スポットライトが消え、アーチャーの視界は暗転する。
一寸先も見通せない、暗闇の劇場。
舞台の端に立つキャスターが、声を響かせた。
「ただいま上演したは彼岸の記録。これよりお見せするは此岸の記憶にございます」
「此岸……、マスターに手をだすつもりか――?」
「まさか。吾輩、あのような愚物に興味はございません。最初に言ったではありませんか、この芝居の主役は貴女だとね――」
姿は見えないが、こちらを指差して笑っているのだろう。衣擦れの音が聞こえた。
弓を握ろうと、手に力を籠めるが、当然なにも召喚されない。
「さて、第一幕において生涯を閉じた彼女は、ここへきて第二の生を享けました。英霊として召喚され――、聖杯を巡る戦いへ身を投じます」
無意味だ、と思う。
生前の景色を見せられても、何も動じなかったのだ。召喚されてからそう日が経った訳でもないし、挫折や後悔を経た訳でもない。これならば、まだ第一幕の方が辛かったといえる。
息を吐いて、僅かに安堵する。
「明転の前に、ちょっとした問答をしてもらいましょう。よろしいですかな……!」
返答はしなかったが、キャスターが満足そうに頷く気配があった。
「それでは最初の質問――貴女は何のために戦っている?」
「大聖杯を得るためだ」
「大聖杯を得て叶えたい、貴女の願望とは?」
「すべての子供たちが愛される世界をこそ望む」
すぐ答える。考える必要はない、自分の存在意義そのものだ。
「ほう……」その時、キャスターの口調が変わった。「では訊きましょう。貴女にとって、”子供”とは何ですかな?」
それは、以前された問いと同じ。
だから答えも変わらない。
「自由なく、したがって責を負えぬ存在だ……まだ己の人生を定める力なく、庇護を必要としている者だ」
キャスターは大きな拍手を送る。
「素晴らしい。……ところで、願いを叶える過程で生じる犠牲を、貴女は良しとするのでしょうか?」
「それは……、子供を救うために子供を犠牲にするかという話か?」
「そう理解していただいて結構」
溜息を吐く。彼のやり口だと判ってはいるが、なぜこうも当たり前のことばかり問うのか……。
「認める訳がなかろう。願望を果たす過程で、己が願望を汚して何とする? そんな者に願いを叶える資格はない」
「ふむふむ……。回答ありがとうございます。興味深い問答でしたな?」
「なあキャスター。悪足掻きはやめろ。このようなことを続けたところで、私が屈することはない」
暗闇に呼びかける。
暫し沈黙した後、キャスターが渋々といった感じで返事した。
「……ま、確かにそうかもしれません」
「そうだろう? では――」
「ですが終幕の前に、もうひとつだけ質問をしても?」
「いいから早くしろ。まったく……」
「では訊きますが――」
なぜか厭な予感に襲われた。
空気が――重い。
(……?)
黒い帳の向こう、キャスターの笑みを透かし見た気がした。
「この光景を見た時、貴女が抱いた感想をお教え願いたい!」
ぱん、と打ち合わされた手。
途端に明転する視界。
その前に現れたのは――。
一瞬、キャスターの宝具が効力を失ったのかと思った。魔力が切れて、劇場ごと消失したのかと。
だが魔力の渦は消えていない。ここはまだ舞台の上。
周りを取り巻く空間は、先ほどの地下室。
”黒”がホムンクルスを安置した、硝子の円柱立ち並ぶ部屋。
そのただ中に、一人ぽつんと、アーチャーは立っている。
「キャスター、何をふざけている!」
声は室内に響き渡り、しかし何者も応えない。ただ薬液の中で泡が膨らむ、ごぼごぼという音しか聞こえなかった。
「やはりそうですか……」
キャスターの影が現れ、大袈裟に溜息を吐いてみせる。
「また時間稼ぎのつもりか!?」
怒鳴りつけると、彼は大きく首を振った。
「吾輩の問いに答えていただきたかったのですが――もういいです。貴女の蓋は、想像以上に強固なようだ」
「また戯言を……」
無視して、キャスターは喋りはじめた。
「どうでしょうか、この光景。人型電池が立ち並び、静かに死を待つ彼らの姿。ホムンクルス、造られた生命よ、彼らには、
「な……に、を――」
当然の話だ。
ホムンクルス――戦いのために生み出された人工生命。
硝子に囚われた彼らに自由はない。責任など負えない。生まれた時から未来を決定されている彼らに、己が人生を定めることは許されない。
薬液のなかでゆらゆらと――、眠り続ける彼らに見覚えは?
