アタランテを呼んだ男の聖杯大戦   作:KK
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 遥かに広がる草原。

 風が草をさざめかせ、緑色の波が揺れる。

 遠くの方に、黒山の人だかりができていた。
 取り敢えずは、そこを目指して歩を進める。

 夢を見ているな、と気付いた。

 大勢の人間が集まって、それぞれが何やら喚いていた。ほとんどが男である。
 彼らの中心にいるのは、誰あろうアーチャーだった。以前の夢で見たような子供ではなく、いつも見ている、精悍に育った狩人の姿である。ただ、その頭に獅子の耳はない。

「誰からでも良い、早く始めろ」

 無表情で彼女は顎をしゃくった。

 一人の男が名乗りを上げ、進み出た。緊張した面持ちで、走る構えをとる。
 その後ろで、片手に矢をぶら下げ、アーチャーは退屈そうに佇んでいた。

 審判役か、別の男が手を挙げ、号砲代わりの雄叫びを上げた。
 男は瞬時に走り出す。なかなか逞しい豪傑で、馬のような俊足。瞬く間にその背は小さくなっていく。

「さて」

 その時、アーチャーが小さく呟いた。
 見物人が唖然とした顔で振り返る――まだ走り出していなかったのか、と。

 そして。

 彼女は駆けた。
 まったく信じ難い速さだった。

 男の激走など、赤子が這っているようにしか見えない。草原を吹き抜ける風さえ置き去りにして、彼女は滑るように走った。

 ――美しい。

 装飾の美ではない、洗練された、清涼な美しさ。

 夢ならではの便利さで、視界は彼女を追って滑っていく。その美しさを見逃すまいと、彼女の背に張りつく。

 すぐに、男を抜いた。アーチャーの走りを見た後では、当然の道理にしか思えない。彼女に徒競走で勝つなど、天地が逆さになっても叶わないだろう。無謀に過ぎる挑戦だった。

 アーチャーは追い抜いた男を振り返った。
 罵倒のひとつでも浴びせるのかと思っていると、彼女は流れるような仕草で弓を構えた。

「……え?」

 誰にも届かない声で呟く。

 狙う先は、男の心臓。彼女の鍛え上げられた射撃の腕ならば、一射必中で殺すだろう。

 弦を引き絞り、何の躊躇いなく、アーチャーは矢を放った。
 鏃は過たず男の胸を貫き、男は駆ける勢いのまま、地面に転がった。

 アーチャーは矢を放った時点で興味を失ったのか、つまらなさそうな表情のまま、人だかりへ戻っていく。

 その背を見送り、倒れた男の許へ、呆然と向かった。

 彼はもう絶命していた。虚ろな瞳が空を映し、流れ出る血を草が吸っている。
 無謀と判って挑み、こんなにもあっさりと死んだ。彼女はこの者の名すら知らないだろう。

 それなのに。

「どうして――そんな満足そうな顔をしている……?」

 彼は弓を向けられた時、なぜか満足げな微笑みを浮かべた。
 見間違いかと思った。けれどこうして、一片の曇りもない表情で死んでいる。

「なんでだよ……」

 どさりと、また誰かが倒れる音を聞いて、はっと振り返る。

 別の挑戦者が現れ、同じように殺されたのだ。

 それでも名乗りは止まらない。一人、二人と彼らは走り出す。 

 次から次へと男たちは命を捨てる。

 気付けば、アーチャーの後ろに、男たちの死体が累々と積み上がっていた。
 皆一様に、満足そうな笑みを浮かべて……。

「なんで……」

 視界をアーチャーへ移す。彼女は淡々と最高速で駆け、機械のように矢を番え。
 男を射る。射る。射る。
 勝利を諦め、満足そうに眼を閉じた男たちを、一人ひとり殺していく。

 最後の男が、猛追する彼女を振り返り、諦観の笑みを浮かべた。

 どうしてそんな仕打ちを与える……?
 どうして彼女の想いを踏みつけにできる……?

