見て回った。
中にはどこから流れてきたのか、ユクモ織なんかまであったりして二人はつい吹き出してしまった。
それからもうしばらくあちこちの店を回り、お世話になった人達やアイルー達のお土産屋もだいたい確保できた。
「日も落ちてきたし、そろそろ帰ろっか」
蘭雪に促されて、翔も外に目をやる。
いつの間にか、道を照らす陽光はオレンジ色に変わっていた。けっこう長い間、お土産選びに集中していたようだ。
「そうだな。お土産屋も、けっこう買えたし」
その間も、蘭雪は商店街の人からひっきりなしに声をかけられていた。
地元ってのはやっぱり特別な存在なんだな、と翔は再認識する。
翔は店主のおばちゃんにお金を払うと、ラルクスギアのためのガラス細工の飾り物を受け取った。
サービスで簡単にラッピングしてもらい、これまたさっき別の店のおばちゃんがくれた袋に入れる。本当に良い人でいっぱいの、人の温かみの感じられる商店街だ。
蘭雪の後を小走りで追いかけ、翔は隣に並んだ。
「なんか一日、あっという間だったなぁ」
「そうねぇ。武器と防具を新調して、雲雀と試験を受ける事になって、受付会場で変なのに絡まれて」
「お願いだから、抽選の時はやめてくれよ」
「わ、わかってるわよ! そんなことぉ……」
蘭雪は口を尖らせて、形だけ反抗して見せる。
自分でも、あれはなかったなぁと反省はしている。
蘭雪は気まずくなって、翔から顔を逸らした。そこまできにする必要もないのに、と翔は蘭雪のいじらしい態度についつい笑みを浮かべてしまう。
と、その視界の端に、あるものが映った。
翔は歩みを止めると、すぐさまその方向に向かってと走り出す。
「だって、アイツ。私の……が小さいのをバカにし……あれ、翔?」
ふと気付いたら翔の姿がなくて、蘭雪は慌てて周囲をキョロキョロと見回す。
すると装飾品を売っている店から、駆け寄ってくる翔の姿が映った。
「何かいいものでもあったの?」
「あぁ。ちょっとな」
翔は右手を差し出すと、ついさっき買ってきた物を蘭雪に見せた。
なにやら硬そうな鉱石に、紐を通したものだ。
――あ、でもこれ、どっかで見たことあるような……。
蘭雪が思い出すよりも先に、翔が答えた。
「峯山龍の牙から作った御守りだってさ。試験に合格するご利益があるんだと」
「へぇぇ。そういえば、そんなのもあったっけ……」
「ほい」
「え?」
いきなり御守りを目の前に突き出されて、戸惑う蘭雪。
翔のやってる意味がわからなくて、翔の顔と御守りを何度も見返した。
「いや、蘭雪にって思って、買ってきたから」
翔は蘭雪の手を引くと、峯山龍の御守りを無理やり押しつけて、自分のをそわそわと引っこめた。
しばらくの間呆然としていた蘭雪であるが、状況を理解するにつれて首から上がボッと沸騰した。
「あ、あ、あのぉっ、ええぇっとぉ……」
「は、早く行こうぜ。途中で雲雀も回収しなきゃいけねぇし」
「は、はぃ」
その後、二人は雲雀と合流するまでの間、一言も言葉を交わす事ができなかった。
――どうしよ、御守りもらっちゃった……。
ただし、その無言の時間は。蘭雪にとって決して悪い時間ではなかった。
雲雀と合流した翔と蘭雪は、日没までに本日の寝床へとたどり着いた。つまりは、蘭雪の実家である。
「はぁぁ、家帰るの久しぶりだから、緊張するなぁ……」
久しぶりの帰宅とあって、なかなか落ち着かないようである。
それを見かねた雲雀が、ひょいと呼び鈴を押した。
「ちょっとぉ!?」
声を潜めてはいるが、蘭雪は目をキッと釣り上げて雲雀を見上げた。
「はいは~い」
すぐさま、扉の向こう側から優しげな声が聞こえてきた。
蘭雪はわたわたと慌て、翔は緊張で固まり、雲雀はにししとイヤラしい笑みを浮かべる。
そして、
「あら、蘭雪じゃない! よく帰ってきたわね」
「ちょっと、ママ!?」
扉が開かれ、蘭雪のお母さんらしき人が、蘭雪の首に抱きついた。
