アタランテを呼んだ男の聖杯大戦   作:KK

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×××

 無価値な記憶。

 

 

「オマエがこれから学ぶことは、全てが無駄なのだ」

 

 最初にそう教えられた。

 

 どんな家系であろうと、魔術師が最初に教えられることは同じ。

 目指すは根源。道程は果てしない。一代や二代で成し遂げられるものではなく、子へ孫へ、その望みを託す義務がある。

 

 だが。

 

 それを諦められない魔術師がいた。

 

 

 その家系は「忘却魔術」に特化した一族だった。一つの魔術系統に拘泥らず、「忘却」に関するものなら、あらゆる魔術を横断的に研究した。他人の成果を盗むことも厭わず研究を続けたため、魔術師たちは手を組んで彼らを排斥した。何代も前の先祖は、追われるようにしてトランシルヴァニアへ逃げ延び、やがて諍いは忘れ去られた。

 

 彼らはその地に店を構え、一般人を試料に実験を続けた。

 

 研究成果は次々と上がった。 

 例えば忘却の種類。記憶の機能は銘記、保存、再生、再認の四つ。通常の忘却魔術はこのうち、「再生」を封じているが、彼らはそれだけでない。任意の機能に不全を発生させられるようになった。 

 例えば精密性。特定の記憶を高精度に――それこそ「ちょっとした物忘れ」程度まで選んで、忘却させられるようになった。 

 そのほか、期間も、範囲も、対象人数も自由自在といえるほどに魔術は発展した。

 

 だが、そんなものは、副次的に得られた成果にすぎない。

 彼らの目的は手を広げることではなく、最深へ至ることだった。

 

 そもそも、なぜ忘却を偏執的に追求していたのか。

 魔術師である以上、目的はたったひとつ。記録にも残らぬほどの昔に誰かが得た閃き。

 

 我ら全て、根源より起源を以て掬い上げられた存在なれば。

 

「完全な忘却を得れば――根源の渦に至れるのでは?」

 

 忘却を、ただの機能不全で終わらせない。

 

 記憶を完全に消去し、精神を零に戻す。

 人格を完全に消去し、肉体を空にする。

 記録を完全に消去し、魂を漂白する。

 最期に――起源を忘却する。

 

 これにて我らは根源の渦へ至る。

 

 深い深い忘却を望み、恐ろしいほど長い時間を経て、遂に人格の消去まで完成させた。

 

 答えは近い。

 

 

 その魔術師はそれら成果を全て受け継ぎ、自分の代で根源に至ると決意した。

 だから妻をとらず、子を為さず、研究に没頭した。幸い、亜種聖杯戦争とやらの頻発で、事後処理のため、忘却魔術の特許は頻繁に使用されることになり、資金には困らなかった。

 

 ――しかし彼は限界を知った。

 それなりに優秀であったが故に、どうしたって自らが死ぬまで、研究は完成しないと気付かざるを得なかった。

 

 だが知ることと、認めることは別だ。魔術師は認めることを拒んだ。

 

 周囲からの強い勧めもあって、渋々魔術師は妻をとった。だが、それでも魔術師は子を作ろうとしなかった。ようやく二人の間に子ができたのは、彼が老境に差し掛かった頃であった。晩産がたたり、妻は程なくして死んだ。

 

 子を設けてなお――魔術師は現実を認めない。

 己が根源へ至るのだから不要だと、刻印の移植も、魔術の教育も、全く行わなかった。

 

 嫌々ながらも教育を始めたのは、子が第二次性徴を迎えた後だった。

 いい加減意地を張るのは止めようと、ようやく魔術師は認めかけていたのである。

 

 しかしながら、もはや手遅れだった。

 

 何も知らず育ってきた子は魔術師の精神をなかなか受け容れず、果ては回路を活性化させるトリガーが「恐怖」になった。

 無理やり刻印を移植したため、ほんの少し移したところで肉体が拒否反応を示し、機能も効率も大幅に落ち込んだ。さらに移植時、回路にも損傷を与えたせいで、一族の跡継ぎとしては到底考えられないほど、生み出せる魔力は低下した。

 

 ――出来損ない。

 

 もう何も教えようとは思わなかった。初歩的な魔術を教え終わったところで、彼は教育をやめた。

 こんな出来損ないに何を教えても意味はない。欠陥品を産んだ妻への怒りが湧き上がった。

 

 どうしてこんな目に遭うのだろうと、何度も嘆いた。

 このまま根源へ至れず、自分は惨めに死ぬのだと――。

 

 そう思っていた魔術師は、千載一遇の好機を得る。

 

 「聖杯大戦」

 

 亜種聖杯戦争で争われるチンケな聖杯でない、真なる願望器、大聖杯の存在。

 

 魔術師は随喜に打ち震えた。

 一度閉ざされたと思った道が開いたのだ。根源へ至る道が……。

 

 

 魔術師は眠っていた情熱を再燃させた。

 

 まずはマスターになること。派遣されるマスター候補をひとり、店へ誘い込み、「荷物の存在」のみ忘却させて追い出すことにした。魔術協会のこと、さぞ素晴らしい聖遺物を持たせているだろう。

