アタランテを呼んだ男の聖杯大戦   作:KK
<< 前の話 次の話 >>

4 / 41
契約

 無限に引き延ばされた時間。
 極限まで圧縮された時間。
 永い夢を、追っていた。

 ――クラス別スキル付与。
 ――必要情報挿入。
 ――エーテル体作成。

 暴風が如き魔力の迸りと共に、懐かしく肉体の重みを思い出す。

 一瞬、視界が白昼の明るさに充ちる。

 そして。

「サーヴァント”赤”のアーチャー、召喚に応じ参上した。汝がマスター……」

 体内に循環する魔力を感じつつ、アーチャーは己の主を見極めようとし――、

「……な、な」

 ぽかん、と口を開けた。

 まさかそんな筈がない、とは思いつつ、室内に他の人影がないか探る。
 当然ながらそんな存在はない。己の感覚も、目の前の男と因果線(ライン)が繋がっていると囁いている。微弱とはいえ魔力が流れ込んでくる以上、魔術師の端くれであるのも確か。

「何だこれは、どういうことだ……?」

 動揺が抑えきれない。
 幾ら百戦錬磨の英霊といえど、そんなことは想定不能。
 まさか自らを呼び出したマスターが――()()()()()などとは。


          #


 料金が先払いされていたのは助かった。が、この量は人間が一度に喰える量ではない。

 獅子劫とセイバーが去った後、アルは机に並ぶ料理を懸命に口に運んでいた。
 時折胃の内容物が食道を逆流してくるのをどうにか押し戻す。額には脂汗が浮かび、味わう余裕などあろうはずもない。
 店先で苦悶の表情を見せる彼を見て、観光客たちは黙って別の店を探しにいく。
 ある種の拷問ショーであった。

「うっぷ……」

 再びの吐き気を堪える。

 無論好きで注文した訳ではないのだから、アルが食べる必要は全くない。だが。

「料理を、残しては、いけない……!」

 それが記憶のない彼の奥底に刻まれた、信念のひとつらしかった。

「――良い心がけだな」

「それはどうも……」

 会釈を返し、机に目をやると、心なしか空き皿が増えているように見えた。これならあと一息で食べきれそうだ。
 丁度今も、向かいの人物がぺろりと一皿完食して――?

「え」

 自分の目が信じられず、ぱちぱちと瞬く。
 アルの向かいの席――先ほどまで獅子劫が座っていた椅子に、一人の少女が腰掛けていた。
 更には彼女の姿を視界に入れた瞬間、あのセイバーと出逢った時と同様のイメージが走った。

 ――『筋力D/耐久E/敏捷A/魔力B/幸運C/宝具C』

 これはどうしたことか。

 こちらの眼差しを気にも留めず、少女は次々と料理を平らげていく――特に肉料理を優先的に。

 アルは金魚のようにぱくぱくと口を動かし、何から言ったものか思案する。
 訊きたいことを数えればきりがない。
 例えばその大食漢ぶりや、アルのカフェの制服を着ていることや、不釣り合いに大きな帽子を被っている点。
 だが一つを挙げるとするならば――。

 その、異様なまでの気配の薄さである。

 同じ食事を囲むアルが、声をかけられるまで彼女に気づかなかったのだ。よくよく見ると、剽悍な獣を思わせる美女であるというのに、店員も通行人も、誰も気に留める様子がない。視界に入っていないかのよう。
 正面に座る自分ですら、気を抜けばその存在を失念しそうになる。

 この少女――人間か?

「ふむ」

 あっという間に最後の一枚を片付け、彼女はナプキンで口を拭った。

「あの、貴女は一体……」

「……端的に答えるならば、”赤”のアーチャー、となろう」

弓兵(アーチャー)……?」

 さてどこかで聞いた内容だぞ、と思う。考えるまでもなく、獅子劫が口にした名であった。

 アルの困惑を余所に、今度はアーチャーが口を開く。

「召喚されてからの振舞を監視させてもらった。別に聖者を求めている訳ではないからな――汝に人並みの正義と倫理が備わっていると判った以上、人格に文句はない。子供を助けていたのも良い。だが――」