「アーチャー殿――貴女の言うところの、子供のようではありませんか!」
駄目だ。
壊れてしまう。
「違う……ちが――」
「何が違うのでしょう? 造られた生命というのがお気に召しませんか? では疑問なのですが、すべて生命とは親によってつくられるものでは? 彼らの命の価値は違うと?」
「彼ら、は」
「成長していることが問題ですか? つまり背が低くなければ子供でない? ああ、年齢が気になっているのですね? ご安心下さい、彼らはまだ随分と年若ですよ」
「だが」
「おお、それとも人間でないところがご不満で? つまりアーチャー殿は、子猫や子犬を見殺しにする分には構わないと!」
詭弁だ、暴論だ、屁理屈だ!
何でもいい、奴の言葉を認めるな!
否定しなければ――否定しなければ!
そうしなければ……。
「ぁ――」
だがどれほど必死に口を開いても、漏れ出る声は意味を為さない。
「ぁ……」
壊れてしまう。
この光景を見て、何の感情も抱かなかった自分を否定しなければ。
マスターと逃げていた最中だから仕方ない。”黒”のやったことだから仕方ない。彼らを救う術を知らなかったから仕方ない。外見が子供に見えなかったから仕方ない。仕方なかった。
それなのに。
思い浮かんだ言い訳のひとつも、口にすることができない。
「吾輩は疑問なのです――ホムンクルスを救おうとしなかったことではございませんよ? ここで反論できない貴女が判らない!」
キャスターは言葉を紡ぐ。
「だってそうでしょう? 彼らは救いの対象外だと言うなら納得できる。急いでいてそこまで頭が回らなかったと言うなら、それはそれで納得できる。なぜ貴女は何も言わないのですか?」
「それ、は……」
「何も考えていないからですよ、勿論。貴女は自分の願望について考えたことなど一度もない! どうやって叶えるか考えたことはあれど、その意味について考えたことがない。だから答えられない。だからこの光景を見て何も感じない。考えていないから!」
私は。
「願望に命を懸けておいて、なぜ考えないのでしょう? でもそれは当然のことでしょうな……なにしろ、貴女の願望はただの逃避だ」
なにを。
「なぜ子供を救おうと思った? 自分が愛されない子供だったから? ……なら、どうして
しているんだろう。
「喜劇だ! この物語は喜劇に決定! さあ皆並べ! 乞食がパンを配るとさ!」
幕が降りる。
これにて閉幕。宝具は終わる。
景色が溶けて、現実の世界が目に映る。
並び立つ硝子の柱。薬液。膨らむ気泡。道具と化した
――けれど。
もう、何も見えなかった。
#
ぱち、ぱち、と乾いた拍手が響いた。
「……なかなか興味深い劇だったぞ。娯楽という点では、不満を覚えないでもなかったが」
声の主を探し、キャスターは額に手を当てた。
「おやおや、”黒”のランサー殿に、そのマスター殿。これはしたり、公もご覧になっておいででしたか」
地下室の壁に沿って設けられた階段の途中に、”黒”のランサーとダーニックが立っていた。
「城の構造を捻じ曲げおって……、こんなところで時間を潰している暇はないというのに……!」
「そう苛立つな、ダーニック」片手を挙げ、ランサーが頷く。「”赤”のキャスター。突如巻き込まれて見た芝居とはいえ、余はその出来に満足している。褒美を取らそう」
「ほほう? であれば、豪華な書斎など――」
ちくりと、小さな痛みを感じ、キャスターは己を見下ろす。
鋭い杭が、霊核を貫いていた。
「『
体内から杭を射出し、ランサーは悠然と微笑んだ。
同時に何本も召喚された杭は、いくつも浮かべられていたキャスターの幻影すべてを、その中に紛れていた本体と共に貫いた。
「はは……ははは……客に殺されるとは……作家、冥利に尽きます、な――」
激しい痛みと消滅する肉体を感じ、しかし最期まで、シェイクスピアは笑みを絶やさなかった。
ランサーはそれきりキャスターへの興味を失った。
次に彼の眼が捉えたのは――部屋の中央で呆然と肩を落とす、”赤”のアーチャー。
「さてアーチャー。余を侮辱したお前にどんな仕打ちを与えるか、ずっと考えていたのだ。皮を剥ぐか、腕を切り落とすか、じっくり時間をかけて杭に刺すか……。だが、思いもよらぬところで天恵は訪れるものだな?」
ランサーの言葉に、アーチャーは一切反応を示さない。
それが彼にはすこし不満だった。
「……まあ良い」
鼻を鳴らし、ランサーは彼女を見下ろす。
唾棄すべき野蛮人に与えるものは、ひとつ。
「――これは罰である。『
射出された杭の狙いは、アーチャーではない。
#
ぱりん、と硝子の割れる音が耳朶を打った。
反射的に顔を上げる。
やけに景色がゆっくり流れていく。
次々と杭が飛び。
硝子を砕き。
子供を殺した。
子供を殺して、子供を殺して、子供を殺した。