 誰にも届かない声で。

 やめろ――と絶叫した。

 無情に矢が飛翔した。
 緑の草原に、赤い斑の模様ができた。

 何にも汚されぬ顔で、アーチャーは鼻を鳴らし、歩き去っていく。

 男たちの群衆は消えていた。皆挑戦して死んだのだ。

「なんで……そんな酷いことができるんだ……」

 血を吸って揺れる草原を見た。
 猛烈に怒っていた。満足そうに死んでいった男たちを、殴り飛ばしてやりたかった。
 お前たちはいいだろう。己の命を懸けて挑み、無謀と知りつつ僅かな可能性を信じ、そして宣告通りに死んだのだ。充分だろう、満足だろう。死に際に笑みのひとつも浮かべるだろう。

 だが――彼女はどうなる?

 自分を愛すると言った男たちを、一人ひとりその手で葬る彼女は? 確かに、始まりは怒りから提示した条件だったかもしれない。だとしても、命懸けの微笑みへ向けて、矢を射る彼女の気持ちを、誰も慮れないのか。あの無表情は、無感動の証明だと思っているのか。

 己の満足のために、愛する者を傷つけて、それで満足か?

「ふざけるな……」

 翌日も男たちは集まってきた。昨日の惨劇は知っているだろうに、なお彼女を傷つけようというのである。
 当たり前のように全員殺され、その分彼女を傷つけていった。
 そんなことが繰り返されるうちに、競争を挑む者は減っていた。

 また、新たな挑戦者がやってくる。

 その男が現れた時、お前もか、としか思わなかった。
 お前も、彼女を傷つけにきたのか、と。

 彼はそれなりの偉丈夫であったが、今までの挑戦者より足が速いとは到底思えなかった。

 しかもよくよく見ると、初日に審判を務めた男だった。
 まったくふざけている、と思った。あの光景を見ておきながら、愚かにも挑戦しようというのだから。

 いつも通り、彼女は無表情で挑戦を受け、弓を手にした。


 ――それはアーチャーを救ったのだろうか。

 結婚を拒んでいた彼女にとっては、生涯最悪の想い出だろう。その男には怒りしか抱かなかっただろう。最期の時まで恨み言を述べていたかもしれない。
 その男がやったことだって、他の男と変わらない。自分の欲望を優先して、それが上手くいっただけだ。
 しかし、彼の行いによって、彼女はある種の地獄から抜け出したといえる――自分の望まない卑劣な形だとしても。

 判らない。

 いったい、救いとは何だろうか?

 価値はどこにあるのだろう?

 どうすれば……。


 目覚めた時、もうアーチャーの姿はなかった。

「…………」

 目を擦り、躰を立たせる。まだ体力が戻っていないのか、足がふらついた。
 咄嗟に手をついた机に、パソコンが載っていた。

 立ち上げて、前はパスワードが判らなかったメールを開く。

「……なるほど」

 天草四郎には悪いことをしたなと、場違いな感情を抱いた。妙に可笑しくて、思わず笑ってしまった。

 要塞の落下に関して、トゥリファス、シギショアラ全域の記憶操作に協力してほしい、という内容だった。


          #


 食卓にずらりと並んだ皿を見て、アーチャーは目を丸くした。

「どうなるか判らないのに、残しておいてもしかたないし」

 アルが言って、席に着くよう促した。

「まあ、戦いの前の腹ごしらえは重要だが……」

 こんなに食べることはないだろうと思う。とはいえ折角出してくれたのだから、全て食べるのだが。

 窓の外は夕景で、黄金に似た陽が、窓から斜めに射し込んでいた。

 目の前で料理を頬張るアルを見ながら、アーチャーはぼんやり考える。

「――アル」

「なに?」

 皿から顔を上げた彼の眼を、真っ直ぐに見据える。

「汝もキャスターの宝具を体験したなら判るだろう? 私は”黒”のランサーを許せない。己の為に子供たちを搾取し、惨殺した輩を許すことは、絶対にできない」

 爆発するようなものでない、静かに伏流するような憎しみを感じていた。

「……ああ」

「けれど、奴のステータスは見たな。私はランサーに勝てない」

「……ああ」

 両者のステータスの差は歴然。さらに”黒”のランサー(ヴラド三世)の知名度からいって、その能力はここルーマニアにおいて、最大限発揮されるだろう。
 アキレウスのような不死性はないにせよ、真っ向勝負で倒すことは不可能に近い。かといって、この状況下では不意打ちも通じない。