身長は蘭雪より低い一六〇センチ強。ふんわりとしたブラウンのセミロングの髪――短めのセミセレブロング――をしている。
そして驚いた事に、蘭雪とは正反対のナイスバディをお持ちであった。
「なぁなぁ」
ひそひそ声で雲雀に肩を小突かれて、翔は苛立たしげに横を向く。
「何だよ?」
「アレ、どう思うよ?」
雲雀が小さく指差すのは、もちろん蘭雪の胸の辺り。
お母さまは雲雀にも負けないバストをお持ちなのに、その子供のはずの蘭雪はと言えば…………。
「俺に振るなよ……!」
「運命ってなぁ、残酷なんだな。カケルよぉ」
なんかもう色々と一周回って、雲雀は慈愛に満ちた目を蘭雪に向けていた。
ようやく母親の抱擁から脱出した蘭雪は雲雀に気付いて飛びかかろうとするも、母親に後ろ襟をつかまれてその場にうずくまってしまう。
「それで、蘭雪。こちらの方達は?」
愛娘を引っ倒しておきながら、しれっと蘭雪に紹介を求めるお母さま。
蘭雪はぶーたれながら立ち上がると、ご要望にお答えして二人の紹介を始めた。お母さま強しとは、まさにこの事である。
「こっちが、村雨翔、さん。今お世話になってるユクモ村で、よくパーティー組んでる人」
「えっと、村雨翔です。蘭……黄さんには、お世話になってます」
「でもって、こっちが東雲雲雀さん。最近知り合って、昇格試験に合格するまでの間、パーティー組む事になったの」
「どもども、東雲雲雀と申します。ちょッとの間お世話になりますんで、ヨロシクお願いします」
「よろしくねぇ、二人とも。蘭雪の母親の、
翔と雲雀は、お母さま改めて美雪にお辞儀した。
並べて見ると、顔のパーツはよく似ている。蘭雪よりおっとりとしていて、柔らかな感じではあるが。あと胸と。
それにしても、なかなか可愛らしいお母さまでいらっしゃる。いや、良い意味で。
正反対に、蘭雪の方はムチャクチャ恥ずかしそうである。
「今日まで部屋借りてたんだけど、あまりに酷くて……。それにお金もないし。それで相談なんだけど、次の試験までの間、二人を泊めてもいいかな?」
「う~ん、パパに聞いてみないとわからないけどぉ……。大丈夫だと思うわ。部屋なら余ってるし。じゃあ、二人共どうぞ」
「お、おじゃまします」
「おッじゃまッしま~すッ」
美雪と蘭雪に続いて、翔と雲雀も黄家の敷居をまたいだ。
黄家は、昔から商いを営む家系なのだそうだ。いわゆる、仲卸業者である。
そのため、遠方から商品を買い付けに来るお客も多いので、宿代わりの部屋が家の中に作られているのだ。しかも場合によってはけっこうな大人数で来る事があるので、実際にはちょっとした宿屋ほどの規模がある。
つまりは、黄家はそれなりの屋敷なのである。
玄関を見た時には気付かなかったが、中は思っていた以上に奥行きがあって広い。
お客に対してのアピールも含めているのか、いかにも高そうな骨董品もいたる所に設置されている。
石レンガの美しい廊下を抜けると、リビングで膨大な数の書類とにらめっこする男性の姿があった。
「パパ、蘭雪が戻りましたよ」
「本当か、ママ!?」
まだ本当だと信じられない男性は、必死の形相で入り口を見やる。
すると入り口から気まずそうに、蘭雪がひょいっと頭だけ出して現れた。
「た、ただいま。パパ」
「蘭雪! どうだ? 元気にしていたか?」
「まぁ、それなりに」
「そうかそうか。元気でやっていたか」
柱から出て近付いてきた蘭雪の頭を、大きな手がわしゃわしゃと撫でた。
久しぶりの父親の大きな手に、蘭雪は思わず目を細める。こうされていると、幼い日の頃を思い出す。
しかし、いつまでもこうしているわけにはいかない。
すると美雪は蘭雪の思いを察して、父親に声をかけた。
「パパ、実は蘭雪とパーティーを組んでくれていらっしゃる方も、いらしてるんですよ」
「おぉ、そうか。早く入って頂きなさい」
「さぁ、村雨さん、東雲さん」
美雪に誘導されて、廊下で待機していた翔と雲雀は、リビングへと足を踏み入れた。その瞬間、柔和な笑みを浮かべていた父親の顔が一変する。