子供はみんな死んだ。
「――どうだね、この罰は? 敵の手に落ちた燃料、壊すしかなかったとはいえ、ホムンクルスも、なかなかどうして役に立つ」
私が見捨てたせいで死んだ。
私の眼の前で死んだ。
「反応がないのはつまらんな……。まあ、あとは貴様を殺すだけだ」
杭が飛んでくる。
杭が向かう先も、尖端の鋭さも、所々に入った瑕も、よく見えた。
躰は動かない。動かそうとも思わなかった。
「令呪をもって命じる――逃げろ、アーチャァァァ――ッ!」
腹に杭が刺さって、内臓を傷つけて、かと思ったら夢のように景色が変わった。
それっきり。
なにもない。
#
「……判らぬな」
ランサーが首を振り、部屋の片隅に目をやった。
右手を伸ばしたマスターが、恐怖に引き攣った顔でこちらを見上げている。
「サーヴァントを囮に逃げ出すというなら判る。だが、何故お前はサーヴァントを逃がした? その後は自分が殺されるだけだと、その程度の計算もできないのか? そうなればサーヴァントとて消えるだけだというに」
返事はない。
怒りというより、嫌悪を覚えた。
歯をかちかちと鳴らし、全身を震わせる無様な姿は、これ以上見ていたいものでもない。
「あああああああぁぁぁぁぁぁ――っ!!」
そのマスターは泣き叫びながら逃げ出そうとする。もたついた足取りで、情けなくなるほど遅い。
軽く手を振って、杭を召喚する。
その時、凄まじい爆音が響いた。
「何だっ?」
傍らのダーニックが天井を見上げる。
城全体が軋み、今にも崩落を始めそうな震動が襲う。
「ここは避難を――」
「ああ。判っている」
ふと視線を下ろすと、あのマスターの姿がなかった。爆発音にも気付かず走っていったのだろう。
だが人間の足だ。今追いかければ、悠々追い付ける。
「追いますか?」
「いや、追わぬ」首を振って、ランサーは地下室の出口へ向かう。「領王たる余が、あのような虫相手に討って出る必要はない。のこのこ出向いてきたところを、殺してやるとしよう」
「は、御意に」
ダーニックもランサーに続いた。
#
ただ走った。
口からはずっと、訳のわからない叫びと涎が零れていた。
足を動かし続けていると、いつの間にか外に出ていた。
瓦礫塗れの地面を、こけつまろびつ、這うように駆けた。全身に傷を負ったのだろう。躰のそこかしこに痛みが走った。
道路に出て、たまたま通りかかった車の前に飛び出した。
怒って出てきた運転手に、獣のように喚き散らした。
しばらく叫んでいると後部座席に乗せてくれた。そのままシギショアラに向かってもらった。
早くしろと、何度叫んだか判らない。
早くアーチャーに伝えなければ……。
キャスターの言い分は滅茶苦茶だった。筋は通らず、論理が破綻した、穴だらけの言葉だった。非難にもなっていない単語の連なり。戯言に過ぎない。
ただアーチャーの動揺を誘い、その隙に付け込んだだけ。存在しない傷口を思い込ませて、その上に塩を塗っただけ。
だから早く彼女の許へ行かなければならない。キャスターの欺瞞を暴かねばならない。
車が停まった。ドアを蹴破るように外に出た。
喫茶店の扉を押し開ける。きっとアーチャーは、この先に――。
血の池に彼女は浮かんでいた。
赤い、赤い血が。
真っ白な肌と。
翠緑の髪を染め上げて。
「ああ、ああああ……」
跪いて、彼女の腹に手を当てる。引き裂かれた傷を押さえる。
けれど血は止まらず。
刻一刻と冷えていく躰。
それが宝具による損傷だからか、或いは自分の魔力が足りないのか、傷が塞がる様子はない。
「待ってくれ……待って……」
血は熱く、躰は冷たい。
治す術が――自分にあれば。
治癒の魔術を使えれば。
破裂しそうなほど頭が痛んだ。
否……。
知っている。
知っているじゃないか……。
「そうだ……。治さないと……」
使えば、もう戻れない。
魔術回路を開く。
魔力を掻き集める。
足りないのなら、寿命でも何でも削り取る。
そして。
ふらふらと立ち上がり、足は自然と地下室へ向かっていた。
魔術工房へ下りる。暗い部屋を見廻す。
その真ん中で、膝を付いた。
思い出してはいけない……?
思い出したくなかっただけだ。
どれほどの間、そうしていただろう。
背後から、階段を下りてくる足音が響く。
ゆるりと振り向くと、蒼白い顔のアーチャーがいた。
ああ……、良かった。
彼女は、小さな紙を取り出した。
「……この工房へ初めて来たとき、見つけたものだ」
受け取る。色褪せた写真で、細かく切り裂いた後、修復した跡があった。
ぼんやり目を落とす。
それは、どこにでもある、平凡な
父と母と、子が一人。
右端で母が、やたらと大きな時代遅れの帽子を被って、無表情にこちらを見つめている。
左端で
二人に挟まれて、無邪気な笑みを浮かべた