 次に欠陥品の処理。すでに用済みだが、勝手に動かれるのも目障りだ。適当に忘却魔術をかけ、そのうえで手元に置くことにした。囮でも、非常時の魔力タンクとしてでも、使い道はある。

 

 そうして記憶を失った奴は、間抜け面を晒して、魔術師に頭を下げた。

 

「ありがとうございます! 俺、もうどうしたらいいか……」

 

「いいんだよ。君のことが判るまで、ここにいなさい」

 

「本当に……ありがとうございます……」

 

「そうだ、それまでアル――を」

 

「え、アル、ですか?」

 

「ん? ああ……」

 

 今まで呼んだことがなかったので、元の名など憶えていないが、これはなかなか良い名前だと思った。不思議と心穏やかに話すことができる。

 

「そうだね、取り敢えず君はアル君と呼ぼう。良いかな?」

 

「は、はい。もちろん」

 

「それではよろしくね――」魔術師は微笑んで、小さく付け加えた。「他人(アルタ)

 

 魔術師にとって、聖杯大戦の勝利は確定事項だった。魔法陣まで描き、召喚の時を今か今かと待っていた。

 

 

 だから。

 

 そんなことは、許されなかった。

 

 奴が聖遺物を持ち去り、翌日、マスターになっていた。

 

 侮っていたことは事実。召喚には少し巡りが悪かったため、一晩の間、奴に保管させようとした油断。

 だが、魔術の存在すら忘れたはずの奴が、その日のうちにサーヴァントを召喚するなど、考えられない事態。

 

 自分の令呪を、英霊を、マスターの資格を奪われた。

 

 あってはならない。

 

 そんな悲劇が許されるのか……?

 

 欠陥品の分際で……!

 

 憎悪に染まった頭は、冷静な思考とは程遠く。

 

「すみません店長遅くなりました!」

 

「……ええっと。何か、あったのかい?」

 

「そうといえばそうなんですが……本当にすみませんでした。パーティーは――もう終わってますよね……」

 

「まあ無事でいるなら何よりだよ。どうか頭を上げて……」

 

 潜ませた毒針を持ち上げる。こんな塵芥(ゴミ)は、最初から処分しておくべきだったのだ。

 

 次の瞬間感じたのは、喉を絞められる苦しみ。

 

 何が起きているのか把握する余地もなく。

 

 視界が白く。

 意識が消えていく……。

 

 

 魔術師は死んだ。

 だから、これは無価値な記憶。誰も知らないし、知ったところで得はない。

 ただ魔術師の息子が、その断片を経験しただけだ。魔術を学べば愛されると思い、お前は欠陥品だったと告げられた断罪として。生まれた時と、魔術を教えられた時、二度父に棄てられた記憶として。

 

 

          #

 

 

 写真のなかで、アルは笑っている。

 いつ、どうして撮った写真だろう。

 まだ何も知らない頃。物心つく前に撮影したものかと考えた。記憶にある限り、こんな清々しい笑みを浮かべたことはないはず。

 

「隠したのは私の判断だ。あの時これを見せれば、汝がどうなるか判らなかった。だが……それは私のエゴに過ぎない。私は聖杯のために……、汝に犠牲を強いていた。本当はすぐに見せるべきだったのに……。すまない……謝って許してもらえるとは、思っていない……」

 

 アーチャーは唇を噛んで、項垂れた。

 

「謝る必要なんてないさ……。俺は……本当は、気付いていた、のに」

 

 本当は憶えていた。いつだって思い出せた。その気になれば、最初から。

 父のかけた魔術は、彼の死と同時に消えていたのだから。

 

 悲しくはない。痛みもない。ただ欠けている。

 記憶を失った故の欠落だと思っていた。

 

 でも、違った。

 

 それは愛を与えられなかった者が抱える欠落。

 

 ずっとそこにあったのに。

 ただ、目を逸らして。見えないふりをして。

 

 逃げた。

 

 逃げ続けた。

 

 舞台で傷付く彼女を、傍観していた……。

 

「ずっと、逃げていただけ、なんだ……。ごめん……ごめん、アタランテ」

 

 

          #

 

 

 その時、ようやくアタランテは、アルゴナウタイのなかで自分が選ばれた理由を知った。

 

 親に愛されなかった者同士だからだと、今まで思っていた。夢で見た彼の境遇を想えば、それだけの単純な相似が理由なのだろうと。

 

 けれど、そんな見せかけの境遇のために喚ばれたのではなかった。

 

 自らの望みから目を逸らし、あるいは傷ついた記憶から逃げ出した。結局のところ、二人は。

 

 傷を負い、痛くない振りをしてきただけの。

 

 目を塞いで、逃避を繰り返してきただけの。

 

 二匹の、手負いの獣なのだと。

 

 

 アルの背中に手を伸ばしかけ、途中で止め、彼女は憂いに沈んでいた。

 

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 それでもせめて、今だけは……。




alta (羅)他人

この方法で根源には(たぶん)至れません。勘違いでしょう。

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