まるで犯罪者でも見るような、ギラギラと鋭い目を向けた。
「村雨翔と言います。黄さんには、いつもお世話になっています」
「アタシは東雲雲雀。昇格試験に合格するまでの間、パーティー組む事になりました。よろしくお願いします」
「蘭雪の父の、
主に翔の方に。
「ママ、そこの汚らわしいおと…」
「パパ」
と、翔の隣で楽しそうにしていた美雪が、砂狼ににっこりと微笑む。
砂狼は一瞬だけ青ざめると、げほげほと咳払い。
書類を一旦テーブルの端にどかすと、腕組みして客人二人の方に身体を向けた。
「そ、それで、何か用でもあるのか? 用くらいなければ、お前はめったに帰ってこないだろう」
「えっと、その件なんだけど」
ちらりと美雪の方を見る蘭雪。母さんから言ってよと目で合図を送るものの、自分で言いなさいと首を横に振られてしまう。
父親がどういう反応をするか知っている一人娘としては、色々と悩みどころである。
――でも、このままじゃ話進まないし。
ここは潔く、諦めるしかないという事か。
蘭雪は大きく息を吸って、父親に要件を伝えた。
「次の試験までの間、二人を
「……………………」
「ね? いいでしょ? パパ」
「……………………」
「あの、パパ?」
まるで石像にでもなってしまったかの如く、腕組みをして蘭雪を見たまま微動だにしない。
返事を考えているのかと言われれば、そんな雰囲気でもなく。蘭雪も首をかしげる。
すると、美雪がすたすたと砂狼の近くまで歩み寄り、目の前でふりふりと手を振った。
「蘭雪が男の子を家に泊めるのが、よっぽどショックだったみたいだわ、この人」
と、美雪は砂狼のほっぺたをツンツンしてみるが、やっぱり反応はない。
あまりのショックに、固まってしまったようだ。
そこまでショックか。いや、ショックだったからこうなっているわけであるが。
「ほんとにもぉ、手が焼けるんだからぁ」
とか言いつつ、美雪は砂狼のほっぺにキスを、
「ちょっと、ママ!!」
蘭雪は慌てて止めに入るが、どうにかなるわけもなく。両親のイチャイチャシーンという、ある意味自分の誰にも言えない秘密をカミングアウトするより恥ずかしい映像をお届けする事態になってしまった。
「マ、ママ!?」
一方、された方の砂狼も大変困惑しているもとい、赤面している。
美雪だけは、とっても楽しそうにくすくすと笑っていた。さすが、永遠の十七才と言うだけの事はある。
「はぁぁ、まったく。お前というやつは」
「ママ。お願いだから、そういうのは人前では控えてね」
完全に毒気を抜かれてしまった父子は、母に諦めの表情を向けるのだった。
するとそこで、またしても来客を知らせるチャイムが鳴った。
「どうも、メイおばさん」
「あらあら、絢菜ちゃんじゃない。どうしたの?」
やって来たのは、お昼の定食屋にいた看板娘の女の子だった。
エプロンドレスと言うには気が引けるくらい古ぼけているが、それでも絢菜の明るさを曇らせる事はできない。
「実は、お届けものがあってですね」
「ニャッ、ご主人なのニャァアアアアアアアア!!」
そんな絢菜が差し出したのは、なんと翔のオトモであるヤマトだった。
ヤマトは半泣き状態で、ご主人様である翔の胸へ飛び込んだ。
「あ、姐さんに置いて行かれたのニャァアアアア!!」
「それはアナタが付いて来れなかっただけですのにゃ。ただいまですのにゃ。砂狼さん、美雪さん」
「ナデシコも、久しぶりだな」
「いらっしゃい、ナデシコちゃん。うちの蘭雪は、迷惑かけてないかしら?」
「はぃ。時々暴走しちゃいますが、概ね問題にゃいですのにゃ」
ナデシコは蘭雪の両親に手短に挨拶すると、絢菜の肩に飛び乗った。
『絢姉さま、いったい何のご用ですのにゃ?』
『いやねぇ、ナデ子ちゃん。なかなか煮え切らない蘭雪ちゃんの、後押しでもしてあげようと思っねぇ』
こそこそとナイショ話を始めるナデシコと絢菜に、蘭雪は寒気を覚えた。
もしかして、よからぬ企みでも企てているのではなかろうか。