 机のポットから紅茶のお代わりを注ぎ、アーチャーは言葉を継ぐ。

「推測するに、汝は意図してマスターになったのでもなく、聖杯戦争すら知らないのではないか……いや、この言い方も良くないな。……つまりだ」

 翡翠を思わせる深緑の瞳が細められる。

「汝は――()()()()()()()()()()()()()。違うか?」

 その言葉だけは、理解できた。

 自分が何か訳の判らないものに巻き込まれつつあるという、確かな不安がある。

 アルがしっかりと頷くのを見、アーチャーはやはりそうか、と嘆息する。

「説明――してもらえませんか?」

「言われずともそうしよう。だがその前にひとつ」緊張に強張るアルの前で、指を一本立てる。「汝には、叶えたい望みがあるか? 命を賭すに値する願いは?」

 まさかそんなことを問われるとは思っておらず、言葉に詰まる。
 少なくとも、自分にそんな願いはない。というより――持つ資格がない。
 何故なら記憶がないからだ。
 望みとは個人の経験を基に発するもの。である以上、記憶喪失のアルに望みなどあるはずもない。赤子が欲望を持たぬのと同じだ。

 だから、望みなどない……そう答えようとして。

「ひとつ、あります」

 彼女の視線を前にして、自然と口が動いていた。

「……それは?」

「生き(ながら)えること――です。自分が生きるためなら、俺は命を懸けられます」

(って何だそりゃ俺――!?)

 一体何を当たり前のことを言っているのかと。勿体ぶって言う台詞がそれかと。
 だってそんなのは当たり前のこと。
 赤子が唯一抱く欲。
 アーチャーが訊ねたのは、そのうえで何を望むか、ということなのに。

 馬鹿にされるか失笑を受けるか――恐る恐る顔を上げる。

 アーチャーは。

「……そうか。成程――それなら最低限信頼できよう」

 恐ろしいほどに真面目な顔で、こくりと頷いた。

「は、はは……」

 冷や汗を流しつつ、愛想笑いでやり過ごす。間違いではなかったらしい。

「では説明しよう――その鞄を渡せ」

 アーチャーが指差したのは、アルが持つ例の鞄である。

「え? いやでも、これはお客さんの忘れ物で……」

「持ち主の在所には心当たりがある。良いから渡せ」

 その言葉には何の悪意も感じられず、アルはごくごく自然な流れとして、鞄を手渡した。

「私が思った通りなら、この中に――」

 金具を外し、アーチャーが手を入れる。と同時。

 バリッ。

 一瞬小さな紫電が走った。反射的に身を竦ませたアルに対し、アーチャーは驚いた様子もない。

「ただの罠だ。汝であれば腕の一本も吹き飛ぼうが、私に通じる筈もない」

 ほら、と無造作に鞄を渡される。中を見ると、小さな瓶やら焦げた木材やら妙なものが詰め込まれている上へ、クリップで纏められた書類が突っ込まれていた。

「それを読め。恐らく、私が説明するより早いだろう」


          #


 虚ろな瞳――涎を垂らす口の端。
 呟きは口を離れ、誰にも届かず天井まで浮遊し、弾けて消える。
 魔術師たちが集う部屋。彼らの意識は触れ合うことなく、ただ遊離の快楽を味わっていた。

「では、すこし質問をしてもよろしいですか?」

 柔らかな口調で、シロウが声をかけると、丸いサングラスをかけた男は「何だ?」と素直に応じた。

「貴方が魔術協会から借り受けた触媒は何だったのでしょう?」

「……っはははははは!」男は突如笑い声を上げ、また元の声音に戻って告げた。「ああ……触媒、触媒ね。流石協会と言うべきか、たいそうなもんを用意してくれたよ」

「それは?」

「聞いて驚くなよ、触媒はな――」


          #


 大きく息を吐いて、アルは書類を机に投げ出した。
 目を通している間、ずっと息を止めていたような錯覚に陥る。溺れる程の情報量であり、その悉くが己の思考を超えていた。

 魔術、万能の願望器、英霊、サーヴァントとマスター、聖杯戦争、そして聖杯大戦……。

 簡潔に纏められた内容であるだけに、それを理解できてしまう。書かれたことが、自分の状況をこの上なく精確に説明していると判ってしまう。そして何より明確な証拠が目の前にいる。ただのペテンで片付けるには、アーチャーは余りにも()()()()()