 アーチャーはランサーに勝てない。
 認めざるを得ない事実だった。

「勝てないのだ……絶対に……あの悪を……」

「……アーチャー、それは」

「だが……だが――」

 それ以上言葉を続けられない。

 話していいのか?
 それはアルに責任を押し付ける行為では?

 最後までその葛藤に決着は付けられなかった。

 彼は自分の言葉を待っている。

 その眼を見て、口を開いた。

「ひとつだけ、方法がある」


 話が終わって、アーチャーは俯いた。

「なあ――どちらだ? 汝は、どちらが間違っていて、どちらが正しいと思う? 教えてくれ、どちらが……」

「本当は自分でも判っているんだろう?」淋しい微笑みを浮かべて、アルは首を振った。「どっちも、間違いだ」

 そうだ……。

「ああ――そうだな」

 これは逃避した者への、当然の報い。
 前に目を逸らした命題が、追いかけてきただけだ。

 ”放置する悪と、処理する悪しかないとしたら……”

 正しい願望を捨てる悪。
 悪を討つための悪。

「……私は、どこで間違えたのだろうな」

 答えるようにアルは口を開きかけ、途中で止めた。アーチャー自身も気付いていると判ったからだろう。

 出来得る限り正しい道を歩いてきたはずだ。
 生まれて、ひとつの生を経て、死んだ。その生涯に間違いはなかった。
 願望を抱いて、これまで戦い続けてきた。その選択に間違いはなかった。

 けれど……そんなの救いがなさすぎる。

 正しい生涯、正しい願望、正しい選択の涯に残っているものが――間違いだけなんて。

 正しい場所へ至る道が、常に正しいとは限らないなんて。

 そのことに気付くまで、これだけ時間がかかるなんて。


          #


 そしてまた、夜がくる。

 幽陽(つきあかり)が、二人の道筋を照らしている。
 薄い灰色の影を落として、黙々と歩を進めた。

 話すことはない。目線を交わす必要もない。

 ゆっくりと歩んでいるうちに、朝陽が昇ってしまわないかなと思った。

 この期に及んで甘い期待を捨てられない自分を嗤って、アルは踵を鳴らす。
 一歩ずつ終わりに近付く。


 夜の旅路は、案外すぐに終わった。

 半壊した城塞が見える。
 もう元の面影はどこにもない。城の上半分は吹き飛んで、子供が壊して捨てられた玩具のように見えた。

 一本の太い道が、城の入口へ続いている。

 ――その途上。

 旗が揺れていた。
 月に照らされて、蒼い燐光を纏った聖女が佇んでいた。

「貴女がたの戦いが終われば、私の役目も終わります」

 その時初めて、残ったサーヴァントが二騎だけなのだと知った。もうそんなことに興味はなかった。

 ルーラーを無視して、アーチャーは歩んでいく。
 その背中を追いかけようとして、ふと思い立ち、アルは聖女に向き直った。

「ルーラー、ひとつお願いがあります」

「何でしょうか。私は――」

「いえ、加勢のお願いではありません」彼女の言葉を遮り、口早に告げる。「この戦いの結果どうなろうと、俺が責任をもって処理します。だから……、最後まで、貴女には介入しないでほしい」

 意味を計りかねたのか、聖女は思案顔を浮かべ、しかしすぐ首を振った。

「それは、約束できません。私は私の役目を果たす義務があります」

「そうですか。……ええ、それでいい。そうするべきだ」

 軽く頭を下げて、城へ視線を戻す。もうルーラーと会うことはないだろう。

 小走りでアーチャーを追った。
 当然……彼女は立ち止まってくれない。