そんな風に蘭雪が勘ぐっている内に、絢菜はトテトテと翔に近寄ってきて。
「あの、なんでしょう?」
「これ、私の連絡先ね。君の連絡先は、オトモくんから聞いといたから」
「は、はぁ」
「手紙出すから、絶対返事出してね」
絢菜は翔の耳元でそう告げると、ではでは、と黄家を後にする。
リビングには、再び静寂が訪れた。
「それで、パパ。二人を泊めてあげても大丈夫?」
「ん、あ、あぁ……」
美雪に指摘されて、砂狼は愛娘の蘭雪を
正直、蘭雪が家に帰ってきてくれた事は嬉しい。本来なら、何日でも泊まっていきなさい、食事も出そう、と言うところである。
しかし、あの男が気に入らない。可愛い可愛い蘭雪に手を出す可能性が、必ずしもゼロとは言い切れない。
なにせ、蘭雪は可愛い。気立ても良いし、優しくて、根は素直で真面目な子だ。
野郎どもには人気絶頂で、モテモテ間違いなしの超絶美少女なのだ。
その娘が、あの性悪な男に騙されて、なんて考えると……。
――ぬぁあああああああああああああああ!!
「あの、パパ?」
「無論、その男とは、別々の部屋なのだろうな」
「あ、当たり前じゃない! 狩りの最中じゃあるまいし、一緒に寝るわけないでしょ」
「なに!? まさか、狩りの間は一緒に寝るのか!?」
「まあ、パーティーが三人以上いたら、だけど。一人が見張りで、残りの二人が休憩って感じで。普段はかけ、村雨さんと二人だから、交代で見張りと睡眠とってる」
クワっと、砂狼は翔をにらみつけた。
それはもう、性犯罪者でも見るような、蔑みとおぞましさと、あと若干の嫉妬を含んだ目で。
翔の方も、蘭雪から話で聞いていたが、まさかこれほどまでとは思っていなかった。
「…………わかった。二人の滞在を許可しよう」
蘭雪も翔も、そして雲雀も、ぱぁっと顔を輝かせる。
「ただし!」
が、三人の喜びを遮るように、遠雷のような砂狼の声が響いた。
「貴様、うちの蘭雪の半径一メートル以内には絶対に近付くなよ! もし守らなかったら、貴様だけ夜の砂漠に放り出してやるからな! 覚悟しとけよ!」
砂狼は翔を指差して怒鳴り散らすと、書類を持って自室へと閉じこもってしまった。
こうして翔と雲雀は、試験までの間の宿を確保したのだった。
そして現在、夕食を頂いた翔は、お風呂にも浸からせていただいていた。
村のあちこちから温泉の溢れ出るユクモ村とは違い、ロックラックは砂漠の中にある街。水は貴金属に勝るほど貴重な物資のはずである。
それを決して多くはないといえ、入浴に使っているということは、黄家はけっこうな規模の商家のようだ。
ユクモ村の温泉と比べればやはり圧倒的に劣るが、久方ぶりのお湯に翔は全身の疲れが抜け落ちていくように感じた。
だが、リフレッシュする身体とは反対に、精神の方は近くから発せられるプレッシャーにグロッキー寸前である。
「あの……」
「何だ?」
「なぜに、俺は砂狼さんと一緒にお風呂に入っているのでしょうか?」
そう。湯船に浸かる翔の隣では、黄家の家主である砂狼が肩までお湯に浸かっているのだ。
これで、どうやってリラックスしろというのだろうか。
ウサギなら死んでしまうレベルである。
もちろん、
「で、村雨くん。うちの蘭雪とは、いったいどんな関係なんだね?」
「どんなって……。固定パーティー組んでるだけですよ。HRも同じですし、俺は近距離で黄さんが遠距離なんで、連携もやりやすいんです」
「君以外にも、ハンターはいるだろう?」
「いるにはいますけど、定住ハンターほとんどいないんです。他のハンターは、湯治だったり半分観光で滞在してるハンターだけで、長くても
嘘は言っていない。
実際、常駐ハンターは翔を含めて片手で数えられるレベルだ。
しかも上位クラスのハンターは、常駐ハンターのいない近隣の村々でも活動しているので、実質的には翔を含めて常駐は二人くらいである。
ラルクスギアのように、外部から長期滞在しているハンターもいるが、そういう方々は総じてHRが高いので、なかなかご一緒できない。