「令呪ね……」

 右手を翳し、包帯の下の腫れを思い描く。

「理解したか、汝の置かれた状況を?」

「まあ、一通りは」

「では――私が問いたいことも判っているな?」

 斜めの夕陽が、アーチャーの横顔を照らしていた。

 アルは唾を呑み込んで頷く。
 問いの内容は明らかである。つまり――マスターとして闘いに身を投じるか、それとも放棄し、マスター権を手放すか。

「言っておくが、私もただ巻き込まれただけの被害者にかける慈悲は持ち合わせている。仮に闘いを放棄すると言っても殺したりはしない。よってあとは――」アーチャーはこちらの胸を指差した。「汝の判断だ」

「俺は……」

 アルはその視線から逃れるように俯いた。

 合理的に考えれば――こんな闘いからは降りるのが正しい。あらゆる願いが叶うとしても、どれほどこのアーチャーが強力な英霊だとしても、素人の自分が参加して勝利できる確率は著しく低い。それどころか、下手をすれば間違いなく死ぬ。

 だが……。

「アーチャーさん……、先ほど俺に訊いたことを、訊ね返していいですか」

「何だ?」

「アーチャーさんには、命を懸けてでも叶えたい望みがあるんですか?」

「ああ」

 アーチャーは即答した。その確信と覚悟に充ちた仕草に、アルは目を奪われる。

 覚悟とは質量のようなもの――言い換えれば意志の密度である。異なる二つの意志が接続したとき、より密度の大きな方に牽かれるのは、自然な振舞といえる。
 特にこの場合、基盤に記憶を持たぬ意志の密度は無に近く――、

「参加します、俺も……聖杯大戦に」

 その判断は必然。

「そうか」

 アーチャーは揺るがぬ瞳で、その決意を受け止めた。

「であれば、これより我らは互いを試し、計る関係となる。私に対し遠慮は不要だ。マスターも敬語を止めろ」

「は、は――ああ」思わずはい、と言い掛けたのを堪え、口調を直す。「それならアーチャー、君が聖杯にかける願いは何なんだ?」

 早速一番遠慮していたことを訊いてみると、アーチャーはフンと鼻を鳴らした。

「それを語れるほどに我らの交誼は深いと思うのか?」

「あ、いや……、すまない」

 素直に頭を下げる。

「それよりも、マスター。先に訊くべきことがあるのではないか?」

「え?」

「……真名は訊かなくて良いのか?」

 やや呆れた様子でアーチャーが言ったが、それに驚いたのはアルの方だった。

「……逆に教えてくれるの? 君の最も致命的な情報を――この素人マスターに?」

「む、それは……」

 確かにアルの言う通りだ、とアーチャーは同意した。
 通常のマスターであれば、作戦立案や令呪使用のタイミングを計る為にも、サーヴァントの真名把握は不可欠である。対してアルは完全なド素人であり、真名を教えることは徒に急所を増やす行為にほかならない。
 それに――。
 マスターを切り捨てた際、アルが敵に真名を教えるというリスクが避けられる。
 彼女にはそんな、恐ろしく冷徹な計算もあった。

「ではマスターの好意に甘え、我が真名()はひとまず秘させてもらう」

「ああ、これからよろしく、アーチャー……、あ、俺の名前はアル」

「……とっくに知っているとも」

 包帯を巻いた右手を――令呪が宿る右手を差し出す。アーチャーは静かに、そして確かに、その手を掴んだ。

 ……しかし。
 遠慮は不要と言われたものの、アルには終ぞ訊けなかった疑問があった。

 ――なぜ自分のような弱小マスターを殺害し、より強力なマスターと契約しないのか?
 勝利を真に狙うのであれば、それが合理的な解であり、アーチャーに、それを躊躇うような甘さはないように見えるのだが……。


          #


「なかなか厄介なことになりましたね」

「ほう……? 触媒は何じゃったと?」

 首を振り、シロウは口を開く。

「かの名高き英雄たちの船――アルゴー船の残骸、だそうです」

「それはそれは……」セミラミスも驚いたように、大袈裟な相槌を打った。「つまり――五十人とも百人とも伝えられる乗組員(アルゴナウタイ)全員が、”赤”のアーチャー候補であると?」

 そういうことですね、とシロウが頷く。

「イアソン程度の英霊であれば物の数に入りませんが、ヘラクレスでも召喚されていれば――」

 嘆息する彼の様子を、セミラミスが実に愉しげな表情で眺めていた。



会話ばっかり長々と……。

ちなみに迷子の子を無視→DEAD 料理を残す→BAD 望みはない→BAD。こわい