そのため、HRの近い翔と蘭雪がパーティーになるのは、至極当然の成り行きなのである。
成り行きなのであるが、果たして砂狼が納得してくれるかどうか。
「そういえば、ユクモ村は温泉の多い村だそうだね」
「えぇ、まぁ」
よかった。どうやら、納得してくれたようだ。
しかし、まだ考えの甘かった事を、翔は次の瞬間に悟った。
「集会所には、ハンター御用達の露天風呂があると聞いたのだが……」
……………………………………………………………………ギクリ。
「まさか、うちの娘と一緒に入った、という事はあるまいな?」
「それは、えっとぉ……」
どうする、正直に混浴と言うべきか、身の安全を考慮して男女別と言うべきか……。
考える時間は少ない。
「……貴様ぁ、まさか!?」
無言の意味を悟ったのか、砂狼の怒りゲージは一気に臨界点を突破した。
「だだ、だって仕方がないでしょ! 集会所の温泉って、
「
砂狼の振り上げた拳が、翔に殴りかかろうとしていた。
だが、そこはハンターである翔。見事な反射神経で、砂狼の両腕を押さえる。
「父親の私ですら、九歳の頃から『パパと一緒にお風呂入りたくない!』と言われたのに、小僧! 貴様が混浴だとぉおお!? ふざけるなぁああああああああ!!」
「キレるとこそこですか!?」
しかし、なんと恐ろしい事に、翔が力負けしてだんだんと後ろに押しやられてゆく。
バカ親パワーかハンターの親
「うちの娘の裸をのぞき見るくらいはしていると思ったが……」
「は、裸って!? そんな事するわけ……」
――あ、そういえば俺、見た事あったっけ?
またもや無言の時間が、二人の間に流れた。
「ふふふ。小僧貴様、死ぬ覚悟はできているのだろうな?」
「違います! あれは風呂場で酔った
「殺す! 小僧、貴様だけは絶対にコロス! うちの娘の柔肌を汚した貴様の罪を、私は絶対に許さん! しかも今、うちの可愛い娘の名前を呼び捨てにしたな?」
「あ……」
ついつい、いつもの呼び方が。
「ふふふ、フハハハハハハハハハハハハハハハ! いいだろう、貴様を砂漠の肥やしにしてくれるわぁぁああああああああああ!!!!」
「美雪さん! 助けてください! 砂狼さんがぁああああああああ!!」
この日、翔はレイア戦以上の恐怖を覚えたのだった。
翔が砂狼に強制連行されてしまった一方で、先にお風呂を頂いた蘭雪と雲雀は蘭雪の部屋でくつろいでいた。
風呂上がりの火照った頬と、髪を下ろしているのもあって、雰囲気はガラリと様変わりしている。
「いや~、いつもは
「ううん。こっちこそ、話し合わせてくれてありがとう。雲雀がロックラックで会ったばっかりだってパパに知られたらと思うと、ぞっとするもん」
「ナハハハハハ。でも、スゴい良い人そうだッたケドな」
「それはそうだけど、私の事となるとすぐ暴走するんだもん。今回も何かしでかさないか、心配だわ……」
実は現在進行形で砂狼に襲われているのだが、残念ながら止める人物はいない。
「確かに。最初なんか、スゴい取り乱してたモンな」
雲雀は最初に砂狼と会った時の事を思い出して、笑いをこぼす。
翔曰わく、怒った時の蘭雪とそっくりなのだそうだ。
そういえば、自分には固定のパーティーがいなかったなぁと、雲雀はふと思った。
蘭雪と翔の二人を見ていると、自分にも同じようなパートナーが欲しくなる。本音で話し合える、友達のような、ライバルのような。でも強い絆と信頼で繋がった。
そう、今の蘭雪と翔のような。
アタシも真面目にパートナーでも探してみるかな~と思い始めていると、雲雀の目にアル物が映った。
「ところで蘭雪」
「ん?」
「その首から下げてるの、どうしたんだ?」
「っこっ、ここ、これは……!?」
午前中にちょっと話しただけなのに、凄まじい観察力である。
「お、なんだなんだ~? モ~シ~カ~シ~テ~、翔からもらッたモノなのかにゃ~」
「かっかけ、かけるって、ちち、違うったら!」
「でもソレ、ジエンの御守りだろ?
鋭い、鋭すぎる。
ただの筋肉バカかと思っていたら、どうでもいいところまでしっかり見ている。しかも、推理も悔しいが論理的だ。
「まったくもぉ、アツアツすぎて、お姉ちゃんヤケドしちゃうゼ」
「もう、あんまり変な事言うと、私怒るからね!」
「わ、悪かったからさ、まずその矢をしまってくれよ! なぁ!? なっ!!」
蘭雪は矢筒からモンスターの分厚い甲殻すら貫く矢を、雲雀に向かって振り上げた。
雲雀は即座に降参。両手を上げて抵抗の意思がない事を示す。
やっぱりこの親子そっくりだ、と思ったのは、本人にはナイショである。
「はぁぁ、もぉ……!!」
蘭雪は矢を元に戻すと、ベッドに頭から突っ込んだ。枕を抱いて、雲雀には背中を向ける。
――もぉぉ、全部翔が悪いのょ。なんで私が、こんな恥ずかしい目に……。
ほっぺたが、火傷しそうなくらいかっとなった。でも、正直嬉しかった。
蘭雪は胸に下げた御守りを、きゅっと握りしめる。
まったく、いつの間にかこんな気の利いたプレゼントができるようになったのやら。お陰で、少しだが胸がトキメいてしまったではないか。
いや、少しだけだ。本当にちょこっとだけだ。
決して、メロメロになっただとか、気付いたら好きになっちゃったとか、そんなのではない。絶対にない。断じてない!
――そうよ。気の利いたプレゼントなんて初めてだから、嬉しかっただけ。きっとそう。絶対にそう。そうったらそうなの!!
背中を向けたまま不自然な行動をする蘭雪に、雲雀は冷や汗をたらり。
あれ、本当に大丈夫なのだろうか。
どっかおかしくなったり、もしかしたら、拾い食いでもして当たった可能性も。
前に道にフィールドに落ちていた肉を調理して食べた時は、ヒドい目にあったが、アレか。あの類なのか?
その時の事を思い出して、雲雀はお腹を押さえた。あの時ほど。ソロでやっていてよかったと思った事はない。
そんなこんなで蘭雪が悶々、雲雀がガクブルしている内に、扉の向こうから翔と砂狼の声が聞こえてきた。
――明日からの予定も含めて、翔とも色々話さなきゃな。訓練所でトレーニングしたり、採取クエでお金稼がないと。
翔の声が聞こえた瞬間、トクンと高鳴った自分の鼓動に、蘭雪は気付かない。
蘭雪はただ、贈られた御守りをきゅっと握り続けていた。
はじめましての方、初めまして。お久しぶりの方、お久しぶりです。前回投稿者から毎回翌週投稿を何とか維持している蒼崎れいです。
さて、そんなわけで前回の終盤から引き続いて、日常編となっております。バカ親なパパと永遠の17才なママは、書いてて楽しかったです。家庭内でのママの強さは、全国どこでも最強なんですね。シミジミ。
はぁぁ、やっぱラブコメは書いてて楽しい。ニヤニヤできるのがスゲーいいです。知らず知らずの内に惹かれていく二人を書くのって。すごく胸があったかくなって好きなんですよね。そういう気持ちをお伝えできたのなら、嬉しいです。
また、村長、ナデシコによる翔×蘭雪包囲網に、今回ナデシコのお姉さん的存在の李絢菜が加わりました。この人が今後二人の関係をどう引っ掻き回していくのかも、合わせてお楽しみください。
それでは、今回はこの辺で。次の担当者はサザンクロス先生です。きっと、三人の狩りの様子を面白おかしく、そしてデンジャラスに描き切ってくれることでしょう。ノシ